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●金聖雄監督《冤罪被害という絶望的なテーマの中で、私が映画を作りながら希望を見出していくと言う不思議な感覚を、ぜひ映画を観る…》

2022年11月02日 00時00分13秒 | Weblog

[↑ 映画『オレの記念日』フライヤー(https://oreno-kinenbi.com/wp-content/uploads/2022/08/oreno-kinenbi_flyer.pdf)]


(20221019[])
高遠菜穂子さんと桜井昌司さんについてのお話が印象に残りました。
 デモクラシータイムスの映像コラム【秋のエンタメ特集 辛淑玉 × 北丸雄二 【マイノリティ・リポート】】(https://www.youtube.com/watch?v=bDukMZWutFA)によると、《北丸雄二と辛淑玉が、マスメディアでは見落とされがちな社会の課題を拾い上げ、マイノリティからのまなざしで語り合い、本質を見抜き、怒り、笑い、ため息をつきながらも前に進む縦横無尽の1時間番組(ときどき長くなる)。エンタメもあります。》

   『●『戦争と平和 ~それでもイラク人を嫌いになれない~』読了(1/2)
   『●『戦争と平和 ~それでもイラク人を嫌いになれない~』読了(2/2)
     「しかし、彼女ら (郡山さんと今井さん) の予想は全く裏切られ、
      「自己責任」とばか騒ぎし、醜悪なバッシングの嵐。解放後、
      「生まれ故郷に帰るのに「覚悟」が必要」(p.141) な国って、
      いったい何?? 解放後の「新たな不安と恐怖」(p.147) は、
      拘束時以上だったのではないだろうか・・・。」

   『●『ご臨終メディア ~質問しないマスコミと一人で考えない日本人~』読了
   『●『ルポ 改憲潮流』読了(2/3)
   『●『だまされることの責任』読了(2/3)
   『●『靖国/上映中止をめぐる大議論』読了(3/3)
   『●『安心のファシズム ―支配されたがる人びと―』読了
   『●『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』読了(2/2)
   『●見損ねた
   『●『筑紫哲也』読了
   『●『ルポ戦場出稼ぎ労働者』読了
   『●「自己責任」を叫ばれた人の立場
   『●「自己責任」バッシングの嵐: 「話す」ことも許さず、「話しても」伝わらず
   『●「自己責任」バッシングと映画『ファルージャ
           イラク戦争日本人人質事件…そして』


【秋のエンタメ特集 辛淑玉 × 北丸雄二 【マイノリティ・リポート】】
 (https://www.youtube.com/watch?v=bDukMZWutFA


 そこでも取り上げられている映画が10月に公開された。飯塚事件では、「気がふれたように情報を拡散」と言われてブログ主は凹んでいるが…。ブログやツイッターでいくら叫んでも、伝わらない人には伝わらない。

   『●「袴田事件の次は狭山事件だ」
      『週刊金曜日』(2014年5月23日、992号)
    「対談金聖雄×小室等【映画『SAYAMA』が静かに伝える
     石川一雄さんの今 「みえない手錠」はいつはずれるのか】、
     「「袴田事件の次は、狭山事件の再審の扉を!」との声が高まるなか、
     逮捕から51年…」。「冤罪事件を「絶対に忘れるな」」」

   『●「死刑という刑罰」: 飯塚事件では「冤罪被害者」を死刑
            …「冤罪被害者」の命を、最早、償いようもない
    「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 第239回
     /死刑映画週間『獄友』『白と黒』など8本を上映〜
     「死刑という刑罰」を考える】」
    《金聖雄(キム・ソンウン)監督の『獄友(ごくとも)』は、
     日本で起きた狭山袴田布川足利といったよく知られた
     殺人事件で長期拘束された5人の「冤罪(えんざい)被害者」に
     焦点を当てたドキュメンタリー。彼らはなぜウソの自白をしたのか、
     獄中で何があったのか? 互いに「獄友」と励まし合ってきたこと
     などが描かれる》

 布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さんについての【映画『オレの記念日』】(https://oreno-kinenbi.com/)。

   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、
        検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》
      …検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定
   『●布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、濡れ衣を
        着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さん
   『●《冤罪事件というのは、最終的に再審などで無罪が証明されたとしても、
        その間に失われた時間は二度と取り戻せない。桜井昌司氏は…》

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https://oreno-kinenbi.com/

オレの記念日
金聖雄監督 最新作 映画『オレの記念日』



映画『オレの記念日』予告編
 (https://youtu.be/7On8fgAOzAM)

出演
布川事件:桜井昌司、桜井恵子、クー、ヒメ、杉山卓男
袴田事件:袴田巖袴田ひで子
東住吉事件:青木恵子
狭山事件:石川一雄、石川早智子

語り
小室等

監督
金聖雄

構成・編集:野村太/撮影:池田俊巳、渡辺勝重/現場録音:池田泰明/録音:吉田茂一
音楽・演奏:吉野弘志/スチール:村田次郎
イラスト:千葉佐記子、石渡希和子/パンフレット制作:松井一恵/デザイン:加藤さよ子
制作デスク:沢口絹枝、若宮まさこ/宣伝:明石薫
製作協力:陣内直行、映像グループ翔の会
企画・製作・配給:Kimoon Film

ドキュメンタリー映画/日本/2022年/カラー/104分


チラシのPDFダウンロード
 


イントロダクション

冤罪により無期懲役判決を受けた20歳の若者が、
29
年の獄中生活で悟った人生の意味とはーー

20歳の時に布川事件で冤罪により殺人犯とされ、29年間を獄中で過ごした桜井昌司さん。2011年に無罪判決、そして2021年には勝てないと言われ続けた国家賠償裁判での完全勝利など、次々に人生を逆転させていく。2019年には末期ガンにより”余命1年”と宣告されるも、食事療法などを続け、3年が過ぎた現在も精力的に全国を駆け巡る。


彼の「記念日」は今日も続くーー
1967年10月10
 夜風に金木犀は香って
  初めての手錠は冷たかった
     ―桜井昌司「記念日」*より―

1967年10月10日の出来事から始まる詩。
桜井さんは、獄中にいた時から塀の外にいる父へ、母へ、そして自分自身へ向けて多くの詩を書きとめてきた。
冤罪により逮捕された日すらも「記念日」にして飄々と前に進み続ける桜井さんの姿は、閉塞感を抱えながら今を生きる私たちに大切なことを教えてくれる。

布川事件とは
1967年8月、茨城県利根町布川で発生した強盗殺人事件。
捜査が難航する中、茨城県警は地元で素行が悪かった桜井昌司さんと杉山卓男さんを別件逮捕。長時間に及ぶ取り調べの末、虚偽の「自白」をさせ、検察は物証がないまま起訴した。1978年無期懲役判決が確定。29年の獄中生活を経て仮出獄。2009年12月再審開始決定。2011年5月24日に無罪が確定した。


『獄友』の金聖雄監督最新作

監督は、『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』『袴田巖 夢の間の世の中』『獄友』を手がけた金聖雄。これまでも冤罪被害者たちの"人としての魅力"を伝え続けてきた。
12年間という長期に渡り桜井昌司さんを追った本作では、冤罪という不運を強さと優しさに変え、しなやかに生きる姿を丁寧に描き出す。

―――――――――― 魔法の言葉 ――――――――――

「冤罪で捕まって良かった!」

「どんなに辛いことや苦しいことがあったとしても、それを喜びに変えられるのが人生だ」

桜井昌司さんが言い放つ言葉には不思議な力がある。どう言えばいいのだろうか、笑った後で深く考え納得させられる。そしていつの間にか自分もがんばろうという気持ちになれる。桜井さんは私たちの想像が及ばないような壮絶な人生を経験している、にもかかわらず苦しみや絶望を決して語らない。だからこそ彼の生き方や一言ひとことは軽やかで重く、誰の心にも響くのかもしれない。

冤罪被害という絶望的なテーマの中で、私が映画を作りながら希望を見出していくと言う不思議な感覚を、ぜひ映画を観ることで体感してほしい。きっと誰もが一歩踏み出す勇気をもらえるだろう。

金 聖雄
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 コメントが凄く読み応えがある。

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https://oreno-kinenbi.com/comments

コメント
映画『オレの記念日』にお寄せいただいたコメントをご紹介します


冤罪は、その人の尊厳と自由を奪っていく。
桜井さんはなぜ、ここまで笑顔で笑っているのだろう
桜井さんはなぜ、ここまで受け止めていけるのだろう
この映画を通して「桜井さん」に惚れない人はいない
「自由を取り戻した日のために、仕事をする日のために」
奪われた日々が責任を取ることで戻ってくるわけではない
不思議
桜井さんはいつだって前を見ている
冤罪で収容されていた日々ですら
会いたい、桜井さんに
聴きたい、桜井さんの キンモクセイ。
冤罪によって自由を奪われた人が、今もいるかもしれない
無関心ではいられない問題を
無かった事にしてはいけない

     サヘル・ローズ(俳優/人権活動家)


『不運は不幸ではない』という言葉にたどり着いたその日々を多くの人に知ってほしい。

     周防正行/映画監督


最初から最後までゲラゲラ笑いながら観てしまいました
桜井さんの人間的魅力はそれほど強烈です
「ぴったし カン・カン」というテレビ番組がスタートし、
やがて「ザ・ベストテン」も始まり、
ついに「ニュースステーション」も終了
これが、ぼくにとっての29年間でした
桜井さんの獄中生活と同じです
これは長かったでしょう
その時間を「楽しかった」と言い切る桜井さんは、まさに超人
若い人にとか司法関係者にとかは申しません
すべての人に観てもらいたい映画です

     久米宏(フリーアナウンサー)


語弊を怖れず言うと、なんと面白い冤罪映画なのだろう、と。もちろんこれは「主演」桜井昌司さんのキャラクターに負うところが大きいのだけれど、そんなサービス精神旺盛な主役をそっと軌道修正する「助演」の奥様の存在も効いている。
桜井さんの痛切の念も一方で描かれ、従前の冤罪映画とは一線を画す面も。再審、国賠訴訟と勝利した後の半生を、いまだ冤罪と戦う被害者と生きる桜井さんは、そこで初めて静かな怒りをのぞかせる。

     やくみつる(漫画家)


悪政まみれのクソニッポン国の中で、理不尽にも冤罪事件で29年間の牢獄生活を余儀なくされた桜井昌司さん。私だったら、生きる気力を無くして絶望の淵に沈んでしまうだろう。

しかし、桜井さんは違う。
「冤罪事件が私を生まれ変わらせてくれた、ありがたい、と思っている」と価値観を逆転させる奇跡の言葉。
まさに、国家権力の横暴さを無化せしめる魔法を見せてくれる映画である。

     原一男(映画監督)


映画の観賞中、「この話がドキュメンタリーではなくフィクションだったらよかったのに…」と何度思ったことか。それほど桜井昌司さんに起きたことは辛い。冤罪で29年間にもおよぶ獄中生活を強いられたのだから。
でも桜井さんは最初から最後まで明るい。刑務所の中では毎日はつらつと元気に働いていたと語る桜井さん。現在は冤罪に苦しむ仲間を勇気づけるため全国を駆け回っている。
配偶者となった女性は「彼の明るさに惹かれた」と話す。桜井さんの言葉「不運は不幸ではない」を通して「幸せとは何か」を考えさせられる。「冤罪」だけではなく、「人間の生き方」について考えさせられる映画である。

     サンドラ・ヘフェリン(著述家)


私は、子どもの頃に「警察により無実の罪がでっち上げられる」という国家の闇に触れる機会があった。「冤罪」である。
いわれなき罪を強大な権力にでっち上げられた人の怒りと失望と恐怖を思うと、今も、自分のこぶしを床に打ち付けて叫びたい衝動にかられる。
映画の主人公、桜井昌司さんは、自然体の姿を私たちに見せ、どんな人生でも楽しめると励ましてくれる。その裏側には、想像を絶する失望の夜と、今なお超えていない闇があるだろう。
明るい桜井さんの背中こそが、最大の権力への復讐であるように私には見える。そしてその隊列を共にしたいと、映画を観て改めて心に誓った。

     大石あきこ(れいわ新選組 衆議院議員)


昌司さんと出会ってもう10年以上になる。冤罪事件の救済や再審法改正に向けた活動でともに闘い、時にはライブコンサートで同じ舞台にも立った。
歌、文筆、料理、庭仕事、、、と何でもこなす器用さ、聴衆層に応じて臨機応変に対応できるスピーチの上手さ、何より人を惹きつけて止まない包容力に接するたびに「神様がこの人を選んで、この過酷な運命を背負わせたとしか考えられない」と常々感じていた。
この映画を観て、その思いがますます強くなった。
そのような存在である昌司さんのドキュメンタリーだから、どんなにストーリーが練られた上質なドラマよりも、どれほどプロットの巧みなフィクションよりも、ずっと面白いのだ。
しかも金監督は、昌司さんのすべてをつぶさに描き切るのではなく、彼の日常を淡々と描くことで、観る側に「想像するのりしろ」を残してくれた。
観客の皆さんにはぜひ、ポジティブで楽観的で明るい昌司さんの向こうに、冤罪にどれほどの理不尽と苦悩と怒りが渦巻いているかを、想像していただきたい。
2019年9月、私の夫がステージ4の大腸がんと診断されたのと同じころ(実に1日違いで)、昌司さんもステージ4の直腸がんと診断されたことを知り、衝撃を受けた。
夫はすでにこの世にいない。
布川事件が国賠まで完全勝利した一方、大崎事件はまだ再審請求段階の闘いが続いている。
正直胸が苦しくなるときもあるけれど、だからこそ、昌司さんにはまだまだ生き続けて、ともに闘いを続ける同志でいてほしい。

     鴨志田祐美(弁護士、大崎事件弁護団事務局長、
           日弁連再審法改正実現本部本部長代行)


桜井さんの優しさ、明るさにスクリーンから元気を貰いました。
私は芸人なので「怒り」を「笑い」に変えて伝えると元気になることを知っています。
無実なのに29年間も獄中にいた桜井さんが笑顔で前向きにしかもユーモアを忘れず生きている姿に私も「人を信じて、自分を信じて生きて行こう!」と、勇気をそして元気を貰いました。

     松元ヒロ(芸人)


「冤罪で捕まって良かった」と、言い切れる桜井さんの哲学はあくまでポジティブであり、ただごとでない。

     坂田明 (ミュージャン)


桜井さん、なんて魅力的な人なんだろう。
こんな言葉言える人がいるなんて。
それに引き替え、なんという権力の傲慢さよ。
間違いを認めたならば、あやまりなさいよ。
むかっ腹が立ちました。
無実で29年間も牢獄に閉じ込められる事実。
そんな冤罪が数限りなく存在するこの国。
金監督、渾身の映画。
たくさんの方々に、見てもらいたい。

     白崎映美(歌手)


この映画は「ことばの力」の映画である。
桜井昌司さんは、強制的な「自白」によって、殺人犯としてデッチ上げられ、29年間、塀の中の生活を強いられた。
獄中で、自らの言葉を詩として書きとめ、うたとして歌い、「ことばの力」で、心と身体がバラバラになりそうになる自らを励まし、再生への道を一歩一歩進んでいった。
怒りや怨みつらみの苦い汁をぐっと飲みほし、それらを「笑い」に変えて生きる──その生き方に、毎日つまらないことに凹んで生きるぼくたちは大いなる力をもらえる。
桜井さんは言う。「自分のことばで、自分を汚さないように」と。だからこそ詩を書き、日記をつけ、自らの歌をうたってきたのだろう。
言葉は、ひとを破滅に導きもするし、再生にも導く。桜井さんは「笑い」に包みながら、「ことばの魔力」を、ぼくたちにそっと教えてくれている。

     吉村喜彦(作家)


再審無罪判決、そして針の穴を通す以上に難しいとされる国賠訴訟での勝利。その筆舌に尽くしがたい過酷な闘いのなかでも人間性を失わない桜井昌司さんの日々が鮮やかに記録されていた。映画をなにより魅力的なものにしているのは、お連れ合いの恵子さんの存在だ。冤罪でおなじように苦しむ人たちを支援するため全国を駆け回るなかで、末期のがんにも見舞われるが、昌司さんのよさを自然体で支える姿にこころ洗われる思いがした。警察の捜査の闇や司法の理不尽を、静謐かつ骨太に告発するドキュメンタリー。金聖雄監督の12年にわたるゆるぎないまなざしが、見事な作品に結実したことを喜びたい。

     永田浩三(大学教授・ジャーナリスト)


「死刑になりたい」と人を刺すほどに中学生の少女を追い詰める日本社会。彼女が刃物に握った渋谷で観たこの映画。ことを起こす前に彼女に見せられなかったことを悔やむ。全編に流れる詩人でシンガーソングライター桜井昌司の朗読や歌が観る者、聴く者の心をふるわせ、もう一度前を向こうと励ますからだ。桜井は言外に言う、自分が詩や歌を書き、メロディを紡ぐことができるのは、29年に及ぶ不条理な獄中暮らしがあったから、と。希有な詩人の原点と歌の生まれる在処を探りながら桜井に伴走し、ミュージカルドキュメンタリーに結実させた金聖雄監督。彼の「冤罪三部作」にも通じるブルースもまた、通奏低音となって流れる。「ことを起こす前」に是非、観て欲しい。

     豊田直巳(フォトジャーナリスト)


あれだけ理不尽な裁判を受け続け、30年近い長期の獄中生活を余儀なくされながら、ここまで明るく前向きに生きられる人がいるという事実は、まさに「驚異」である。
ステージ4の直腸がんをも見事に克服しつつある桜井さん。どうか、あのチャーミングな「自慢の恋女房、恵子ちゃん」との生活を、今後も精いっぱい楽しんでください。

     木谷明(弁護士)


刑務所の中でも、楽しいことを見つけ、努力してきた桜井さん。飄々と現実を受け止め、これまでとかわらず、生活をしています。先のことは、誰にもわかりません。
これからも桜井さんと伴侶の方が楽しく暮らせますように。冤罪のない世の中を目指す闘いに、私も強く関心を寄せていきたいと思います。

     宮子あずさ(看護師・随筆家)


僕は桜井さんの姿を通じて自分達が閉じ込められている社会というシステムの機能不全を知り、彼の足元から始まる空の、世界の存在に人間の本来性を思い出す。そして彼の笑顔を眺めながら、彼の歌に痺れるのだ。

     ダースレイダー(ラッパー)


2019年12月、私が現在、音楽の講師を務めている東京都立南葛飾高校定時制に桜井昌司さんを招いて、生徒たちにお話をしていただいた。はじめざわざわしていた生徒たちも、桜井さんの話にすぐに引き込まれ、真剣に深く聞き入っていった。桜井さんに出会うことができた生徒は、その瞬間、人生の軌道が確かに「変わった」。この映画を見た方にもまた、同じ出来事が起こるかもしれない。多くの人たち、特に高校生、大学生にぜひ観てもらいたいと思う。

     李政美(歌手)


29年間獄中生活を強いられ、仮釈放の後も殺人犯の汚名を着せられたまま、計43年間もどうやって耐え抜くことが出来たのか。その感情のメカニズムが僕にはわからない。

僕に言えることは、桜井さん、あなたは誰よりも幸せになる権利がある。残りの人生を恵子さんと共に幸せに過ごしてください。

     小室等(フォークシンガー、作曲家)
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●NNNドキュメント【死刑執行は正しかったのかⅢ ~飯塚事件・真犯人の影~】…《死刑冤罪の闇を12年間追跡し続けたドキュメンタリー》

2022年10月08日 00時00分13秒 | Weblog

(20220923[])
NNNドキュメント’22で、飯塚事件についてのシリーズ【死刑執行は正しかったのか 飯塚事件】の第三弾、【死刑執行は正しかったのかⅢ ~飯塚事件・真犯人の影~】が放送される (放送された)。
 2013年の【死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 切りとられた証拠】、2017年の【死刑執行は正しかったのかⅡ 飯塚事件 冤罪を訴える妻】】に続くもの。

 飯塚事件で冤罪にもかかわらず、死刑執行されてしまった久間三千年さん…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)。

 NNNドキュメント’22【死刑執行は正しかったのかⅢ ~飯塚事件・真犯人の影~/次回放送内容 2022年9月25日(日) 24:55【拡大枠】】(https://www.ntv.co.jp/document/)(https://www.ntv.co.jp/document/backnumber/articles/1894ujh81wjor6o3hesn.html)。《死刑執行後に冤罪の可能性が浮上。1992年、福岡県で女児2名が殺害された「飯塚事件」。逮捕された男は一貫して無実を主張していたが、いくつかの状況証拠で死刑判決を受け執行された…。ところが、その後になって証拠のひとつDNA鑑定に疑義が生じ、事実上排除される。現在、再審請求が行われているが、昨年「犯人かもしれない人物を見た」という証言が浮上する。死刑冤罪の闇を12年間追跡し続けたドキュメンタリー》。

 清水潔さんのつぶやき:

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https://twitter.com/NOSUKE0607/status/1573254125219094528

清水 潔@NOSUKE0607

NNNドキュメント「死刑執行は正しかったのか?」ショートドキュメントが公開されました。6分間バージョンです。ご覧ください。

https://youtu.be/YyaflJGlJWY

午後7:13 2022年9月23日
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https://www.ntv.co.jp/document/backnumber/articles/1894ujh81wjor6o3hesn.html

【NNNドキュメント】死刑執行後に"冤罪"の可能性… 飯塚事件の真相に迫る 福岡 NNNセレクション

2022/09/23
日テレNEWS



本編は9月25日(日)24:55〜日本テレビ系列にて放送
こちらでご覧いただけます ⇨ https://www.dailymotion.com/video/x8e0fuj

1992年、福岡県で女児2名が殺害された「飯塚事件」。犯人とされた男は、無実を訴え続けたが死刑は執行された。しかし、その後浮上したえん罪の可能性。浮かび上がる捜査へのいくつもの疑問。「死刑冤罪の闇を12年間にわたり追い続けました。
制作:福岡放送・日本テレビ


【NNNドキュメント‘22】
 毎週日曜日深夜24時55分~ 日本テレビ系列全国放送
https://www.ntv.co.jp/document/

#飯塚事件 #死刑 #Nドキュ #犯人 #裁判 #DNA #証拠 #捜査 #警察 #福岡 #ドキュメンタリー #ドキュメント #NNNドキュメント #NNN #日テレ​​ #ニュース​​ 
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 一貫して無罪を主張、死刑執行のその日まで…。にもかかわらず、「飯塚事件」で死刑が執行された久間三千年さん。罪なき人に対しての国家による殺人》。検察は、全ての証拠を開示すべきだ。
 DNA型鑑定のいい加減さ。弁護団は「改ざん」「ねつ造」とまで主張している。足利事件での再鑑定が明らかになり(2008年10月16日 足利事件 再鑑定へ)、なぜ、慌てるように死刑執行(2008年10月28日 飯塚事件 死刑執行)を強行したのか? 《最高裁で死刑が確定します。その2年後でした》死刑執行されたのは。たった2年後の死刑執行、これも異例中の異例。この1点でも異常だ。無惨…「死刑執行で冤罪を隠蔽」したのだ。菅家利和さんは、会見で、「無実の私が足利事件の犯人にされたのは、科警研の間違ったDNA型鑑定のためであり、絶対に許さないと思いました。なぜなら私と同じ間違ったDNA型鑑定で、飯塚事件の久間三千年さんを死刑を執行されてしまったからです」と語っておられます。
 (目撃18日後の)〝詳細〟な「紺色ワゴン車」目撃証言の滅茶苦茶。75人で検証実験しても、誰一人として詳細な証言を出来ず。一方で、他の重要な目撃証言を一切無視。
 もう1点、どうしても主張したいことは、冤罪者が死刑執行されたことは、被害者への冒涜であり、その遺族・関係者の皆さんをバカにした話であること。

 警察・検察・裁判所はどう責任をとるつもりだろうかか? 「死刑執行命令を下したのは、麻生内閣の森英介法務大臣(当時)」、飯塚は麻生太郎氏の「地元」だ。冤罪死刑に係わった者たちは、何の贖罪の気持ちもわかないのだろうか?

 2022年2月の福岡FBSのニュース報道【シリーズ『飯塚事件』検証① 事件と裁判の経緯】(https://www.fbs.co.jp/fbsnews/news96s3pcomtmowz24mzh.html)によると、《事件発生からまもなく30年。裁判のやり直しをめぐる裁判所、検察、弁護団の協議がいまも続いています。果たして、死刑執行は正しかったのか。》
 【シリーズ『飯塚事件』検証② 証拠となった『目撃供述』】(https://www.fbs.co.jp/fbsnews/news966w0mq34br5l236em.html)によると、《久間氏は、任意の捜査段階から一貫して無実を訴えましたが、最高裁で死刑が確定しました。その2年後には。》《■森法相 「久間三千年を本日死刑執行。」 死刑執行の2か月前に市民団体に届いた手記です。「真実は無実であり、これはなんら揺らぐことはない」と書かれています。弁護団によると久間氏は、死刑執行のその日まで無実を訴えていたと言います。》
 【シリーズ『飯塚事件』検証③ 誘導されたのか『目撃証言』】(https://www.fbs.co.jp/news/news969to2bulxiekek9or.html)によると、《実は久間氏の車には標準のデザインとしてオレンジ色のラインがありましたが、久間氏はそのラインを剥いで使っていました。弁護団は、久間氏の車を事前に見た捜査員が、その特徴にあうように男性の供述を誘導した」と指摘します。》

   『●冤罪で死刑執行、あってはならない!!
   『●贖罪:足利事件再鑑定から12日後の2008年10月28日朝、
                飯塚事件久間三千年元死刑囚の死刑が執行

    「2008年10月16日 足利事件 再鑑定へ
     2008年10月28日 飯塚事件 死刑執行
     2009年 4月20日 足利事件 再鑑定で一致せず
     ……そう、足利事件で誤鑑定であることが分かった時には、既に、
     久間さんの死刑が執行されていた。2008年10月16日
     DNA型鑑定に疑問が生じた時点で、死刑執行は停止されておくべき
     だったのに…。なぜ、急いで死刑執行したのか?、大変に大きな疑問である」

   『●NNNドキュメント’13: 
      『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』
   『●①飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か? 
         廃止か?」…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン
   『●②飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か? 
         廃止か?」…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン
   『●飯塚事件冤罪者を国家が死刑執行、「この重すぎる現実」:
                    無惨…「死刑執行で冤罪を隠蔽」
    「リテラの伊勢崎馨さんによる記事【飯塚事件、なぜ再審を行わない?
     DNA鑑定の捏造、警察による見込み捜査の疑いも浮上…やっぱり冤罪だ!】」
    《冤罪が強く疑われながら死刑が執行されてしまったのが、1992年に
     福岡県で起こった「飯塚事件」である。そして、この飯塚事件にスポットをあて、
     冤罪疑惑に切り込んだドキュメンタリー番組が放送され、ネット上で話題を
     呼んだ。3日深夜に日本テレビで放送された
     『死刑執行は正しかったのかⅡ 飯塚事件 冤罪を訴える妻』だ》

   『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の再鑑定で
           死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行
    「西日本新聞の二つの記事【死刑下した裁判官が関与 飯塚事件の
     再審請求審 識者「公正さ疑問」】…と、【飯塚事件再審認めず 
     福岡高裁 「目撃証言信用できる」】…」

   『●飯塚事件…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、
     国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)
   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、
        検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》
      …検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定
   『●布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、濡れ衣を
        着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さん
   『●飯塚事件は《足利事件に続いて「DNA冤罪=DNA型鑑定を悪用した
     冤罪」が発覚するのを恐れた検察による口封じ殺人ではなかったか……》
   『●《冤罪事件というのは、最終的に再審などで無罪が証明されたとしても、
        その間に失われた時間は二度と取り戻せない。桜井昌司氏は…》
   『●(東京新聞社説)《死刑制度には普遍的な人権問題が潜み、その廃止・
       停止は、もはや世界の潮流となっている》…死刑存置でいいのか?
   『●(FBS)【シリーズ『飯塚事件』検証】…《死刑執行は正しかった
     のか》? 罪なき人・久間三千年さんに対しての《国家による殺人》!

