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●《映画批評や社会活動をしてきた》「映画アクティビスト」木下昌明さん…《資本主義は人の命を食い物にしなければ生き延びられない》

2021年03月03日 00時00分15秒 | Weblog

(2020年12月28日[月])
志真秀弘さんによる、レイバーネットの追悼記事【〔週刊 本の発見〕70の坂を駆け登っていった〜木下昌明の本から】(http://www.labornetjp.org/news/2020/hon184)。

 《木下昌明さんが12月6日に亡くなった。享年82歳。 追悼の想いを込めてあらためて彼の著書を紹介したい》。

 先月、「映画アクティビスト」木下昌明さんがお亡くなりになりました。いつも、レイバーネットの映画評『木下昌明の映画の部屋』をとても楽しみにしていました。もう読めないのかと思うと、とても残念です。
 なぜ、『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』を購入したのかを思い出せません。「素晴らしい評論集。あまりタイトルについて深く考えずに読み始めた後、日本人論であることに気付く。深い。特に、労働者の視点が著者の特徴か。…非常に鋭い侵略戦争批判が随所に。」…とメモにあるが、どこで購入したのかも思い出せない。何かのキッカケで、レイバーネットの映画評を読み始めたためか。『週刊金曜日』でお名前を覚えたのかも。

   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(1/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(3/3)
   『●木下昌明さんの新刊『映画は自転車にのって』
   『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評
   『●「浪江町で300頭の牛を一人で飼っている
        牧場主の吉沢正巳さん」国会前スピーチ
   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
     「こんな巨大な事件が、…日本人としての資質が問われる」
   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
      映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●終わらない原発人災の影響:
     「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」
   『●木下昌明さん、壊憲された「「憲法」に呪縛されて
       原発国家を推進する安倍自民党の奴隷となる日」
   『●東電原発人災から『X年後』でも同じことが…
      「死は個人の不摂生のせい」に、そして、「上から口封じ」
   『●「赤紙」の来る時代…
     綿井健陽さんの「“平和”のありがたさをしみじみとかみしめたくなる映画」
   『●「それは風評でなくて現実だ」: 東電核発電人災の
       「大地を受け継い」だ人々の葛藤、引き裂かれた心
   『●「死刑という刑罰」: 飯塚事件では「冤罪被害者」を死刑…
            「冤罪被害者」の命を、最早、償いようもない
   『●ガジュマル:瀬長亀次郎さん「不屈」の精神…
     「忖度政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない」
   『●「自由新聞(フライエ プレッセ)!」と「下足番」新聞:
                  主犯の「A」(A夫妻)が抜けている
   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…「国を相手に
        ケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
    「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 250回/
     原発事故に翻弄された14人~土井敏邦監督『福島は語る』】
     …。《映画は、生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄された
     14人の被災者に焦点を当てている。…暮しの中から被災後の困難を
     浮かび上がらせているのが特徴だ》」

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●「事実無根のデマ」…「もしこれが立件されれば、
       長谷川氏逮捕や花角新知事辞任の事態もありうるだろう」
   『●木下昌明さん《あの黒く目隠しされた羊…
     実は何も知らないで日々を送っているわたしたちのことではないのか?》
   『●『i -新聞記者ドキュメント-』…《「i」…一人ががんばれば
     みんなもがんばる――映画はそのことを教えてくれる》(木下昌明さん)
   『●ウチの首相は《対策の不備…科学的根拠の欠如…的外れ》など批判の山
        …文化・民度・首相のレベルに彼我の差を感じずには要られない
   『●木下昌明さん《ケン・ローチの『家族を想うとき』はすごい。
      しかし、働くものにとってはやりきれなさが残るかもしれない》
   『●《省エネの進展と再生可能エネルギーの増加で原発が稼働しなくても
     電力不足は生じず、温暖化対策も両立できる》…トドメは刺されている
   『●《映画批評や社会活動をしてきた》木下昌明さん…《あるところで
      「映画アクティビスト」と紹介…本人はとても気に入っていました》

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http://www.labornetjp.org/news/2020/hon184

〔週刊 本の発見〕木下昌明の本『ペンとカメラ』『〈いのち〉を食う』

週刊 本の発見 毎木曜掲載・第184回(2020/12/17)

70の坂を駆け登っていった―木下昌明の本から
『ペンとカメラ-時代と生きる』(2017年)『〈いのち〉を食う-3・11後の映画と現実』(2014年)〔いずれも1800円、績文堂出版刊〕評者:志真秀弘

 木下昌明さんが12月6日に亡くなった。享年82歳。追悼の想いを込めてあらためて彼の著書を紹介したい。著書を順にあげると『映画批評の冒険』(1984年、創樹社)、『スクリーンの日本人―日本映画の社会学』(1997年、影書房)、『映画と記憶―その虚偽と真実』(2002年、影書房)、『映画がたたかうとき-壊れゆく〈現代〉を見すえて』(2004年、影書房)、『映画は自転車にのって』(2010年、績文堂)となり、続いて表題にあげた2冊が加わる。

 どれから読むかを問われるなら、タイトルにあげた2冊から、つまりおしまいから出発へと遡るように読んでほしいと応えたい。

 『〈いのち〉を食う』のまえがきにこう書かれている。「3・11後、世界は大きく様変わりした」、人間も地球の生態系のひとつとして捉えなければこの危機に対処できない、そこで状況に介入し、文学・映画・テレビ・思想などジャンルを問わず追求する、と。枠を取っ払って縦横に批評する考えだ。その通りに、本文では『100000年後の安全』『イエロー・ケーキ』『ザ・テイク』などと並んでテレビドキュメンタリー『ETV特集・放射能汚染地図』も取り上げられている。3・11後世界は変わり、資本主義は人の命を食い物にしなければ生き延びられないことを、この本で木下は繰り返し主張する。このときすでに新自由主義の本性を、彼は捉えていた変化を敏感にとらえる彼の柔軟な思考は、この本からも読み取ることができる。加えてこのときから行動力に拍車がかかった

 3・11以降、毎週金曜日、彼は国会前集会に出かけ、カメラを回し、記事と動画を〈レイバーネット〉に投稿した。「報道陣に邪魔者扱いされても飄々と家庭用カメラを構える姿を、私は何度か見た」と土屋トカチが書いている(『週刊金曜日』)。

 カメラを握ったのは、しかしこのときが最初ではない。長時間労働で疲れ果てた娘に危機感を覚え、労働時間を記録するため「深夜から明け方まで寝ぼけ眼で」写した『娘の時間』(2003年)が初めての作品で、それは年に1度のレイバーフェスタ〈3分ビデオ〉に応募され、柱時計のシーンに切迫感と愛情が滲んで好評だった。それから『続・娘の時間』(04年)『息子の場合』(05年)と毎年応募したが、これらの作は国会前集会の映像記録と共に『〈いのち〉を食う』の付録DVD「木下昌明3分ビデオ選集」に収録されている。

 『ペンとカメラ』冒頭の「インターネットの活動に参加して」にはこうした闊達な行動に、彼の考えるネットの可能性が重ねて語られ興味深い。その上で彼は映画の人であり、映画を通して考えていた。ここにあげた2冊の本もそれを示す。とりわけ今世紀に入ると、誰がみても木下の映画批評は抜きん出ていた

     (*国会前の木下さん(2012年))

