侘び助さんが書かれてる野口整体、14年前の直腸がんの手術後にしばらく一緒に通いました。
その時、耳で血行を良くすることを教わったかは覚えてませんが、、、。
外科手術で切った直腸がん、その後は抗がん剤も放射線も受けなかった会田なので、再発しないようにと必死でした。
色々なことを試してた中で、どなたかから教わって野口整体に。他にもオゾンの注射を定期的に受けに参宮橋にとか。
5年ほど過ぎたころ、もう再発はないはずと安心し、結局最後まで採ってたのはAHCCだけに。AHCCで、免疫力はカバーできてるはずと思い込んで、低体温体質の改善が必要という根本問題には気が行かずのままに。
そして、今回の癌の進行のもの凄いスピードには、AHCCだけでは付いていけずで。70歳以上の高齢では進度が遅いはずなのに、、、。
教えていただいたように昨夜から両耳、上から下へ7回の往復手当て始めました。温熱パッドで体を温めながら、、。
貴重な情報をいただき、ありがとうございます。
この24日は会田が逝って4ヶ月、また今月10日に母も送り、追われるような毎日を。
ようやく一息ついた昨今ですが、目の不調が無視できずの状態に。元々、強度の近眼と乱視でしたが、特に左目がすっきりしません。
多分、乱視に加えて白内障の進行が進んだ結果かと?
健康診断でも左の視力がかなり落ちてたので、眼科にいかねばとは思ってたのですが、、。
近所の眼科医には年に一度、花粉症の季節に行ってますが、今後のことを考えると信頼できる白内障の専門家を捜したいので、、。
目の不調は血行不良も原因と聞いてたので、とりあえず昨夜から朝晩、目に温熱を掛けてます。そして、アワビのサプリメントも3日前から執り始め。
目の調子が良くないと、文字どおりお先真っ暗で!
会田園子
会田の準確定申告は、4ヶ月目の10月24日が期限。
いろいろな書類提出がようやく終わり、最後に残った税務署への申告が、何とか間に合いほっと!
毎年自分で確定申告を書いてるので、専門家に頼まずでしたが、もし、遺言の公正証書がなかったら、とても期限には間に合わなかったはず。
アメリカの各地に住む子供たち夫々から、印鑑証明書に代わる証明書を取り寄せたり、必要なサインを何箇所も貰うための郵送のやり取りを何度も繰り返しと。考えるだけで気が遠くなりそうです。
あとは自分の遺言の公正証書をどうするか、銀行と相談するだけに。
すべてがスムーズに完結できるのも会田の他力、見えないけれど助力のおかげと。
ただ、何も言い残さずに逝ったのが残念で。
アメリカからやって来たフローズンヨーグルトのお店「sno:la」が銀座の三越に開店したとのニュース。
カリフォルニアの暑い地で、見つけると必ず喜んで食べてたヨーグルトを求めて三越に。
ところが、あのクールで爽やかな味とはほど遠いもったり感、、。
会田が「違うよね!このフローズンヨーグルトの味」と言い残したいために開店してくれたのかと?
母の葬儀は、札幌のファミーユというチェーンで家族葬。
札幌の郊外、手稲近辺だけでもこのフアミーユが4軒も配置されていて、網の目のようにカバーされてます。
価格は、42万円から157万円までの6段階と参加人数に合わせた明朗会計ときめ細かさ!
そして、一日一組だけのお通夜と葬儀が、泊り込めるよう完備された施設と驚きでした。
おまけに一緒に「相続相談ステーション株式会社」のパンフレットまで。
いわば死去に伴う手続きをワンストップサービスできるというご案内が。
こんなに至れり尽くせりの世界になってるとは、露知らずでしたので、自分の死後を煩うことなく、生命保険さえ準備しておけばと一安心しました。
それにしても、東京に比べ札幌の葬儀業界は何と親切なのでしょう!
火葬場でも、お骨は小さい骨壷に別に分けて入れてくれたり。お墓に入れるお骨以外に手元に置けておけるように。
そんなことが出来るなんて、桐ヶ谷斎場では教えてくれず、、、。
お墓に入れた大きな骨壷以外に会田の小さい骨壷(喉仏と指の関節とか)があったら、家に一緒に帰れたのに、、、。
93才になった5日後に亡くなった母の葬儀に札幌へ。帰京して、一晩寝ても疲れが抜けず、、。
この10年ほどは、殆ど寝たきりの介護状態。そしてここ数ヶ月間は何時逝っても?という日々でしたが、丈夫な心臓が命を永らえさせたようです。
そして、ここまで長生きできたのも、ひとえに心優しいお嫁さんの支えがあったからこそ。
一人暮らしでは、どう対処できるのでしようか?
それにしても健康寿命として生活したのは80歳前後まで、その後は認知症も加わっての長寿。
私の場合、この先いつまで生きるか長生きの漠然とした不安で一杯でした。
でも、自分の健康余命は80才までと想定して、逆算したライフプランを立てればすむと気づき、何だかとてもほっとしました。健康寿命が終わったら、食事を絶つとか?
会田の諸手続きにようやく目鼻がつきそうなタイミングまで、頑張って生きててくれたのは、最後の親心だったのでしょうか?
そして、過当競争でもまれている札幌の葬儀社、その細やかな心遣いのおかげで暖かな余韻が残る家族葬に。