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●大崎事件、再審開始を認めず ――― 終始一貫して「あたいはやっちょらん」、原口アヤ子さんの懸命の叫びはなぜ裁判官には届かないのか?

2022年07月07日 00時00分55秒 | Weblog

―――――― (里見繁氏) 布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》



(20220626[])
大崎事件は冤罪である。一貫して「あたいはやっちょらん」、原口アヤ子さんの懸命の叫びはなぜ裁判官には届かないのか?

   『●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》
      …検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定
   『●《裁判長は「取り調べや証拠開示などが一つでも適切に行われていれば、
       逮捕・起訴はなかったかもしれません」》と仰ってたのですがね?
   『●布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、濡れ衣を
        着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さん
   『●再審無罪が確定した西山さんの国家賠償請求訴訟で、冤罪を生んだ
     滋賀県警が《今になって西山さんを犯人視する書面を作成、裁判所に》…
   『●人質司法による《身柄拘束は実に約十一カ月間》、大川原化工機の
     大川原社長ら…《こんなにひどいことはないと感じたという》青木理さん

 決定前の中原興平記者による、西日本新聞の記事【イチから学ぶ 大崎事件(上)実は「殺人事件」ではなかった?】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/942867/)によると、《✓ 実は「殺人事件」ではなかった?》《✓ 弁護側が主張する「事故死」の可能性》《✓ 一度は裁判所も認めたけれど…》。
 また、後編記事【イチから学ぶ 大崎事件(下)浮かぶ再審制度の「欠陥」】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/943840/)によると、《✓ 「家政婦は見た!」とは違う〝目撃〟》《✓ 「白い証拠」は隠されていた》《✓ 検察側が繰り返した「うそ」》。

 ………そして、なんでこんな決定になるのだろう? 鹿児島地裁・中田幹人裁判長、なぜ? 「あたいはやっちょらん」、原口アヤ子さんの懸命の叫びは裁判官には届かない…。《これまでに地裁、高裁で3度再審開始が認められたが、いずれも検察側の不服申し立てを受け、2019年には最高裁が、鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部の開始決定を取り消していた》、かつて、最「低」裁ちゃぶ台返ししている。
 山口新太郎記者による。西日本新聞の記事【【速報】大崎事件、再審開始を認めず 95歳、43年前の殺人 鹿児島地裁が第4次請求を棄却】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/944293/)によると、《鹿児島県大崎町で1979年に男性=当時(42)=の遺体が見つかった「大崎事件」で、殺人などの罪で懲役10年が確定し、服役した原口アヤ子さん(95)が裁判のやり直しを求めている第4次再審請求に対し、鹿児島地裁(中田幹人裁判長)は22日、請求を棄却する決定を出した。弁護団は即時抗告する方針。》

   『●知らなかった冤罪事件: 鹿児島大崎事件
   『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の
       再鑑定で死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行
   『●NNNドキュメント’13: 
      『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』
   『●「飯塚事件」「福岡事件」「大崎事件」
       ……に係わる弁護士たちで『九州再審弁護連絡会』発足

   『●「あたいはやっちょらん」の叫び!…
      「だれより責任の重いのが…でっち上げを追認した裁判官」
   『●39年間「あたいはやっちょらん」、
     一貫して無実を訴えてきた90歳の原口アヤ子さんに早く無罪判決を

   『●冷酷な司法…【NNNドキュメント’18/
      あたいはやっちょらん 大崎事件 再審制度は誰のもの?】
   『●大崎事件…再審するかどうかを延々と議論し、
      三度にわたる再審開始決定を最「低」裁がちゃぶ台返し
   『●《家族への脅迫状…「苦しみ抜いて一人で罪をかぶろう 
         としているのに許せない。もともと無実なのだから」》
    「大崎事件について、《元裁判官の木谷明弁護士…
     「無実の人を救済するために裁判所はあるのではないのか」》と。
     【報道特集】…によると、《”伝説”の元裁判官~冤罪救済に挑む…
     無罪判決を30も出し、全てを確定させた元裁判官。
     退官後、81歳となった今、冤罪救済を目指す弁護士として裁判所に
     挑んでいる。そこで直面した裁判所の現状とは》。『イチケイのカラス』…
     のモデルの一部になっているらしい」

   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
            耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    《四十年間も潔白を訴えていた大崎事件(鹿児島)の原口アヤ子さんに
     再審の扉は開かなかった。最高裁が無実を示す新証拠の価値を
     一蹴したからだ。救済の道を閉ざした前代未聞の決定に驚く。
     「やっちょらん」-。原口さんは、そう一貫して訴えていた。
     殺人罪での服役。模範囚で、仮釈放の話はあったが、
     「罪を認めたことになる」と断った。十年間、服役しての
     再審請求だった…「疑わしきは被告人の利益には再審請求にも
     当てはまる。その原則があるのも、裁判所は「無辜(むこ)の救済」
     の役目をも負っているからだ。再審のハードルを決して高めては
     ならない》
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れている
     のか? 誤りを潔く認めるべきだ。山口正紀さん、《冤罪は警察・
     検察だけで作られるものではない。…マスメディアにも責任…。
     だが、だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、
     でっち上げを追認した裁判官だろう》。」

   『●《周防正行さんが「あたいはやっちょらん。大崎事件第4次再審請求
     ・糾せ日本の司法」と銘打ち、インターネット上に立ち上げた…CF》
   『●憲法《37条1項が保障する『公平な裁判所による裁判を受ける権利』が
       侵害され》ている…飯塚事件、大崎事件の裁判に「公正らしさ」は?
   『●原口アヤ子さん・大崎冤罪事件…《被害者は自転車事故による出血性
     ショックで死亡した可能性があり「殺人なき死体遺棄事件」だった》?

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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/942867/

イチから学ぶ 大崎事件(上)実は「殺人事件」ではなかった?
2022/6/20 6:00 [有料会員限定記事]
中原興平

     (再審開始を認める決定を受けて旗を掲げる弁護団
      =2018年3月、宮崎市の福岡高裁宮崎支部(撮影・古瀬哲裕))
     (大崎事件関係者相関図)
     (3兄弟宅の事件当時の配置)
     (被害者の男性が転落したとされる側溝付近=鹿児島県大崎町)
     (原口アヤ子さん夫婦、義弟一家、被害者が住んでいた
      自宅跡地。雑草や雑木が茂る=鹿児島県大崎町)

 この記事のポイントは

―――――――――――――――――――――
実は「殺人事件」ではなかった?
弁護側が主張する「事故死」の可能性
✓ 一度は裁判所も認めたけれど…
―――――――――――――――――――――

 犯人が捕まり、刑務所にも入って解決したはずの殺人事件が「実は殺人事件ではなかった」-そんな可能性が指摘されている事件があります。1979年に鹿児島県大崎町で男性の変死体が見つかった「大崎事件」です。「犯人」とされた原口アヤ子さん(95)は当初から一貫して無実を訴え、繰り返し裁判のやり直しを求めてきました。鹿児島地裁は22日、アヤ子さんの裁判をやり直すかどうかの決定を出します。注目を集める大崎事件の「謎」について、できるだけ分かりやすく説明します。(中原興平)


◆ 既に亡くなっていた?

………。
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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/943840/

イチから学ぶ 大崎事件(下)浮かぶ再審制度の「欠陥」
2022/6/22 6:00 (2022/6/22 10:21 更新) [有料会員限定記事]
中原興平

     (大崎事件の再審請求の結果)
     (大崎事件関係者相関図)
     (警察が現場で撮影していた「行動再現写真」のイメージ。
      2人のすぐそばに目撃者とされる義弟の妻ハナさんが
      写っていた)
     (早期の再審開始を求め、署名を呼び掛ける原口アヤ子さん
      (左)=2004年12月、鹿児島市)
     (95歳の誕生日を迎えた原口アヤ子さん(左)を祝う
      鴨志田祐美弁護士=2022年6月15日(大崎事件弁護団提供))

 この記事のポイントは

―――――――――――――――――――――
✓ 「家政婦は見た!」とは違う〝目撃〟
✓ 「白い証拠」は隠されていた
検察側が繰り返した「うそ」
―――――――――――――――――――――

 1979年に鹿児島県で起きた「大崎事件」で有罪判決を受け、服役までした原口アヤ子さん(95)の裁判をやり直すかどうかを、鹿児島地裁が22日に判断します。最終回のテーマは大崎事件から見える「制度の不備」。できるだけ、分かりやすく説明します。(中原興平)


こっそり見聞きしたはずでは…

 大崎事件の犯行に関わったとされるのは、原口アヤ子さん▽夫の一郎さん▽義弟の二郎さん▽おいの太郎さんの4人。被害者は義弟の四郎さんでした(アヤ子さん以外はいずれも仮名)。前回は一郎さんたちの自白と、二郎さんの妻ハナさん(仮名)が「アヤ子さんと夫の共謀の場面を見た」とする目撃供述の不自然さについて説明しました。

 唐突ですが、アヤ子さんが二郎さんに犯行を持ちかけている場面を、ハナさんはどんなふうに見ていたと思いますか。

 以前、「家政婦は見た!」という人気のテレビドラマが...………。
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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/944293/

【速報】大崎事件、再審開始を認めず 95歳、43年前の殺人 鹿児島地裁が第4次請求を棄却
2022/6/22 10:05 (2022/6/22 12:26 更新)
山口新太郎

     (鹿児島地裁)
     (大崎事件の第4次再審請求が棄却され、「不当決定」と
      書かれた旗を掲げる関係者=22日午前10時過ぎ、
      鹿児島市の鹿児島地裁前(撮影・佐藤雄太朗))
     (大崎事件の第4次再審請求が棄却され、悔しさをにじませる
      鴨志田祐美弁護士(右から2人目)=22日午前10時3分、
      鹿児島市の鹿児島地裁前(撮影・佐藤雄太朗))


 鹿児島県大崎町で1979年に男性=当時(42)=の遺体が見つかった「大崎事件」で、殺人などの罪で懲役10年が確定し、服役した原口アヤ子さん(95)が裁判のやり直しを求めている第4次再審請求に対し、鹿児島地裁(中田幹人裁判長)は22日、請求を棄却する決定を出した。弁護団は即時抗告する方針。

【関連】イチから学ぶ 大崎事件(上)実は「殺人事件」ではなかった?

 一貫して無実を訴えてきた原口さんは、繰り返し再審を請求。これまでに地裁、高裁で3度再審開始が認められたが、いずれも検察側の不服申し立てを受け、2019年には最高裁が、鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部の開始決定を取り消していた

 確定判決によると、被害者は原口さんの義弟。79年10月12日、酒に酔って道路の側溝に転落し、午後9時ごろ、隣人2人に車の荷台に乗せられて自宅に運ばれた。同10時半ごろ、泥酔して自宅の土間に座り込む義弟を見た原口さんが日頃の恨みを募らせ、同11時ごろに元夫らに持ちかけて絞殺。翌未明に遺体を牛小屋に埋めた-とされている。

 今回の再審請求で弁護側は「被害者は殺されたのでなく、事故死だった」と主張。埼玉医科大高度救命救急センター長の澤野誠医師の医学鑑定と、心理学者らによる隣人2人の供述鑑定を「無罪を言い渡すべき明白な新証拠」として提出した。

 澤野医師の医学鑑定は、遺体の解剖写真や弁護団による再現実験などを基に、被害者が隣人2人に搬送された際の状況を分析した内容。被害者は側溝転落事故で頸髄(けいずい=首の神経)を損傷しており、救急救命の知識のない2人の不適切な搬送で状態が悪化したため、自宅に到着した午後9時過ぎの時点で既に死亡していた可能性が高いと指摘した。

 供述鑑定は、被害者を運んだ2人の話について「隣人供述には体験に基づかない兆候があり、生きている被害者を自宅土間に置いて帰ったとする核心部分は信用できない」と分析。医学鑑定の結論を補強する証拠とした。

 これに対し検察側は、澤野医師の鑑定について「遺体の状況から乖離(かいり)した仮説に過ぎない」、供述鑑定も「結論ありきの分析」と反論。「確定判決の事実認定に何ら影響を及ぼさない」と主張していた。(山口新太郎)
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●(FBS)【シリーズ『飯塚事件』検証】…《死刑執行は正しかったのか》? 罪なき人・久間三千年さんに対しての《国家による殺人》!

2022年02月20日 00時00分34秒 | Weblog

20220219[]
一貫して無罪を主張、死刑執行のその日まで…。にもかかわらず、「飯塚事件」で死刑が執行された久間三千年さん。罪なき人に対しての国家による殺人》。検察は、全ての証拠を開示すべきだ。
 DNA型鑑定のいい加減さ。弁護団は「改ざん」「ねつ造」とまで主張している。足利事件での再鑑定が明らかになり(2008年10月16日 足利事件 再鑑定へ)、なぜ、慌てるように死刑執行(2008年10月28日 飯塚事件 死刑執行)を強行したのか? 《最高裁で死刑が確定します。その2年後でした》死刑執行されたのは。これも異例中の異例。この1点でも異常だ。無惨…「死刑執行で冤罪を隠蔽」したのだ。菅家利和さんは、会見で、「無実の私が足利事件の犯人にされたのは、科警研の間違ったDNA型鑑定のためであり、絶対に許さないと思いました。なぜなら私と同じ間違ったDNA型鑑定で、飯塚事件の久間三千年さんを死刑を執行されてしまったからです」と語っておられます。
 (目撃18日後の)〝詳細〟な「紺色ワゴン車」目撃証言の滅茶苦茶。75人で検証実験しても、誰一人として詳細な証言を出来ず。一方で、他の重要な目撃証言を一切無視。
 もう1点、どうしても主張したいことは、冤罪者が死刑執行されたことは、被害者への冒涜であり、その遺族・関係者の皆さんをバカにした話であること。

 警察・検察・裁判所はどう責任をとるつもりだろうかか? 「死刑執行命令を下したのは、麻生内閣の森英介法務大臣(当時)」、飯塚は麻生太郎氏の「地元」だ。冤罪死刑に係わった者たちは、何の贖罪の気持ちもわかないのだろうか?

 福岡FBSのニュース報道【シリーズ『飯塚事件』検証① 事件と裁判の経緯】(https://www.fbs.co.jp/fbsnews/news96s3pcomtmowz24mzh.html)によると、《事件発生からまもなく30年。裁判のやり直しをめぐる裁判所、検察、弁護団の協議がいまも続いています。果たして、死刑執行は正しかったのか。》
 【シリーズ『飯塚事件』検証② 証拠となった『目撃供述』】(https://www.fbs.co.jp/fbsnews/news966w0mq34br5l236em.html)によると、《久間氏は、任意の捜査段階から一貫して無実を訴えましたが、最高裁で死刑が確定しました。その2年後には。》《■森法相 「久間三千年を本日死刑執行。」 死刑執行の2か月前に市民団体に届いた手記です。「真実は無実であり、これはなんら揺らぐことはない」と書かれています。弁護団によると久間氏は、死刑執行のその日まで無実を訴えていたと言います。》
 【シリーズ『飯塚事件』検証③ 誘導されたのか『目撃証言』】(https://www.fbs.co.jp/news/news969to2bulxiekek9or.html)によると、《実は久間氏の車には標準のデザインとしてオレンジ色のラインがありましたが、久間氏はそのラインを剥いで使っていました。弁護団は、久間氏の車を事前に見た捜査員が、その特徴にあうように男性の供述を誘導した」と指摘します。》

   『●冤罪で死刑執行、あってはならない!!
   『●贖罪:足利事件再鑑定から12日後の2008年10月28日朝、
                飯塚事件久間三千年元死刑囚の死刑が執行

    「2008年10月16日 足利事件 再鑑定へ
     2008年10月28日 飯塚事件 死刑執行
     2009年 4月20日 足利事件 再鑑定で一致せず
     ……そう、足利事件で誤鑑定であることが分かった時には、既に、
     久間さんの死刑が執行されていた。2008年10月16日
     DNA型鑑定に疑問が生じた時点で、死刑執行は停止されておくべき
     だったのに…。なぜ、急いで死刑執行したのか?、大変に大きな疑問である」

   『●NNNドキュメント’13: 
      『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』
   『●①飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か? 
         廃止か?」…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン
   『●②飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か? 
         廃止か?」…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン
   『●飯塚事件冤罪者を国家が死刑執行、「この重すぎる現実」:
                    無惨…「死刑執行で冤罪を隠蔽」
    「リテラの伊勢崎馨さんによる記事【飯塚事件、なぜ再審を行わない?
     DNA鑑定の捏造、警察による見込み捜査の疑いも浮上…やっぱり冤罪だ!】」
    《冤罪が強く疑われながら死刑が執行されてしまったのが、1992年に
     福岡県で起こった「飯塚事件」である。そして、この飯塚事件にスポットをあて、
     冤罪疑惑に切り込んだドキュメンタリー番組が放送され、ネット上で話題を
     呼んだ。3日深夜に日本テレビで放送された
     『死刑執行は正しかったのかⅡ 飯塚事件 冤罪を訴える妻』だ》

   『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の再鑑定で
           死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行
    「西日本新聞の二つの記事【死刑下した裁判官が関与 飯塚事件の
     再審請求審 識者「公正さ疑問」】…と、【飯塚事件再審認めず 
     福岡高裁 「目撃証言信用できる」】…」

   『●飯塚事件…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、
     国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)
   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、
        検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》
      …検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定
   『●布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、濡れ衣を
        着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さん
   『●飯塚事件は《足利事件に続いて「DNA冤罪=DNA型鑑定を悪用した
     冤罪」が発覚するのを恐れた検察による口封じ殺人ではなかったか……》
   『●《冤罪事件というのは、最終的に再審などで無罪が証明されたとしても、
        その間に失われた時間は二度と取り戻せない。桜井昌司氏は…》
   『●(東京新聞社説)《死刑制度には普遍的な人権問題が潜み、その廃止・
       停止は、もはや世界の潮流となっている》…死刑存置でいいのか?

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https://www.fbs.co.jp/fbsnews/news96s3pcomtmowz24mzh.html

シリーズ『飯塚事件』検証① 事件と裁判の経緯
福岡 2022/02/17 18:57


【めんたいニュース】
https://youtu.be/KGR2TqCwb74

1992年、福岡県飯塚市の女児2人が殺害された『飯塚事件』で死刑を執行された元死刑囚の遺族が無実を訴え、再審=裁判のやりなおしを求めていています。争点などをシリーズで検証する『30年目の飯塚事件』1回目は事件と裁判の経緯です。

2022年1月、福岡県朝倉市の山中を通る国道に市民が集まりました。

■日本国民救援会 清水信之 福岡県本部事務局長
「いまからこの判決が認定した八丁峠の目撃供述の見学と検証というのをやります。」

いまも再審=裁判のやり直しをめぐって協議が続く『飯塚事件』。その判決が示す事実認定を市民の目線で考えようと、再審開始を支援する市民団体が企画しました。

■参加者
「あの事件自体は知っていたんですよ。だけど新聞ぐらいでしか知らんし、もう日にちがたっているからですね。」

■参加者
「Q.事件が起きた時は何歳ですか? 生まれていないです。」

いまから30年前、福岡県飯塚市の小学1年生の女の子2人が登校途中に行方不明になりました。地域の人たちが、懸命に2人を探しますが、最悪の結果となります。

■当時のニュースの音声
「林の中で7~8歳くらいの女の子2人の遺体が見つかりました。警察は事件に巻き込まれた可能性があるとみて調べています。」

2人は行方不明になった翌日、約30キロ離れた峠道の脇の林の中で遺体で発見され、3キロ離れた場所からは、ランドセルや着衣など複数の遺留品が見つかりました。警察は殺人事件として捜査、そして2年7か月後、女の子と同じ校区内に住む久間三千年元死刑囚を殺人などの疑いで逮捕しました。久間氏は、任意の事情聴取の段階から一貫して無実を主張、逮捕前FBSの記者に対しても次のように話していました。

■久間三千年元死刑囚
「アリバイ以上のものを持っている。100%関係ないということを、あんた達が即信じるわ。やっていないものをやったと思われることだけは、これは必ず白黒つける。」

福岡地方検察庁は、久間氏を容疑否認のまま殺人などの罪で起訴します。この事件では、久間氏を犯人と断定できる直接的な証拠はなく、福岡地方裁判所は複数の状況証拠を総合的に評価・検討しました。現場から見つかった犯人のものとされるDNA型と、久間氏の型が一致したとされたことや、久間氏の車によく似た『紺色ワゴン車』を遺留品発見現場の近くで目撃したという男性の証言。さらに、車の中から血痕と尿痕が見つかったことや、女の子の着衣についた繊維片が、久間氏が乗る車のシートのものと同じ可能性が高いこと、久間氏に土地勘がありアリバイがないことなどです。

■福岡地方裁判所の判決
「個々の状況証拠も、単独では被告人を犯人と断定することはできないものの、これを総合すれば、被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定できる。」

福岡地方裁判所は、このように述べ、死刑を言い渡しました。そして、2006年に上告が棄却され、最高裁で死刑が確定します。その2年後でした

■森法相(当時)
「本日、久間三千年死刑囚。高塩正裕死刑囚。2名の死刑を執行しました。」

弁護団によると久間氏は、死刑執行のその日まで、一貫して無実を訴え続けたと言います。

■富永記者
「死刑が執行されて1年目の命日となるきょう、弁護団は裁判のやり直しを求めて福岡地裁に入ります。」

久間氏の遺族は、無実を訴え、福岡地方裁判所に再審請求を行いました。死刑執行後の再審請求は、極めて異例です

徳田靖之弁護士
「久間さんの無実が、これで確実に決定的に明らかにされる」

弁護団が重視したのが、警察庁科学警察研究所・科警研が行ったDNA型鑑定と目撃証言の信用性を争うことです。DNA型が一致しないと犯人にはなれず、目撃されたワゴン車が久間氏の車ではなければ、そのほかの状況証拠もその価値が低くなるからです。さらに弁護団は、これらの証拠に重大な疑問があると指摘しました。

■徳田弁護士
「我々弁護人からみると、(DNA型鑑定が)改ざんされている。もしくは、捏造されている。」

DNA型鑑定について弁護団は、鑑定写真の一部が意図的に切り取られていて、切り取られた部分には、別のDNA型が出ていると主張しました。その頃、DNA型鑑定の信用性も揺らいでいました飯塚事件と同じ時期に同じ方法で行われた鑑定の間違いが明らかになったのです。

菅家利和さん
「無実の私が足利事件の犯人にされたのは、科警研の間違ったDNA型鑑定のためであり、絶対に許さないと思いました。なぜなら私と同じ間違ったDNA型鑑定で、飯塚事件の久間三千年さんを死刑を執行されてしまったからです。」

一方、目撃証言の内容は、あまりにも詳しすぎると主張しました。車で通りすぎる間に見たとするワゴン車と男の特徴が、10項目以上も警察の調書にあげられていたのです。弁護団は現場で再現実験を行いましたが、証言のように詳しく記憶できた人はいませんでした。

岩田務弁護士
「信用できるのは、一番最初の『紺色のワゴン車は見た』という証言だけ。後はほとんど誘導だと思います。」

しかし、裁判所は科警研のDNA型鑑定は直ちに有罪認定の根拠にできないとしたものの高度に立証されているとして弁護側の主張を退けました。

■徳田弁護士
「私個人に言わせると、その結論の重大性におびえて、請求棄却という結論に都合がいい証拠だけ取り出して、これに反する決定的な証拠を無視しているんです。」

最高裁判所も請求を棄却し、再審請求の審理は11年半に及びました。久間氏の遺族は去年7月、2回目の再審=裁判のやり直しを福岡地方裁判所に申し立てました。弁護団が、新たな証拠として示したのは、事件当日の午前、久間氏とは別の男が運転する白い車に、幼い女の子2人が乗っているのを目撃したという男性の証言です。

■木村泰治さん
「(女の子の表情が)とにかく楽しくなく、悲しく泣き出しそうじゃないけれど、だから一瞬誘拐でないかなと、でもまさか2人も女の子を乗せとるから。」

■徳田弁護士
「木村さんの話を前提とすると、遺留品発見現場で車両を見たという供述は、まったく意味がなくなる。いずれにしても目撃した中身が、この事件の誘拐状況であるということを立証できるかということがカギになる。」

事件発生からまもなく30年。裁判のやり直しをめぐる裁判所、検察、弁護団の協議がいまも続いています。果たして、死刑執行は正しかったのか。詳しく紐解きながら、再審請求の協議の行方を伝えていきます。
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https://www.fbs.co.jp/fbsnews/news966w0mq34br5l236em.html

シリーズ『飯塚事件』検証② 証拠となった『目撃供述』
福岡 2022/02/17 19:24


【めんたいニュース】
https://youtu.be/fr9iA_JrRQU

1992年、福岡県飯塚市の女児2人が殺害された『飯塚事件』で死刑を執行された元死刑囚の遺族が無実を訴え、再審=裁判のやりなおしを求めていています。『30年目の飯塚事件』2回目は、裁判所が有罪と判断する上で柱となった『目撃供述』についてです。

福岡県朝倉市の峠道を進んだカーブの脇の斜面にある岩陰に小さな地蔵が2体置かれています。

いまから30年前の1992年2月、この場所で福岡県飯塚市の小学1年の女の子2人が遺体で見つかりました。

事件から2年7か月後、警察は久間三千年元死刑囚を殺人などの疑いで逮捕しました。

久間氏は、任意の捜査段階から一貫して無実を訴えましたが、最高裁で死刑が確定しました。その2年後には。

■森法相

「久間三千年を本日死刑執行。」

死刑執行の2か月前に市民団体に届いた手記です。「真実は無実であり、これはなんら揺らぐことはない」と書かれています。

弁護団によると久間氏は、死刑執行のその日まで無実を訴えていたと言います。

久間氏と犯行を直接結びつける証拠はなく、福岡地方裁判所は、複数の状況証拠を積み重ねて久間氏を犯人と認定しました。

有罪認定の柱の1つが現場から見つかった犯人のDNA型と、久間氏のDNA型が一致したとされたこと。そして、もうひとつの柱が、久間氏の車と特徴がよく似た『紺色ワゴン車』を被害者の遺留品発見現場のそばで見たとする目撃証言です。

その状況をCGで再現しました。目撃されたのは遺体発見現場から3キロ離れた峠道のカーブです。

事件当日の午前11時すぎ、軽ワゴン車を運転するAさんが車とそばにいる男を見ました。

車の速度は、時速25キロから30キロ目撃して通り過ぎるまでは、十数秒とみられます。Aさんが、その間に見たと供述した内容は、『・普通の標準タイプのワゴン車。・やや古い型で車体の色は紺色。・トヨタや日産ではない。・車体にはラインが入ってなかった。・確か後部タイヤがダブルタイヤ。・ホイルキャップの中に黒いラインがあった。・車の窓ガラスは黒く、ガラスにフィルムを貼っていたのではないかと思う。』ということです。

調書には男の特徴も書かれています。『①年齢30歳~40歳くらい。②髪は長めで分けていたように思う。③頭の前の方がはげていた。④車を見て慌てたようで前かがみになり、すべったようだった。⑤白の長袖カッターシャツを着て。⑥毛糸みたいで胸はボタンで留める式のうす茶色のチョッキを着ていた。⑦右斜め後方から見るとワゴンの横に立ち背を向けて立っていた。』

わずか十数秒の間に記憶されたのは10項目以上の特徴です。警察が調書をまとめたのは、目撃した日の18日後です。裁判で弁護側は、あまりにも詳しすぎると信用性を争いました。しかし、裁判所は信用できるとして、ほかの状況証拠とともに検討し、久間氏の車と認定しました。

■清水さん

「車が止まっていたのが、そこなんですね。」

1月、その目撃証言が得られた状況を検証しようと、現地で見学会が行われました。飯塚事件の再審請求を支援する市民団体が企画したものです。

■参加者
「おかしいと思いますね。いろんな点がですね。」

■参加者
「やっぱり、実際現場に来てみないと、分からんなと思いますね。」

見学会には、飯塚事件弁護団の岩田務さんも参加しました。

いまのような状況下で、十数項目の目撃情報が得られたことに対して岩田さんは。

■岩田さん
「あり得ない、あり得ない。そんなことあり得ないです。車を見ていたら人が見えないし、人を見ていたら車が見えないし、車についても、ひとつかふたつしか特徴を覚えられない。実験をやったら皆そうだった。」

果たしてAさんのように詳細に記憶できるのか。疑問を持った弁護団は目撃供述を心理学的の観点から考察している厳島行雄教授に協力を依頼し実験を行いました。

実験では当時の状況をできるだけ再現し、2週間後に車や人の特徴などを、どのくらい覚えているか調査しました。

実験は条件を調整しながら2回行われましたが、Aさんのように詳細に記憶できた人はいませんでした。

■厳島教授
「トータルで第1実験で40人、第2実験で35人で75名が誰もダブルタイヤのことに言及できなかったというのは、記憶がないから。」

さらに、現場の左カーブを走行する際、ドライバーがどこを見ているのか科学的に分析しました。実験には『視線』の動きを計測する『アイマークレコーダー』という測定機器が使われました。

この結果、向かって右側に停車しているワゴン車に視線がとどまった時間は、平均で1.18秒、人物に対しては0.43秒でした。

いわゆる『チラ見』にとどまり、粗い情報しか取得できないと弁護団は結論付けました。

■厳島教授
「1つや2つ出てくるのなら分かるんですよ、詳細がね。そこだけ注意して見ていたというのならわかるんですけれど。たった1秒、2秒の目撃、もしくは、もっと長くてもいいですよ、3秒でもいいけれど、そんな時間でですね、そんな細かな詳細が出てくる
ということはあり得ない。」

では、なぜAさんは詳細に供述することができたのでしょうか?