 2012年晩秋、彼にがんが見つかる。医師との面談をビデオに収め、関連書を読み、彼はがん医療のあり方と自分の行く末を模索し、批評も医療のあり方にまで及んだ。「余命1年」を幾度も宣告された。が、生き延びて映画『がんを育てた男』(松原明佐々木有美、2016年)の主人公に彼はなる。そんな木下を鎌田慧は「転んでもただでは起きない、ドキュメンタリー精神だ」(『東京新聞』)と評した。『ペンとカメラ』で『標的の島風かたか』(三上智恵)の批評が印象的だ。高江のたたかいで山城博治・平和運動センター議長(彼もガン患者)は機動隊員が襲いかかって女性の首にロープが絡まった瞬間、「敗北宣言」をして号泣する。木下はそこに「敗れても敗れてもたたかう非暴力精神のなんたるかをみた」。そして木下の非暴力思想も、花田清輝、柾木恭介をはじめとする芸術運動由来で、筋金入りだった。

 3・11以後ペンに加え、カメラも手にして、敵に厳しく、仲間である虐げられたものにはどこまでも愛情溢れる批評世界を作っていく。がんを抱えたことで世界と社会にとどまらず、人間の生き死ににまで木下の視線は届くことになる。そして彼の立脚点は、どこまでも今どうするかにあった。

 木下は、労働者文学賞の選考委員として、毎年多数の応募作品を読み、懇切な批評をし、選考をしていた。シアターΧ(カイ/東京・両国)の花田清輝に因むイベント企画にも上田美佐子、小沢信男、西田敬一氏等と協働して当たっていた。それにとどまらず、議論白熱の共同作業が木下は大好きだった。彼の後期3冊の編集時の目を三角にしてのやりとりが、今脳裏に蘇る。

 振り返ると、著書7冊のうち3冊は彼70代の作。60年安保闘争の頃ビン工場の検査工だった若者が日本文学学校の門を叩いた。そして幾星霜、かれ木下昌明の創造力は年を経てなお高まり、70の急坂をものともせず、がんを道連れに駆け登り、味わいある映像と文章とを遺して、消えていった。この生涯、あまりにもかっこ良すぎるではないか。

↓本の入手は 績文堂出版 12.26レイバーフェスタ会場でも販売します。


*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。
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●《映画批評や社会活動をしてきた》木下昌明さん…《あるところで「映画アクティビスト」と紹介…本人はとても気に入っていました》

2020年12月18日 00時00分04秒 | Weblog

(2020年12月15日[火])
レイバーネットの二つの記事【「映画アクティビスト」木下昌明さん、旅立つ〜家族・友人に見守られて】(http://www.labornetjp.org/news/2020/1212kinosita)と、
【木下昌明さんを追悼する〜とても柔軟な優しい感性】(http://www.labornetjp.org/news/2020/1214kinosita)。

 《娘の説子さんは「病状の経緯」を 詳しく語りました。それはたんなる病状報告ではなく、そのとき木下さんが何を 考え語っていたか、どんな思いだったか。(松原明)》。
 《木下昌明さんを追悼する(山口正紀土屋トカチ・高橋省二・内藤洋子・林田英明・しまひでひろ)…木下さんが12月6日に亡くなってから、レイバーネットのメーリングリストをはじめ、たくさんの追悼の言葉が寄せられています。その一部を紹介します。(編集部)》。

 木下昌明さんが12月6日にお亡くなりになったそうです。レイバーネットの映画評『木下昌明の映画の部屋』をとても楽しみにしていました。ご冥福をお祈りします。

   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(1/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(3/3)
   『●木下昌明さんの新刊『映画は自転車にのって』
   『●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評
   『●「浪江町で300頭の牛を一人で飼っている
        牧場主の吉沢正巳さん」国会前スピーチ
   『●映画『放射線を浴びた『X年後』』:
     「こんな巨大な事件が、…日本人としての資質が問われる」
   『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・
      映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』
   『●終わらない原発人災の影響:
     「震災さえ」ではなく 「原発さえなければ…」
   『●木下昌明さん、壊憲された「「憲法」に呪縛されて
       原発国家を推進する安倍自民党の奴隷となる日」
   『●東電原発人災から『X年後』でも同じことが…
      「死は個人の不摂生のせい」に、そして、「上から口封じ」
   『●「赤紙」の来る時代…
     綿井健陽さんの「“平和”のありがたさをしみじみとかみしめたくなる映画」
   『●「それは風評でなくて現実だ」: 東電核発電人災の
       「大地を受け継い」だ人々の葛藤、引き裂かれた心
   『●「死刑という刑罰」: 飯塚事件では「冤罪被害者」を死刑…
            「冤罪被害者」の命を、最早、償いようもない
   『●ガジュマル:瀬長亀次郎さん「不屈」の精神…
     「忖度政治を危ぶむ全国の多くの人々の心に響くに違いない」
   『●「自由新聞(フライエ プレッセ)!」と「下足番」新聞:
                  主犯の「A」(A夫妻)が抜けている
   『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…「国を相手に
        ケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》
    「レイバーネットのコラム【●木下昌明の映画の部屋 250回/
     原発事故に翻弄された14人~土井敏邦監督『福島は語る』】
     …。《映画は、生活を根こそぎ奪われ、人生を翻弄された
     14人の被災者に焦点を当てている。…暮しの中から被災後の困難を
     浮かび上がらせているのが特徴だ》」

   『●自衛隊配備・ミサイル基地建設…『沖縄スパイ戦史』「自衛隊
              …昔と同じく住民を顧みない軍隊の本質」暴露
    「レイバーネット…のコラム【<木下昌明の映画の部屋 243回> 三上智恵
     大矢英代監督『沖縄スパイ戦史』/住民500人を死に追いやった犯罪】」

   『●「事実無根のデマ」…「もしこれが立件されれば、
       長谷川氏逮捕や花角新知事辞任の事態もありうるだろう」
   『●木下昌明さん《あの黒く目隠しされた羊…
     実は何も知らないで日々を送っているわたしたちのことではないのか?》
   『●『i -新聞記者ドキュメント-』…《「i」…一人ががんばれば
     みんなもがんばる――映画はそのことを教えてくれる》(木下昌明さん)
   『●ウチの首相は《対策の不備…科学的根拠の欠如…的外れ》など批判の山
        …文化・民度・首相のレベルに彼我の差を感じずには要られない
   『●木下昌明さん《ケン・ローチの『家族を想うとき』はすごい。
      しかし、働くものにとってはやりきれなさが残るかもしれない》
   『●《省エネの進展と再生可能エネルギーの増加で原発が稼働しなくても
     電力不足は生じず、温暖化対策も両立できる》…トドメは刺されている

 レイバーネットの【太田昌国のコラム : 免田さんの死を受けて、「死刑」の状況について】(http://www.labornetjp.org/news/2020/1210ota)によると、《このレイバーネットのウェブ上に「木下昌明の映画の部屋」というコラム欄で映画評を書き綴ってこられた木下昌明さん(写真右)が亡くなられた。私は、単行本にまとめられた幾冊もの木下さんの映画評をずっと読んできていた。2017年の第7回死刑映画週間にはゲストとして来ていただいた。ヴァンサン・ペレーズ監督『ヒトラーへの285枚の葉書』(2016年)上映後、30分間ほどのお話しをしてもらった。ナチス支配下、息子の戦死を契機に父親がひとりで始めた反ナチスの活動から――妻は当初それに反対していたが、やがてふたりは協働するようになる――「一人でも行動する」ことの意味を取り出すお話だった。折から政府・自民党が企図していた共謀罪制定の動きを背景に置くと、遠い国の、過去の話に終わるものではないことが実感された。またお招きしようという思いは叶わなくなった》。

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http://www.labornetjp.org/news/2020/1212kinosita

