時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

雑学ですが・・・。

2006年10月16日 | その他
いま、平岩弓枝の「御宿かわせみ」シリーズを読んでいる。
江戸時代の旅籠を舞台にした物語であるが、この中に秋の七福神詣での話が登場する。通常は、正月に行われるものであるが、秋に行われるのが物語の伏線になっている。
白衣の背に、七福神詣と大書した浄衣を着て、提灯を片手に、「ながきよのとおのねぶりのみなめざめ、なみのりぶねのおとのよきかな」という文句を唱えながら、七福神を巡るという。
さて、前置きが長くなったが、ここに登場する文句は、五七五七七のれっきとした和歌(短歌)であるが、賢明な読者諸兄は既にお気づきのように、この和歌は回文(かいぶん、めぐらしぶみ)となっている。
しんぶんし、たけやぶやけた、と同じように、上から読んでも、下から読んでも読める短歌である。
漢字で書くと、次のようになる。
「長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り舟の音の良きかな」
最も長い回文として、以下のような詩も知られている。私の記憶が正しければ、明治時代に発行されていた「萬朝報」という新聞に掲載されたもので、確か作者不詳のはずである。

時は秋この日に陽訪ねみん
紅葉錦の葉が竜田川の岸に殖え
鬱金峰伝ひに
陽の濃き淡きと
(ときはあきこのひにひたづねみん/こうゑふにしきのはがたつたがはのきしにふゑ/うこんみねづたひに/ひのこきあはきと)

それにしても、昔の日本人というのは大したものだ。詩歌の中に言葉の遊びを取り入れて、見事な文学作品にしてしまうのだから。
英語でも回文はできるが、長文は難しい。以前に、何かの本で読んだことがあるが、Madam, I'm Adam.というのがあるが、ちっとも面白くない。
日本語というのは、こういう言葉の遊びがやりやすい言語なのであろう。私たちの暮らしの中に根付いているダジャレ、ギャグもこういう遊びの変形である。しかし、どうも昔の人たちに比べると、そのレベルは確実に低下しているようである。
最近は、子供の学力低下が心配されているが、もっとも大きな原因はマンガとテレビゲームであろう。
ここ10年くらいは、子供ばかりでなく、スーツを着込んだれっきとした社会人が、電車などでマンガや携帯ゲームに興じる姿をよく見かけるようになった。
思考も短絡的になり、社会性も失われていくであろうことは、容易に想像がつく。
先人が築いた文化や文学、知恵に学んで、伝統的な日本文化の素晴らしさを再認識するとともに、読者諸兄も、秋の夜長に、日本最長の回文作りに挑戦してみてはいかがだろうか。