「長く生きること」は辛くても「生きること」に価値がある
「喉の調子がよくないな」と思っているうちに、本格的に咳が出てきて風邪だと気がつきました。うっかりしていて、健康管理に失敗しました。きちんと治るまでには日数がかかりそうです。
つい最近まで(70歳代前半まで)はすぐに治ったのに、77歳になると、何にでも時間がかかるようになりました。
体の具合が悪いとつい悲観的な心情になり、「経済は大不況だし、政治も出口が見つからないし」と、このまま長く生きるのが嫌になってきます。「こんなことなら、60歳代ぐらいに早く死んでしまいたかった」とさえ思います。
そんな時、五木寛之氏の「人間の覚悟」(新潮新書)を読みました。
五木氏は、「諦めて」、「覚悟」すべしと言います。そして、「まず生きること」だ、「どんなにみっともなくても、生き続け、存在すること」だと説きます。五木氏は、自殺してはいけないと言います。
「それを覚悟のひとつとすれば、人間は、今こうして生きていることにこそ価値がある」と述べています。
私は、「やっぱりそうか、寿命がある限りは諦めて、80歳、90歳まででも生きようと覚悟することなのか」と、自分なりに納得しました。
そしてこれは会社も同じことで、会社の将来になかなか希望が見出せなくても、「こうして存続していることにこそ価値がある(社員の幸せを守るという価値)」と思うべきだと理解しました。
今は、そう思わなければやっていけない時代ではないかと思います。
私たちは、「裸で濁世(じょくせ)の中へ放り出された存在にすぎない」のです。
大規模な価値の転換が起きている
健康について五木氏は、「何か一つのことが体にいいという『一件落着主義』は、すべて嘘だと覚悟した方がいいと思います」と述べます。
医療だけでなく、医学全体、経済、政治などあらゆる世界の全体で、価値判断の転換が見られます。「以前とは正反対の現象が出てきています。それぞれはバラバラに起きているように見えるけれども、世界全体で大規模な価値の転換が起きていて、常識が通用しなくなってきているようです」。
そして、「常識というものを、根底から疑ってみる時期なのではないかと感じます」と言います。
こういうわけだから、誰にでも分かりやすい近道などないし、完全な健康、百パーセントの安心・安全が何かによって保障されることなどあり得ないと「覚悟すべきでしょう」と五木氏は言います。
逃げずに真正面から見つめるしかない
生きていることにこそ価値があると思い、自分自身が「覚悟」することはできるのではないか。
「覚悟」とはもともと仏教用語で、「迷いを去り、道理を悟ること」。また、「危険や困難を予想して、その心構えをすること」、「あきらめること、観念すること」だそうです。
そして「あきらめる」とは、五木氏の意見では、「明らかに究める」こと。物事をはっきりと究め、現実はこうなのだと覚悟することだそうです。
「言いかえれば、世の中のあらゆることは流転する。人間は老いて死んでいく。そのことを、逃げずに真正面から見つめることです」と、五木氏は説明します。
私はまたまた、百歳ぐらいまで現役で働いた銀座のママさんの言葉(テレビ出演で)を思い出します。
“歳を取ると、生きていることがけっこう辛いことなのよ”と、彼女は言いました。77歳で元気に見える私ですが、この言葉がよく分かります。風邪を引いたりすると、特によく理解できます。
しかし五木氏の言う通り、老化は現実の問題で避けることはできません。それであれば、無理をしないで元気に生きる方法を工夫することが肝腎だと思います。これは体だけでなく、心もです。
そのためには、簡単に風邪など引かないように、喉に異常を感じたらすぐにうがいグスリぐらいは買ってくるべきでした。このことを反省しながら、老化や不況への「諦め」と「覚悟」を強めたいと思います。