「映画アクティビスト」木下昌明さん、旅立つ

「映画アクティビスト」木下昌明さん、旅立つ

 木下昌明さんの葬儀は「若松地域センター」(東京・新宿区)で滞りなく終了 し、木下さんは家族8人(息子・娘夫婦と孫4人)と友人たちに見守られて、旅立ちました。

 12月10日は午後6時から7時までの間に「面会式」(通夜)が行われました。木下さんの顔はとてもつやつやできれいで、生きているようでした。一番好きだった「とん久」のトンカツが脇に置かれていました。また木下さんを描いた「がんを育てた男」や木下さん制作の「娘の時間」など「3分ビデオ集」が脇の大スクリーンに音無しで流されました。この日は、昔の仲間や今のレイバーネットの仲間など、約20人が 参列しました。会場には木下さんの著作や38歳で亡くなった妻・教子さんの若々しい写真が飾られていました。

 6時半すぎから、喪主の挨拶がありました。娘の説子さんは「病状の経緯」を 詳しく語りました。それはたんなる病状報告ではなく、そのとき木下さんが何を 考え語っていたか、どんな思いだったか。一緒に映画を観たときの話。「父はすべての体のエネルギーを使いつくし、父らしく亡くなりました」と語りました。父親の生き方・死に方が具体的に迫ってくる感動的な18分の報告でした。そのあと最後に3分ビデオ「三分間の履歴書」を音をきちんと出して上映しました。レイバーフェスタ2006に上映した作品で、木下さんが自らの半生を描いたものです。参列者を映像を食い入るようにみながら、追悼しました。

 翌11日10時からは「告別式」が行われました。家族葬でしたが、友人がやはり20人ほど参列しました。式は「浄土真宗本願寺派」の仏式で、僧侶がお経を読みました。戒名はありませんでした。焼香、棺への花入れと進みいよいよ出棺です。

 最後に喪主の木下和民さんが原稿を手に挨拶に立ちました。まず家族一人ひとりに、これまで支えてくれたことへのお礼を「こんなことがあったね」と具体的に述べました。原稿を読み進めるうちに、和民さんは感極まって嗚咽してしまいました。そして最後に父に語りかけました。「父へ。母をなくし一人で育ててくれた2人の子どもは、こんなに優しい家族と共に幸せな人生を歩んでいます。どうか安心して母のもとへ旅立ってください。今まで本当にありがとうございました」。

 子どもたちは、仕事をしながら一人で二人の子育てをし、映画批評や社会活動をしてきた父親・木下昌明さんの生き方をしっかり受けとめていました。参列者はシニアばかりでしたが、木下ファミリー8人は若く未来を感じました。とてもさわやかな「見送り」になりました。参列者から声が聞かれました。「木下さんの生き方・死に方は素晴らしい。私もああなりたい」と。(松原明


〔追記〕木下さんは「映画批評家」と呼ばれることが多いですが、自らビデオカメラで映像も撮っていました。あるところで「映画アクティビスト」と紹介されたことがあって、本人はとても気に入っていました。そこでこの記事では「映画アクティビスト」と表記しました。

     (2012年10月29日南会津町で、当時74歳。撮影=shinya)

〔参考リンク〕
12.6訃報記事
木下昌明さん追悼(6人紹介)
9.5「あるくラジオ」で語る
「木下昌明の映画の部屋」最終回
映画『がんを育てた男』HP
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http://www.labornetjp.org/news/2020/1214kinosita

木下昌明さんを追悼する(山口正紀・土屋トカチ・高橋省二・内藤洋子・林田英明・しまひでひろ)

<木下昌明さんを追悼する>

 木下さんが12月6日に亡くなってから、レイバーネットのメーリングリストをはじめ、たくさんの追悼の言葉が寄せられています。その一部を紹介します。(編集部)


●とても柔軟な優しい感性
山口正紀

 木下昌明さんの訃報を受け取ってから、ショックのあまり頭がボーっとしていました。松原明さんから「木下さんが体調を崩して入院された」とはうかがっていましたが、これほど急に逝かれるとは、そんなに悪かったとは。昨夜はお通夜のようなつもりで、ちょうど3カ月前に放送された「あるくラジオ」で木下さんの声を繰り返し聞いていました。パソコンから流れる声もお話しぶりも、ほんとうに元気そのもので、とてもわずか3カ月後に急逝される方のお話とは思えません。

 木下さんと初めてじっくり話させていただいたのは10年前の2010年7月、レイバーネットTVの第1回放送の時でした。木下さんが映画評「今月の1本」を、私が「ピリ辛コラム」を担当しました。終わった後、四谷の小さな中華料理屋さんで打ち上げになったのですが、メンバーの中では「高齢」に属する木下さんと私が隣合わせに座り、映画のことから運動のことまで、あれこれと話したことを覚えています。木下さんのことは、以前から『思想運動』紙上やHOWSの集まりなどで、映画について書かれたものを読んだり、お話をうかがったりしていたのですが、身近にお話させていただいたのはその時が初めてでした。

 それ以後、レイバーネットTVの放送のたびにお会いし、何度もいろんな話を聞かせてもらいました。それまでの予備知識では、木下さんはかつて『新日本文学』の編集部にいて、大西巨人、武井昭夫、花田清輝さんら錚々たる戦後文学の巨人たち(いずれも私が敬愛する方々です)と一緒に仕事をされていた「すごい人」であり、私にとってはある意味で1960年代の「オールド左翼」でした。ところが、実際に会って話してみると、実に気さくな方で、聞き知っていた経歴のような「すごい人」ぶりをまったく感じさせない「少し歳の離れたアニキ」(11歳上です)のような印象を受けたものです。「天皇制批判」の話題などでは、年下の私の話でもていねいに耳を傾けてくださり、「そうか、そういうことか」と相槌を打ってくださいました。敬愛する大西巨人さんが亡くなられた時、追悼文を『思想運動』に書かせてもらったのですが、それを読まれた木下さんが「山口さんの記事、良かったよ。大西さんの作品(神聖喜劇)を自分の体験と重ねて書いていて、共感が持てた」とほめて下さったことを今もうれしく覚えています。

 最初に抱いた「オールド左翼」はまったく私の予断で、「教条主義」のかけらもない、むしろ「私の方が左翼主義かもしれない」と反省させられるような方でした。特に惹かれたのは、とても柔軟な優しい感性です。それは何よりも映画の見方によく表れていて、一貫して、弱い立場に置かれた人、労働者や女性、過酷な運命に抗う人に寄り添うようにして映画を語っておられました。私も若いころから映画好きな方で、新聞の映画評もよく読みますが、木下さんのような視点で書かれた映画評は初めでした。木下さんは7冊の映画評論集を出されています。そのどれも夢中で読み進み、読み終えたシリからその映画を観たくなるような楽しい批評でした。その一方で、労働者の階級的な見方が自然と体に染みついた人です。

     (*自宅で「あるくラジオ」収録中)

 木下さんは「あるくラジオ」で、「コロナ対策」をめぐる「生命か経済か」という議論について、「命を食うのが経済」とし、「生命か経済か」という議論は成り立たないと断言されました。定時制高校に通いながら少年工として働き闘った経験が、そんな透徹した見方を形作ったのだと思います。木下さんはやはり「あるくラジオ」の中で、ドキュメンタリー映画について、「一緒に闘わなければ映画は出来ない」とおっしゃっていました。その視点は、たとえばケン・ローチの劇映画に対する高い評価にも共通していた、と思います。

 「がん」についても、木下さんは、私にとって得難い「先輩」でした。ビデオプレスの『がんを育てた男』は、多くのがん患者に勇気を与えた(と信じる)傑作です。「がん」に正面から向き合い、まるで「おでき」か何かのように自分の体の中で「育つがん」を見守り、それについてひょうひょうと語る木下さん様子は、がんの深刻さを、「がんも人が生きるということの一つなんだよね」と相対化する視点を示してくださったと思います。2年3か月前、私も「肺がん患者」になり、しかも「手術も放射線治療もできないステージⅣ」と宣告された時、パニックにもならず、「そうか、そういうこともあるんだろうな」と受け止めることができたのは、どこかで映画の中の木下さんの影響を受けていたのだと思います。

