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【森達也著、『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』】
うすら寒い光景は続く。「イラクで日本人・・・武装集団に拘束されたとき、自業自得との世論が湧きあがったときには、ここまできたかと僕は嘆息した。・・・自己責任・・・遭難の報せに「自己責任だから」との理由でこれを放置する事態など考えられない。でも結局、政府は何もしなかった。何もしないどころか、米軍に救助を依頼するという愚行まで犯そうとした。彼らが解放された理由は、実際に彼らがイラクでやってきたことを武装集団が認知したからだ。その意味では彼らの存在は、サマーワに引きこもった自衛隊などよりもよほどイラクに貢献しているし、対日感情を和らげる大きな要素になっている。/大手メディアの記者・・・は、ヨルダンなど安全な場所に滞在しながらフリージャーナリストからの情報や映像を待っている。・・・それがいざ事が起きたときに、自己責任と声を揃える無自覚さにつくづく呆れた。・・・/・・・とその家族は、ついに最後まで「助けてくれ」と言わなかった。この国は言わせなかった。恐ろしい国だ。つくづく思う。彼を見殺しにしたのは僕たち一人ひとりだ」(pp.130-131)。
業。覚悟。自覚。「鬼畜の所業だと思う。今この原稿を書きながらも、撮影時の記憶が甦って叫びだしたくなる。できることなら、その場でキャメラを構えてぬけぬけと撮影している自分の胸倉を掴んで、「お前にどんな権利があるというのだ」と殴り倒したくなる。/・・・/僕らが覚悟すべきは責任をとることではない、責任をとれないことを覚悟すべきなのだ」(p.219)。
今回、再読してみて、最も印象に残った章は、「第11章 セルフ・ドキュメントという通過点」(p.221)。
無意味。すべては主観的。恣意的。「フィクションとノンフィクションの挟間を探したとことで意味などない。だって僕らの実生活だって常に、この挟間を行きつ戻りつしているのだから。/・・・演技(嘘)で、どちらかが真実なのだと・・・そんなことで悩む時間があるのなら、他にやるべきことはいくらでもあるはずだ。結論はひとつ。どちらも虚であり実でもある」(pp.114-115)。「・・・局のプロデュサーに「そんな恣意的なドキュメンタリーはありえないでしょう」と真顔で言われ、「恣意的ではないドキュメンタリーなど意味があるのですか」と思わず聞き返したことがある」(p.136)。
解説は、ドキュメンタリー作品『Little Birds:イラク戦火の家族たち』(p.138)の監督の綿井健陽さん。
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