時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

発刊1周年

2007年08月05日 | その他
このブログを開設して、早や1年が過ぎた。
時々、記事を更新する予定だったが、いろいろと書きたい記事があって、ほぼ毎日の更新が続いている。原稿を準備したものの、掲載時期を逸して、ボツにしたものも少なくない。
さて、開設当初は、毎日の訪問者数は20-30人だったが、数ヶ月のうちに徐々に40人、50人と増えてきて、最近では、しばしば100人を越える方々に訪問いただき、記事の閲覧数は毎日200件近くになっているが、1日でも記事の更新を怠ると訪問者数、閲覧数ともに約半分になってしまう。ということは、毎日見てくれている読者がいるということなのだろう。
さて、訪問してくれている読者の皆さんは、いったいどのような記事に関心を持ってくれているのだろうか?
ご丁寧にコメントを残してくださる方もいるが、内容は賛否両論こもごもである。私の意見は記事の中で述べているので、ご返事は出さないことにしている。しかし、機会があれば別の記事の中でも、改めて私の意見を述べるようにしているので、それでご容赦をいただきたいと思っている。
さて、読者の皆さんが、この日本という国で暮らしていくうえで、2、3点申し上げておきたいことがある。
私たちは、先進資本主義国と言われるこの日本で暮らしており、ほとんどの勤労者が、何らかの形で大企業の恩恵を受けている。大企業に勤務して直接給料をもらっている人もいるだろう。大企業との取引によって暮らしが成り立っている人や大企業の開発品によって、暮らしに潤いを感じている人もいるだろう。このように、大企業の果たす社会的な役割は非常に大きなものがあり、誰もその役割を否定する人はいない。それゆえに、私たちの考え方の奥底に、企業活動を評価し、弁護し、擁護する考え方が知らず知らずの間に根を張ることになる。
こうなると、企業による様々な犯罪行為(種々の捏造、事故隠し、情報隠し、脱税、粉飾決算等々)や労働者に対する抑圧(首切り、偽装請負、残業代の不払い等々)なども、ついつい必要悪、やむを得ないといった受け止めになってしまいがちである。
大企業だろうが、巨大企業だろうが、所詮は人間の作ったものである。その企業による不法や不正はやはり許してはならないだろう。特にその社会的な影響は甚大だということを述べておきたい。
もう1点は、巨大で無駄な官僚機構、お役所機構である。政府も行政改革などと言いながらも、ここにはまったく手付かずで、実際にやってきたことは「改革」とは無縁の、国民サービスの切捨てである。
残念なのは、こういう巨大機構の大もとに対してではなく、末端の公務員に対する偏見や批判が多いことだ。
態度の悪い公務員や住民に対するサービス精神に欠けた公務員も多い。しかし、根本は、国や地方自治体が定めた様々な法律、制度や規則などによるものであり、この大もとを変えない限り、けっして末端の状況は変わらないのだ。末端の公務員には、天下り先もなく、一般庶民と同様の老後が待っているのである。
最後になるが、大企業の横暴や官僚機構を優遇してきたのは、政権与党による政策の賜物である。こういう現状を何とかしたいと願う読者諸兄は、とにかく今の社会のあり方、政治のあり方を根本から変えるしか方法はないのである。
このことを発刊1周年の記事として、強調しておきたい。