 木下さんと最後にお会いし、お話したのはちょうど1年前のレイバーフェスタでした。『がんを育てた男・その後』が上映され、その映画に私も登場していたことから、木下さんと私がステージに上がり、2人で「がん談義」をするはめになりました。たくさんの人の前で自分のがんの話をするとは思ってもいないことでしたが、木下さんの「がんとの付き合い方」を学んで、私もがんを相対化する視点を少しずつ身につけることができたのだと思っています。ただその後、木下さんとお会いすることは出来ないままになってしまったのが、ほんとうに心残りです。

 今年1月末、私は重度のインフルエンザと肺腺がんに起因する多発性脳梗塞を起こして救急車で運ばれ、リハビリも含めて2か月近い入院生活を余儀なくされました。幸運なことに後遺症はほとんどなく、抗がん剤の副作用以外、日常生活に支障はありませんが、退院後はコロナ禍に自由を奪われてしまいました。医師から「末期肺がんと高齢(!)の超ハイリスク」として外出を厳しく制限されています。会食はもちろん、会合、集会、講演会なども出かけたい気持ちを抑えるのに苦労する毎日です。そんなこともあり、「木下さんが来られるようだ」と聞いたレイバーネットTVの観覧に出かけることもできず、この1年を過ごしてきました。

 実際、私以上に深刻な病状を抱えておられた木下さんが、コロナの脅威の中、可能な限り外出を心がけておられたのは、ほんとうに驚異的なことです。1年前のレイバーフェスタの時、木下さんから「山口さん、記事を書いてるかい? つらい時もあると思うけど、体調のいい時には、とにかく書きたい記事を書いた方が良いよ」とアドバイスされました。「歳の離れたアニキ」の言葉が胸にしみました。ご自身、最後まで「書きたいことを書く」人生を送られた木下さんです。ほんとうに、ありがとうございました。


●「映画の見方・作り方、そして生き方」を学ぶ
土屋トカチ

 木下昌明さん、本当にお世話になりました。先日12/1放送の「あるくラジオ」でも話しましたがあなたにお会いし、最初の作品「窓越しに出会った」を激賞していただいたことが私を映画制作の世界へ導いてくれました。聴いてくれてたかしら。映画の見方・作り方、そして生き方を学ばせていただきました。

 映像を始めた頃から、父を早く亡くした私には親父のように慕っていた方が二人います。国労の佐久間忠夫さん。そして、木下昌明さんです。お二人ともあの世に行ってしまった。でも、心の中ではこれからも共に…。たぶん、あの世でも自転車をこいで映画を観にいくのかなー。ありがとうございました。


●生きざまを曝け出した創造と批評
高橋省二

 木下昌明さんの訃報に接し、家族ともども驚き悲しんでいます。家族葬ということゆえ、自宅にて冥福を祈りながら連れ合いとともに木下さんの波瀾万丈の82年の生涯を偲んでいます。(連れ合いも肺がんを患い手術した経験があるだけに)話題は、もっぱらガンになられて以降の彼の活躍と生き方について、彼から多くのことを教えられたことでした。

 1つは、「3分間ビデオ制作」を、(だれもが自らの視点で身の回りの生活や労働、活動を記録する)「労働者通信」運動だと高く評価し、自らも毎年、家族や自分の姿を描いた秀作を発表され、その延長線にあの名作『がんを育てる男』が生まれたことでした。

 2つめは、運動の現場にビデオを片手に足を運び、どこにでも自転車で走って映画を観て歩く【永遠の映画少年】であるとともに、独学の研究心と知性、根っからの労働者魂とインターナリズムの精神を兼ね備えた稀有な【映画評論家】だったといえます。

 3つめは、運動的視点からの助言、提言は、上から目線ではなく常に友情に溢れたものでした。私が『思想運動』紙にルポ「人を喰った魚~築地市場移転騒動の巻~」を連載した際に、真っ先に電話を頂き、「読ませてもらったよ。暮れのレイバーフェスタに講談にして語ってみたら面白いんじゃない」と勧めて頂き、2ヵ月後に講談にして発表することになりました。このことが、この秋に制作したDⅤD「講談で核を語る」にも収録したのビキニ被曝、福島原発事故の創作講談2作につながることになりました。

 4つめは、どうせ1度きりの人生なんだから、財もなければ名誉もないプロレタリアートは、自分の生きざますべて曝け出して創造と批評をしなければ、敵に一矢も報いることが出来ないことを、身をもって実践し、われわれ後輩に教えてくれたことです。ペンと口とカメラさえあれば、なんでも言える、なんでも表現できることを身をもって教えてくれたと、いえます。全身ガンに侵されながらも、最後までペンを放さず、全てのエネルギーを使い果たして永遠の眠りに逝かれた木下さんのご冥福を祈るとともに、長年の友情に感謝の気持ちでいっぱいです。


●生きることは誰かと関心を分かち合うこと
内藤洋子

 『月刊東京』(2020年12月号)に掲載された木下さんの最後の「連載・映画から見えてくる世界」が、レイバーネットの「木下昌明の映画の部屋(270回・最終回)」に転載されています。読ませていただきました。絶筆になることを木下さんは意識しておられたのか、いつも以上に、文章に込められた熱いものを感じ、胸打たれました。私は木下さんの死に、誤解を恐れずに言えば、清々しさを感じています。彼のように生を全うするのは並大抵にできることではありませんが、にもかかわらず、がんとの厄介な闘いを抱えつつも、権力と闘うことを何ら特別なこととせず、ごく自然にふるまっていた様子に、私は内心驚嘆していました。

 3.11以後、程なく始まった毎週金曜の反原発集会には欠かさず、カメラを持って参加していたと聞いています。雨風の激しい日も出かけて行ったようですが、ぼくが行かないと心配されるから、と笑顔で話していましたね。その後、金曜の夜の集会は、シールズたち若者が活躍した安保法制反対の運動とも合わさって、安倍政治への抗議行動が大きな世論ともなりました。木下さんは、「政治的にはひどい状況が続いたが、わたしは青春に目覚めたような楽しい日々をすごした」と書いています。その言葉どおり、あの頃は本当に浮き浮きして楽しそうでした。おそらく68年頃の大学闘争以来、久しくなかった、若者たちが表舞台に立った反体制運動が頼もしく、その手法の新しさにも大きな期待を寄せ、惜しみなく応援をされていたと思います。

 遺稿の最後に、アニメ映画の中での、「生きるってことはどういうこと?」との問いに、「生きていることは誰かと関心を分かち合うことなの」との答えを引用し、木下さんは、「わたしは共感しつつ納得した」と結んでいます。これは彼の得た静かな確信でもあったでしょう。木下さんは、映像と執筆を通して自分の思いを理解し共有できる仲間を一人でも多く見つけ、運動を広げていくことを志し、命の続く限りそれをやり遂げて旅立っていかれたのだと思います。そこに清々しさを感じます。

 さらに一つ付言すれば、そのために好奇心を最後まで絶やさず、映像文化の新しい可能性を考えていたことが、ユーチューブでの様々な動画についての言及からうかがえます。政治批評や社会批評が、単に正論で論陣を張るこれまでのジャーナリズムの手法だけでは、もう十分に人々の心に届かず、関心も高まらず広がらない現実がある。トランプ政治が見せつけたように、自分に不都合な真実はフェイクだといって憚らない、あるいは日本のように、嘘、ごまかし、はぐらかしが常態化している政治権力のふるまいに、有効に対抗するにはどうすればいいかを考え、映像や動画による発信の新たな手法を探ることも必要だと考えていたのでは、と想像します。

