時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

日本の進む道:終戦記念日に当たって

2007年08月16日 | 憲法・平和問題
終戦記念日の翌日のニュースの見出しを見ると、平和を願う気持ちのあふれた見出しが、新聞各紙に並んでいる。
「終戦の日 静謐な追悼の日となるように」、「終戦から62年「戦没者追悼式」…世界平和への貢献誓う」、「東京大空襲 悲惨さ胸に墨田で体験談」、「平和祈る行事各地で予定、62回目の終戦記念日」等々。
さて、この終戦記念日のNHK番組で、憲法問題が議論されていた。
憲法、特に9条の改定の必要性、自衛隊の必要性などが議論されていたが、国民の意見は様々であった。ブログなどでも日本の防衛のあり方に関しては意見が割れている。
ただ、自衛隊が必要だ、海外派兵できるようにすべきだという意見を持つ人たちも、別に、海外の特定の国を侵略して植民地にしようとか、特定の民族に危害を加えようなどと思っている人はいない。この点は正しく理解しておかなければならない。
自衛隊が必要、憲法上も明記すべきという意見の中で多いのは、北朝鮮のような国際的に孤立した独裁国家やイスラム過激派が支配する国など、国際社会による抑制の効かない国々から危害を受けるかもしれないというような漠然とした不安が根底にある。
日本以外の国が、核兵器を保有したり、軍備を拡張すれば、日本の中にも不安が広がるだろう。同様に、外国から見れば、日本が軍備を拡張すれば、それに不安を持つ国が増えるだろう。
アメリカの銃に対する考え方を見ればよくわかるが、隣が持てば自分も持つ、こういう考えが当たり前になり、銃に対する規制は一向に進まず、銃による悲劇は後を絶たない。こういう悲劇が起きれば起きるほど、人々は逆に銃に頼るようになる。
軍備に対する考え方は、これに似ている。
海を隔てた専制国家から核ミサイルが飛んでくるかもしれないから、迎撃する能力が必要だ。中国も軍備の近代化を進めており、これに対抗しなければならない。
こういうイタチごっこがソ連という軍事国家が崩壊した後も続いている。
しかし、世界情勢を冷静に見れば、どの国とも軍事同盟を結ばない、非同盟・中立の国々が増えている。非同盟諸国首脳会議への参加国は、国連加盟国の過半数を超え、世界的にも発言力を強めている。
21世紀の世界の流れは、軍事同盟からの脱退、国連の平和憲章に基づく平和的手段による紛争の解決という方向に大きく舵を取っているのが実情であろう。
我々の生活には絶えず様々な不安が付きまとう。しかし、就寝前に、「今日はミサイルが飛んで来なくてよかった」、「明日も核戦争が起きませんように」などと考えている国民は何人いるだろうか?将来、ひょっとしたら飛んでくるかもしれないミサイルよりも、年金や医療、税金や就職などで頭の中は一杯だろう。医療難民、介護難民、ネットカフェ難民など、現瞬間の生活に不安を抱える人たちを救うことが政治の役割ではなかろうか。そして、軍事力を強化し、自衛隊員を訓練するよりも、武力紛争が起きないように、官民あげて、外交努力を促すことが政治の役目だ。
軍隊、軍事力は、何物をも作り出すことがなく、ただ破壊のみをもたらす非生産的なものである。
多くの国民は、公務員数の削減を切望するが、防衛省、自衛隊ほどの大所帯はない。「行政改革」の目玉として、思い切った削減をしてはどうだろうか。
災害の多い昨今の日本では、自衛隊を解散し、自然災害から「祖国を防衛」する組織に編成替えを行ってはどうだろうか。冬は、北海道、東北地方の雪かきなど、活躍の場は計り知れない。
いま一度、世界の流れと日本の果たすべき役割について、考える機会としていただきたい。