■岩田弁護士
「体験した以外の事が、どこからか情報が入ってこないと、こういう調書はつくれない。」
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https://www.fbs.co.jp/news/news969to2bulxiekek9or.html

シリーズ『飯塚事件』検証③ 誘導されたのか『目撃証言』
福岡 2022.02.18 18:36


【めんたいニュース】
 (https://www.youtube.com/watch?v=ynZvlJEXtA8

1992年に福岡県飯塚市で幼い女の子2人が殺害された『飯塚事件』から30年。裁判のやりなおしをめぐる争点を検証しています。久間三千年元死刑囚の有罪の根拠の1つとなった『目撃証言』について、弁護側は「誘導されたもの」と信用性を争っています。

久間三千年元死刑囚は、1992年2月に女の子2人を殺害したなどとして、最高裁で死刑が確定し、無実を訴える中、2008年死刑が執行されました。

遺族が裁判のやり直しを求める中、弁護団は有罪認定をめぐる裁判所の判断について異議を訴え続けています。

とりわけその信用性を争うのが、久間氏を犯人と認定する上で重要な状況証拠となった目撃証言です。

久間氏の車によく似た『紺色ワゴン車』を事件当日、遺留品発見現場で見たという男性の供述です。

軽ワゴン車を運転しながら見たというその特徴とは、次のような内容です。

「普通の標準タイプのワゴン車で、メーカーはトヨタや日産ではない。やや古い型で車体の色は紺色、車体にはラインが入っていなかったと思う。確か後部タイヤがダブルタイヤでタイヤのホイルキャップに黒いラインがあった。車の窓ガラスは黒く、ガラスに何か貼っていたのではないかと思う。」

さらに調書には人物について、年齢や頭髪、着衣など9項目にのぼる特徴が書かれていました。

この証言について裁判所は信用できるとしましたが、飯塚事件弁護団の岩田務さんは次のように考えています。

■飯塚事件弁護団・岩田務主任弁護士
それは捜査官が誘導したというか、その話に持っていったとしか考えられない。」

裁判資料などによると事件発生から11日後の3月2日、捜査員が初めてAさんから話を聞きます。その2日後に男性と捜査員が八丁峠に同行し、ワゴン車を目撃した場所を特定します。3月9日に調書が作成されます。

2日の段階では「紺色ワゴン車」「男が乗り降りしていた」という情報でしたが、4日午前には「後輪がダブルタイヤ」に「男の年齢と動作」が加わります

そして、同じ日の午後には男の特徴も追加されました

さらに9日の調書には「車体にラインがない」「メーカーはトヨタや日産ではない」などあらたな車の情報が加わり日を追うごとにその内容は詳しくなっていきました

この点について目撃証言の信用性を、心理学の観点から研究し、飯塚事件でも再現実験を行って検証した厳島教授は次のように分析しています。

■人間環境大学心理学部・厳島行雄教授
「今回の飯塚事件で裁判官がよく言っているのは、目撃者が目撃した翌日のラジオで聞いて自分が車を見たんだと、それを友だちに話している。これが印象を強くして、記憶に残っているんだというんだけれど、事後にそんな話をしてもね、元の記憶が良くなるわけないんですよ。ある意味、目撃者も被害者と僕は思ってるんですけれど。彼は何もうそをつこうと思って証言したり、供述している訳ではない。たぶん彼自身がどれが正しくて、どれが間違っているか、というのは分からないという状態であるかもですね。」

3月9日の調書に記された「車体にラインがなかった」という特徴は、その調書がつくられる2日前に、捜査員本人が久間氏の車を見て、ラインがないことを知っていたことが、再審請求をめぐる審理の過程で明らかになりました。

実は久間氏の車には標準のデザインとしてオレンジ色のラインがありましたが、久間氏はそのラインを剥いで使っていました。

弁護団は、久間氏の車を事前に見た捜査員が、その特徴にあうように男性の供述を誘導した」と指摘します。

■岩田弁護士
「信用できるのは、一番最初の紺色のワゴン車は見たという証言だけ。後は、ほとんど誘導だと思います。」

今回私たちは、目撃供述をまとめた元捜査員に話を聞きました。今回、私たちは目撃証言の供述をまとめた元捜査員に話を聞きました。元捜査員は取材に対し「ダブルタイヤなどの詳細な情報は最初から出ていた」3月7日の「下見」については「絶対にない」と否定、また「誘導など出来る訳はなく」「当時のことは捜査報告書に書いてあるはず」と話しました。

■岩田弁護士
証拠開示で、いろいろもっと出てくるはずなんですよ3月7日に下見に行った時の捜査報告書が出てないからですねそれが出てくれば、この話はまた進展すると思います。」

弁護団は、これまでにまだ検察側から示されていない捜査資料の開示を求め、主張を裏付けたいとしています。
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●《冤罪事件というのは、最終的に再審などで無罪が証明されたとしても、その間に失われた時間は二度と取り戻せない。桜井昌司氏は…》

2021年12月30日 00時00分59秒 | Weblog

(20211205[])
神保哲生さんのビデオニュースドットコムの記事【布川”冤罪”事件の悲劇を繰り返さないために/マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第1078回) ゲスト 桜井昌司(さくらい しょうじ)布川事件元被告人・冤罪被害者】(https://www.videonews.com/marugeki-talk/1078)。

 《冤罪事件というのは、最終的に再審などで無罪が証明されたとしても、その間に失われた時間は二度と取り戻せない桜井昌司氏はまさに画に描いたような冤罪事件の被害者だ》。

 ましてや、死刑執行されていては、冤罪死刑囚を生き返らせることは不可能だ。あまりに残酷だ、久間三千年(くま・みちとし)さんの死刑執行を思うと。
 《検察による口封じ殺人》《国家による殺人》…。布川事件冤罪被害者桜井昌司さん《無惨に殺された人の無念を晴らす殺したのは誰か検察庁です》と。当時の首相は麻生太郎氏、飯塚を含む福岡8区の出身。その麻生太郎内閣の法務大臣は森英介氏。2008年10月16日、足利事件のDNA再鑑定で、直ぐに、久間さんの死刑執行は停止されるべきだった ――― しかし、わずか10日ほど後の10月28日、死刑は執行された…。首相や法相、検察・警察の関係者、あまりに冷酷だ…。関わった裁判官も。《各裁判所は、弁護側が指摘したさまざまな疑問・矛盾を無視。結局、科警研の「MCT118型鑑定」によるDNA型鑑定をほぼ唯一の根拠とした死刑判決が確定した》。
 《無実の罪で29年間の服役を強要された桜井、杉山両氏は刑事補償法に基づき1億3千万円(1日あたり1万2500円×365日×29年)と1審から上告審までにかかった裁判費用の約1500万円が支払われることになった》…刑事補償法では冤罪死刑囚にどう《補償》するのだろうか?

   『●飯塚事件は《足利事件に続いて「DNA冤罪=DNA型鑑定を悪用した
     冤罪」が発覚するのを恐れた検察による口封じ殺人ではなかったか……》

 布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている桜井昌司さん。
 《冤罪事件というのは、最終的に再審などで無罪が証明されたとしても、その間に失われた時間は二度と取り戻せない》《桜井氏が失った29年間の自由と、桜井氏やその家族が44年間背負い続けた「殺人犯」というレッテルの重荷は、いかなる形でも取り戻すことはできない》。布川事件桜井昌司さんは《冤罪で服役29》《事件発生から54年の長い時間》…検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定しました。54年の苦難にとても報いることはできませんが、その一部に少しでも報いられたとしたら、この判決を歓迎すべきかと思いました。検察や警察は《判決の結果を真摯に受け止め》、二度とこのような冤罪被害者が出ないよう、改善を約束すべきです。そのために何をすべきかを明らかにすべき。

   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、
         検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》
      …検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定
   『●布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、
     濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さん

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https://www.videonews.com/marugeki-talk/1078



【桜井昌司×宮台真司×神保哲生:布川”冤罪”事件の悲劇を繰り返さないために【ダイジェスト】】
https://youtu.be/hNw7LAIUcpA


布川”冤罪”事件の悲劇を繰り返さないために
マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第1078回)


ゲスト

桜井昌司(さくらい しょうじ)
布川事件元被告人・冤罪被害者
1947年栃木県生まれ。1962年茨城県立竜ヶ崎第一高等学校中退。67年8月に起きた強盗殺人事件の犯人として逮捕・起訴され、78年に無期懲役が確定。29年間服役後、96年に仮釈放され土木建築会社に勤務。2011年水戸地裁の再審公判で無罪判決が確定。21年国と県への損害賠償訴訟に勝訴し7400万円の賠償命令を勝ち取る。著書に『俺の上には空がある広い空が』、『CDブック 獄中詩集 壁のうた』など。


概要

 冤罪事件というのは、最終的に再審などで無罪が証明されたとしても、その間に失われた時間は二度と取り戻せない

 桜井昌司氏はまさに画に描いたような冤罪事件の被害者だ。

 齢74歳になる桜井氏は1967年、彼が20歳の時に突如逮捕され、捜査当局による嘘や改ざん、隠蔽などによって茨城県の布川で起きた殺人の自白に追い込まれた結果、20歳から49歳までの29年間、刑務所に入れられ自由を奪われることとなった。 いわゆる布川事件だ。

 桜井氏は当初窃盗の容疑で逮捕された。本人の弁を借りれば、実際に窃盗には身に覚えがあったので、警察に逮捕された時は罪を認める覚悟をしていたが、殺人については桜井氏にはアリバイがあった。被害者が殺害されたとされる時刻、彼は東京の兄の家にいたのだ。しかし、警察は桜井氏の兄が、「その日は弟は来ていないと言っているぞ」という嘘の供述を桜井氏に示した上で、警察署内の代用監獄における長時間の厳しい取り調べと、「罪を認めれば助かるが、認めなければ死刑になるぞ」など、ありとあらゆる嘘や強要、誤導の限りを尽くし、共犯者と見做された杉山卓男氏とともに、桜井氏をやってもいない罪の自白に追い込んでしまう

 これも冤罪事件ではお決まりのパターンだが、警察は被疑者が実際にはやっていようがやっていなかろうが、とりあえず罪を認めれば、今この瞬間の辛く苦しい長時間の取り調べから解放されるという甘言と、実際には存在しない目撃者が大勢いるかのような嘘などで被疑者の抵抗する気力を奪い、被疑者を追い込んでいく。そして最後は「自分はやっていないのだから、いくら取り調べ段階で自白しても、裁判の場で無実が証明されるはず」という桜井氏の法律的な無知につけ込んで、自白に追い込んでいった。当時の桜井氏は、自身の供述が裁判で証拠になることすら知らなかったという。無論、桜井氏は公判で否認に転じたが、裁判では捜査段階での自白の任意性や具体性、信頼性などが認められ、桜井氏は杉山氏とともに無期懲役の判決を受けてしまう。

 警察、検察は自分たちが描いたストーリーに沿って桜井、杉山両氏を自白させた上で、そのストーリーに沿った目撃証言などを用意したが、最終的にはこの事件では両氏の犯行を裏付ける物証は何もなく、事実上捜査段階での自白だけが有罪の決め手となった。いや、実際には数々の物証は存在したが、いずれの物証も両氏の犯行を裏付けていなかった画に描いたような冤罪事件だった

 結局、桜井氏は杉山氏とともに最初の逮捕から29年間、服役した後、模範囚ということで1996年に仮釈放された。しかし、氏は自身の潔白を訴え服役中も支援者に手紙を書き続けた結果、徐々に支援者の輪が拡がり、氏の釈放から5年後の2001年、遂に2度目の再審請求でこの事件の再審が認められる。

 再審の決め手となったのは、桜井氏を支援する弁護団が検察にこれまで開示されていない証拠の開示を求め続けた結果、いくつかの決定的な証拠が新たに開示されたことだった。新たに開示された桜井氏の自白を録音したテープを鑑定した結果、テープには13箇所の編集・改ざんの痕跡があることがわかったほか、自白内容と検死報告書では殺害方法が異なっているなど、実に初歩的なレベルで両氏の犯行を否定する証拠が次々と見つかった。警察と検察は桜井、杉山両氏が犯人ではないことを裏付ける証拠を保有していながら、それを何十年もの間、隠していたのだ

 そもそも唯一の証拠となった自白の任意性が揺らぎ、その他の間接的な証拠も嘘や偽計に基づいて得られたものであることが明らかになったのだから、両氏が無罪になるのは当たり前だった。そもそも桜井・杉山両氏の犯行を裏付ける証拠など最初から存在しなかったのだ

 桜井氏は2011年5月24日、再審公判で水戸地裁から無罪判決を受け、検察は最高裁まで争ったが、同年6月7日、最高裁が検察の特別抗告を棄却し、桜井、杉山氏の無罪が確定した。1967年の寝耳に水の逮捕から44年の月日が流れ、当時20歳だった桜井氏は64歳になっていた

 無実の罪で29年間の服役を強要された桜井、杉山両氏は刑事補償法に基づき1億3千万円(1日あたり1万2500円×365日×29年)と1審から上告審までにかかった裁判費用の約1500万円が支払われることになった。また、桜井氏が2012年に、冤罪の責任を追及するために国と茨城県を相手に起こした約1億9千万円の国家賠償請求訴訟では、裁判所が茨城県警と水戸地方検察庁の取調べの違法性を認め、2021年8月、東京高裁から国と茨城県に計約7400万円の賠償を命じる判決が下されている。

 このように桜井氏が受けた不当な逮捕と強要された自白や捏造された証拠に基づく有罪判決、そしてその後の29年に及ぶ懲役に対しては、金銭的には補償が行われることになった。しかし、桜井氏が失った29年間の自由と、桜井氏やその家族が44年間背負い続けた「殺人犯」というレッテルの重荷は、いかなる形でも取り戻すことはできない。服役中だった桜井氏は両親を看取ることもできなかった。

 現在74歳となった桜井氏は、冤罪を防止するための社会活動を積極的に行っている。しかし、裁判所から捜査の違法性が断罪され、多額の賠償責任まで負わされた警察と検察は、まったく反省などしてないと桜井氏は言う。無罪を示唆する証拠が次々と露呈しても、検察は桜井氏の弁護団の再審請求に対し、最高裁に特別抗告をしてまで徹底抗戦した。また、冤罪が確定した後で桜井氏が求めた損害賠償請求に対しても、検察は最後まで争う姿勢を崩さなかった。しかも、冤罪が確定した後も、警察と検察から謝罪の申し入れなどは一切ないと桜井氏は言う。

 布川事件の再審無罪決定と相前後して、足利事件氷見事件志布志事件、そして村木厚子さんの郵便不正事件などで次々と衝撃的な冤罪が明らかになったことを受けて、公訴権を独占する上に、密室の取り調べが許される検察の暴走が冤罪を生んでいるとの批判が巻き起こり、2009年に民主党政権下で刑事訴訟制度の改正論議が始まった。しかしその後、政権が自民党に戻る中、一連の制度改正論議の結果として行われた2016年の刑事訴訟法の改正では、むしろ検察の権限が大幅に拡大されるという信じられないような展開を見せている

 冤罪事件の直後にはメディア上でも刑事訴訟制度への批判的な論説が多少は散見されるが、捜査機関から日々リーク情報をもらわなければ仕事が成り立たない記者クラブメディアは、基本的には警察、検察とは共犯関係にある。メディアが冤罪と隣り合わせにある自白偏重の人質司法制度にぶら下がっている限り、この問題が良い方向へ向かう可能性はほとんど期待できない。法律や制度の改正は政治の仕事だが、世論の後押しがないところで政治が司法制度に手を突っ込むのは不可能に近い。政治家にとっても警察や検察は怖い存在だからだ。そしてメディアが現在の刑事司法の実態を正しく報じ始めない限り、世論は人質司法という名の密室の中で何が起きているのかを永久に知ることができない日本の刑事司法制度の後進性や非人道性国連の拷問禁止委員会から度々改善勧告を受けるなど国際的にも断罪されているのだ。

 末期ガンに侵されながらも冤罪防止活動で発信を続ける桜井氏は、現行の刑訴法の下では、むしろ冤罪が増え、桜井氏のような被害者が増えることが懸念されると、怒りを隠さない

 今週は戦後の冤罪事件史の中でも最悪の部類に数えられる布川”冤罪”事件の当事者である桜井昌司氏に、なぜやってもいない犯行を自白してしまったのか、その自白の結果、自身のその後の人生がどのようなものになってしまったのか、44年もの間、諦めることなく自身の潔白を訴え続ける力はどこから湧いてきたのかなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。
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●飯塚事件は《足利事件に続いて「DNA冤罪=DNA型鑑定を悪用した冤罪」が発覚するのを恐れた検察による口封じ殺人ではなかったか……》

2021年12月06日 00時00分20秒 | Weblog

―――――― 《2次再審請求で問い直される「T供述」の信用性 岩田弁護士は「Kさんが目撃したのが犯人であれば急転直下、真犯人の存在とともに久間さんの無実もはっきりする」と述べ、再審請求でK証言の果たす役割を解説した》



 (2021年09月26日[日])
山口正紀さんによる、レイバーネットの記事【検察による口封じ殺人? 死刑執行された冤罪〜「飯塚事件」を問う】(http://www.labornetjp.org/news/2021/0911yama)。

 《「飯塚事件」をご存知だろうか。1992年、福岡県飯塚市で起きた2女児殺害事件で逮捕され、無実を訴えていた久間三千年(くま・みちとし)さんが死刑判決を受け、2008年に死刑が執行された(当時70歳)。その第2次再審請求の支援を訴える「飯塚事件の再審を求める東京集会」が9月4日、オンラインで開かれた。この事件で有罪判決の根拠とされたのが科警研(警察庁科学警察研究所)によるDNA型鑑定だった。一方、同じ時期・同じ手法で科警研が行なった「足利事件」のDNA型鑑定が誤りだったことが明らかになり、再審無罪となった。実は、この足利事件で「DNA型再鑑定へ」と報道されたのが08年10月上旬その10日余り後、突然再審準備中の久間さんの死刑が執行された。それを知った時、私は恐ろしい疑惑に駆られた。この死刑執行は、足利事件に続いて「DNA冤罪=DNA型鑑定を悪用した冤罪が発覚するのを恐れた検察による口封じ殺人ではなかったか……。(山口正紀)》

 《検察による口封じ殺人》《国家による殺人》…。布川事件冤罪被害者桜井昌司さん《無惨に殺された人の無念を晴らす殺したのは誰か検察庁です》と。当時の首相は麻生太郎氏、飯塚を含む福岡8区の出身。その麻生太郎内閣の法務大臣は森英介氏。2008年10月16日、足利事件のDNA再鑑定で、直ぐに、久間さんの死刑執行は停止されるべきだった ――― しかし、わずか10日ほど後の10月28日、死刑は執行された…。首相や法相、検察・警察の関係者、あまりに冷酷だ…。関わった裁判官も。《各裁判所は、弁護側が指摘したさまざまな疑問・矛盾を無視。結局、科警研の「MCT118型鑑定」によるDNA型鑑定をほぼ唯一の根拠とした死刑判決が確定した》。

   『●贖罪:足利事件再鑑定から12日後の2008年10月28日朝、
                飯塚事件久間三千年元死刑囚の死刑が執行』 
 
    「2008年10月16日 足利事件 再鑑定へ
     2008年10月28日 飯塚事件 死刑執行
     2009年 4月20日 足利事件 再鑑定で一致せず
     ……そう、足利事件で誤鑑定であることが分かった時には、既に、
     久間さんの死刑が執行されていた。2008年10月16日
     DNA型鑑定に疑問が生じた時点で、死刑執行は停止されておくべき
     だったのに…。なぜ、急いで死刑執行したのか?、大変に大きな疑問である」

   『●NNNドキュメント’13: 
      『死刑執行は正しかったのか 飯塚事件 “切りとられた証拠”』
   『●①飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か? 
         廃止か?」…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン
   『●②飯塚事件冤罪者を死刑執行:「死刑存置か? 
         廃止か?」…話題にも上らない、死刑賛成派8割なニッポン
   『●飯塚事件冤罪者を国家が死刑執行、「この重すぎる現実」:
                    無惨…「死刑執行で冤罪を隠蔽」
    「リテラの伊勢崎馨さんによる記事【飯塚事件、なぜ再審を行わない?
     DNA鑑定の捏造、警察による見込み捜査の疑いも浮上…やっぱり冤罪だ!】」
    《冤罪が強く疑われながら死刑が執行されてしまったのが、1992年に
     福岡県で起こった「飯塚事件」である。そして、この飯塚事件にスポットをあて、
     冤罪疑惑に切り込んだドキュメンタリー番組が放送され、ネット上で話題を
     呼んだ。3日深夜に日本テレビで放送された
     『死刑執行は正しかったのかⅡ 飯塚事件 冤罪を訴える妻』だ》

   『●飯塚事件の闇…2008年10月16日足利事件の再鑑定で
           死刑停止されるべきが、10月28日に死刑執行
   『●飯塚事件…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、
     国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)

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http://www.labornetjp.org/news/2021/0911yama

検察による口封じ殺人? 死刑執行された冤罪―「飯塚事件の再審を求める東京集会」(オンライン)から(上)

●山口正紀の「言いたいことは山ほどある」第14回(2021/9/11 不定期コラム)
検察による口封じ殺人? 死刑執行された冤罪――「飯塚事件の再審を求める東京集会」(オンライン)から(上)

     (*2017年NNNドキュメントより)

 「飯塚事件」をご存知だろうか。1992年、福岡県飯塚市で起きた2女児殺害事件で逮捕され、無実を訴えていた久間三千年(くま・みちとし)さんが死刑判決を受け、2008年に死刑が執行された(当時70歳)。その第2次再審請求の支援を訴える「飯塚事件の再審を求める東京集会」が9月4日、オンラインで開かれた。この事件で有罪判決の根拠とされたのが科警研(警察庁科学警察研究所)によるDNA型鑑定だった。一方、同じ時期・同じ手法で科警研が行なった「足利事件のDNA型鑑定が誤りだったことが明らかになり、再審無罪となった。実は、この足利事件で「DNA型再鑑定へ」と報道されたのが08年10月上旬その10日余り後、突然再審準備中の久間さんの死刑が執行された。それを知った時、私は恐ろしい疑惑に駆られた。この死刑執行は、足利事件に続いて「DNA冤罪=DNA型鑑定を悪用した冤罪が発覚するのを恐れた検察による口封じ殺人ではなかったか……。(以下、事件・裁判の経過とオンライン集会の模様を3回にわたって報告する)


●疑惑の死刑執行1年後、妻が再審請求

 死刑執行からちょうど1年後の09年10月28日、久間さんの妻が新たなDNA型鑑定などを新証拠(再審を開始すべき理由)として、福岡地裁に再審請求を申し立てた。

 しかし、福岡地裁は14年、科警研が行なったDNA型鑑定を「(久間さんの)犯人性を基礎づける事実とすることはできない」と認めたものの、「DNA型鑑定以外の状況証拠による確定判決は揺るがない」として、再審請求を棄却した。

 再審弁護団は即時抗告したが、福岡高裁は18年、即時抗告を棄却。弁護団は特別抗告したが、最高裁第1小法廷は今年4月21日、特別抗告も棄却した。

 このため、久間さんの妻と再審弁護団は7月9日、確定判決の根拠とされた目撃証言を否定する新たな目撃証言などを理由に、2度目の再審請求を福岡地裁に申し立てた。

 オンライン集会は、この第2次再審請求の意義・内容を報告し、支援の輪を広げていこうと企画され、飯塚事件再審の実現に向けて尽力してきた九州大学の大出良知・名誉教授、再審法改正をめざす市民の会の木谷明代表(元裁判官)、布川事件の冤罪被害者・桜井昌司さんら幅広い支援者たちの呼びかけで開催された。

 集会では、弁護団から第1次再審請求を棄却した最高裁決定と第1次請求の総括、第2次再審請求の経過と内容が詳しく報告され、再審請求人である久間さんの妻のメッセージが読み上げられた。また、8月に国家賠償請求訴訟(国賠)の控訴審で勝訴したばかりの桜井さんが再審実現に向けて連帯のアピールを行い、「死刑執行は口封じ何というひどい国だろう。久間さんの無念は必ず晴らせると確信しています」と訴えた。