 残された宿題は、いま生きている者に託されたのだと思います。木下さんの映画批評の底流にいつもあった人間への深い愛情と信頼とに、少しでも応える未来となるよう願わずにはいられません。


●自転車が似合うプロレタリアート
林田英明

 木下昌明さんの訃報を受けて、ぼうぜんとしたまま日が過ぎていました。親交のあった皆さんの声を読むにしたがい、木下さんの残されたものの大きさを改めて感じています。貴著7冊は全て書棚にあり、ひと味違う内容に引きつけられながら読みました。ここ1年、送られてくる『月刊東京』に付された添え書きが極めて短かったり、なかったりするので、あまり体調が優れないのではと心配していました。最後となった2020年11月号には「最近は体も弱ってきて」とあり、新作を見に行かれる状態ではなかったのでしょう。『サンデー毎日』に不定期に連載されていた映画評の最後は、ウルグアイ元大統領の人生を描いた『ムヒカ』(20年4月12日号)。同作に限らず、人はどう生きたらいいのかを体現される木下さんならではの選択にいつも感服していました。

 東京に行く機会に何度かお会いし、ご自宅から近い新宿で天ぷらを食べたこともありましたが、確かに自転車が似合うプロレタリアートでした。割り勘だった記憶があります。毎日新聞の夕刊と北九州版のコラムに計3回、新刊の紹介などで木下さんを「闘う映画時評」として取り上げたことも思い出されます。貴著などだけでなくさまざまな点で受け取るもののほうが多く、なかなかお返しできなかったのが申し訳ない限りです。けれど、レイバーネットに寄せた記事を今年3月に読んでくださり、「『アリ地獄天国』の記事と写真とてもよかったです」とほめていただいたのが励みになりました。

 ロングラン上映している『スパイの妻』を「映画の部屋269回」で推されていたので私も見ました。その感想等を伝えたかったのに残念でなりません。文中「總子(ふさこ)」とあるのは「聡子」の間違いのようです(読みも「さとこ」だったか)が、働いて飯を食う生活者の視点から柔らかな文章でこの国の根本の間違いを問いただす木下さんの映画評がもう読めないのが悔しくてなりません。安らかにお眠りください。


●芸術運動一筋の人だった
しまひでひろ

 〈あるくラジオ〉のしまひでひろです。木下昌明さんは、9月5日「時代に挑み時代と生きるー映画批評家・木下昌明さんに聞く」に出演し、現在をどう生きるかを映画状況と重ねて語ってくれました。訃報に接し、この番組を作ることができてよかったと、しみじみ思います。

 木下昌明さんとは、1970年でしたか、22の歳に出会いました。かれは30になるかならないかでした。当時東中野にあった新日本文学の近くの喫茶店に、長身、5分がりのスキッとしたかれが、椅子を跨いで現れました。まるで当時流行りのヤクザ映画の俳優のようでした。思えばそれから50年を超える付き合いになります。

 績文堂でかれの後期3冊(『映画は自転車にのって』『いのちを食う-3・11後の映画と現実』『ペンとカメラー時代と生きる』)に関わり、口論を繰り返しながら編集したのもなつかしい思い出です。筆者と編集者、というよりも仲間だったということでしょう。兄貴分だったのに偉そうな口を聞いたことは一度もありません。

 早くに夫人をなくし、かれは一人で、のこされた二人の幼子を育てました。同時に生きることは書くことと思い定めた。芸術運動一筋の人だったと改めて思います。スジの悪いわたしも諸事努力する以外にありません。かれは口癖のように「これからどうやって生きたらいいのかねぇ」とわたしに語りかけていました。その言葉を、これからは、わたしが呟いていくのか、寂しいです。

〔参考ページ〕
遺稿「木下昌明の映画の部屋」(最終回)
「あるくラジオ」(木下昌明さんの回)
ドキュメンタリー映画『がんを育てた男』
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●「原発と司法」、「大阪イジメ問題」、「小出裕章・佐高信対談本」などについての最近のつぶやき

2013年02月01日 00時00分51秒 | Weblog


「原発と司法」、「大阪イジメ問題」、「小出裕章佐高信対談本」などについての最近のつぶやきから、AS@ActSludge

 ・・・もうひとつ、「騙された側の責任」に関して、伊丹万作の「戦争責任者の問題」」については、以下もどうぞ。

   『●戦争と原発: 伊丹万作さん「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」
   『●『戦争の世紀を超えて』読了
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『だまされることの責任』読了(1/3)
   『●『だまされることの責任』読了(2/3)

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■『体罰教師 刑事告訴に食らいついた橋下市長と大阪地検』(http://gendai.net/articles/view/syakai/140637 …)/「かつては体罰容認の姿勢を見せながら、この問題をきっかけに支持率をアップさせようという魂胆がミエミエ橋下徹市長はさっそく、反応・・大阪市のトップや検察が利用しようとしている・・」

■今頃何やってるのか。しかも原子力ムラの住人を委員に任命するのだから、ほとぼり冷めて、今頃やっている 『原子力規制委の人事案、国会承認へ 田中委員長ら5人』(http://www.asahi.com/politics/update/0127/TKY201301260333.html …)/「・・事後承認が得られる見通・・・民主党内からも「原子力ムラ出身」との批判・・」

■橋下元大阪「ト」知事がやってることは自分を目立たせるための、教員たちに対する「見せしめ指導」じゃないのか??  『「見せしめの指導は体罰」 義家弘介政務官に聞く』(http://www.asahi.com/national/update/0126/OSK201301260062.html …)/「・・他の生徒への見せしめ・・「指導だ」と言い張っても体罰だと思います」

■『書評/司法よ! おまえにも罪がある [著]新藤宗幸』(http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013012000018.html?ref=comtop_list …)/「■人事交流が投げかける影 原発の安全性・・伊方原発(愛媛県)訴訟以来・・住民側の勝訴は2例しかない。ほとんどの訴訟で裁判所は、行政の判断を支持・・」

■伊方原発訴訟(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%B0%CB%CA%FD%B8%B6%C8%AF%C1%CA%BE%D9 …)。放射能無主物判決http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%A5%B4%A5%EB%A5%D5%BE%EC …)『書評/司法よ! おまえにも罪がある [著]新藤宗幸』(http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013012000018.html?ref=comtop_list …)/「原発をチェックできなかった・・裁判所と法務省の人事交流

泊原発の場合、規制委の定義で言うとこれは原子炉など重要な施設の「直上」(『●原発施設と断層、驚きを通り越して呆れる』http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%C4%BE%BE%E5 …)なのか、それとも違うのか?  『泊原発にも活断層か 規制委 年代定義拡大受け』(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013012702000087.html …

■無節操すぎないだろうか? なにか小泉時代と変わった? 『郵便局長会、参院選で自民回帰 民営化以来8年ぶり』(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/s/%C4%BE%BE%E5 …)/「小泉純一郎首相の郵政民営化方針に反発して自民党支持から離反した「郵政」団体が、夏の参院選で8年ぶりに自民党支持に回帰する方針」

前田朗Blog『小出裕章佐高信『原発と日本人――自分を売らない思想』』(http://maeda-akira.blogspot.jp/2013/01/blog-post_25.html …)/「佐高は、彼らは反省しない、と断言する。東電が原発をあきらめることはない、と。それでも、反原発をあきらめずに闘い続け、一つひとつ廃炉を勝ち取っていかなければ・・」

■前田朗Blog『小出裕章佐高信『原発と日本人――自分を売らない思想』』(http://maeda-akira.blogspot.jp/2013/01/blog-post_25.html …)/「・・小出の闘いは、これからも続く。岡部伊都子高木仁三郎熊取六人組田中正造松下竜一らに関心のある人にもお勧め。・・・」

