
昭和12年まで3歳から9年間、ロシアのウラジオストックで暮らした博多出身の日本の少女がいた。 彼女は今で言う帰国子女のはしりで昭和12年に親の故郷の北九州に戻り、戦時中の日本で女学生時代を送った。 敗戦後はアメリカへ留学し、帰国してから通訳をし、英会話教育に携わり、現在85歳になった。名前を中津燎子さんと言う。 彼女は小さいときから心の中に怒りをもち続けてきた。
webから引用: 【戦争中、だれが、どのようなウソをついたのか、記憶を一から十まで確認しておきたい。 戦争とは、自殺のことなんだヨ ”クセあり”老婆のオサラバ伝言! 戦後もたびたび「ああ、またか」と思うことが多いなぁ 私の戦争の記憶は、蝉の声に占領されっぱなしだった。 いよいよ「終わりか」と感じたとき、私の全身に昭和12年に帰国してからの8年間の記憶が一気によみがえり、強烈な憤怒で破裂しそうになった。 「国は国民をそうまでして殺したいか!」「一度でいいから、生きて幸せになれ!と言えないのか」沸騰した鍋のふたがブッ飛ぶように、私は怒鳴っていた。 蝉の声は秋も冬も、戦後もずっと、私の耳の中で響きつづけている。】 実際、何に対して彼女が怒ってきたのか?それをこの本で是非読んで欲しい。 感情をそのまま無思慮にぶちまけることもなく、自分の物差しを持って、真っ当に怒って、その怒りを我慢せずに今日まで生きてきた。 そんな英語教育の現場を踏んで、英語と日本人の深い溝に向き合った著者の言葉の体験、つまり言葉を使うことが生きることだ、を語る口調は軽くはない。 しかしなぜか諧謔の香りも時折文間から上がってくる。文章は読みやすくぐんぐん読み進める。 とんでもないほどの「ゆとり」がある。 わずかながらでも共通体験があるので、中津さんの思いが多少なりとも想像できるからかもしれません。 あの時代にこういう生を過ごした日本人がいたことを書いたもので残したいと思われて当然だと思います。 |
出版社からのコメント
がテーマです――。
戦後65年目、戦争や国の記憶について、言わずに死ねるか!と決めた、84歳大宅賞作家からの伝言。
著者について
ノンフィクション作家。「未来塾」顧問。
1925年福岡市博多生まれ。3歳より9年間を旧ソ連ウラヂオストックで過ごし、日中・太平洋の戦争を日本で観察し、
戦後すぐに出合う英語で米国に十年間留学中、人種差別を考察した。
六五年から英語発音訓練と異文化交流研究の塾を主宰する。時代のせいとはいえ、波乱の中で育まれた価値観については、『英語と運命』に詳しい。
74年『なんで英語やるの?』で第5回大宅賞を受賞。他に、『母国考』『風のシカゴ』など著書多数。
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