 集会について報告する前に、第1次請求に対する最高裁決定、第2次再審請求書、弁護団が編集したブックレット『死刑執行された冤罪・飯塚事件』(2017年・現代人文社)などをもとに、まず事件と裁判、再審請求審の経過を紹介しておこう。


●福岡県警は事件直後から久間さんを犯人視し、「見込み捜査」

 92年2月20日、飯塚市内で登校途中の小学校1年生女児2人が行方不明になり、翌日、約20キロ離れた福岡県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が発見された。死因は扼殺、2人の膣内などから微量の血液が検出された。

 福岡県警は、かつて近くで起きた同種の事件で捜査対象にしたことのある久間さんを事件直後からマークし、その動静を監視(見込み捜査)。3月には遺留品発見現場付近で「ダブルタイヤのワンボックスカーを目撃した」とのT証人の調書を作成した。久間さんは、この「目撃証言」に合致する車を持っていた。

 続いて県警は久間さんに毛髪を任意提出させ、遺体周辺から採取された血液とともに科警研に鑑定を依頼。科警研は6月、〈血液型は、犯人のものとみられる血液、久間ともにB型。DNA型は「MCT118型鑑定」の結果、犯人のものとみられる型と久間が提出した毛髪から採取した型が一致した〉との鑑定書を出した。

 県警は7月、その「追試」として帝京大学の石山昱夫(いくお)教授にDNA型鑑定を依頼した。石山教授は「ミトコンドリア法」という当時、最も鋭敏な検査とされた方法で検査。約1年半後の94年1月に出された石山教授の鑑定書は、「久間さんのDNA型は検出されず被害者以外の第三者(犯人と思われる)の型が検出された」と結論した。

 それでも県警は94年9月23日、久間さんを死体遺棄容疑で逮捕した。
 翌日の『朝日新聞』夕刊(東京本社版)は、社会面トップ見開きで《56歳無職男性を逮捕/小1女児2人殺害事件/遺体運び捨てた容疑/DNAと繊維鑑定が決め手》と大々的に報道、久間さんの経歴や一問一答を掲載した。『読売新聞』も、社会面4段で《無職の56歳男性逮捕/遺棄容疑/殺人容疑でも追及》と大きく報じた。

 『朝日』はその後も、続報で《ワゴン車入念に清掃/容疑者、売却直前に》《容疑者に似た男目撃/遺留品の現場、車で去る》などと犯人視の報道を続けた。

 久間さんは66日間に及んだ取調べに一貫して否認した。県警は10月14日、久間さんを死体遺棄罪で起訴し、殺人容疑で再逮捕した。だが、その後も「自白」は一切なかった

 95年2月20日、福岡地裁で初公判が開かれ、久間さんは起訴内容を全面否認。その後も一貫して無実を訴え続けた。しかし99年9月29日、福岡地裁は久間さんに死刑判決を言い渡した。判決は「被告人の犯行との結びつきを証明する直接証拠がなく、個々の状況事実の単独では被告人を犯人と断定することが出来ない」としながら、概略次のような「状況事実」を列挙し、有罪と認定した。

 ①被告人の車のシートから検出された血痕と被害者の1人の血液型が一致する ②遺体から検出された血液型、DNA型が被告人と一致する ③現場付近で目撃された車と被告人の車種が一致する ④被害者の着衣に付着した繊維と車のシートの繊維が同一 ⑤被告人には土地鑑があり、アリバイも不明。

 私が参加する「人権と報道・連絡会」では2010年1月の定例会で、弁護団の徳田靖之弁護士から事件と裁判の経過について詳細な報告を受けた。その中で徳田弁護士は、一審判決が有罪の根拠とした「状況事実」について、次のように問題点を指摘した。

 「①車のシートの血液型が被害者と一致したというが、血液型だけでそれを被害者の血痕と断定することはできない。③④は車種が同じというだけの話。⑤は全くの間接証拠に過ぎない。③の目撃者が目撃した人物は『年齢30~40歳。髪は長めで七・三分け』ということだったが、久間さんは当時55歳、髪はオールバックだった」

 結局、一審判決は「②科警研によるDNA型鑑定に依拠して有罪と認定したことになる。だが、そのDNA型鑑定をめぐっても重大な矛盾があった。実は、科警研は「MCT118型鑑定」のほかに、独自に「HLADQα型」検査も行っていたが、この検査では被害者の血液から久間さんの型は検出されなかった。そして、石山教授の「ミトコンドリア法」による鑑定も不一致だった。つまり、県警は複数のDNA型鑑定を行ったものの、「MCT118型鑑定」以外はすべて「久間=犯人説を否定していたことになる。

 久間さんはこの一審判決に対して直ちに控訴したが、2001年10月10日、福岡高裁は控訴を棄却。さらに06年9月8日、最高裁は上告を棄却した。各裁判所は、弁護側が指摘したさまざまな疑問・矛盾を無視。結局、科警研の「MCT118型鑑定」によるDNA型鑑定をほぼ唯一の根拠とした死刑判決が確定した。


●「足利事件のDNA型再鑑定へ」報道の直後に死刑執行

 その2年後、状況が大きく動いた。同じ科警研鑑定(「MCT118型鑑定」)を証拠に有罪とされた足利事件について、08年10月、東京高裁が再鑑定する方針を決めた

 足利事件とは、1990年5月、栃木県足利市のパチンコ店で4歳女児が行方不明になり、渡良瀬川河川敷で遺体が発見された事件だ。栃木県警は91年12月、科警研のDNA型鑑定を証拠として保育園の送迎バス運転手だった菅家利和さんを逮捕。菅家さんは起訴され、裁判途中から無実を訴えたが、無期懲役の有罪判決が確定、服役させられていた。

 この東京高裁の再鑑定方針について、新聞各紙は、《高裁、DNA再鑑定へ》(10月17日付『朝日』)、《DNAを再鑑定へ》(18日付『毎日新聞』)と、全国版で大きく報じた。

 これは当時、再審請求を準備していた久間さんに大きな希望の光となったはずだ。ところが、この報道から10日後の10月28日、法務省は突然、久間さんの死刑を執行した。

 死刑執行を命じた法務省が、足利事件の再鑑定報道を知らなかったはずはない。森英介法相は「慎重かつ適正な検討を加えた」と述べた。いったいどんな「検討」をしたのか

 それから約半年後の09年5月、足利事件のDNA型鑑定結果が出た。弁護側・検察側が推薦した鑑定人2人が、いずれも「STR法」による鑑定で「犯人と菅家さんのDNA型は一致しない」と結論した。

 弁護側推薦の本田克也・筑波大教授は、「MCT118型」による追試鑑定も行った。結果は、菅家さんが「18―29型」、犯人は「18―24型」。どちらも「16―26型」としていた科警研の鑑定結果は、精度の低い「MCT118法」においても完全な誤りだった

 飯塚事件弁護団は、この本田教授に飯塚事件の再鑑定を依頼した。ところが、飯塚事件では捜査段階で採取された鑑定試料を科警研が全量消費していた」という。このため、本田教授は科警研鑑定のデータ・写真を解析し、再鑑定した。

 その結果は、「科警研鑑定はDNA型も血液型も誤りという衝撃的な内容だった。血液型は、犯人がAB型、久間さんはB型。「MCT118型」によるDNA型は、犯人が「16―25型」、久間さんは「18―30型」だった。科警研鑑定は、犯人・久間さんとも「16―26型」としていたが、それはすべて間違っていた、と本田鑑定は指摘した。

 遺族と弁護団は死刑執行1年後の10月28日、本田鑑定を新証拠に再審を請求した。だがメディアの反応は鈍く、全国紙各紙が社会面3~4段で伝えただけだった。その背景には、逮捕時にメディアが繰り広げた犯人視報道がある。徳田弁護士は「人権と報道・連絡会」で、「九州では東京以上にひどい犯人視報道が行われ、みんな久間さんを殺人鬼と信じ込まされました」と話した。メディアも〈無実の死刑〉に加担していた。(続く)

Last modified on 2021-09-11 22:51:36
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http://www.labornetjp.org/news/2021/0913yama

●山口正紀の「言いたいことは山ほどある」(2021/9/13不定期コラム)
検察による口封じ殺人? 死刑執行された冤罪――「飯塚事件の再審を求める東京集会」(オンライン)から(中)

 久間三千年(くま・みちとし)さんの死刑執行は、「DNA冤罪」が露顕するのを恐れた検察の「口封じ殺人」ではなかったか――こんな恐るべき疑惑をはらんだ「飯塚事件」。その再審を目指して開かれたオンライン集会(9月4日)では、最高裁「特別抗告棄却」決定(4月21日)の問題点、久間さんの妻と再審弁護団が福岡地裁に申し立てた第2次再審請求(7月9日)の内容が詳しく報告された。一連の報告は、①科警研DNA型鑑定のデータ改ざん有罪判決の根拠とされたT目撃証言の不自然さ――など、死刑判決の「証拠」が福岡県警によって改ざん・捏造されたものであることを明らかにした。

     (*写真=徳田靖之弁護士(NNNドキュメントより))


●「もっと早く再審請求していれば」……

 集会ではまず、刑事裁判から弁護活動に取り組んできた徳田靖之弁護士が、第1次再審請求の経過と請求棄却決定の問題点を報告、最初に飯塚事件の3つの特徴を挙げた。

 第1は、死刑が執行されてしまった事件であること。執行は08年10月28日だったが、徳田弁護士は少し前に久間さんに面会し、再審請求について話し合っていた。「あの時もう少し早く再審請求していれば、執行はなかったのではないか。弁護士の怠慢で執行を許してしまった。その過ちを背負いながら再審に取り組んできました」と徳田弁護士は悔やむ。

 一方、死刑執行された事件であることは、裁判官にはハードルの高さになり、慎重な審理を求められる。もし再審無罪になれば、国家による過った殺人を認めることになる。「それが、裁判所が再審開始を拒み続ける理由にもなります」と徳田弁護士。

 第2は、真犯人を特定できる証拠の血痕がありながら、捜査段階で全量消費されてしまったこと。被害者の膣内などから採取された血痕・体液は「100回鑑定ができるぐらい十分な量があった」(石山昱夫・帝京大学教授)のに、科警研の技官たちは3回の鑑定で全部使い切ってしまった」という。しかも、「使い切った」理由も明らかにされていない。徳田弁護士は「これが、無実を証明するうえで大きなハンデになっています」と述べた。

 だが、試料の血痕はほんとうに「全量消費」されたのか、そんな疑問もある。

 第3は、任意取調べを受けた段階から死刑執行の日まで、久間さんが終始一貫無実を訴え、完全否認を貫いた事件であること。わが国ではこれまで、免田事件など再審で死刑囚が無罪になった事件はあるが、その多くは何らかの形で「自白」が取られており、その任意性、信用性が否定されて再審開始の道が開かれてきた。

 本件では、こうした自白が全く存在せず、直接的証拠もない。確定判決も、「間接事実の総合評価によって犯人性を判断するしかない」とした。それだけに、裁判では有罪認定の中核となった「状況証拠」の証拠能力、信用性が徹底的に吟味されなければならない。弁護団は再審請求で、確定判決の証拠構造の中核が、①科警研のDNA型鑑定②遺留品発見現場でのT目撃証言であるとし、この2つに証拠価値がないことを立証した。


●DNA型鑑定、目撃証言のでたらめさを立証した新証拠

 福岡地裁に申し立てた第1次再審請求(09年10月)で、弁護団は2つの新証拠を提出した。1つは、本田克也・筑波大教授によるDNA型鑑定・血液型鑑定に関する法医学鑑定書。2つ目は、厳島行雄・日本大学教授によるT目撃証言に関する心理学鑑定書だ。本田鑑定は、科警研による「MCT118型」鑑定の証拠能力を全面的に否定した。鑑定書によると、「MCT118型」によるDNA型について、科警研鑑定は犯人・久間さんとも「16―26型」としていたが、久間さんのDNA型は「18-30型」であり、明らかに誤っていた。血液型についても「被害者はO型とA型であり、犯人はAB型。B型の久間さんは犯人ではありえない」と結論した。久間さんの無実を物語る衝撃的な鑑定だ

 再審請求審では、科警研がDNA型鑑定の際に撮影したネガフィルムが証拠開示され、本田教授が解析した結果、科警研鑑定書に添付された写真が改ざんされていたことも明るみに出た。ネガフィルムには確定判決で証拠採用された写真より広い範囲が写っていた。そのネガの写真に焼き付けられていない部分に、「久間さんでも被害者のものでもないDNA型」が確認された。これは真犯人のもの以外に考えられない。

 科警研はそれを隠すため、意図的に写真を切断して焼き付けたと考えるほかない。徳田弁護士は「ネガフィルムは科警研による証拠改ざんの痕跡を示す証拠」と指摘した。

 厳島鑑定は、T目撃証言が警察官に誘導されたものであると断定した。T目撃証言とは、女児2人が行方不明になって数時間後、〈遺留品発見現場の近くの山道で久間さんの車と特徴が同じ紺色のワンボックスカーを見た〉という内容だ。厳島教授は現場で再現実験を行い、このT証言の不自然さを指摘した。

 事件発生(92年2月20日)から2週間余、3月9日に作られた供述調書は、T証人が「目撃した」という不審車と不審人物について、極めて詳細に供述している。

 T供述は不審車の特徴として、①ナンバーは不明②標準タイプのワゴン車③メーカーはトヨタやニッサンではない④やや古い型⑤車体は紺色⑥車体にはラインがなかった⑦後部タイヤはダブルタイヤ⑧後輪のホイルキャップの中に黒いラインがあった⑨窓ガラスは黒く車内は見えなかった――という9項目を挙げた。

 不審人物の特徴としては、①頭の前の方が禿げていた②髪は長めで分けていた③上衣は毛糸で④胸はボタン式⑤薄茶色の⑥チョッキで⑦チョッキの下は白いカッターの長そでシャツを着ていた⑧年齢は30~40歳だった――という8項目を挙げた。

 しかし、T証人がこの不審車を目撃したという現場の「八丁峠」はカーブが続く山道。T証人は坂道の下りカーブを時速20~30キロで運転中、左カーブで対向車線に停まっていた「不審なワゴン車」を見た、としている。

 はたして、山道の下りカーブを運転中に、前記のような詳細な「目撃」が可能なのか。車がすれ違うのに要するのはほんの数秒。しかも、「後輪がダブルタイヤだった」というのは、下りカーブで後ろを振り返って見る危険を冒さなければ知り得ない情報だ。

 厳島教授は、現場での走行再現実験の結果に基づき、「目撃はごく短時間であり、対象物の詳しい形状まで記憶することは不可能T目撃証言は作られた供述」と断言した。

 さらに、再審請求審で証拠開示された捜査報告書により、T証言が捜査員の誘導によるものであることを示す事実が明らかになった。実は供述調書が取られる2日前の3月7日、捜査員が久間さん宅を下見して車を調べ、「車体にはボディラインなし」などと報告していた。この捜査員が2日後、T証人の聴取を担当し、調書を作成していたのだ。

 当時、久間さんが乗っていたのは、マツダの「ウエストコースト」というワゴン車。この車種には本来、車体に特徴的なラインが付けられていたが、久間さんはラインを消して乗っていた。そのことを知らなければ、わざわざ「トヨタやニッサンではない」「ラインがなかったなどと供述するわけがない。詳細なT証言は、捜査員による完全な誘導だった


●再審申し立てに判断を回避した最高裁

 確定死刑判決が有罪認定の根拠とした2つの柱=DNA型鑑定とT目撃証言は、弁護団が提出した2つの新証拠と再審請求審で開示された証拠により、完全に破綻した。

 ところが、2014年3月31日付で福岡地裁が出した決定は「請求棄却」だった。

 地裁決定は、科警研のDNA型鑑定については「証明力の評価に変化が生じた」として事実上、証明力を否定した。しかし、T目撃証言については、「厳島鑑定は供述の信用性を揺るがすものではない」「新証拠によって旧証拠の証明力や信用性が減殺されることはない」などとして、証拠能力を認めた。

 山道の下り坂カーブを走行中、わずか数秒間すれ違っただけで、運転者の髪形や詳しい服装から、「車体にはラインがなく、後輪はダブルタイヤだった」などという車の特徴までつかみ記憶していた、などという荒唐無稽な「証言」を、裁判官たちは「信用できる」と言うのだ。そんな裁判官たちの判断を私たちは「信用できる」だろうか。

 そのうえで地裁決定は、「DNA型鑑定以外の状況証拠を総合すれば、事件本人(注;久間さん)が犯人であることについて、合理的な疑いを超えた高度の立証がされていることに変わりはなく、新証拠はいずれも確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるものではない」と結論付け、再審請求を棄却した。

 さらに福岡高裁は18年2月6日、弁護団の即時抗告を棄却、最高裁も今年4月21日、「記録を精査しても、原決定(再審請求棄却決定)を取り消すべき事由は見当たらない」として、特別抗告を棄却する決定を行なった。

 弁護団は特別抗告で、2つの新証拠をめぐる論点だけでなく、高裁決定の憲法違反も指摘していた。福岡高裁の再審請求審では、裁判官3人のうち1人が、刑事裁判で死刑判決を出した一審・福岡地裁の審理に主任裁判官として参加していた。

 かつて自分が加わり死刑判決を出した裁判の再審請求に対して、ニュートラルな状態で審理に臨むことができるのか。裁判官は、もし再審請求を認めれば、自分が「無実の人に対する死刑」を命じた事実に直面することになる

 弁護団は特別抗告で、「これは憲法37条が定める〈公平な裁判を受ける権利〉に反する」と指摘し、憲法違反を主張したが、最高裁決定はこれについて判断を示さなかった

 この決定について、徳田弁護士は「決定文はわずか6ページ。ほとんど何も書いていないに等しく、これでは分析のしようもない。特別抗告から3年も経っており、最高裁は特別抗告を正面から受けとめて真摯に検討していると思っていたのに、弁護団の申立てに対してほとんど判断を回避した」と憤りをこめて批判した。

 それでも徳田弁護士は、第1次再審請求の到達点として、次の2点を挙げた。

 第1に、DNA型鑑定で久間さんの型が全く検出されなかったことが明らかになり、有罪判決の証拠の主たる柱の1つが破綻したこと。第2に、T目撃証言が捜査員に誘導されたものであることが明らかになり、その信用性が徹底的に揺らいだこと。

 それに、第2次再審請求では、警察が握りつぶしてきた真犯人につながる新たな目撃証言が加わる。この強力な新証拠を前に、裁判所は、司法が犯した「冤罪死刑」という取り返しのつかない過ちに目を逸らし続けることができるだろうか。(続く)

Last modified on 2021-09-15 11:03:30
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http://www.labornetjp.org/news/2021/0915yama

●山口正紀の「言いたいことは山ほどある」(2021/9/15不定期コラム)
検察による口封じ殺人? 死刑執行された冤罪――「飯塚事件の再審を求める東京集会」(オンライン)から(下)

 久間三千年(くま・みちとし)さんの死刑執行は、「口封じのための国家殺人」ではなかったか――「飯塚事件」の再審実現を目指して開かれたオンライン集会(9月4日)で、この事件の捜査をめぐり、「真犯人の目撃証言無視という新たな疑惑が指摘された。弁護団は7月に申し立てた第2次再審請求で「事件当日、被害少女2人と真犯人と思われる人物を目撃した」というKさんの証言を新証拠として提出した。驚くべきことにKさんは事件直後、犯人に直結するこの目撃を警察に通報したのに、福岡県警はこの決定的証言を調書も取らずに握りつぶしていた。事件発生から29年ぶりに浮上した真犯人の影。久間さんに対する見込み捜査に突っ走っていた警察は、「冤罪による死刑」だけでなく、みすみす「真犯人を逃がす」というもう一つの重大な罪も犯していた疑いが濃厚になった。


●「今にも泣きだしそうだった少女の顔」――鮮烈な29年前の記憶

 集会では、徳田靖之弁護士に続き、再審弁護団主任弁護人の岩田務弁護士が第2次再審請求の新証拠と第2次再審請求の課題について報告した。

 新証拠は、福岡県内に住む男性Kさん(72歳)が、「事件当日の1992年2月20日午前11時ごろ、飯塚市内の八木山バイパスを走行中、後部座席に小学生の女児2人を載せたワンボックスタイプの軽自動車を目撃した」という証言だ。

 その現場は、女児2人が行方不明になった場所に近接した場所。Kさんが弁護士に行なった陳述によると、問題の軽自動車は制限を下回る時速40キロ以下でノロノロ運転していた。その後ろについてイライラしていたKさんは、登坂車線で軽自動車を追い越す際、「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴か」と思って運転席を見た。すると、「自分より少し若いくらい(30~40歳)の色白で坊主頭、細身の男性」が運転しており、後部座席には「オカッパ頭でランドセルを背負った女の子」が乗っていた。また、後部座席には「もう1人、女の子が横になっていて、その横にもランドセルがあった」――。

 しかし、Kさんはなぜ、そのような30年近くも前の古い記憶をはっきり覚えていたのか。そしてなぜ、今ごろになって「証言」することにしたのか。当然、検察側は突っ込んでくる。これについて岩田弁護士は、①記銘②保持③想起――の3点から説明した。

①〈記銘〉=なぜ記憶に残ったか。理由は、非常に強い印象を受けた出来事であったこと。後部座席に乗っていた女の子は「うらめしそうな」「うらさびしそうな」「今にも泣きだしそうな」表情をしていた。その異常な表情とともに、平日昼前の時間帯にランドセルを背負った子どもが車に乗っているのを不審に感じ、「誘拐ではないか」という思いを抱いた。さらにその夜、「飯塚市内で少女2人が行方不明」というニュースが流れ、「自分が見たのは行方不明の少女たちではないか」と思い、翌朝110番通報して目撃内容を伝えた

②〈保持〉=なぜ記憶を保ち続けたか。110番通報の1週間後、刑事が来て事情聴取を受け、目撃内容を詳細に説明した。ところが、刑事はメモをしただけで供述調書は取らず、その後何の連絡もしてこなかった。しかし、自分が目撃したのは被害少女と真犯人だと確信し、3年後の第1回公判を傍聴して直接確認した。すると、被告人は自分が目撃したのと全くの別人で驚いた。ただ、「DNA型鑑定が一致した」という検察官の冒頭陳述を聞き、自分が目撃した車は事件に関係がなかったのか、と思い直した。

③〈想起〉=なぜ今回、その目撃を思い出したのか。その後も事件について関心を持ち続けていた。2019年、『西日本新聞』が飯塚事件に関する特集記事を連載した。その中に、「DNA型鑑定が崩れた」という記事があり、「それなら、やはり自分が見たのは犯人だったに違いない」と思い、『西日本新聞』に連絡した。それが記事になり、徳田弁護から連絡があって、新証拠となる詳細な陳述書が作成された。その中で、弁護士にこう訴えた――「あの女の子の恨めしそうな表情が28年間、私を離してくれなかった」。


●第2次再審請求で問い直される「T供述」の信用性

 岩田弁護士は「Kさんが目撃したのが犯人であれば急転直下、真犯人の存在とともに久間さんの無実もはっきりする」と述べ、再審請求でK証言の果たす役割を解説した。

 K証言は、第1次再審請求の地裁決定がほぼ唯一の「証拠」とした「T供述」と真っ向から対立する。事件の2週間余り後、「不審なワゴン車を見た」と供述したT証言と、事件翌朝、「少女2人が乗った軽自動車を見た」と通報したK証言。2つの証言の信用性は表裏一体であり、K証言の信用性が強まれば、T供述の信用性は弱まる。

 しかも、T供述は犯行(被害少女)を直接目撃したものではなく、間接証拠に過ぎない。しかし、K証言は「被害少女2人を目撃した」というもので、直接証拠となる。

 この重要な手掛かりとなる目撃通報を受けた福岡県警は、直ちに捜査員を出して供述調書を取るべきなのに、1週間後に刑事が来てメモしただけで放置した。

 その一方、警察は久間さんに対する見込み捜査に走り、「久間=犯人」に合致する証拠集めに躍起になった。そうして作られたのが、「ワゴン車の詳しすぎる特徴」をはじめ、捜査員に誘導された痕跡が顕著なT供述だった。

 岩田弁護士は「第2次再審請求では、T供述の信用性が攻防の中心になる。全部目撃するのは不可能なほど膨大な情報を『目撃した』とするT供述を、裁判官は『誘導はなく、信用できる」と評価した。これをKさんの目撃証言を中心に、いろんな方向から崩していく。それが第2次再審請求の課題です」と報告を締めくくった。


●「久間三千年は無実です」――妻の悲痛なメッセージ

 岩田弁護士の報告に続き、再審請求人である久間さんの妻が集会に寄せた次のようなメッセージが紹介された。

 「久間三千年は無実です。私たち家族の幸せは、平凡な生活の中にあり、夫の優しさ思いやりは、日々の生活の中に満ちあふれていました。夫は一方的に犯人扱いされ逮捕、起訴され裁判にかけられました夫は終始一貫して無実を訴え続けてきました
 私たち家族は、夫を疑ったこともなく、理不尽な仕打ちを受けながらも夫が生かされていることだけを、心のよりどころとして、耐え続けてきました。突然の死刑執行に目の前が真っ暗になり何も考えられなく、途方に暮れました。
 無実を訴え続ける夫に殺人の汚名を着せて、命まで奪う国の法律があるとは、思ってもみませんでした。
 無実を訴え続け命まで奪われた夫の無念を晴らし名誉を回復するために再審請求をしましたが、最高裁での特別抗告も棄却されました。
 令和3年7月9日に、第2次再審請求をしました。
 どうしてなのでしょうか。終始一貫して無実を訴えている者の再審の審理は、無理なのでしょうか。すぐにでも裁判を受ける権利は平等にあるべきです。
 無茶なことを言っているのではなく、裁判が間違っているからやり直して欲しいと願っているだけです。公平な権利さえも与えられないのでしょうか。
 裁判所において、刑事裁判の目的は、「無罪の発見である」、被告人の人権保障にある。
 「百人の真犯人を逃がしても一人の無辜(むこ)を罰してはならない」とする考え方。
 刑事裁判は、憲法に保障されている人権を守るためにあると、ある書籍に書いてありました。このことを原点として裁判に臨んでいる裁判官もいらっしゃいます。
 検察官の職務についても「公益の代表者」と義務づけ、真相究明と同時に被告人の後見的役割を担う、とあり、法的用語や条文など解りにくいところは多いのですが、再審を願っているだけなのです。
 どうか、皆様方のお力添えを宜しくお願い致します。いつ、どんな時でも一人の人間が公平公正な裁きを受けられることを心から望んでいます。
 令和3年9月4日」


●「久間さんの無念を晴らす」――桜井昌司さんの連帯アピール

 続いて、布川事件冤罪被害者桜井昌司さんが連帯のアピールを行なった 「話を聞くたび、ひどい事件だと思います。東の足利、西の飯塚と言われ、DNA型鑑定で有罪にされた。しかし、久間さんは死刑が執行された何という国家だろうと思う。警察はなぜK証人にきちんと聴取しなかったのか。別の事件で警察は久間さんを疑っていたそうで、警察はひたすら有罪証拠をかき集めた。布川でも同じことがありました。

 T供述を検証した八丁峠の映像を見て思いました。現場は九十九折の山道で、道路の左側には溝があり、脱輪するかもしれない。そんな場所で、対向車がダブルタイヤだったなんてわかりっこない。こんなことを優秀な裁判官がなぜわからないのか