■前田朗Blog『小出裕章佐高信『原発と日本人――自分を売らない思想』』(http://maeda-akira.blogspot.jp/2013/01/blog-post_25.html …)/「・・・もうひとつ、「騙された側の責任」に関して、伊丹万作の「戦争責任者の問題」『映画春秋』1946年8月、が全文紹介されているのが重要。」

■どっちもどっち 『「橋下徹は損得勘定が発達している人間」“行列仲間”丸山和也氏が書いた暴露本の中身』()/「ひと段落すると、橋下市長は自身のTwitterに見解やメディア批判を何度も書き連ねている・・堂々と物申したのが・・丸山和也参院議員」
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●木下昌明さん、『死刑弁護人』映画評

2013年01月28日 00時00分19秒 | Weblog


レイバーネット日本のWPの記事(http://www.labornetjp.org/Column/20120619)。

 「木下昌明の映画の部屋」(http://www.labornetjp.org/Column/)より、齊藤潤一監督『死刑弁護人』の映画評。安田好弘弁護士についての映画。

   『●木下昌明さんの新刊『映画は自転車にのって』
   『●『教育・研究分野での事業仕分け』
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(1/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(3/3)

   『●ドキュメンタリー『死刑弁護人』:
         バッシングされ続ける「死刑弁護人」安田好弘さん
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(1/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(2/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(3/4)
   『●『死刑弁護人~生きるという権利~』読了(4/4)
   『●『特捜検察の闇』読了(1/3)
   『●『だまされることの責任』読了(1/3)

 「犯人もまた社会のひずみが生み出した被害者であり、彼の境遇を理解」・・・の部分は以下も。

   『●『誘拐』読了(1/3)
   『●『誘拐』読了(2/3)
   『●『誘拐』読了(3/3)

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http://www.labornetjp.org/Column/20120619

木下昌明の映画の部屋・第142
齊藤潤一監督『死刑弁護人』
「死刑弁護人」が見据える社会――民主主義の「最低の義務」とは

 安田好弘弁護士については、凶悪事件の担当ばかりか本人まで逮捕されたりと、日ごろ新聞ダネになっているので、どんな人物か気になっていた。それが齊藤潤一監督の『死刑弁護人』をみて、彼の生き方や思想信条などおよそのことが理解できた。
 映画は安田の日々の活動に寄り添って撮ったドキュメントで、『青空どろぼう』を作った東海テレビの製作だ。彼はのっけから「マスコミは嫌いです」と言う。取材に応じないのは、被告人をバッシングするための話題提供でしかないからだ、と明かす。
 実際に彼が担当した事件は、オウム真理教事件麻原彰晃和歌山毒カレー事件林眞須美光市母子殺害事件の元少年等々、時々のマスコミを賑わし、“極悪のレッテルを張られた人物ばかり。なかでも、1980年夏の新宿西口バス放火事件に強くひかれた。この時、巨人戦のナイター見物帰りの父子が焼死したが、筆者はその父とは顔見知りだった。真相は日々のニュースではつかめなかった。後に事件を扱った恩地日出夫監督の傑作『生きてみたい、もう一度』で被告女性のその後はわかったが、犯行の真相は依然つかめなかった。ただ全身にやけどを負った桃井かおりの熱演ぶりが印象に残っている。
 これは安田の最初の担当事件で、彼は真相とその後の問題を語っている。それとともに、彼が「悪魔」や「鬼畜」とそしられようとなぜ凶悪犯人の弁護を引き受けるのかも見えてきた。それは、事件を個人の罪に帰して片付けてしまうのではなく犯人もまた社会のひずみが生み出した被害者であり、彼の境遇を理解し、彼にも「生きる権利」がある――という認識に立っていることからきている。(木下昌明/『サンデー毎日』2012年6月24日号)

*6月30日より東京・ポレポレ東中野、名古屋シネマテークにて公開。ほか全国順次 (c)東海テレビ放送


〔追記〕 映画をみても、新宿西口バス放火事件の真相がよくわからなかったという人がいた。そんな人には同名の原作(講談社文庫)がおすすめ。
 それによると「犯人はバスで楽しそうに帰宅する人々をみて腹が立ってやった」――という検察のつくった動機とは違っていたこと。犯人の頭の中を占めていたのは「福祉さん」のことだった。彼には小さい息子がいたが、妻が育児放棄していたので福祉施設に預け、出稼ぎして月々施設に送金していた。しかし、息子を引き取りにいけなかったのでいつも自分を責めていた。8月、出稼ぎ先の飯場が盆休みに入って、その間、新宿で過ごすものの、いつも「福祉さん」に追われているという強迫観念にかられていた。いよいよ盆が明けたときロッカーに預けてあった荷物がなくなっていることにがくぜんとする。字がろくに読めなかった彼は、これを「福祉さん」の仕業と思い込み、逆上した。
 犯人の頭の中では、相手はバスの乗客などではなかった。およそミステリーの小説世界などと違って犯行の真相はつじつまの合わないものだった。悲惨な事件をひき起こしたにもかかわらず、犯人の内面を占めていたストーリーは架空の「福祉さん」像との葛藤だったのだ。内面と現実とは、まるで噛み合っていなかった。そこにこの事件の不可解さがあった。その「真相」は、安田弁護人が根気よく面会しつづけたことでようやくみえてきた。その結果、「死刑」を「無期懲役」にすることができた。しかし、犯人は自分がしでかした犯行(自分の息子と同じような年の子まで死なせた現実)におののき、ついに刑務所内で自殺してしまう。自らの手で「死刑」を下したのである。彼もまた、この社会のひずみが生みだした「被害者」の一人だったか――
 映画の『生きてみたい、もう一度』のなかで目に焼き付いているシーンがある。それはヒロインと愛する男とのラブシーンで、女が男の背に腕をのばして抱きしめる――その時、焼けただれて皮膚のなくなった黒い腕がニューッとのびてくる。これにわたしは戦慄した。甘いラブシーンを予想していたわたしのイメージを映像はひっくり返したからだ。
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●戦争と原発: 伊丹万作さん「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」

2012年08月16日 00時00分02秒 | Weblog


戦争責任に関するasahi.comの記事(http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000901112220002)。戦争と原発についての東京新聞の二つの記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012081502000144.htmlhttp://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012081590135501.html)。関電に騙されたという話の東京新聞の記事(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081502000108.html)。最後に、原発輸出についてasahi.comの記事(http://www.asahi.com/national/intro/TKY201208140565.html)。

 数日前の朝日新聞生活欄に伊丹万作さんの記事が出ていたので、検索したが出てこず。その代り、同様な内容の古い記事『声を上げない国民性 またも』が出てきた。
 伊丹監督の言葉。「多くの人が戦争でだまされていたというが、だまされるということ自体がすでに一つの悪である/だますものだけでは戦争は起こらない/だまされていた、といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」。

   『●『戦争の世紀を超えて』読了
   『●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)
   『●『だまされることの責任』読了(1/3)
   『●『だまされることの責任』読了(2/3)

いままさに、原発再稼働で「騙されることの責任」が生じようとしてはいないだろうか? あの「戦争」とこの「原発」、同じじゃないのか? 東京電力原発人災以降に、原発再稼働原発輸出、「平気でいられる国民」であってはならない。
 「関西電力管内の最大電力需要が二千六百八十一万キロワットで、猛暑だった二〇一〇年夏よりも四百十四万キロワット、率にして13%下回っていたことが分かった」そうだ。またしても、「だまされるということ自体がすでに一つの悪」をなしてしまったのかもしれない。