 日本の警察はこれまでも証拠を捏造してきました。そうして、どれだけの人が刑務所に入れられ、殺されてきたか。すべてが無責任です。冤罪事件で国家賠償しても、だれも懐が痛まない。そのお金も税金です。足利事件、布川事件、ゴビンダさんの事件東電事件)、東住吉事件だれもその責任を追及しない

 再審法を改正しないといけない。税金で集めた証拠を法廷に出すのは当たり前じゃないですか。久間さんの無念は必ず果たせると確信しています。必ず勝ちます。一緒にがんばりましょう。無惨に殺された人の無念を晴らす殺したのは誰か検察庁です

 桜井さんは1967年に起きた布川事件で杉山卓男さん(故人)とともに無期懲役刑が確定したが、2011年に再審無罪をかちとった。8月27日、この冤罪の責任を問う国家賠償訴訟の控訴審で勝利し、国・県は上告できず9月10日、勝訴が確定した。桜井さんは13日に会見し、「54年間ずっと背負っていた冤罪の重荷を下ろすことができた」と話した。

 だが、桜井さんの闘いは終わらない。国賠訴訟の一審勝訴後、直腸がんが見つかり、食事療法でがんと闘っている。そうして、冤罪と闘う全国の「獄友」の雪冤のために東奔西走する久間さんの無念を晴らす。それも、桜井さんの大きな目標の1つだ。(了)

Last modified on 2021-09-15 11:00:47
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●再審無罪が確定した西山さんの国家賠償請求訴訟で、冤罪を生んだ滋賀県警が《今になって西山さんを犯人視する書面を作成、裁判所に》…

2021年12月01日 00時00分37秒 | Weblog

(2021年09月26日[日])
東京新聞の社説【<社説>再審無罪を否定 西山さんを苦しめるな】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/132379?rct=editorial

 《再審無罪判決を否定するという荒唐無稽な書面だ。滋賀県の病院で、患者の死亡を巡り殺人罪などで服役後、再審無罪が確定した元看護助手西山美香さんによる国家賠償請求訴訟で、被告の県は、西山さんを犯人視する表現をした準備書面を大津地裁に提出した。県警が作成したもので、県側は承知していなかったとして、三日月大造知事は謝罪し、書面修正の意思を表明した。なぜこんなことが起きたのか、県と県警に徹底調査を求めたい》。

   『●《裁判長は「取り調べや証拠開示などが一つでも適切に行われていれば、
       逮捕・起訴はなかったかもしれません」》と仰ってたのですがね?
    《だが、県は、15日に地裁へ提出した準備書面で「取り調べ担当官に
     好意と信頼を寄せて虚偽の殺害を自白することなど、
     根本的にあり得ない」とし、捜査の違法性を否定。「被害者を
     心肺停止状態にさせたのは、原告である」と主張した。
     再審の無罪判決で、裁判長は「取り調べや証拠開示などが一つでも
     適切に行われていれば、逮捕・起訴はなかったかもしれません
     と説諭したが、「滋賀県警としては、承服し難い」とも反論した》

 再審無罪が確定した元看護助手西山美香さんによる国家賠償請求訴訟で、冤罪を生んだ滋賀県警が《今になって西山さんを犯人視する書面を作成、裁判所に》提出? 醜悪過ぎる滋賀県警、いっさい反省なし、冤罪に何の痛痒も感じていない…《警察官のうそと検察官の証拠独占が冤罪を生む》。

   『●湖東記念病院人工呼吸器事件…冤罪服役13年、
     【元看護助手、再審で無罪が確定的に 滋賀の病院患者死亡】
   『●湖東記念病院人工呼吸器事件で冤罪服役…《刑事司法の
      よどみや曇り》の解明を、《冤罪が生まれる構造に光》を!
   『●警察・検察・裁判所は何も責任をとらないつもり? それなくして、
       《西山さんが待ち続けた「名誉回復」》が叶ったといえるのか?
   『●《判決後、大西直樹裁判長は、捜査の問題点と刑事司法の改善の必要性
      を説き、「西山さんの15年を無駄にしてはならない」と話している》
    《無実でも有罪判決が確定すると、それを晴らす道は極めて狭い
     再審関係の条文は古いままで、手続きも事実上、裁判官のさじ加減
     次第である。無辜(むこ)を救う究極の人権救済の法整備は急ぐべきだ

 西山美香さんは冤罪で服役し、《青春時代の十数年間を監獄で過ごさねばならなかった》。《再審開始決定までの七つの裁判所判断は、この矛盾に言及しなかった》。《無理な捜査、虚偽自白、証拠開示の遅れ》…弁護士も立ち会わず、長期拘留して密室で自白を迫る。警察や検察により、被疑者に有利な証拠は隠蔽される。同じことの繰り返しだ。
 大西直樹《裁判長は「取り調べや証拠開示などが一つでも適切に行われていれば、逮捕・起訴はなかったかもしれません」》《「西山さんの15年を無駄にしてはならない」》と仰ってたのですがね? 醜悪過ぎる滋賀県警。

   『●《日本の刑事司法はおそろしいほどに後進的…代用監獄…
          人質司法》…さらに、司法取引まで投げ渡す大愚
   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や
             喪失、逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
   『●《良心に従い職権を行使する独立した存在》ではない
     大久保正道裁判長である限り、アベ様忖度な「行政判断」が続く
   『●《「自白の強要をされたという認識に変わりはない」と反論…
            いまだにこんな水掛け論になるのかと嘆かわしい》
    「《日本の刑事司法はおそろしいほどに後進的代用監獄人質司法
     …《日本の刑事司法制度は国際的水準に達していない》。
     「人質司法」は未だに《国際的にも悪評が高い》。
     《弁護士の立ち会い…多くの国・地域で認めている制度》である
     にもかかわらず、ニッポンでは認められていない。
     《録音・録画(可視化)》もほとんど進まず、
     《事後検証が不可能に近い》。《弁護士の立ち会いが任意段階から
     認められていれば、誤認逮捕という人権侵害もなかったはずだ》」

   『●木谷明さん《冤罪を回避するために法曹三者…
      無実の者を処罰しないという強い意志、意欲をもって仕事にあたること》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
            耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    《四十年間も潔白を訴えていた大崎事件(鹿児島)の原口アヤ子さんに
     再審の扉は開かなかった。最高裁が無実を示す新証拠の価値を
     一蹴したからだ。救済の道を閉ざした前代未聞の決定に驚く。
     「やっちょらん」-。原口さんは、そう一貫して訴えていた。
     殺人罪での服役。模範囚で、仮釈放の話はあったが、
     「罪を認めたことになる」と断った。十年間、服役しての
     再審請求だった…「疑わしきは被告人の利益に再審請求にも
     当てはまる。その原則があるのも、裁判所は「無辜(むこ)の救済」
     の役目をも負っているからだ。再審のハードルを決して高めては
     ならない》
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れている
     のか? 誤りを潔く認めるべきだ。山口正紀さん、《冤罪は警察・
     検察だけで作られるものではない。…マスメディアにも責任…。
     だが、だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、
     でっち上げを追認した裁判官だろう》。」

   『●《「証拠は再審請求の段階でも捜査側に偏在している」…検察は掌中の
         証拠をあまねくオープン》にするよう裁判所は訴訟指揮すべきだ

 布川事件桜井昌司さんは《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》…検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定しました。54年の苦難にとても報いることはできませんが、その一部に少しでも報いられたとしたら、この判決を歓迎すべきかと思いました。検察や警察は《判決の結果を真摯に受け止め》、二度とこのような冤罪被害者が出ないよう、改善を約束すべきです。そのために何をすべきかを明らかにすべき。
 湖東記念病院人工呼吸器事件も同様だと思うのですが…。

   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、
         検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》
      …検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定
   『●布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、
     濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さん

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/132379?rct=editorial

<社説>再審無罪を否定 西山さんを苦しめるな
2021年9月22日 07時50分

 再審無罪判決を否定するという荒唐無稽な書面だ。

 滋賀県の病院で、患者の死亡を巡り殺人罪などで服役後、再審無罪が確定した元看護助手西山美香さんによる国家賠償請求訴訟で、被告の県は、西山さんを犯人視する表現をした準備書面を大津地裁に提出した。県警が作成したもので、県側は承知していなかったとして、三日月大造知事は謝罪し、書面修正の意思を表明した。なぜこんなことが起きたのか、県と県警に徹底調査を求めたい。

 訴訟は、西山さんが捜査の違法性を解明することなどを目的に、昨年提訴した。県側は、違法性はなかったと主張する今月十五日付書面の中で「患者を心肺停止状態に陥らせたのは、原告(西山さん)であると、西山さんを殺害の実行者と決め付けた

 西山さん側からの強い抗議で、知事は臨時の記者会見を開き「西山さんの心情を傷つけた深くおわびする」と述べ、修正の意向も示した。事前に書面の内容や提出の事実を知らなかったという。

 書面は県警が作成。県警は「慣例に従った」と釈明しているが、県の規定では、県警本部長の決裁後、県総務課長が決裁することになっている。しかし今回、書面は県側に回付されていなかった

 再審無罪が確定した昨年三月の大津地裁判決は「『呼吸器を外した』との捜査段階の自白には、信用性と任意性に疑いがある」と認定。さらに「取調官は西山さんの自分への恋愛感情に乗じて供述をコントロールしようとした」と、自白調書を証拠から削除し、患者は「他の原因で死亡した可能性がある」と結論づけた

 これに対し、問題の準備書面は「取調官に好意を寄せて虚偽の自白をするなどあり得ない」と反論。無罪判決も否定した。

 だが、ちょっと待ってほしい。再審公判で、検察側は「新たな有罪立証は行わない。裁判所に適切な判断を求める」と論告し、求刑もしなかった。有罪立証を放棄したに等しいのに、捜査をした県警が今になって西山さんを犯人視する書面を作成、裁判所に出すのは不可解と言うほかない

 県警には、なぜ「犯人視」の書面が提出され、どんな意図があったのかきちんと調査、説明する責任がある。文書修正だけで済む話ではない西山さん本人にも直接謝罪すべきだろう
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●布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さん

2021年11月08日 00時00分45秒 | Weblog

―――――― (里見繁氏) 布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》



(2021年09月21日[火])
東京新聞の社説【布川事件の教訓 冤罪防ぐさらなる改革を】(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/800693/)。

 《冤罪(えんざい)無実の人の一生を台なしにしてしまいかねない。その防止に向け、貴重な教訓に満ちた司法判断が確定した。1967年に茨城県で起こった布川事件で強盗殺人罪に問われ、再審無罪となった桜井昌司さん(74)が国と県に損害賠償を求めた訴訟である。警察と検察の捜査の違法性を認め、被告側に計約7400万円の支払いを命じた東京高裁判決に対し、国と県は上告を断念した》。

   『●アベ様が《新政権も警察権力も私物化する暗黒時代が始まる》、《官邸の
       忠犬…政権の爪牙…山口敬之氏の逮捕を潰した最重要キーマン》が…
   『●山添拓議員の《送検》、八代英輝弁護士の《野党共闘に対する意図的な
      攻撃》とそれに群がるお維議員たち、中村格氏の警察庁長官へ昇格…

 検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や喪失、遺棄、逆に証拠の捏造…デタラメな行政。布川冤罪事件の桜井昌司さん、《警察官のうそと検察官の証拠独占が冤罪を生む》と。強大な権力には政治判断=忖度を乱発し、一方、弱者には厳格・冷酷な司法判断…最「低」裁を頂点とする司法の堕落。
 《検察は常に間違わない。そんな「無謬(むびゅう)が独り歩きし、自ら描いたストーリーに沿うように供述調書を作成する-。過去に冤罪を生んだ落とし穴の一つであり、布川事件はその典型だったと言えるだろう。東京高裁の審理で、もう一つ重要な点が明らかになった。検察は当初、取り調べの録音テープや第三者の毛髪など有罪立証に不利とみられる証拠の存在を認めなかった。国は「当時の刑事訴訟法に証拠開示の規定はなかった」と主張した。これこそが冤罪を防げない法制度の欠陥そのものではないか》。
 《桜井さんは20歳で逮捕され、再審無罪となるまで44年を費やした。「裁判官なら真実を見極めてくれると信じたが裏切られた」という言葉が重く響く》

 (雨宮処凛さん)《桜井昌司さんの名前を知る人はどれくらいいるだろう。彼は無実の罪を着せられ、29年間を獄中で過ごしたという「冤罪」の人だ。20歳から、29年。20代、30代のすべてを、殺人の濡れ衣を着せられて刑務所で過ごさざるを得なかったのである。そうして事件から実に44年後の2011年、無罪が確定。すべての始まりは、1967年に起きた布川事件だった》。
 そして、いま、…(NNNドキュメント ‛21)《検察は都合の良い証拠だけを使い無期懲役判決が下る。29年間投獄された男は、仮釈放から14年後にようやく無罪となった。この「布川事件」で潔白を勝ち取った男だったが、今度はがんにより余命一年の宣告を受けた。今、残された時間で冤罪被害者を支援し、濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている桜井昌司さん。

   『●『冤罪File(No.10)』読了
   『●冤罪デモ
   『●『自然と人間2010年2月号』読了
   『●『冤罪ファイル(2010年10月号)』読了
    「里見繁氏、「布川事件再審公判傍聴記――確定判決から30年余り
     時を経て、今ようやく再審の幕が開いた――」。「この事件を一言で
     言えば「検察の証拠隠し」である。最新請求の審理の過程で百件を
     超える隠蔽証拠が開示された。…。一審から最高裁、再審請求の
     地裁から最高裁、合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を
     見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべき
     かもしれない」。「ところが警察と検察は、桜井さん、杉山さんの
     二人に結びつかない証拠はすべて隠した」。
     桜井昌司さんと杉山卓男さん」

   『●布川事件の記録映画、……そして、………………
    《布川事件、再審無罪 発生から44年 水戸地裁土浦支部
    《映画「ジョージとタカオ」を観て 刑事司法の病理を体現する
     ふたりの中年男》
    《水戸地裁土浦支部は05年、「鑑定書が確定審の審理中に提出されて
     いれば有罪認定に合理的疑いが生じた」と述べ、再審開始の決定をした。
     検察側は即時抗告したが、東京高裁は08年、11カ所の中断が
     みられる桜井さんの自白の録音テープについて「取調官の誘導があった
     ことをうかがわせる」と指摘。検察側が新たに開示した「現場宅で見た
     のは杉山さんらではない」とする目撃証言も考慮し「確定判決の判断を
     維持できない」と認定した。最高裁も09年に再審開始を認めた》
    《弁護側は、検察側が2人に有利な証拠を再審請求審まで明らかにして
     いなかったことを「証拠隠し」と非難。裁判所の責任についても
     「冤罪(えんざい)の根絶のため、有罪になった構造を解明すべきだ」
     と求めてきた》

   『●強大な氷山の一角としての冤罪発覚
   『●東電OL殺人事件元被告マイナリさん、
       冤罪15年間への償いはできるのか?
    《▼「新証拠なんかじゃない。検察が隠し持っていたんですよ」。
     決定後の記者会見で昨年、再審無罪になった布川事件の桜井昌司さんが
     憤っていた。血痕が付着したコートなどの不利な証拠を出し渋り、
     DNA鑑定にも二の足を踏んだ検察の姿勢が冤罪(えんざい)
     生んだのは明白だ》

   『●冤罪(その2/2): せめて補償を
   『●またしても裁判所は機能せず、闘いは高知高裁へ:
       高知白バイ「冤罪」事件、地裁が再審請求を棄却
   『●「戦後70年 統一地方選/その無関心が戦争を招く」
      『週刊金曜日』(2015年4月3日、1034号)
   『●「検察・警察も冤罪防止のために“前向き”」?
     …刑事訴訟法の「改正案が成立すれば、新たな冤罪を生む」
   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、
     証拠の隠蔽や喪失、逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
    《布川事件で再審無罪が確定した桜井昌司さん(72)の訴えを認めた
     二十七日の東京地裁判決は、警察官の違法な取り調べや検察官の
     証拠開示拒否などがなければ、「遅くとも控訴審判決(一九七三年)で
     無罪判決が言い渡され、釈放された可能性が高い」と捜査機関に猛省を
     促した。弁護団からは「画期的だ」との声が上がり、
     桜井さんは捜査機関の在り方を批判した》
    《桜井さんと同じ冤罪被害者も訴訟を支援した。大阪市の女児死亡火災で
     再審無罪となり、自身も国賠訴訟中の青木恵子さんは「桜井さんから
     希望をもらった」と喜んだ。いまだ再審の扉が開かれない袴田事件
     大崎事件に触れ、「順番に勝っていってもらいたい」と望んだ》

   『●飯塚事件…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、
     国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)
    「ついでと言っては何ですが…桜井昌司さんについて…
     《清水潔… 【放送告知】強盗殺人容疑で有罪判決を受け、
     罪を償わされてから冤罪が明らかになった男性をカメラが追いました。
     裁判の間違いを裁判所が認めるまでに38年。ようやく潔白を手に
     入れて今度は10年で末期がん宣告です。壮絶な人生を描く
     ヒューマンドキュメンタリー。》」

   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、
         検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》
   『●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》
      …検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定

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https://www.nishinippon.co.jp/item/n/800693/

社説
布川事件の教訓 冤罪防ぐさらなる改革を
2021/9/15 6:00

 冤罪(えんざい)は無実の人の一生を台なしにしてしまいかねない。その防止に向け、貴重な教訓に満ちた司法判断が確定した

 1967年に茨城県で起こった布川事件で強盗殺人罪に問われ、再審無罪となった桜井昌司さん(74)が国と県に損害賠償を求めた訴訟である。警察と検察の捜査の違法性を認め、被告側に計約7400万円の支払いを命じた東京高裁判決に対し、国と県は上告を断念した

 この事件は独り暮らしの男性が他殺体で見つかり、桜井さんら2人が別の容疑で逮捕、起訴された(桜井さん以外の1人は既に死去)。証拠は自白と現場の目撃証言しかなかった。

 高裁判決は、一審東京地裁判決が認めた警察官の取り調べに加え、捜査段階の検察官の取り調べも違法と断じた。検察官は桜井さんが無実の主張を信じてもらえず絶望的になったのを利用し「自分の意図するままに供述調書を作った言い切っている有罪をでっち上げたと非難しているに等しいものだ。

 古い事件ではあるが、とりわけ検察には猛省を求めたい。

 国内で起訴された事件の有罪率は99%超だ。検察が警察の捜査をチェックしている結果であるとともに、検察の力を過信させる面のある数字である。

 検察は常に間違わない。そんな「無謬(むびゅう)が独り歩きし、自ら描いたストーリーに沿うように供述調書を作成する-。過去に冤罪を生んだ落とし穴の一つであり、布川事件はその典型だったと言えるだろう。

 東京高裁の審理で、もう一つ重要な点が明らかになった。

 検察は当初、取り調べの録音テープや第三者の毛髪など有罪立証に不利とみられる証拠の存在を認めなかった。国は「当時の刑事訴訟法に証拠開示の規定はなかった」と主張した。これこそが冤罪を防げない法制度の欠陥そのものではないか

 桜井さんの有罪が一度確定した最高裁判決(78年)は、自白強要の証拠は「記録上発見することができない」とした。隠されていたのだから当然である。

 近年の刑事司法改革で、取り調べの可視化(録音・録画)が一部義務化され、証拠リストの開示が認められた。それでも十分とは言えない。私たちは社説で、捜査で集めた証拠の全面的開示や裁判をやり直す再審の開始規定緩和など、法改正を国に強く求めてきた。

 桜井さんは20歳で逮捕され、再審無罪となるまで44年を費やした。「裁判官なら真実を見極めてくれると信じたが裏切られた」という言葉が重く響く。

 布川事件は「過去の問題」ではない。国や司法関係者はさらなる制度改革を急ぐべきだ。
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●《裁判長は「取り調べや証拠開示などが一つでも適切に行われていれば、逮捕・起訴はなかったかもしれません」》と仰ってたのですがね?

2021年10月31日 00時00分38秒 | Weblog

(2021年09月18日[土])
安藤仙一朗記者による、アサヒコムの記事【元看護助手の無罪、滋賀県が判決否定 「心肺停止状態にさせたのは原告」】(https://digital.asahi.com/articles/DA3S15046227.html)。

 《だが、県は、15日に地裁へ提出した準備書面で「取り調べ担当官に好意と信頼を寄せて虚偽の殺害を自白することなど、根本的にあり得ない」とし、捜査の違法性を否定。「被害者を心肺停止状態にさせたのは、原告である」と主張した。再審の無罪判決で、裁判長は「取り調べや証拠開示などが一つでも適切に行われていれば、逮捕・起訴はなかったかもしれません」と説諭したが、「滋賀県警としては、承服し難い」とも反論した》。

   『●湖東記念病院人工呼吸器事件…冤罪服役13年、
     【元看護助手、再審で無罪が確定的に 滋賀の病院患者死亡】
   『●湖東記念病院人工呼吸器事件で冤罪服役…《刑事司法の
      よどみや曇り》の解明を、《冤罪が生まれる構造に光》を!
   『●警察・検察・裁判所は何も責任をとらないつもり? それなくして、
       《西山さんが待ち続けた「名誉回復」》が叶ったといえるのか?
   『●《判決後、大西直樹裁判長は、捜査の問題点と刑事司法の改善の必要性
      を説き、「西山さんの15年を無駄にしてはならない」と話している》
    《無実でも有罪判決が確定すると、それを晴らす道は極めて狭い
     再審関係の条文は古いままで、手続きも事実上、裁判官のさじ加減次第
     である。無辜(むこ)を救う究極の人権救済の法整備は急ぐべきだ

 西山美香さんは冤罪で服役し、《青春時代の十数年間を監獄で過ごさねばならなかった》。《再審開始決定までの七つの裁判所判断は、この矛盾に言及しなかった》。《無理な捜査、虚偽自白、証拠開示の遅れ》…弁護士も立ち会わず、長期拘留して密室で自白を迫る。警察や検察により、被疑者に有利な証拠は隠蔽される。同じことの繰り返しだ。
 大西直樹《裁判長は「取り調べや証拠開示などが一つでも適切に行われていれば、逮捕・起訴はなかったかもしれません」》《「西山さんの15年を無駄にしてはならない」》と仰ってたのですがね?
 醜悪過ぎる滋賀県警、いっさい反省なし、冤罪に何の痛痒も感じていない…《警察官のうそと検察官の証拠独占が冤罪を生む》。

   『●《日本の刑事司法はおそろしいほどに後進的…代用監獄…
          人質司法》…さらに、司法取引まで投げ渡す大愚
   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や
             喪失、逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
   『●《良心に従い職権を行使する独立した存在》ではない
     大久保正道裁判長である限り、アベ様忖度な「行政判断」が続く
   『●《「自白の強要をされたという認識に変わりはない」と反論…
            いまだにこんな水掛け論になるのかと嘆かわしい》
    「《日本の刑事司法はおそろしいほどに後進的代用監獄人質司法
     …《日本の刑事司法制度は国際的水準に達していない》。
     「人質司法」は未だに《国際的にも悪評が高い》。
     《弁護士の立ち会い…多くの国・地域で認めている制度》である
     にもかかわらず、ニッポンでは認められていない。
     《録音・録画(可視化)》もほとんど進まず、
     《事後検証が不可能に近い》。《弁護士の立ち会いが任意段階から
     認められていれば、誤認逮捕という人権侵害もなかったはずだ》」

   『●木谷明さん《冤罪を回避するために法曹三者…
      無実の者を処罰しないという強い意志、意欲をもって仕事にあたること》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
            耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    《四十年間も潔白を訴えていた大崎事件(鹿児島)の原口アヤ子さんに
     再審の扉は開かなかった。最高裁が無実を示す新証拠の価値を
     一蹴したからだ。救済の道を閉ざした前代未聞の決定に驚く。
     「やっちょらん」-。原口さんは、そう一貫して訴えていた。
     殺人罪での服役。模範囚で、仮釈放の話はあったが、
     「罪を認めたことになる」と断った。十年間、服役しての
     再審請求だった…「疑わしきは被告人の利益には再審請求にも
     当てはまる。その原則があるのも、裁判所は「無辜(むこ)の救済」
     の役目をも負っているからだ。再審のハードルを決して高めては
     ならない》
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れている
     のか? 誤りを潔く認めるべきだ。山口正紀さん、《冤罪は警察・
     検察だけで作られるものではない。…マスメディアにも責任…。
     だが、だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、
     でっち上げを追認した裁判官だろう》。」

   『●《「証拠は再審請求の段階でも捜査側に偏在している」…検察は掌中の
         証拠をあまねくオープン》にするよう裁判所は訴訟指揮すべきだ

 布川事件桜井昌司さんは《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》…検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定しました。54年の苦難にとても報いることはできませんが、その一部に少しでも報いられたとしたら、この判決を歓迎すべきかと思いました。検察や警察は《判決の結果を真摯に受け止め》、二度とこのような冤罪被害者が出ないよう、改善を約束すべきです。そのために何をすべきかを明らかにすべき。

   『●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》
      …検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定

 一方…こんなことが許されていいのか! ―――――《官邸の忠犬政権の爪牙山口敬之氏の逮捕を潰した最重要キーマン》中村格氏が警察庁長官に…。前川喜平さん《中村の警察庁長官就任は、安倍・菅政権の腐敗を象徴する人事だ》。金子勝さん《権力に近ければ、罪を犯しても逮捕されない…公安警察・検察が安倍政権を支配していることに事の本質がある》。青木理さんは《…本来は一定の距離を保つべき政権と警察・検察が近づき過ぎるのは非常に危うい民主主義国家として極めて不健全な状態と言わざるを得ません》。

   『●アベ様が《新政権も警察権力も私物化する暗黒時代が始まる》、《官邸の
       忠犬…政権の爪牙…山口敬之氏の逮捕を潰した最重要キーマン》が…

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https://digital.asahi.com/articles/DA3S15046227.html?unlock=1#continuehere

元看護助手の無罪、滋賀県が判決否定 「心肺停止状態にさせたのは原告」
2021年9月17日 5時00分

     (記者会見する西山美香さん(左)と井戸謙一弁護士=大津市)

 滋賀県の湖東記念病院で2003年に死亡した男性患者への殺人罪で服役後、再審無罪が確定した元看護助手の西山美香さん(41)が国と県に計約4300万円の国家賠償を求めた訴訟で、県が無罪判決を否定する内容の主張をしていることが分かった。16日に大津地裁であった非公開の手続き後、原告側が会見で明らかにした。

 昨年3月の再審の無罪判決は、西山さんの捜査段階の自白について、取り調べた県警の男性刑事が西山さんの恋愛感情などを利用して誘導したと認定。被害者が致死性不整脈で死亡した可能性があり「殺害されたという事件性が証明されていないと結論づけた。無罪判決は翌月に確定した。

 だが、県は、15日に地裁へ提出した準備書面で「取り調べ担当官に好意と信頼を寄せて虚偽の殺害を自白することなど、根本的にあり得ない」とし、捜査の違法性を否定。「被害者を心肺停止状態にさせたのは、原告である」と主張した。

 再審の無罪判決で、裁判長は「取り調べや証拠開示などが一つでも適切に行われていれば、逮捕・起訴はなかったかもしれません」と説諭したが、「滋賀県警としては、承服し難い」とも反論した。

 西山さんは昨年12月、捜査の違法性を明らかにするとして、国賠訴訟を起こした。国は6月、「検事が有罪と認められる嫌疑があると判断したことには十分な理由があり、起訴の判断が合理性を欠くとはいえない」とし、検事の捜査に違法性はなかったとする書面を地裁に提出している。

 16日の会見で、西山さんは「県の書面の内容はうそで、怒り心頭だ」と語った。代理人の井戸謙一弁護士は「予想外で大変不当」と強調。県の準備書面について「無罪とした刑事確定判決の判断正面から否定するもの」「美香さんを再び馬鹿にし、その名誉を甚だしく毀損(きそん)するもの」などとし、県の代理人に撤回を求めたという。

 無罪判決をめぐっては、県議会で昨年6月、滝沢依子・県警本部長が代表質問に対し「結果として(西山さんに)大きなご負担をおかけし、大変申し訳ないと謝罪していた。県警監察官室は取材に対し、準備書面について「個別の案件についてはコメントを差し控える」とした。(安藤仙一朗)


■誤り認め検証を

元刑事裁判官の水野智幸・法政大法科大学院教授の話 民事裁判は、刑事裁判から独立して認定できるので、国や滋賀県がどのような主張をするかは法的に自由だ。ただ、無罪判決が再審で確定し、違法な捜査があったと認めている。無罪判決を否定するような主張をするのは、「私たちは納得していない」というポーズであり、間違いを認めない姿勢の表れだ。裁判が長引くと無罪になった人の負担が増え、救済も遅れる捜査機関側は素直に誤りを認めて謝罪し、事件を検証するべきだ
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●桜井昌司さん《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》…検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定

2021年10月10日 00時00分17秒 | Weblog

(20210914[])
中村真理記者による、アサヒコムの記事【「今が春」 冤罪で服役29年、末期がん…それでも開けた視界の先は】(https://www.asahi.com/articles/ASP9B656LP91OIPE01F.html?iref=pc_ss_date_article)。

 《「あれ、俺死ぬの怖くない」 がんで余命1年の宣告をうけたとき、桜井昌司さん(74)は気づいた。戦後7件目の冤罪(えんざい)布川事件で、強盗殺人罪で29年服役。獄中で父も母も亡くした。それでも「今が春」と笑う》。

 《冤罪で服役29年》《事件発生から54年の長い時間》…検察や警察の捜査の違法性を認め、国と茨城県の損害賠償が確定しました。54年の苦難にとても報いることはできませんが、その一部に少しでも報いられたとしたら、この判決を歓迎すべきかと思いました。検察や警察は《判決の結果を真摯に受け止め》、二度とこのような冤罪被害者が出ないよう、改善を約束すべきです。そのために何をすべきかを明らかにすべき。

   『●『冤罪File(No.10)』読了
   『●冤罪デモ
   『●『自然と人間2010年2月号』読了
   『●『冤罪ファイル(2010年10月号)』読了
    「里見繁氏、「布川事件再審公判傍聴記――確定判決から30年余り
     時を経て、今ようやく再審の幕が開いた――」。「この事件を一言で
     言えば「検察の証拠隠し」である。最新請求の審理の過程で百件を
     超える隠蔽証拠が開示された。…。一審から最高裁、再審請求の
     地裁から最高裁、合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を
     見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべき
     かもしれない」。「ところが警察と検察は、桜井さん、杉山さんの
     二人に結びつかない証拠はすべて隠した」。
     桜井昌司さんと杉山卓男さん」

   『●布川事件の記録映画、……そして、………………
    《布川事件、再審無罪 発生から44年 水戸地裁土浦支部
    《映画「ジョージとタカオ」を観て 刑事司法の病理を体現する
     ふたりの中年男》
    《水戸地裁土浦支部は05年、「鑑定書が確定審の審理中に提出されて
     いれば有罪認定に合理的疑いが生じた」と述べ、再審開始の決定をした。
     検察側は即時抗告したが、東京高裁は08年、11カ所の中断が
     みられる桜井さんの自白の録音テープについて「取調官の誘導があった
     ことをうかがわせる」と指摘。検察側が新たに開示した「現場宅で見た
     のは杉山さんらではない」とする目撃証言も考慮し「確定判決の判断を
     維持できない」と認定した。最高裁も09年に再審開始を認めた》
    《弁護側は、検察側が2人に有利な証拠を再審請求審まで明らかにして
     いなかったことを「証拠隠し」と非難。裁判所の責任についても
     「冤罪(えんざい)の根絶のため、有罪になった構造を解明すべきだ」
     と求めてきた》

   『●強大な氷山の一角としての冤罪発覚
   『●東電OL殺人事件元被告マイナリさん、
       冤罪15年間への償いはできるのか?
    《▼「新証拠なんかじゃない。検察が隠し持っていたんですよ」。
     決定後の記者会見で昨年、再審無罪になった布川事件の桜井昌司さんが
     憤っていた。血痕が付着したコートなどの不利な証拠を出し渋り、
     DNA鑑定にも二の足を踏んだ検察の姿勢が冤罪(えんざい)
     生んだのは明白だ》

   『●冤罪(その2/2): せめて補償を
   『●またしても裁判所は機能せず、闘いは高知高裁へ:
       高知白バイ「冤罪」事件、地裁が再審請求を棄却
   『●「戦後70年 統一地方選/その無関心が戦争を招く」
      『週刊金曜日』(2015年4月3日、1034号)
   『●「検察・警察も冤罪防止のために“前向き”」?
     …刑事訴訟法の「改正案が成立すれば、新たな冤罪を生む」
   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、
     証拠の隠蔽や喪失、逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
    《布川事件で再審無罪が確定した桜井昌司さん(72)の訴えを認めた
     二十七日の東京地裁判決は、警察官の違法な取り調べや検察官の
     証拠開示拒否などがなければ、「遅くとも控訴審判決(一九七三年)で
     無罪判決が言い渡され、釈放された可能性が高い」と捜査機関に猛省を
     促した。弁護団からは「画期的だ」との声が上がり、
     桜井さんは捜査機関の在り方を批判した》
    《桜井さんと同じ冤罪被害者も訴訟を支援した。大阪市の女児死亡火災で
     再審無罪となり、自身も国賠訴訟中の青木恵子さんは「桜井さんから
     希望をもらった」と喜んだ。いまだ再審の扉が開かれない袴田事件
     大崎事件に触れ、「順番に勝っていってもらいたい」と望んだ》

   『●飯塚事件…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、
     国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)
    「ついでと言っては何ですが…桜井昌司さんについて…
     《清水潔… 【放送告知】強盗殺人容疑で有罪判決を受け、
     罪を償わされてから冤罪が明らかになった男性をカメラが追いました。
     裁判の間違いを裁判所が認めるまでに38年。ようやく潔白を手に
     入れて今度は10年で末期がん宣告です。壮絶な人生を描く
     ヒューマンドキュメンタリー。》」

   『●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、
         検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》

 《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、検察の嘘を素通りさせた彼らこそ裁かれるべきかもしれない》。
 東京新聞の記事【布川事件訴訟、国と茨城県が敗訴 桜井さん「やっと解放」】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/130627)によると、《1967年に茨城県で起きた「布川事件」で強盗殺人罪に問われ、2011年に再審無罪となった桜井昌司さん(74)が、国と県に損害賠償を求めた訴訟で、検察や警察の捜査の違法性を認め、計約7400万円の支払いを命じた東京高裁判決が13日までに確定した。国と県が上告しなかった。桜井さんは同日、東京都内で記者会見し「事件発生から54年の長い時間を思うと、やっと解放され、ほっとしている」と語った。茨城県警は「判決の結果を真摯に受け止め、今後も引き続き、緻密かつ適正な捜査を推進していく」とコメントした》。

 《警察官のうそと検察官の証拠独占が冤罪を生む》――― 検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や喪失、逆に証拠の捏造…デタラメな行政。布川冤罪事件の桜井昌司さん、《警察官のうそと検察官の証拠独占が冤罪を生む》と。強大な権力には政治判断=忖度を乱発し、一方、弱者には厳格・冷酷な司法判断…最「低」裁を頂点とする司法の堕落。

 こういうことに恐怖を感じる。こんなことが許されるの!? ―――《官邸の忠犬…政権の爪牙…山口敬之氏の逮捕を潰した最重要キーマン》中村格氏が警察庁長官?
 日刊ゲンダイ【安倍政権時代の「官邸ポリス」が“論功行賞”で警察組織2トップに昇格の不気味】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/294620)によると、《警視庁の斉藤実警視総監は、庁内で「警備警察のエキスパート」と呼ばれてきた人物。早ければ9月中に退任するとみられ、後任には警察庁の大石吉彦警備局長が就任する予定だ。…さらには、警察庁も年末にトップが交代して、安倍氏と親密な元官邸ポリス」が長官に就きそうなのだ。一貫して警備畑を歩んできた警察庁の松本光弘長官の後任には、警察庁ナンバー2の中村格次長が昇格する》。
 アベ様がやりたい放題だ。

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https://www.asahi.com/articles/ASP9B656LP91OIPE01F.html?iref=pc_ss_date_article

「今が春」 冤罪で服役29年、末期がん…それでも開けた視界の先は
中村真理 2021年9月12日 9時30分

     (「布川事件」で再審無罪となった桜井昌司さん
      =2021年6月15日午後、名古屋市中区、岩下毅撮影)

 「あれ、俺死ぬの怖くない

 がんで余命1年の宣告をうけたとき、桜井昌司さん(74)は気づいた。戦後7件目の冤罪(えんざい)布川事件で、強盗殺人罪で29年服役獄中で父も母も亡くした。それでも「今が春」と笑う。

 今年4月、獄中で書きためた詩と人生をつづった本を出版した。作詞作曲から手がけたCDも発売した。各地でコンサートを開き、プロの歌手からも誘いがかかる。歌うのが大好きで、「夢は『紅白』と『徹子の部屋』に出ること」だ。

 2019年にトイレで出血し、直腸がんが判明。転移も見つかった。医師に「手術はできない」と言われ、翌年には余命1年と宣告された。

 「死ぬのか」。がんとわかり、真剣に考えてみた。獄中も含めた72年の人生について、死ぬことについて。「俺の人生、楽しかったな。ドラマチックで、他の人に生きられる人生じゃなかったよな」

 昔から特に死ぬことが恐怖だった。小学4年生の夏、テレビアニメで人が死ぬシーンを見ると、庭に飛び出してトマト苗の下に逃げ込んだ。刺すような太陽の明るさに「生きている」と感じてようやく安心した。

 「とにかく自分が消えることが震えるほど怖かった」


恐怖だった「死」、獄中で見つけた生き方とは

 20歳で逮捕されたときも、取り調べで死刑をちらつかされ、うその自白へ追い込まれていった

 「死ぬの怖くない」に至るまでの変化には、無実の罪に翻弄(ほんろう)され続けた桜井さんが見いだしてきた生き方がある。

 最初の転機は、無期懲役刑が確定した31歳だった。20歳で逮捕され、うその自白で有罪、しかも死刑に次ぐ最高刑が確定してしまった。無実を信じた母は前年に死亡。手を握ることもかなわないままだった。

 外の世界へ出ることを思い描いていたが、どうあがいたってもう出られない。「俺の人生は終わった」。暗闇に落ちたようだった。

 もがく中、ふと考えが切り替………
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●布川冤罪事件…《合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべきかもしれない》

2021年07月08日 00時00分11秒 | Weblog

(20210627[])
マガジン9のコラム【雨宮処凛がゆく! 第558回:コロナ禍、不自由な日々の中で突き刺さる「無実の罪で獄中29年」、桜井昌司氏の言葉。の巻】(https://maga9.jp/210519-1/)。

 《不満を燻らせていたところ、ガツンと頭を殴られるような一冊に出会った。それは4月に出版された桜井昌司さんの『俺の上には空がある広い空が』(マガジンハウス)。桜井昌司さんの名前を知る人はどれくらいいるだろう。彼は無実の罪を着せられ、29年間を獄中で過ごしたという「冤罪」の人だ。20歳から、29。20代、30代のすべてを、殺人の濡れ衣を着せられて刑務所で過ごさざるを得なかったのである。そうして事件から実に44年後の2011年、無罪が確定。すべての始まりは、1967年に起きた布川事件だった》。

   『●『冤罪File(No.10)』読了
   『●冤罪デモ
   『●『自然と人間2010年2月号』読了
   『●『冤罪ファイル(2010年10月号)』読了
    「里見繁氏、「布川事件再審公判傍聴記――確定判決から30年余り
     時を経て、今ようやく再審の幕が開いた――」。「この事件を一言で
     言えば「検察の証拠隠し」である。最新請求の審理の過程で百件を
     超える隠蔽証拠が開示された。…。一審から最高裁、再審請求の
     地裁から最高裁、合計二〇人の裁判官が揃いも揃って、冤罪を
     見過ごし、検察の嘘を素通りさせた。彼らこそ裁かれるべき
     かもしれない」。「ところが警察と検察は、桜井さん、杉山さんの
     二人に結びつかない証拠はすべて隠した」。
     桜井昌司さんと杉山卓男さん」

   『●布川事件の記録映画、……そして、………………
    《布川事件、再審無罪 発生から44年 水戸地裁土浦支部
    《映画「ジョージとタカオ」を観て 刑事司法の病理を体現する
     ふたりの中年男》
    《水戸地裁土浦支部は05年、「鑑定書が確定審の審理中に提出されて
     いれば有罪認定に合理的疑いが生じた」と述べ、再審開始の決定をした。
     検察側は即時抗告したが、東京高裁は08年、11カ所の中断が
     みられる桜井さんの自白の録音テープについて「取調官の誘導があった
     ことをうかがわせる」と指摘。検察側が新たに開示した「現場宅で見た
     のは杉山さんらではない」とする目撃証言も考慮し「確定判決の判断を
     維持できない」と認定した。最高裁も09年に再審開始を認めた》
    《弁護側は、検察側が2人に有利な証拠を再審請求審まで明らかにして
     いなかったことを「証拠隠し」と非難。裁判所の責任についても
     「冤罪(えんざい)の根絶のため、有罪になった構造を解明すべきだ」
     と求めてきた》

   『●強大な氷山の一角としての冤罪発覚
   『●東電OL殺人事件元被告マイナリさん、
       冤罪15年間への償いはできるのか?
    《▼「新証拠なんかじゃない。検察が隠し持っていたんですよ」。
     決定後の記者会見で昨年、再審無罪になった布川事件の桜井昌司さんが
     憤っていた。血痕が付着したコートなどの不利な証拠を出し渋り、
     DNA鑑定にも二の足を踏んだ検察の姿勢が冤罪(えんざい)
     生んだのは明白だ》

   『●冤罪(その2/2): せめて補償を
   『●またしても裁判所は機能せず、闘いは高知高裁へ:
       高知白バイ「冤罪」事件、地裁が再審請求を棄却
   『●「戦後70年 統一地方選/その無関心が戦争を招く」
      『週刊金曜日』(2015年4月3日、1034号)
   『●「検察・警察も冤罪防止のために“前向き”」?
     …刑事訴訟法の「改正案が成立すれば、新たな冤罪を生む」
   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、
     証拠の隠蔽や喪失、逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
    《布川事件で再審無罪が確定した桜井昌司さん(72)の訴えを認めた
     二十七日の東京地裁判決は、警察官の違法な取り調べや検察官の
     証拠開示拒否などがなければ、「遅くとも控訴審判決(一九七三年)で
     無罪判決が言い渡され、釈放された可能性が高い」と捜査機関に猛省を
     促した。弁護団からは「画期的だ」との声が上がり、
     桜井さんは捜査機関の在り方を批判した》
    《桜井さんと同じ冤罪被害者も訴訟を支援した。大阪市の女児死亡火災で
     再審無罪となり、自身も国賠訴訟中の青木恵子さんは「桜井さんから
     希望をもらった」と喜んだ。いまだ再審の扉が開かれない袴田事件
     大崎事件に触れ、「順番に勝っていってもらいたい」と望んだ》

   『●飯塚事件…《しかしもっと恐ろしいのは、そんな誤りを認めず、
     国家による殺人を無かった事にする国家の強引さだろう》(清水潔さん)
    「ついでと言っては何ですが…桜井昌司さんについて…
     《清水潔… 【放送告知】強盗殺人容疑で有罪判決を受け、
     罪を償わされてから冤罪が明らかになった男性をカメラが追いました。
     裁判の間違いを裁判所が認めるまでに38年。ようやく潔白を手に
     入れて今度は10年で末期がん宣告です。壮絶な人生を描く
     ヒューマンドキュメンタリー。》」

――――――――――――――――
https://www.ntv.co.jp/document/backnumber/articles/18940v6mzkfe29llw8xf.html

NNNドキュメント ’21

2021年4月18日(日) 24:55
濡れ衣
~闘い続ける余命一年

強盗殺人犯として逮捕された男。検察は都合の良い証拠だけを使い無期懲役判決が下る。29年間投獄された男は、仮釈放から14年後にようやく無罪となった。この「布川事件」で潔白を勝ち取った男だったが、今度はがんにより余命一年の宣告を受けた。今、残された時間で冤罪被害者を支援し、濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている。事件を20年以上追跡してきた日本テレビの映像により壮絶な人生に迫る。

ナレーター/石井康嗣  制作/日本テレビ  放送枠/30分

再放送
4月25日(日)5:00~/24:00~ 日テレNEWS24
5月2日(日)8:00~ BS日テレ
――――――――――――――――


 検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や喪失、逆に証拠の捏造…デタラメな行政。布川冤罪事件の桜井昌司さん、《警察官のうそと検察官の証拠独占が冤罪を生む》と。強大な権力には政治判断=忖度を乱発し、一方、弱者には厳格・冷酷な司法判断…最「低」裁を頂点とする司法の堕落。

 日テレNEWSの映像資料【冤罪「布川事件」 29年間を獄中で過ごした桜井昌司さんとジャーナリスト・清水潔に聞く】(https://www.youtube.com/watch?v=WueXQENEeYA)によると、《強盗殺人事件「布川事件」の犯人として濡れ衣を着せられ、29年間を獄中で過ごした桜井昌司さん。冤罪はどのようにして作られたのか? 日本の刑事司法の問題点は? ジャーナリスト清水潔さんとともに話を聞いた。 ※桜井さんの闘いを追ったNNNドキュメント【濡れ衣 ~闘い続ける余命一年~】は、5月15日からHuluにて配信予定》。


【冤罪「布川事件」 29年間を獄中で過ごした桜井昌司さんとジャーナリスト・清水潔に聞く】(https://www.youtube.com/watch?v=WueXQENEeYA

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https://maga9.jp/210519-1/

雨宮処凛がゆく!
第558回:コロナ禍、不自由な日々の中で突き刺さる「無実の罪で獄中29年」、桜井昌司氏の言葉。の巻(雨宮処凛)
By 雨宮処凛 2021年5月19日

 「この一年、コロナのせいで季節の思い出もイベントの思い出も何もない」
 「人生、むちゃくちゃ損してる気がする」

 そんな声を耳にすることがたまにある。

 私自身も、自粛自粛のかけ声の中、時々うんざりする気持ちが込み上げる。「人となかなか会えない」「会食もできない」「旅行もできない」「海外なんてもってのほか」という日々が一年以上も続いているのだ。多くの人がストレスを抱え、不自由さに理不尽な思いを募らせている。

 唯一、「よかったかも」と思ったのは、自分が40代であることだ。

 もし、私が20歳の頃にコロナ禍が起きていたら……。「遊びたい盛り」に在宅を命じられるストレスは今の何百倍にもなっていただろう。そう思うと、「若者の軽率な行動」がメディアでことさらに非難されていることに同情したいような気持ちも少し、沸き起こる。同時に思うのは、もし20代前半とコロナ禍がかぶっていたら、私は決して物書きにはなっていなかっただろうということだ。

 なぜなら、20代前半はバイトをしながら「何者かになること」を目指していた時期だったからだ。いろんなイベントや集まりに行って、すでに「何者か」である人たちとがむしゃらに知り合い、刺激を受けていた。誘われた会には極力顔を出し、自分の「やりたいこと」「できること」はなんだろうと日々模索していた。生活費は、バイトで稼いでいた。

 そんな生活をしていた頃、コロナ禍が直撃していたら。せっかく東京でいろんなチャンスを掴もうにも、人と会う機会もイベントもないのであれば、高い家賃を払って東京にいる意味がない。しかも生活費を稼ぐためのバイト先も壊滅的な打撃を受けている状態。おそらく、コロナ禍での東京生活は半年と持たずに実家の北海道に帰っていただろう。そう思うと、若い世代に与える影響は、上の世代以降とは桁外れのものに思えてくる。

 それでも、40代の私も「損失」を日々感じている。

 軒並み中止となった講演会で、思いを共にする人々と出会う機会がなくなった(なのでたまにリアル講演会があるとすごく嬉しい)。コロナ前はよくしていた路上飲みもしていない。何より、人と会っていないので、気を抜くと「自分だけ仲間はずれにされている」感覚に陥ってしまう。何か「忘れ物」をしているような、宙ぶらりんな喪失感。そんなものを一年以上、抱えている。

 不満を燻らせていたところ、ガツンと頭を殴られるような一冊に出会った。それは4月に出版された桜井昌司さんの『俺の上には空がある広い空が』(マガジンハウス)。

 桜井昌司さんの名前を知る人はどれくらいいるだろう。彼は無実の罪を着せられ、29年間を獄中で過ごしたという「冤罪」の人だ20歳から、29年20代、30代のすべてを、殺人の濡れ衣を着せられて刑務所で過ごさざるを得なかったのである。そうして事件から実に44年後の2011年、無罪が確定

 すべての始まりは、1967年に起きた布川事件だった。今から54年前の8月、茨城県北相馬郡利根町布川で当時62歳の男性が殺され現金が奪われたのだ。

 同年10月、逮捕されたのが当時20歳だった桜井さんと、当時21歳だった杉山卓男さん。厳しい取り調べの中、あの手この手で自白を強要され、桜井さんは嘘の自白をしてしまう。そうして桜井さんと事件を結びつける物証はひとつもないにもかかわらず、無期懲役が確定してしまったのだ。

 20歳から29年間、自分がやってもいない殺人の罪で囚われの身となる――。誰にとっても、「人生で絶対に起きてほしくないことナンバーワン」ではないだろうか。しかし、桜井さんのすごいところは、それでも決してくじけなかったことだ。31歳で無期懲役が確定した時はさすがに「これで俺の人生は終わった」と思ったものの、前向きな気持ちを取り戻す。「今日という日は社会にいても刑務所にいても、どこで過ごしても一日しかない。ならば刑務所へ行っても、一日一日を人生の一日限りの今日として大事に生きよう」と決めたのだ。

 そうして「今なすべきことを全力でなせ」という思いで生きてきた。それまで一度も真面目に働いたことがなかったという桜井さんは、「刑務所では真面目に働いてみよう」と決め、靴工場で誰にも負けない作業量をこなした。それ以外にも父に仕送りするため、自己労作と呼ばれる「内職」もする。

 しかし、理不尽に獄中に囚われる日々の中、時々、「頭が爆発してしまう」ほど「自由になりたい!」という思いが押し寄せることがあったという。そんな時、桜井さんは深呼吸して、「俺の上には空がある。広い空がある。自由な空がある」と心を鎮めたという。

 そんな獄中生活を支えたのが、桜井さんの無実を信じる弁護団と支援者たち。が、再審請求は何度も棄却されてしまう。

 事件から29年後、仮釈放となって「シャバ」に。獄中にいる間に、母も父も亡くなっていた。が、無実の自分を信じ、見返りを求めず支援してくれた人々を裏切らないよう誠実に生きていくことを決め、地元の工務店で働く。99年には支援者だった女性と結婚し、01年、54歳の時には第二次再審請求。05年、再審開始が決まり、事件から44年後の11年、64歳でやっと無罪が確定したのだ。

 桜井さんと初めて会ったのは、4年前。17年5月に日比谷公園で開催された集会でのことだった。この日集まったのは、桜井さんの他に、90年、栃木で起きた「足利事件」で女児殺しの犯人にでっち上げられて17年を獄中で過ごした菅家利和さん(2010年、再審で無罪が確定)。63年、女子高生が殺害された「狭山事件」で逮捕され、31年間も獄中生活を送った石川一雄さん(再審請求中)。そして66年、一家4人が殺害された「袴田事件」で犯人とされ、48年も獄中に囚われていた袴田巌さんの姉・秀子さん。

 この4人を合わせた獄中生活の期間、なんと125年!