 もちろん、騙す者が最大の悪ではある。そして、原発輸出でベトナムトルコ・リトアニア・ヨルダンの人たちを騙す側に。東京電力原発人災で、損害賠償などしようもないことが分かった我々が。

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http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000901112220002

回顧2011みえ
声を上げない国民性 またも
2011年12月22日

 「原発」と「戦争」を同列に論じるのは、乱暴かもしれない。だが、「芦浜原発」阻止を訴える詩を残した錦米次郎(よねじろう)には、重なり合って見えたに違いない。
 8月に連載した「戦争と詩人」の取材で、その生涯をたどった。農家の日々の生活から社会を見つめた詩作の原点は、3度の戦場体験にあった。
 最初は、満州事変後の中国東北部(旧満州)に出征。大虐殺と国際的な非難を浴びた南京事件の現場にも立たされた。そして、再召集された南部仏印(ベトナム)で終戦を迎え、数多くの農民の餓死や対仏解放運動を目の当たりにした。
 戦場では、弱い立場の人々が犠牲を強いられる生活、人生、命、すべてが踏みにじられる。そして、貧しい農家の錦がそうだったように、同じ立場の人々が最前線で「加害者」にもさせられる。戦場の本質は、いつの時代も変わらない。
 錦は「芦浜原発」の立地計画があった南伊勢町と大紀町境の予定地に自ら足を踏み入れ、漁民たちから話を聞いた。誰もが受ける電気の恩恵のために、なぜ地方だけがリスクを負わされなければならないのか。漁民の生活はどうなるのか。建設の先に錦が見たのは、戦場と同じ犠牲だったのだろう。
 80年前、この国は満州事変を起こし、破滅の道を突き進むように15年近く戦争を続けた。「大東亜共栄圏」「五族共和」「自存自衛のための聖戦」。大多数の国民が信じた。錦自身も「国家の絶対を疑わなかった」と戦後に書き残した。
 錦の言葉に考えをめぐらせながら、映画監督の故・伊丹万作が終戦翌年に書いた「戦争責任者の問題」という一文を思い出した。

   《多くの人が戦争でだまされていたというが、
    だまされるということ自体がすでに一つの悪である/
    だますものだけでは戦争は起こらない/
    だまされていた、といって平気でいられる国民なら、
    おそらく今後も何度でもだまされるだろう》

 「戦争」を「原発」に置き換えると、錦の視点がとらえた戦後社会の本質が理解できるように思える。それは、終戦の後も変わらなかった社会構造であり、自分で考え、声を上げることが少ない国民性ではないか。連載を終え、そう感じている。(中村尚徳)

◎錦米次郎
 1914~2000。戦後、三重詩話会を立ち上げ、今年60周年を迎えた「三重詩人」を創刊。四日市公害、長良川河口堰(かこうぜき)、成田空港建設といった社会問題に関心を持ち続けた。1937年の南京事件を題材にした「南京戦記~わが軍隊手帳」(85年)などの作品のほか、代表的な詩集に「百姓の死」がある。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012081502000144.html

【社説】
戦争と原発に向き合う 未来世代へ責任がある
2012年8月15日

 広島、長崎の原爆忌を経て、六十七回目の終戦記念日です。東日本大震災と福島第一原発事故後の八月は、戦争と原発に向き合う月になりました。
 毎週金曜夜に恒例となった首相官邸前の反原発デモは、ロンドン五輪の晩も、消費税増税法成立の夜も数万の人を集めて、収束どころか拡大の気配です。政府の全国十一市でのエネルギー政策意見聴取会でも原発ゼロが七割で「即廃炉」意見も多数でした。
 二〇三〇年の原発比率をどうするのか。原発ゼロの選択は、われわれの価値観と生活スタイルを根元から変えることをも意味します。その勇気と気概、覚悟があるか、試されようとしています。

内なる成長信仰なお
 それまで散発的だった各地の反原発抗議行動の火に油を注いだのは、関西電力大飯原発の再稼働を表明した野田佳彦首相の六月八日の記者会見でした。安全確認がおざなりなうえに、「原発を止めたままでは日本の社会は立ちゆかない」と、再稼働の理由が経済成長と原発推進という従来の国策のまま。「夏場限定の再稼働では国民の生活は守れない」とまで踏み込んでいました。
 反原発や脱原発の市民が怒る一方で財界、産業界が安堵(あんど)、歓迎したのはもちろんです。最大手全国新聞の主筆は野田首相の「反ポピュリズム」的決断と評価、「電力・エネルギー不安を引き金とする経済破局は避けられるに違いない」と論評しています。
 原発に関する世論調査では奇妙な傾向に気づきます。新聞やテレビの調査では、原発ゼロを求める声は、街頭に繰り出しているような勢いがなく、日本経済のために原発推進が少なくないことです。四十年前、水俣病の原因がチッソ水俣工場の廃液だったことが判明したあともチッソ擁護市民が少なくなかったように、フクシマ後も。われわれの内なる成長信仰は容易には変わらないようです。

倫理と規範と人の道
 しかし、経済以上に忘れてはならない大切なものがあります。倫理や規範、あるいは人の道です。
 作家村上春樹さんは、昨年の六月、スペイン・バルセロナのカタルーニャ国際賞授賞式のスピーチで、福島原発事故をめぐって「原発を許した我々は被害者であると同時に加害者。そのことを厳しく見つめなおさないと同じ失敗を繰り返す」と語りました。
 村上さんの悔恨は、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまったことでした。核爆弾を投下された国民として技術と叡智(えいち)を結集、原発に代わるエネルギーを国家レベルで追求、開発する。それを日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだった。そんな骨太の倫理と規範、社会的メッセージが必要だった。世界に貢献できる機会になったはずだったというのです。我々は原発に警告を発した人々に貼られたレッテルの「非現実的な夢想家」でなくてはならないのだ、とも。
 日本の原発は老朽化の末期症状から大事故の危険性があり、廃炉の研究も十分には進んでいません毎日大量に生み出される低レベル放射性廃棄物で三百年、高レベルだと十万年の厳重な隔離管理が必要です。人知が及ばない時空、利便や快適な生活のために危険な放射性廃棄物を垂れ流しているとすれば、脱原発こそが、われわれの未来世代に対する倫理であり、人の道だと思えるのです。
 千年に一度の大震災と原発事故は、人々を打ちのめしましたが、日本が受け入れてきた西洋文明や思想、科学技術について考える機会ともなりました。文明の転換期のようです。成長から脱成長の時代へ。どんな時代、国、社会へと変わっていくのかは不確かですが、この国には信じ、愛するに足る人たちがいます。
 文学者のドナルド・キーンさんは、日本への帰化に際して、作家高見順が戦争中に日記に書いたのと同じ結論に至ったと打ち明けました。高見順は東京上野駅での空襲の罹災(りさい)民たちが、おとなしく健気(けなげ)、我慢強く、謙虚で沈着なのに感銘して、日記に「こうした人々と共に生き、死にたいと思った」と記したのでした。それは大震災での東北の人々と同じでした。

幸せな生き方さまざま
 在野の思想家の渡辺京二氏が「逝きし世の面影」で紹介したのは、幕末に訪れた外国人の目に映った日本と日本人のすばらしさでした。
 「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」。貧しいけれど人間の尊厳が守られた幸せな人たち。当たり前のことながら、幸せは物質の豊かさではない。かつても、これからも、幸せな生き方はさまざまであることを教えています。
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http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012081590135501.html

惨禍二度とないよう 父は戦死 故郷は汚染
2012年8月15日 13時58分

 「戦争と原発事故がなければ」。大震災による東京電力の福島第一原発事故の影響で、東京都内に避難中の福島県大熊町の多門幸一さん(68)は、追悼式に参列し、失ったものの大きさをかみしめた。戦争で父を、原発事故で代々の土地と生活を奪われた。「二度と惨禍が起きないように祈ります」