 「冤罪オールスターズ」と呼びたくなる面々が集まり、いまだ無罪が確定していない石川一雄さんの無実を訴えたのだった。

 その時会った桜井さんの印象は、一言でいうと「メチャクチャ明るい人」。ハイテンションで常にみんなを笑わせるムードメーカー的存在。しかも歌が好きで、なぜかCDデビューまで果たしているということだった。

 そんな桜井さんが癌の告知を受けたことを最近、テレビ番組で知った。ステージ4の直腸癌で、何もしなければ余命一年だという。桜井さんはこれまでの人生を考えた時の心境を、本書で以下のように書いている。

 「20歳で冤罪となって29年間の獄中生活、社会に戻り結婚。詩集と自作のCD作成、善意の弁護団と支援者に支えられての再審無罪、ドラマチックな数々の出来事を思うと、『俺の人生は楽しかった、満足だった、有り難かった』と思えた。このまま死んでも充分笑って死ねると思ったのだ」

 桜井さんは満足していても、やっぱりもっと、生きてほしい。そして冤罪についてだけじゃなく、桜井さんの超絶ポジティブなメンタルの保ち方について、もっともっと、発信してほしい。もっと詩も作ってほしいし歌ってほしい。勝手ながら、そう思う。

 桜井さんは現在、74歳。この6月、桜井さんが国家賠償を求めた控訴審の判決が出る予定だ。

 まずは判決を見守りたいと思っている。そしてぜひ、多くの人に、本書を読み、桜井さんの言葉に触れてほしい。

 「一度限りの人生と今日。ならば明るく楽しく」

 囚われの身だった桜井さんの言葉には、コロナ禍を乗り切るためのヒントが詰まっている。

     (「冤罪オールスターズ」の皆さんと。左から、桜井さん、
       袴田秀子さん、菅家さん、石川一雄さん、私)


雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。格差・貧困問題、脱原発運動にも取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『ロスジェネのすべて』(あけび書房)、『相模原事件裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)。「反貧困ネットワーク」世話人、「週刊金曜日」編集委員、フリーター全般労働組合組合員。
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●《映画批評や社会活動をしてきた》「映画アクティビスト」木下昌明さん…《資本主義は人の命を食い物にしなければ生き延びられない》

2021年03月03日 00時00分15秒 | Weblog

(2020年12月28日[月])
志真秀弘さんによる、レイバーネットの追悼記事【〔週刊 本の発見〕70の坂を駆け登っていった〜木下昌明の本から】(http://www.labornetjp.org/news/2020/hon184)。

 《木下昌明さんが12月6日に亡くなった。享年82歳。 追悼の想いを込めてあらためて彼の著書を紹介したい》。

 先月、「映画アクティビスト」木下昌明さんがお亡くなりになりました。いつも、レイバーネットの映画評『木下昌明の映画の部屋』をとても楽しみにしていました。もう読めないのかと思うと、とても残念です。
 なぜ、『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』を購入したのかを思い出せません。「素晴らしい評論集。あまりタイトルについて深く考えずに読み始めた後、日本人論であることに気付く。深い。特に、労働者の視点が著者の特徴か。…非常に鋭い侵略戦争批判が随所に。」…とメモにあるが、どこで購入したのかも思い出せない。何かのキッカケで、レイバーネットの映画評を読み始めたためか。『週刊金曜日』でお名前を覚えたのかも。

   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(1/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(3/3)
   『●木下昌明さんの新刊『映画は自転車にのって』
   『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評
   『●「浪江町で300頭の牛を一人で飼っている
        牧場主の吉沢正巳さん」国会前スピーチ
   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
     「こんな巨大な事件が、…日本人としての資質が問われる」
   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
      映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●終わらない原発人災の影響:
     「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」
   『●木下昌明さん、壊憲された「「憲法」に呪縛されて
       原発国家を推進する安倍自民党の奴隷となる日」
   『●東電原発人災から『X年後』でも同じことが…
      「死は個人の不摂生のせい」に、そして、「上から口封じ」
   『●「赤紙」の来る時代…
     綿井健陽さんの「“平和”のありがたさをしみじみとかみしめたくなる映画」
   『●「それは風評でなくて現実だ」: 東電核発電人災の
       「大地を受け継い」だ人々の葛藤、引き裂かれた心
   『●「死刑という刑罰」: 飯塚事件では「冤罪被害者」を死刑…
            「冤罪被害者」の命を、最早、償いようもない
   『●ガジュマル:瀬長亀次郎さん「不屈」の精神…
     「忖度政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない」
   『●「自由新聞(フライエ プレッセ)!」と「下足番」新聞:
                  主犯の「A」(A夫妻)が抜けている
   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…「国を相手に
        ケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
    「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 250回/
     原発事故に翻弄された14人~土井敏邦監督『福島は語る』】
     …。《映画は、生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄された
     14人の被災者に焦点を当てている。…暮しの中から被災後の困難を
     浮かび上がらせているのが特徴だ》」

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●「事実無根のデマ」…「もしこれが立件されれば、
       長谷川氏逮捕や花角新知事辞任の事態もありうるだろう」
   『●木下昌明さん《あの黒く目隠しされた羊…
     実は何も知らないで日々を送っているわたしたちのことではないのか?》
   『●『i -新聞記者ドキュメント-』…《「i」…一人ががんばれば
     みんなもがんばる――映画はそのことを教えてくれる》(木下昌明さん)
   『●ウチの首相は《対策の不備…科学的根拠の欠如…的外れ》など批判の山
        …文化・民度・首相のレベルに彼我の差を感じずには要られない
   『●木下昌明さん《ケン・ローチの『家族を想うとき』はすごい。
      しかし、働くものにとってはやりきれなさが残るかもしれない》
   『●《省エネの進展と再生可能エネルギーの増加で原発が稼働しなくても
     電力不足は生じず、温暖化対策も両立できる》…トドメは刺されている
   『●《映画批評や社会活動をしてきた》木下昌明さん…《あるところで
      「映画アクティビスト」と紹介…本人はとても気に入っていました》

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http://www.labornetjp.org/news/2020/hon184

〔週刊 本の発見〕木下昌明の本『ペンとカメラ』『〈いのち〉を食う』

週刊 本の発見 毎木曜掲載・第184回(2020/12/17)

70の坂を駆け登っていった―木下昌明の本から
『ペンとカメラ-時代と生きる』(2017年)『〈いのち〉を食う-3・11後の映画と現実』(2014年)〔いずれも1800円、績文堂出版刊〕評者:志真秀弘

 木下昌明さんが12月6日に亡くなった。享年82歳。追悼の想いを込めてあらためて彼の著書を紹介したい。著書を順にあげると『映画批評の冒険』(1984年、創樹社)、『スクリーンの日本人―日本映画の社会学』(1997年、影書房)、『映画と記憶―その虚偽と真実』(2002年、影書房)、『映画がたたかうとき-壊れゆく〈現代〉を見すえて』(2004年、影書房)、『映画は自転車にのって』(2010年、績文堂)となり、続いて表題にあげた2冊が加わる。

 どれから読むかを問われるなら、タイトルにあげた2冊から、つまりおしまいから出発へと遡るように読んでほしいと応えたい。

 『〈いのち〉を食う』のまえがきにこう書かれている。「3・11後、世界は大きく様変わりした」、人間も地球の生態系のひとつとして捉えなければこの危機に対処できない、そこで状況に介入し、文学・映画・テレビ・思想などジャンルを問わず追求する、と。枠を取っ払って縦横に批評する考えだ。その通りに、本文では『100000年後の安全』『イエロー・ケーキ』『ザ・テイク』などと並んでテレビドキュメンタリー『ETV特集・放射能汚染地図』も取り上げられている。3・11後世界は変わり、資本主義は人の命を食い物にしなければ生き延びられないことを、この本で木下は繰り返し主張する。このときすでに新自由主義の本性を、彼は捉えていた変化を敏感にとらえる彼の柔軟な思考は、この本からも読み取ることができる。加えてこのときから行動力に拍車がかかった

 3・11以降、毎週金曜日、彼は国会前集会に出かけ、カメラを回し、記事と動画を〈レイバーネット〉に投稿した。「報道陣に邪魔者扱いされても飄々と家庭用カメラを構える姿を、私は何度か見た」と土屋トカチが書いている(『週刊金曜日』)。

 カメラを握ったのは、しかしこのときが最初ではない。長時間労働で疲れ果てた娘に危機感を覚え、労働時間を記録するため「深夜から明け方まで寝ぼけ眼で」写した『娘の時間』(2003年)が初めての作品で、それは年に1度のレイバーフェスタ〈3分ビデオ〉に応募され、柱時計のシーンに切迫感と愛情が滲んで好評だった。それから『続・娘の時間』(04年)『息子の場合』(05年)と毎年応募したが、これらの作は国会前集会の映像記録と共に『〈いのち〉を食う』の付録DVD「木下昌明3分ビデオ選集」に収録されている。

 『ペンとカメラ』冒頭の「インターネットの活動に参加して」にはこうした闊達な行動に、彼の考えるネットの可能性が重ねて語られ興味深い。その上で彼は映画の人であり、映画を通して考えていた。ここにあげた2冊の本もそれを示す。とりわけ今世紀に入ると、誰がみても木下の映画批評は抜きん出ていた

     (*国会前の木下さん(2012年))

 2012年晩秋、彼にがんが見つかる。医師との面談をビデオに収め、関連書を読み、彼はがん医療のあり方と自分の行く末を模索し、批評も医療のあり方にまで及んだ。「余命1年」を幾度も宣告された。が、生き延びて映画『がんを育てた男』(松原明佐々木有美、2016年)の主人公に彼はなる。そんな木下を鎌田慧は「転んでもただでは起きない、ドキュメンタリー精神だ」(『東京新聞』)と評した。『ペンとカメラ』で『標的の島風かたか』(三上智恵)の批評が印象的だ。高江のたたかいで山城博治・平和運動センター議長(彼もガン患者)は機動隊員が襲いかかって女性の首にロープが絡まった瞬間、「敗北宣言」をして号泣する。木下はそこに「敗れても敗れてもたたかう非暴力精神のなんたるかをみた」。そして木下の非暴力思想も、花田清輝、柾木恭介をはじめとする芸術運動由来で、筋金入りだった。

 3・11以後ペンに加え、カメラも手にして、敵に厳しく、仲間である虐げられたものにはどこまでも愛情溢れる批評世界を作っていく。がんを抱えたことで世界と社会にとどまらず、人間の生き死ににまで木下の視線は届くことになる。そして彼の立脚点は、どこまでも今どうするかにあった。

 木下は、労働者文学賞の選考委員として、毎年多数の応募作品を読み、懇切な批評をし、選考をしていた。シアターΧ(カイ/東京・両国)の花田清輝に因むイベント企画にも上田美佐子、小沢信男、西田敬一氏等と協働して当たっていた。それにとどまらず、議論白熱の共同作業が木下は大好きだった。彼の後期3冊の編集時の目を三角にしてのやりとりが、今脳裏に蘇る。

 振り返ると、著書7冊のうち3冊は彼70代の作。60年安保闘争の頃ビン工場の検査工だった若者が日本文学学校の門を叩いた。そして幾星霜、かれ木下昌明の創造力は年を経てなお高まり、70の急坂をものともせず、がんを道連れに駆け登り、味わいある映像と文章とを遺して、消えていった。この生涯、あまりにもかっこ良すぎるではないか。

↓本の入手は 績文堂出版 12.26レイバーフェスタ会場でも販売します。


*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。
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●《映画批評や社会活動をしてきた》木下昌明さん…《あるところで「映画アクティビスト」と紹介…本人はとても気に入っていました》

2020年12月18日 00時00分04秒 | Weblog

(2020年12月15日[火])
レイバーネットの二つの記事【「映画アクティビスト」木下昌明さん、旅立つ〜家族・友人に見守られて】(http://www.labornetjp.org/news/2020/1212kinosita)と、
【木下昌明さんを追悼する〜とても柔軟な優しい感性】(http://www.labornetjp.org/news/2020/1214kinosita)。

 《娘の説子さんは「病状の経緯」を 詳しく語りました。それはたんなる病状報告ではなく、そのとき木下さんが何を 考え語っていたか、どんな思いだったか。(松原明)》。
 《木下昌明さんを追悼する(山口正紀土屋トカチ・高橋省二・内藤洋子・林田英明・しまひでひろ)…木下さんが12月6日に亡くなってから、レイバーネットのメーリングリストをはじめ、たくさんの追悼の言葉が寄せられています。その一部を紹介します。(編集部)》。

 木下昌明さんが12月6日にお亡くなりになったそうです。レイバーネットの映画評『木下昌明の映画の部屋』をとても楽しみにしていました。ご冥福をお祈りします。

   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(1/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(3/3)
   『●木下昌明さんの新刊『映画は自転車にのって』
   『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評
   『●「浪江町で300頭の牛を一人で飼っている
        牧場主の吉沢正巳さん」国会前スピーチ
   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
     「こんな巨大な事件が、…日本人としての資質が問われる」
   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
      映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●終わらない原発人災の影響:
     「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」
   『●木下昌明さん、壊憲された「「憲法」に呪縛されて
       原発国家を推進する安倍自民党の奴隷となる日」
   『●東電原発人災から『X年後』でも同じことが…
      「死は個人の不摂生のせい」に、そして、「上から口封じ」
   『●「赤紙」の来る時代…
     綿井健陽さんの「“平和”のありがたさをしみじみとかみしめたくなる映画」
   『●「それは風評でなくて現実だ」: 東電核発電人災の
       「大地を受け継い」だ人々の葛藤、引き裂かれた心
   『●「死刑という刑罰」: 飯塚事件では「冤罪被害者」を死刑…
            「冤罪被害者」の命を、最早、償いようもない
   『●ガジュマル:瀬長亀次郎さん「不屈」の精神…
     「忖度政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない」
   『●「自由新聞(フライエ プレッセ)!」と「下足番」新聞:
                  主犯の「A」(A夫妻)が抜けている
   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…「国を相手に
        ケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
    「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 250回/
     原発事故に翻弄された14人~土井敏邦監督『福島は語る』】
     …。《映画は、生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄された
     14人の被災者に焦点を当てている。…暮しの中から被災後の困難を
     浮かび上がらせているのが特徴だ》」

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●「事実無根のデマ」…「もしこれが立件されれば、
       長谷川氏逮捕や花角新知事辞任の事態もありうるだろう」
   『●木下昌明さん《あの黒く目隠しされた羊…
     実は何も知らないで日々を送っているわたしたちのことではないのか?》
   『●『i -新聞記者ドキュメント-』…《「i」…一人ががんばれば
     みんなもがんばる――映画はそのことを教えてくれる》(木下昌明さん)
   『●ウチの首相は《対策の不備…科学的根拠の欠如…的外れ》など批判の山
        …文化・民度・首相のレベルに彼我の差を感じずには要られない
   『●木下昌明さん《ケン・ローチの『家族を想うとき』はすごい。
      しかし、働くものにとってはやりきれなさが残るかもしれない》
   『●《省エネの進展と再生可能エネルギーの増加で原発が稼働しなくても
     電力不足は生じず、温暖化対策も両立できる》…トドメは刺されている

 レイバーネットの【太田昌国のコラム : 免田さんの死を受けて、「死刑」の状況について】(http://www.labornetjp.org/news/2020/1210ota)によると、《このレイバーネットのウェブ上に「木下昌明の映画の部屋」というコラム欄で映画評を書き綴ってこられた木下昌明さん(写真右)が亡くなられた。私は、単行本にまとめられた幾冊もの木下さんの映画評をずっと読んできていた。2017年の第7回死刑映画週間にはゲストとして来ていただいた。ヴァンサン・ペレーズ監督『ヒトラーへの285枚の葉書』(2016年)上映後、30分間ほどのお話しをしてもらった。ナチス支配下、息子の戦死を契機に父親がひとりで始めた反ナチスの活動から――妻は当初それに反対していたが、やがてふたりは協働するようになる――「一人でも行動する」ことの意味を取り出すお話だった。折から政府・自民党が企図していた共謀罪制定の動きを背景に置くと、遠い国の、過去の話に終わるものではないことが実感された。またお招きしようという思いは叶わなくなった》。

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http://www.labornetjp.org/news/2020/1212kinosita

「映画アクティビスト」木下昌明さん、旅立つ

「映画アクティビスト」木下昌明さん、旅立つ

 木下昌明さんの葬儀は「若松地域センター」(東京・新宿区)で滞りなく終了 し、木下さんは家族8人(息子・娘夫婦と孫4人)と友人たちに見守られて、旅立ちました。

 12月10日は午後6時から7時までの間に「面会式」(通夜)が行われました。木下さんの顔はとてもつやつやできれいで、生きているようでした。一番好きだった「とん久」のトンカツが脇に置かれていました。また木下さんを描いた「がんを育てた男」や木下さん制作の「娘の時間」など「3分ビデオ集」が脇の大スクリーンに音無しで流されました。この日は、昔の仲間や今のレイバーネットの仲間など、約20人が 参列しました。会場には木下さんの著作や38歳で亡くなった妻・教子さんの若々しい写真が飾られていました。

 6時半すぎから、喪主の挨拶がありました。娘の説子さんは「病状の経緯」を 詳しく語りました。それはたんなる病状報告ではなく、そのとき木下さんが何を 考え語っていたか、どんな思いだったか。一緒に映画を観たときの話。「父はすべての体のエネルギーを使いつくし、父らしく亡くなりました」と語りました。父親の生き方・死に方が具体的に迫ってくる感動的な18分の報告でした。そのあと最後に3分ビデオ「三分間の履歴書」を音をきちんと出して上映しました。レイバーフェスタ2006に上映した作品で、木下さんが自らの半生を描いたものです。参列者を映像を食い入るようにみながら、追悼しました。

 翌11日10時からは「告別式」が行われました。家族葬でしたが、友人がやはり20人ほど参列しました。式は「浄土真宗本願寺派」の仏式で、僧侶がお経を読みました。戒名はありませんでした。焼香、棺への花入れと進みいよいよ出棺です。

 最後に喪主の木下和民さんが原稿を手に挨拶に立ちました。まず家族一人ひとりに、これまで支えてくれたことへのお礼を「こんなことがあったね」と具体的に述べました。原稿を読み進めるうちに、和民さんは感極まって嗚咽してしまいました。そして最後に父に語りかけました。「父へ。母をなくし一人で育ててくれた2人の子どもは、こんなに優しい家族と共に幸せな人生を歩んでいます。どうか安心して母のもとへ旅立ってください。今まで本当にありがとうございました」。

 子どもたちは、仕事をしながら一人で二人の子育てをし、映画批評や社会活動をしてきた父親・木下昌明さんの生き方をしっかり受けとめていました。参列者はシニアばかりでしたが、木下ファミリー8人は若く未来を感じました。とてもさわやかな「見送り」になりました。参列者から声が聞かれました。「木下さんの生き方・死に方は素晴らしい。私もああなりたい」と。(松原明


〔追記〕木下さんは「映画批評家」と呼ばれることが多いですが、自らビデオカメラで映像も撮っていました。あるところで「映画アクティビスト」と紹介されたことがあって、本人はとても気に入っていました。そこでこの記事では「映画アクティビスト」と表記しました。

     (2012年10月29日南会津町で、当時74歳。撮影=shinya)

〔参考リンク〕
12.6訃報記事
木下昌明さん追悼(6人紹介)
9.5「あるくラジオ」で語る
「木下昌明の映画の部屋」最終回
映画『がんを育てた男』HP
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http://www.labornetjp.org/news/2020/1214kinosita

木下昌明さんを追悼する(山口正紀・土屋トカチ・高橋省二・内藤洋子・林田英明・しまひでひろ)

<木下昌明さんを追悼する>

 木下さんが12月6日に亡くなってから、レイバーネットのメーリングリストをはじめ、たくさんの追悼の言葉が寄せられています。その一部を紹介します。(編集部)


●とても柔軟な優しい感性
山口正紀

 木下昌明さんの訃報を受け取ってから、ショックのあまり頭がボーっとしていました。松原明さんから「木下さんが体調を崩して入院された」とはうかがっていましたが、これほど急に逝かれるとは、そんなに悪かったとは。昨夜はお通夜のようなつもりで、ちょうど3カ月前に放送された「あるくラジオ」で木下さんの声を繰り返し聞いていました。パソコンから流れる声もお話しぶりも、ほんとうに元気そのもので、とてもわずか3カ月後に急逝される方のお話とは思えません。

 木下さんと初めてじっくり話させていただいたのは10年前の2010年7月、レイバーネットTVの第1回放送の時でした。木下さんが映画評「今月の1本」を、私が「ピリ辛コラム」を担当しました。終わった後、四谷の小さな中華料理屋さんで打ち上げになったのですが、メンバーの中では「高齢」に属する木下さんと私が隣合わせに座り、映画のことから運動のことまで、あれこれと話したことを覚えています。木下さんのことは、以前から『思想運動』紙上やHOWSの集まりなどで、映画について書かれたものを読んだり、お話をうかがったりしていたのですが、身近にお話させていただいたのはその時が初めてでした。

 それ以後、レイバーネットTVの放送のたびにお会いし、何度もいろんな話を聞かせてもらいました。それまでの予備知識では、木下さんはかつて『新日本文学』の編集部にいて、大西巨人、武井昭夫、花田清輝さんら錚々たる戦後文学の巨人たち(いずれも私が敬愛する方々です)と一緒に仕事をされていた「すごい人」であり、私にとってはある意味で1960年代の「オールド左翼」でした。ところが、実際に会って話してみると、実に気さくな方で、聞き知っていた経歴のような「すごい人」ぶりをまったく感じさせない「少し歳の離れたアニキ」(11歳上です)のような印象を受けたものです。「天皇制批判」の話題などでは、年下の私の話でもていねいに耳を傾けてくださり、「そうか、そういうことか」と相槌を打ってくださいました。敬愛する大西巨人さんが亡くなられた時、追悼文を『思想運動』に書かせてもらったのですが、それを読まれた木下さんが「山口さんの記事、良かったよ。大西さんの作品(神聖喜劇)を自分の体験と重ねて書いていて、共感が持てた」とほめて下さったことを今もうれしく覚えています。

 最初に抱いた「オールド左翼」はまったく私の予断で、「教条主義」のかけらもない、むしろ「私の方が左翼主義かもしれない」と反省させられるような方でした。特に惹かれたのは、とても柔軟な優しい感性です。それは何よりも映画の見方によく表れていて、一貫して、弱い立場に置かれた人、労働者や女性、過酷な運命に抗う人に寄り添うようにして映画を語っておられました。私も若いころから映画好きな方で、新聞の映画評もよく読みますが、木下さんのような視点で書かれた映画評は初めでした。木下さんは7冊の映画評論集を出されています。そのどれも夢中で読み進み、読み終えたシリからその映画を観たくなるような楽しい批評でした。その一方で、労働者の階級的な見方が自然と体に染みついた人です。

     (*自宅で「あるくラジオ」収録中)

 木下さんは「あるくラジオ」で、「コロナ対策」をめぐる「生命か経済か」という議論について、「命を食うのが経済」とし、「生命か経済か」という議論は成り立たないと断言されました。定時制高校に通いながら少年工として働き闘った経験が、そんな透徹した見方を形作ったのだと思います。木下さんはやはり「あるくラジオ」の中で、ドキュメンタリー映画について、「一緒に闘わなければ映画は出来ない」とおっしゃっていました。その視点は、たとえばケン・ローチの劇映画に対する高い評価にも共通していた、と思います。

 「がん」についても、木下さんは、私にとって得難い「先輩」でした。ビデオプレスの『がんを育てた男』は、多くのがん患者に勇気を与えた(と信じる)傑作です。「がん」に正面から向き合い、まるで「おでき」か何かのように自分の体の中で「育つがん」を見守り、それについてひょうひょうと語る木下さん様子は、がんの深刻さを、「がんも人が生きるということの一つなんだよね」と相対化する視点を示してくださったと思います。2年3か月前、私も「肺がん患者」になり、しかも「手術も放射線治療もできないステージⅣ」と宣告された時、パニックにもならず、「そうか、そういうこともあるんだろうな」と受け止めることができたのは、どこかで映画の中の木下さんの影響を受けていたのだと思います。

 木下さんと最後にお会いし、お話したのはちょうど1年前のレイバーフェスタでした。『がんを育てた男・その後』が上映され、その映画に私も登場していたことから、木下さんと私がステージに上がり、2人で「がん談義」をするはめになりました。たくさんの人の前で自分のがんの話をするとは思ってもいないことでしたが、木下さんの「がんとの付き合い方」を学んで、私もがんを相対化する視点を少しずつ身につけることができたのだと思っています。ただその後、木下さんとお会いすることは出来ないままになってしまったのが、ほんとうに心残りです。

 今年1月末、私は重度のインフルエンザと肺腺がんに起因する多発性脳梗塞を起こして救急車で運ばれ、リハビリも含めて2か月近い入院生活を余儀なくされました。幸運なことに後遺症はほとんどなく、抗がん剤の副作用以外、日常生活に支障はありませんが、退院後はコロナ禍に自由を奪われてしまいました。医師から「末期肺がんと高齢(!)の超ハイリスク」として外出を厳しく制限されています。会食はもちろん、会合、集会、講演会なども出かけたい気持ちを抑えるのに苦労する毎日です。そんなこともあり、「木下さんが来られるようだ」と聞いたレイバーネットTVの観覧に出かけることもできず、この1年を過ごしてきました。

 実際、私以上に深刻な病状を抱えておられた木下さんが、コロナの脅威の中、可能な限り外出を心がけておられたのは、ほんとうに驚異的なことです。1年前のレイバーフェスタの時、木下さんから「山口さん、記事を書いてるかい? つらい時もあると思うけど、体調のいい時には、とにかく書きたい記事を書いた方が良いよ」とアドバイスされました。「歳の離れたアニキ」の言葉が胸にしみました。ご自身、最後まで「書きたいことを書く」人生を送られた木下さんです。ほんとうに、ありがとうございました。


●「映画の見方・作り方、そして生き方」を学ぶ
土屋トカチ

 木下昌明さん、本当にお世話になりました。先日12/1放送の「あるくラジオ」でも話しましたがあなたにお会いし、最初の作品「窓越しに出会った」を激賞していただいたことが私を映画制作の世界へ導いてくれました。聴いてくれてたかしら。映画の見方・作り方、そして生き方を学ばせていただきました。

 映像を始めた頃から、父を早く亡くした私には親父のように慕っていた方が二人います。国労の佐久間忠夫さん。そして、木下昌明さんです。お二人ともあの世に行ってしまった。でも、心の中ではこれからも共に…。たぶん、あの世でも自転車をこいで映画を観にいくのかなー。ありがとうございました。


●生きざまを曝け出した創造と批評
高橋省二

 木下昌明さんの訃報に接し、家族ともども驚き悲しんでいます。家族葬ということゆえ、自宅にて冥福を祈りながら連れ合いとともに木下さんの波瀾万丈の82年の生涯を偲んでいます。(連れ合いも肺がんを患い手術した経験があるだけに)話題は、もっぱらガンになられて以降の彼の活躍と生き方について、彼から多くのことを教えられたことでした。

 1つは、「3分間ビデオ制作」を、(だれもが自らの視点で身の回りの生活や労働、活動を記録する)「労働者通信」運動だと高く評価し、自らも毎年、家族や自分の姿を描いた秀作を発表され、その延長線にあの名作『がんを育てる男』が生まれたことでした。

 2つめは、運動の現場にビデオを片手に足を運び、どこにでも自転車で走って映画を観て歩く【永遠の映画少年】であるとともに、独学の研究心と知性、根っからの労働者魂とインターナリズムの精神を兼ね備えた稀有な【映画評論家】だったといえます。

 3つめは、運動的視点からの助言、提言は、上から目線ではなく常に友情に溢れたものでした。私が『思想運動』紙にルポ「人を喰った魚~築地市場移転騒動の巻~」を連載した際に、真っ先に電話を頂き、「読ませてもらったよ。暮れのレイバーフェスタに講談にして語ってみたら面白いんじゃない」と勧めて頂き、2ヵ月後に講談にして発表することになりました。このことが、この秋に制作したDⅤD「講談で核を語る」にも収録したのビキニ被曝、福島原発事故の創作講談2作につながることになりました。

 4つめは、どうせ1度きりの人生なんだから、財もなければ名誉もないプロレタリアートは、自分の生きざますべて曝け出して創造と批評をしなければ、敵に一矢も報いることが出来ないことを、身をもって実践し、われわれ後輩に教えてくれたことです。ペンと口とカメラさえあれば、なんでも言える、なんでも表現できることを身をもって教えてくれたと、いえます。全身ガンに侵されながらも、最後までペンを放さず、全てのエネルギーを使い果たして永遠の眠りに逝かれた木下さんのご冥福を祈るとともに、長年の友情に感謝の気持ちでいっぱいです。


●生きることは誰かと関心を分かち合うこと
内藤洋子

 『月刊東京』(2020年12月号)に掲載された木下さんの最後の「連載・映画から見えてくる世界」が、レイバーネットの「木下昌明の映画の部屋(270回・最終回)」に転載されています。読ませていただきました。絶筆になることを木下さんは意識しておられたのか、いつも以上に、文章に込められた熱いものを感じ、胸打たれました。私は木下さんの死に、誤解を恐れずに言えば、清々しさを感じています。彼のように生を全うするのは並大抵にできることではありませんが、にもかかわらず、がんとの厄介な闘いを抱えつつも、権力と闘うことを何ら特別なこととせず、ごく自然にふるまっていた様子に、私は内心驚嘆していました。

 3.11以後、程なく始まった毎週金曜の反原発集会には欠かさず、カメラを持って参加していたと聞いています。雨風の激しい日も出かけて行ったようですが、ぼくが行かないと心配されるから、と笑顔で話していましたね。その後、金曜の夜の集会は、シールズたち若者が活躍した安保法制反対の運動とも合わさって、安倍政治への抗議行動が大きな世論ともなりました。木下さんは、「政治的にはひどい状況が続いたが、わたしは青春に目覚めたような楽しい日々をすごした」と書いています。その言葉どおり、あの頃は本当に浮き浮きして楽しそうでした。おそらく68年頃の大学闘争以来、久しくなかった、若者たちが表舞台に立った反体制運動が頼もしく、その手法の新しさにも大きな期待を寄せ、惜しみなく応援をされていたと思います。

 遺稿の最後に、アニメ映画の中での、「生きるってことはどういうこと?」との問いに、「生きていることは誰かと関心を分かち合うことなの」との答えを引用し、木下さんは、「わたしは共感しつつ納得した」と結んでいます。これは彼の得た静かな確信でもあったでしょう。木下さんは、映像と執筆を通して自分の思いを理解し共有できる仲間を一人でも多く見つけ、運動を広げていくことを志し、命の続く限りそれをやり遂げて旅立っていかれたのだと思います。そこに清々しさを感じます。

 さらに一つ付言すれば、そのために好奇心を最後まで絶やさず、映像文化の新しい可能性を考えていたことが、ユーチューブでの様々な動画についての言及からうかがえます。政治批評や社会批評が、単に正論で論陣を張るこれまでのジャーナリズムの手法だけでは、もう十分に人々の心に届かず、関心も高まらず広がらない現実がある。トランプ政治が見せつけたように、自分に不都合な真実はフェイクだといって憚らない、あるいは日本のように、嘘、ごまかし、はぐらかしが常態化している政治権力のふるまいに、有効に対抗するにはどうすればいいかを考え、映像や動画による発信の新たな手法を探ることも必要だと考えていたのでは、と想像します。

 残された宿題は、いま生きている者に託されたのだと思います。木下さんの映画批評の底流にいつもあった人間への深い愛情と信頼とに、少しでも応える未来となるよう願わずにはいられません。


●自転車が似合うプロレタリアート
林田英明

 木下昌明さんの訃報を受けて、ぼうぜんとしたまま日が過ぎていました。親交のあった皆さんの声を読むにしたがい、木下さんの残されたものの大きさを改めて感じています。貴著7冊は全て書棚にあり、ひと味違う内容に引きつけられながら読みました。ここ1年、送られてくる『月刊東京』に付された添え書きが極めて短かったり、なかったりするので、あまり体調が優れないのではと心配していました。最後となった2020年11月号には「最近は体も弱ってきて」とあり、新作を見に行かれる状態ではなかったのでしょう。『サンデー毎日』に不定期に連載されていた映画評の最後は、ウルグアイ元大統領の人生を描いた『ムヒカ』(20年4月12日号)。同作に限らず、人はどう生きたらいいのかを体現される木下さんならではの選択にいつも感服していました。

 東京に行く機会に何度かお会いし、ご自宅から近い新宿で天ぷらを食べたこともありましたが、確かに自転車が似合うプロレタリアートでした。割り勘だった記憶があります。毎日新聞の夕刊と北九州版のコラムに計3回、新刊の紹介などで木下さんを「闘う映画時評」として取り上げたことも思い出されます。貴著などだけでなくさまざまな点で受け取るもののほうが多く、なかなかお返しできなかったのが申し訳ない限りです。けれど、レイバーネットに寄せた記事を今年3月に読んでくださり、「『アリ地獄天国』の記事と写真とてもよかったです」とほめていただいたのが励みになりました。

 ロングラン上映している『スパイの妻』を「映画の部屋269回」で推されていたので私も見ました。その感想等を伝えたかったのに残念でなりません。文中「總子(ふさこ)」とあるのは「聡子」の間違いのようです(読みも「さとこ」だったか)が、働いて飯を食う生活者の視点から柔らかな文章でこの国の根本の間違いを問いただす木下さんの映画評がもう読めないのが悔しくてなりません。安らかにお眠りください。


●芸術運動一筋の人だった
しまひでひろ

 〈あるくラジオ〉のしまひでひろです。木下昌明さんは、9月5日「時代に挑み時代と生きるー映画批評家・木下昌明さんに聞く」に出演し、現在をどう生きるかを映画状況と重ねて語ってくれました。訃報に接し、この番組を作ることができてよかったと、しみじみ思います。

 木下昌明さんとは、1970年でしたか、22の歳に出会いました。かれは30になるかならないかでした。当時東中野にあった新日本文学の近くの喫茶店に、長身、5分がりのスキッとしたかれが、椅子を跨いで現れました。まるで当時流行りのヤクザ映画の俳優のようでした。思えばそれから50年を超える付き合いになります。

 績文堂でかれの後期3冊(『映画は自転車にのって』『いのちを食う-3・11後の映画と現実』『ペンとカメラー時代と生きる』)に関わり、口論を繰り返しながら編集したのもなつかしい思い出です。筆者と編集者、というよりも仲間だったということでしょう。兄貴分だったのに偉そうな口を聞いたことは一度もありません。

 早くに夫人をなくし、かれは一人で、のこされた二人の幼子を育てました。同時に生きることは書くことと思い定めた。芸術運動一筋の人だったと改めて思います。スジの悪いわたしも諸事努力する以外にありません。かれは口癖のように「これからどうやって生きたらいいのかねぇ」とわたしに語りかけていました。その言葉を、これからは、わたしが呟いていくのか、寂しいです。

〔参考ページ〕
遺稿「木下昌明の映画の部屋」(最終回)
「あるくラジオ」(木下昌明さんの回)
ドキュメンタリー映画『がんを育てた男』
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●検察庁法改正案を廃案に! 〝見送り〟ではダメ! 一括化・継続審議、アベ様は「検察」の「け」の字も口にせず…どこまで姑息なのか!

2020年05月22日 00時46分37秒 | Weblog


レイバーネットの記事【浅野健一/検察庁法改正案を廃案へ~秀逸だったTBS報道特集「三権分立は守られるのか】(http://www.labornetjp.org/news/2020/0516asano)。
山岡俊介さんのアクセスジャーナル【<主張>検察庁法改正案、今国会断念もーー検察は還流疑惑追及の手を緩めるな!】(https://access-journal.jp/50662)。

 《5月16日のTBS報道特集「三権分立は守られるのか」は秀逸だった。「報道のTBS」の伝統がここにある。江田五月元法相(元裁判官)インタビュー、赤木雅子さんのコメント、堀田力元法務省官房長への電話取材。金平茂紀キャスターが元検察幹部の検察庁法改正案反対意見書について「ぜひ読んでほしい。歴史に残る文書です」と話したが、同感だ》。
 《政府・与党は、今国会での検察庁法改正案の成立を見送ることを決定した。表向きは、国民の理解なしに国会審議を進めることは難しいということになっているが、真相は、本紙が5月15日に報じた、「河井夫婦公選法違反事件の闇」(1・5億円の一部が還流!?)の件がひじょうに効いてのことであるという》。

   『●《安倍政権は、官邸に近い黒川検事長を検察トップである検事総長に
        就け、検察組織を官邸の支配下に置くつもりだ》、あぁ………
   『●アベ様は検事総長人事までも私物化…《それならば「三権分立は
      絵に描いた餅で政界では実現しない」と閣議決定すべきだろう》
   『●《官邸の番犬》黒川弘務氏を《論功行賞として検察トップに据える》
          のみならず、カジノ汚職捜査を止めるという目的があった
   『●《政界の不正を摘発するのが特捜部の使命》のはずが…行政府の長・
      アベ様が《従来の法解釈》を恣意的に変更! アベ様による独裁…
   『●アベ様らの数々の不正や無能っぷりは、自公お維支持者や眠り猫な
        間接支持者も持つ共通認識…それを許容するかどうかが大問題
   『●《「法案の審議のスケジュールにつきましてはですね、これはまさに、
       国会でお決めになることでございますから」…この台詞によって…》
   『●《緊急事態宣言を利用した監視社会強化に反対》! 《国民を互いに
     監視させ、体制批判をする人を密告…》…が横行する社会でいいの?
   『●神保哲生さん《ええっ、何だよ、ひでえ法案じゃねえか。…一番重要な
     ポイントが定年延長が内閣の一存で恣意的に行われることが可能に…》
   『●《「自分ごと」と捉える人はどれくらいいるだろうか。権力の横暴を
     傍観し、いつか矛先が自分に向けられたときには手遅れかもしれない》

 検察庁法改正案を廃案に! 〝見送り〟ではダメ! 《秋の臨時国会で法案を成立させるつもり》《自民党と公明党も「束ね法案」となっている「国家公務員法改正案」と一緒に継続審議とすることを決めた》。一括化・継続審議、どこまで姑息なのか…。アベ様の強行採決断念の弁、国家公務員とは言っても、検察の「け」の字も口にせず。
 「この黒川さんと2人でお目にかかったことはありません」…息吐く様にウソをつくアベ様。アベ様案件のはずが、〝法務省からの申し出〟にすり替え中。《手のひら返し安倍首相 “官邸の守護神”黒川弘務氏切り捨て》…そもそもの黒川弘務氏の半年間の定年延長の閣議決定を取り消すべきだ。また、検察庁法改正案を廃案にしなければ、第二第三の黒川弘務氏が出てくるだけだ。

 日刊ゲンダイの記事【「検察庁法改正案」断念の裏に官邸vs検察バトルと権力争い】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/273354)によると、《怒涛の「ツイッターデモ」が政治を動かした――。三権分立と民主主義の破壊につながる「検察庁法改正案」。政府与党は今週中の採決で強行突破を図ろうとしていたが、急転直下、18日安倍首相自ら「断念」を表明した。その裏には、想像を絶する世論の離反に加え、検察との攻防や党内権力闘争の激化が見え隠れする。いよいよ「安倍1強」は終焉だ》。
 同じく同紙の記事【怒りのSNSが安倍1強政治を粉砕 国民には大きな成功体験】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/273351)によると、《世論に屈して「検察庁法改正案」の強行採決を断念した安倍自民党。それでも、どうしても検察を支配下に置きたい安倍首相は、秋の臨時国会で法案を成立させるつもりだ。自民党と公明党も「束ね法案」となっている「国家公務員法改正案」と一緒に継続審議とすることを決めた》。
 さらに、【手のひら返し安倍首相 “官邸の守護神”黒川弘務氏切り捨て】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/273296)によると、《逃げ込んだ先は“応援団”のもとだった。検察庁法改正案で猛批判を浴びている安倍首相。弁解の機会を与えられると、“官邸の守護神”を厚遇した全責任を法務省になすりつけた。この手の平返しは“あの人”を切り捨てた時と同じだ。…「この黒川さんと2人でお目にかかったことはありません」…2018年12月11日の首相動静に16時25分から9分間、当時は法務事務次官だった黒川氏と官邸で2人きりで会った記録が残っており、あっさり「嘘八百」だと見抜かれてしまった。…■森友問題での“籠池切り”を想起させる顔つき》。

 民主主義や《三権分立を守る》気などあろうはずがない、自公お維の議員に
 日刊スポーツの記事【政界地獄耳/自民議員に三権分立を守るか否かの踏み絵】(https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202005160000042.html

によると、《首相・安倍晋三は14日の会見で「今回の改正により、三権分立が侵害されることはもちろんないし、恣意的な人事が行われることはないことは断言したい」としたが、この日、「検察の独立性がゆがめられる」と元検事総長・松尾邦弘ら検察OBが、法務省に検察庁法改正案に反対する意見書を提出。ネットでも猛反対が起きている。自民党議員にとって、これは、三権分立を守るか否かの踏み絵となる》。

 《真相は、本紙が5月15日に報じた、「河井夫婦公選法違反事件の闇」(1・5億円の一部が還流!?)の件がひじょうに効いてのこと》。《還流!?》だってさ。
 さらには、1億5千万円の出どころにも興味津々。相場の1500万円の10倍だそうだ。どこからそんなお金を? 《ようするに、安倍首相は自分を過去の人と言った溝手氏への私怨を晴らすために子飼いの妻である案里氏を刺客にしさらには1億5000万円もの異常な巨額を選挙資金として投じたのだ》…アベ様のポケットマネーな訳がない。《安倍マネー》の原資は、まさか、税金? #素淮会方式? 官房機密費? 河井夫妻の捜査が進めば、その辺が掘り繰り返されるのかな??

   『●選挙を私物化して税金投入し、私怨を晴らすためにアベ様がやったこと
                 …下関市長選では《安倍派のライバル候補…》既視感

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http://www.labornetjp.org/news/2020/0516asano

検察庁法改正案を廃案へ~秀逸だったTBS報道特集「三権分立は守られるのか

検察庁法改正案を廃案へ~秀逸だったTBS報道特集「三権分立は守られるのか」
浅野健一

 5月16日のTBS報道特集「三権分立は守られるのか」は秀逸だった。「報道のTBS」の伝統がここにある。江田五月元法相(元裁判官)インタビュー、赤木雅子さんのコメント、堀田力元法務省官房長への電話取材。金平茂紀キャスターが元検察幹部の検察庁法改正案反対意見書について「ぜひ読んでほしい。歴史に残る文書です」と話したが、同感だ。

 意見書を出した幹部の氏名の最初にある元仙台高検検事長平田胤明さんは1925年生まれ、検事5期の最長老。私が共同通信千葉支局記者だった1974年、平田さんは千葉地検次席検事だった。私の人生を変えた首都圏連続女性殺人事件の冤罪被害者、小野悦男さんに対する千葉県警の捜査について、公然と批判した。県警の幹部は「学者みたいな検事だ」と非難。平田さんは定例会見で、私たち記者に刑事法をしっかり学び、基本的人権を守る取材・報道をと要請した。平田さんの部屋を訪ね、教えてもらった。平田さんは今も東京で弁護士をされている。あれから46年、平田さんが歴史に残る正義の仕事をされた。

 日弁連と検察OB(現役検事も反対している)が揃って強く反対する法案を成立させてはならない。来週は、河井夫妻事件、500人以上の弁護士・法学者による安倍晋三首相と安倍事務所職員に対する「桜」事件の告発(私たち47人も昨年11月20日に告発・東京地検特捜部はいまだに受理していない)が動く。人民の力で、廃案に追い込もう。(同氏のFBより転載)
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https://access-journal.jp/50662

2020.5.18 19:44
<主張>検察庁法改正案、今国会断念もーー検察は還流疑惑追及の手を緩めるな!
yamaoka

 政府・与党は、今国会での検察庁法改正案の成立を見送ることを決定した。

 表向きは、国民の理解なしに国会審議を進めることは難しいということになっているが、真相は、本紙が5月15日に報じた、「河井夫婦公選法違反事件の闇」(1・5億円の一部が還流!?)の件がひじょうに効いてのことであるという。

 本紙にこの情報をもたらしてくれたディープスロート氏が、再び連絡して来て、こう漏らす。

「『アクセスジャーナル』でこの還流疑惑が報じられたことは、官邸はもう翌、土曜日には知っていた。還流疑惑公明党関係者へもあるのだから、そりゃあ、山口那津男代表が与党なのに検察庁法改正案に沈黙するのも無理ないよ。昨日、今国会での見送りが急浮上。結局、安倍首相と二階俊博自民党幹事長が決めたんだ」

 ここで、一ついっておきたいことがある。

 「河井夫婦公選法違反事件の闇」(1・5億円の一部が還流!?)の記事で、本紙は稲田伸夫検事総長(横写真)が腹を据えて安倍首相に、検察庁法改正案を見送るか、それとも還流疑惑の徹底捜査をやられるか、二者択一を迫っていると書いた。

 これを額面通り受け取れば、検察庁法改正案を見送ったのだから、還流疑惑の捜査については手仕舞いすることを意味する

 だが、もう国民は本紙報道を通じてこの疑惑について知ってしまっている。大手マスコミは未だ沈黙するも、しかもSNSを通じていまもこの疑惑は国民に拡散している。さらに、この件で安倍首相を告発する動きもあるのだ。

 是非とも、稲田検事総長におかれましては、ここで妥協して、数々の疑惑を隠ぺいして来た安倍首相追及の手を緩めることなどしないでいただきたい。まともな国民も、思いは同じだ。
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●警察・検察・裁判所は何も責任をとらないつもり? それなくして、《西山さんが待ち続けた「名誉回復」》が叶ったといえるのか?

2020年04月10日 00時00分12秒 | Weblog

[※『原発に挑んだ裁判官』(磯村健太郎・山口栄二) 朝日新聞出版(https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=21028)↑]



東京新聞の社説【刑事司法を改革せよ 再審無罪判決】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020040102000148.html)。
琉球新報の【<社説>西山さん再審無罪 冤罪根絶へ事件の検証を】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1100940.html)。

 《やっとこの日が来た。「呼吸器事件」で殺人犯にされた西山美香さんに大津地裁は「事件性なし」と再審無罪を言い渡した。自白の誘導などで殺人事件に仕立てた捜査と司法の責任は、極めて重い。…事件発生から十七年がたっていた》、《不当な捜査を招いた真相を、裁判を通して明らかにするには至らなかった》。
 《事件を作り上げ西山さんの自由を奪った警察、検察の人権侵害は断じて許されない。それをチェックできなかった裁判所も含めて、司法の責任は極めて重い》。《最初から数えて七つの裁判体が有罪判決や再審請求棄却を続け》た節穴な裁判所。

   『●金沢地裁原発差し止め判決: 井戸謙一元裁判官
   『●裁判所も歪む…《国が開発の政策的な枠組みを決め、その下で
       電力会社に》核発電所を…《そして裁判所も一体となり…》
    《原発訴訟で原告勝訴を決めた、たった3人の裁判長――その苦悩
     描いたのが『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫、著・磯村健太郎
     山口栄二、660円)だ。元京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏が
     評論する。…そして裁判所も一体となり。…北陸電力志賀原発
     2号機の運転差し止めを命じた金沢地裁判決(井戸謙一裁判長)…》

   『●湖東記念病院人工呼吸器事件…冤罪服役13年、
     【元看護助手、再審で無罪が確定的に 滋賀の病院患者死亡】
   『●湖東記念病院人工呼吸器事件で冤罪服役…《刑事司法の
      よどみや曇り》の解明を、《冤罪が生まれる構造に光》を!


 《2004年7月の逮捕から16年近くたって、無実の罪で12年もの刑に服した》、《自白の誘導などで殺人事件に仕立てた捜査と司法の責任は、極めて重い…事件発生から十七年がたっていた》。で、警察・検察・裁判所は何も責任をとらないつもり? それなくして、《西山さんが待ち続けた「名誉回復」》が叶ったといえるのか? 《事件を作り上げ西山さんの自由を奪った警察、検察の人権侵害は断じて許されない。それをチェックできなかった裁判所も含めて、司法の責任は極めて重い》。
 《再審開始が決まった後になって開示された証拠の中に、「患者の死因はたん詰まりの可能性がある」と自然死を示唆する医師の報告書があった。この証拠を滋賀県警は地検に送致していなかった都合の悪い証拠を隠し、殺人罪をでっち上げていた》。この裁判でも、《担当の警察官を法廷に呼ぶなどして虚偽の自白に至る経緯を検証して》はいない。《この間、二十代と三十代を獄中で過ごした西山さんは大きな損失を被った。メンツのための捜査、あるいはいったん下された判決に忖度するような訴訟指揮はなかったか。検証》されたか? その気は? 《人権蹂躙の教訓を社会全体で共有》するには程遠い、ニッポン。

 琉球新報のコラム【<金口木舌>声なき声を聞く】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1100946.html)によると、《▼大西直樹裁判長は患者の死因は自然死の可能性が高いとした。「担当刑事が強い影響力を独占して供述をコントロールしていた」として、軽度の知的障がいがある西山さんの特性や恋愛感情を利用したと指摘した ▼取り調べで障がいなどにより反論がしづらく、誘導されやすい「供述弱者は冤罪(えんざい)被害のリスクが高いという。専門家は弁護士の立ち会いなど、防止する仕組みの必要性を訴える。西山さんは「私を教訓に裁判所も変わらなければならない」と語った》

   『●《日本の刑事司法はおそろしいほどに後進的…代用監獄…
          人質司法》…さらに、司法取引まで投げ渡す大愚
   『●検察による恣意的・意図的な証拠の不開示、証拠の隠蔽や
             喪失、逆に、証拠の捏造…デタラメな行政
   『●《良心に従い職権を行使する独立した存在》ではない
     大久保正道裁判長である限り、アベ様忖度な「行政判断」が続く
   『●《「自白の強要をされたという認識に変わりはない」と反論…
            いまだにこんな水掛け論になるのかと嘆かわしい》
    「《日本の刑事司法はおそろしいほどに後進的代用監獄人質司法
     …《日本の刑事司法制度は国際的水準に達していない》。
     「人質司法」は未だに《国際的にも悪評が高い》。
     《弁護士の立ち会い…多くの国・地域で認めている制度》である
     にもかかわらず、ニッポンでは認められていない。
     《録音・録画(可視化)》もほとんど進まず、
     《事後検証が不可能に近い》。《弁護士の立ち会いが任意段階から
     認められていれば、誤認逮捕という人権侵害もなかったはずだ》」

   『●木谷明さん《冤罪を回避するために法曹三者…
      無実の者を処罰しないという強い意志、意欲をもって仕事にあたること》
   『●山口正紀さん《冤罪…だれより責任の重いのが、無実の訴えに
            耳を貸さず、でっち上げを追認した裁判官だろう》
    《四十年間も潔白を訴えていた大崎事件(鹿児島)の原口アヤ子さんに
     再審の扉は開かなかった。最高裁が無実を示す新証拠の価値を
     一蹴したからだ。救済の道を閉ざした前代未聞の決定に驚く。
     「やっちょらん」-。原口さんは、そう一貫して訴えていた。
     殺人罪での服役。模範囚で、仮釈放の話はあったが、
     「罪を認めたことになる」と断った。十年間、服役しての
     再審請求だった…疑わしきは被告人の利益には再審請求にも
     当てはまる。その原則があるのも、裁判所は「無辜(むこ)の救済」
     の役目をも負っているからだ。再審のハードルを決して高めては
     ならない》
    「再審するかどうかを延々と議論し、《三度にわたり再審開始決定
     出ながら》、最後に、ちゃぶ台返し。最「低」裁は何を怖れている
     のか? 誤りを潔く認めるべきだ。山口正紀さん、《冤罪は警察・
     検察だけで作られるものではない。…マスメディアにも責任…。
     だが、だれより責任の重いのが、無実の訴えに耳を貸さず、
     でっち上げを追認した裁判官だろう》。」

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https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020040102000148.html

【社説】
刑事司法を改革せよ 再審無罪判決
2020年4月1日

 やっとこの日が来た。「呼吸器事件」で殺人犯にされた西山美香さんに大津地裁は「事件性なし」と再審無罪を言い渡した。自白の誘導などで殺人事件に仕立てた捜査と司法の責任は、極めて重い

 滋賀県の病院で二〇〇三年、七十二歳の男性患者が死亡。看護助手だった西山さんが「人工呼吸器のチューブを外した」と「自白」して殺人容疑で逮捕され、懲役十二年が確定した。この判決で、死因は自白に沿う「低酸素状態」、つまり窒息状態とされた。

 「自白」は虚偽で、鑑定による死因も誤っていた-。今回の再審で無罪を言い渡した判決文は、明確に書いた。何が何でも有罪をと前のめりになる捜査と、それをチェックできなかった司法を批判した。

 なぜ捜査段階で「自白」したのか。判決は「取り調べの警察官の不当な捜査によって誘発された」と断じる。

 その背景として、西山さんには知的障害によって迎合的な供述をする傾向があると認定。取り調べの警察官は、自分に好意を持っていたことに乗じて西山さんをコントロールする意図があったとまで述べ、西山さんが捜査側の術中にはまった過程を分析した。

 また、死因について無罪判決は、「低カリウム血症による致死性不整脈」などを認定。つまり呼吸器はつながったままの自然死だった可能性が高いと判断した。

 今年二月に始まった再審が素早く無罪判決に至ったのは、西山さんの早期汚名返上の見地からは喜ばしいものの、担当の警察官を法廷に呼ぶなどして虚偽の自白に至る経緯を検証してほしかった

 大津地裁の裁判長は、無罪判決の言い渡し後、明確な謝罪はなかったものの、西山さんに「刑事司法を改革する原動力にしていかねばならない」と決意を述べた。「もう、うそ(誘導された自白)は必要ない」とも語り掛けた。

 この冤罪(えんざい)事件では、捜査のずさんさを見抜けなかった裁判所にも大きな責任がある最初から数えて七つの裁判体が有罪判決や再審請求棄却を続け、八つ目の大阪高裁がようやく再審開始を決定、最高裁を経て十番目の大津地裁が無罪判決を出した。事件発生から十七年がたっていた

 この間、二十代と三十代を獄中で過ごした西山さんは大きな損失を被った。メンツのための捜査、あるいはいったん下された判決に忖度(そんたく)するような訴訟指揮はなかったか。検証して出直してほしい。
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https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1100940.html

<社説>西山さん再審無罪 冤罪根絶へ事件の検証を
2020年4月3日 06:01

 滋賀県の病院患者死亡を巡り殺人罪で服役した元看護助手西山美香さんの裁判をやり直す再審で、大津地裁は無罪判決を言い渡した。大津地検は上訴権を放棄し、西山さんの無罪が確定した。2004年7月の逮捕から16年近くたって、無実の罪で12年もの刑に服した西山さんが、ついに冤罪(えんざい)を晴らした。

 事件を作り上げ西山さんの自由を奪った警察、検察の人権侵害は断じて許されない。それをチェックできなかった裁判所も含めて、司法の責任は極めて重い冤罪根絶に向けた刑事司法改革を強力に進めなければならない。

 最初の裁判で大津地裁は、警察が取り調べ段階で作成した自白調書の信用性を認め、懲役12年の実刑を言い渡した。判決は07年に最高裁で確定した。

 だが、再審判決は「何者かに殺されたという事件性を認める証拠はない」と断定し、男性患者の死因は自然死だった可能性が高いとした。滋賀県警の取り調べに対しては、軽度の知的障がいがある西山さんの特性や恋愛感情を利用し虚偽の自白を誘導したと指摘した。

 再審開始が決まった後になって開示された証拠の中に、「患者の死因はたん詰まりの可能性がある」と自然死を示唆する医師の報告書があった。この証拠を滋賀県警は地検に送致していなかった都合の悪い証拠を隠し、殺人罪をでっち上げていたのだ。

 再審判決を言い渡した大西直樹裁判長は手続きの一つでも適切に行われていたらこのような経過をたどることはなかった」と警察の証拠隠しを批判した。その上で、西山さんに「問われるべきはうそ(刑事に誘導された自白)ではなく捜査手続きの在り方だ」と語り掛けた。

 19年6月に、取り調べ過程の録音・録画を義務付ける改正刑事訴訟法が施行された。冤罪防止のための捜査の可視化が前進したが、裁判員裁判事件や検察の独自捜査事件に対象が限定されている。

 障がいなどが原因で自分を守る反論がしづらく、誘導されやすい供述弱者を冤罪被害から守る仕組みについても検討が求められる。

 捜査段階の証拠隠しがあったとはいえ、西山さんの無罪の訴えに耳を傾けず、捜査側の見立てを追認した裁判所の責任は重大だ自白偏重の捜査手法や供述調書に過度に依存した調書裁判が、冤罪の温床といわれている。

 再審判決は2月の初公判から2カ月でのスピード審理となった。西山さんの早期の名誉回復を優先したことは評価されるが、不当な捜査を招いた真相を、裁判を通して明らかにするには至らなかった

 日弁連などを含めた公平な立場の第三者委員会を設置し問題点を詳細に検証、公表する必要がある。冤罪被害者を生み出さないためには、人権蹂躙(じゅうりん)の教訓を社会全体で共有することが欠かせない。
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