 父、七郎さんは終戦前の一九四四年春、会津若松にあった陸軍の連隊に召集された。幸一さんは生後六カ月。七郎さんはすぐに中国・湖南省に出征し、同八月に戦病死した。二十八歳だった。
 戦後、家に届いたのは戦死公報と石ころ一つだけだった。「父の面影さえない。時代とはいえ、意味のない死だった」と話す。
 家は代々のコメ農家で、母親は農作業に追われながら、幸一さんら子ども三人を育てた。母親は苦労の中でも夫のことを口にしなかった。幸一さんは、「父がいてくれたら」と幾度となく思った。
 やがて幸一さんは農業を継ぎ、家庭を築いた。その生活は昨年三月十一日の大震災で一変した。家は福島第一原発から約七キロメートル。家は壁が壊れた程度だが、町の呼びかけで「訳が分からないまま妻や町の人と郡山市に避難した」という。原発事故を知ったのは二日後のニュースだった。
 今は東京都練馬区内の娘夫婦の家に身を寄せる。大熊町の家にも何度か一時帰還した。田は荒れ、両親が眠る墓も倒れたまま。放射線量の高い町の除染はまだで、大部分が帰還困難区域となる可能性が高い。「原発は安全」としてきた国や東電に対し、「町は原発の恩恵も受けたけれど、裏切られた思いです」と言葉少なに話す。
 昨年、大熊町から追悼式に参列したのは一人もいなかった。幸一さんも「行ける状態ではなかった」。ただ、欠かさなかったお盆の墓参りも、今までのようにはいかない。「生きているうちに家に戻れるかどうかも分からない。式で父に震災を報告し、農作物を作れないことを謝ります」と話した。 (星野恵一)

(東京新聞)
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012081502000108.html

猛暑の10年より13%低く 関電管内 節電要請6週間 最大需要
2012年8月15日 朝刊

 政府が七月二日に始めた節電要請から六週間の八月十二日までの間、関西電力管内の最大電力需要が二千六百八十一万キロワットで、猛暑だった二〇一〇年夏よりも四百十四万キロワット、率にして13%下回っていたことが分かった。
 最大需要を記録した日の最高気温は今夏も一〇年夏もほぼ同じだが、今夏は東京電力福島第一原発事故を背景に企業や家庭の節電が需要を押し下げた。
 政府や関電は「一〇年並みの暑さになれば電力が大幅に不足する」として大飯(おおい)原発3、4号機(福井県おおい町、いずれも出力百十八万キロワット)を再稼働する根拠にしていた。関電広報室の担当者は「節電協力のおかげ。今後は気温上昇による需要増加や発電所のトラブルも想定され、需給が厳しくなる可能性もある」と説明した。
 これまでの最大需要は、大阪市の最高気温が三六・七度に達した八月三日午後二時台。一〇年夏は八月十九日に最大需要を記録したが、その時の気温は三六・六度だった。
 関電管内は大飯3、4号機が七月二十五日までにフル稼働した。直前の需要予測に基づいた電力供給量に対し実際どれだけの電力が使われたのかを示す電力使用率は最大需要を記録した八月三日でさえ、89%で10%以上の余裕があった。
 今夏は企業や家庭の節電が定着し、気温が三五度を超える平日の猛暑日でも最大需要は二千五百万~二千六百万キロワット台で推移した。
 本紙が今夏の発電実績を参考に原発を除く関電の発電設備能力を調べたところ、火力、水力、揚水、地熱・太陽で計二千八万キロワット。これに中部電力など他社からの融通電力など七百四十二万キロワットを加えると、計二千七百五十万キロワットで、これまでのところ大飯3、4号機のフル稼働がなくてもカバーできた計算になる。
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http://www.asahi.com/national/intro/TKY201208140565.html

2012年8月15日03時00分
原発事故賠償の整備協力 輸出拡大狙い、ベトナムと覚書

 日本政府は、原発を売り込もうとしているベトナムと14日、事故が起きた場合の損害賠償制度の整備で協力することで合意した。国際的な受注競争を有利に進める狙いがのぞく。しかし日本国内では原発輸出には反対が根強いうえ、賠償もしっかりできておらず、批判が高まりそうだ。
 ベトナムにも原発事故が起きた・・・・・・。
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●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(1/3)

2009年03月24日 07時54分35秒 | Weblog

『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』、1月に読了。木下昌明著 (木下さんのコラム)。影書房。199710月刊。『映画批評の冒険』(創樹社) に続く第2冊目の著書?

 素晴らしい評論集。あまりタイトルについて深く考えずに読み始めた後、日本人論であることに気付く。深い。特に、労働者の視点が著者の特徴か。

 黒澤批判 (pp.16-19p.100)
 「必要以上に自然の変形・歪曲」した人工的な美化に対する批判 (p.37)
 
共生に対置した資本主義システム、資本の論理批判 (p.47)

 「病気もの映画」批判 (p.62)。エイズと731部隊の関係。「かつての病者の隔離収容ではたした医学の非人間的体質・優生思想が、戦後五〇年たった日本の医療体制のなかに深く浸透していて、人間をモノのように扱っていることが理解できよう。この七三一部隊を生んだ戦前の非人道的な医学観がこんにちでも広く日本の医学界に浸透している・・・」(p.63)

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●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(2/3)

2009年03月24日 07時53分27秒 | Weblog

【木下昌明著、『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』
 「日本の「侵略性」をとらえるものの見かた」(p.101) が日本映画に欠落。大島渚監督 (p.111119) も例外でない。「・・・反戦的な映画で、主人公がアジアの人々に残虐行為を働いたとしても、それが上からの強制であり、主体的ではなかったとする内面のアリバイづくり (被害者意識) を描くことに費やされていた (橋本忍の『私は貝になりたい』(一九五九年) がその典型例)(p.187)。井筒監督が同様なことを指摘していた。

 「・・・小林よしのりが・・・強制連行はなかったとか、あれは商行為だったとかいう立場から毎号のように「ごーまんかまして」いる。・・・わたしはふきだしてしまった。これはむかし・・・江藤淳が転向を表明した手口の二番煎じだったからだ」(p.144)

 伊丹十三批判 (p.227)。「・・・そのあざとい商売根性が、わたしの頭のどこかに引っかかっていたせいもある。・・・企業への忠誠心・自己犠牲の精神が肯定的にえがきだされる。そこにわたしは嫌悪をおぼえる。・・・これこそ体制の論理にほかならない。また、この意識は、戦争中の滅私奉公の精神と根っこのところでつながっている、うさんくさいしろものである」。

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●『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』読了(3/3)

2009年03月24日 07時50分56秒 | Weblog
【木下昌明著、『スクリーンの日本人 ~日本映画の社会学~』
 フリーターの「自由」に対する鋭い洞察と、新自由主義下での今日の労働者・労働環境の状況への正確な予見 (pp.236-237)。「・・・実態はその逆である。・・・安い賃金で使用でき、時間単位で過密労働を課すことができ、そのうえいつでも不要になれば「自由」に首にすることができる対象・・・。企業は何の保障もしなくてすむ。・・・日本の資本主義は、このように働く人々から搾取して太るだけふとってきた」。

 山と川・海との連携。「連環する自然の体系」(p.267)。ダムの便益と、逆に、その建設による機能の破壊。「自然を破壊しなければ成り立たないこの社会のシステム (これを悪用する利権がらみの構造) のなかにその元凶がある・・・」(p.268)

 とにかく、教えられること多。非常に鋭い侵略戦争批判が随所に。
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