阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

今日 沖縄県の最後の官選知事 神戸人「島田 叡」のドラマがMBSで放映されます。    

2013年08月07日 | SNS・既存メディアからの引用記事


 関西は毎日放送で21時から。「戦中最後の沖縄県知事の実話をドラマ化 緒形直人、的場浩司ら出演

 6月23日は太平洋戦争における“沖縄戦”が終結した日。その沖縄戦のことを私たちはどれだけ知っているだろうか。沖縄戦当時の知事がどのような人物だったか知っていますか? TBSでは、8月に終戦特別企画として『テレビ未来遺産 “終戦”特別企画報道ドラマ「生きろ」~戦場に残した伝言~』を放送。戦中最後の沖縄県知事・島田叡(あきら)氏の実話を通して、沖縄戦がどのような戦いであったかを伝えていく。

 米軍の沖縄上陸が迫り、県民をまとめきることができる新たな知事が求められていた中、白羽の矢が立ったのが大阪府内政部長だった島田氏。1945(昭和20)年1月に沖縄に赴任し、6月23日の沖縄戦終結の日までの5ヶ月間を沖縄県民とともに生きた。そして、島田知事の行方は戦後68年経った今もわかっていない。

 「玉砕」「自決」という言葉が飛び交う戦場で、県庁職員に「生きろ」といい続けた「異色」の存在だったという。また島田氏は、中学時代から野球のスタープレーヤーとして名を馳せた。番組では、島田氏の生き様を、過去の戦争フィルム、関係者の証言、当時の手紙などの貴重な資料をもとに、ドキュメンタリーを織り交ぜながら、報道ドラマとして再現。知事としての島田だけではなく、「野球人としての島田」、「人間としての島田」の魅力も描いていく。

 ドラマでは、島田知事役に緒形直人、島田とともに命がけで疎開を進める荒井退造警察部長役に的場浩司、陸軍の第三十二軍司令官・牛島満役に西郷輝彦(特別出演)、海軍の大田実沖縄根拠地隊司令官役に石橋凌らが出演。

 緒形は「役者であれば誰でもやってみたい役だと思うので、気合いを入れて演じさせていただきました。過去にあった出来事を、現代の人たちに伝えていくというのも僕たちの重要な役割だと思っています」と力を込めた。」

◎ 以下は2012年7月9日のエントリーの再掲載です。


「俺が行かなんだら、誰かが行かなならんやないか。俺は死にとうないから、誰か行って死ねとは、よう言わん」。
 知事の発令を受けたときに親しい人に神戸弁で漏らした言葉。

「アホの勉強、忘れるなよ。人間アホになれたら一人前や」。
1945年1月31日沖縄へ赴任する島田さんが福岡の飛行場で曽我秘書に言った言葉。



「神戸市長田区にある兵庫県立兵庫高校の一角に、「合掌の碑」と呼ばれる碑があります。この高校は戦前、兵庫県立第二神戸中学校、通称神戸二中という学校で、この二中を卒業し、後の、旧沖縄県最後の沖縄県知事として赴任した島田叡知事を想い、建てられた碑だそうです。

このグラウンド
このユーカリプタス
みな目の底に収めて
島田叡は沖縄へ赴いた
一九四五年六月下浣
摩文仁岳の近くで
かれもこれも砕け散った

1901年、神戸市須磨区で生まれて、二中経て旧制第三高校から東大法学部に進み、内務省官僚となりました。
1944年の終わり、日に日に戦況が悪くなり、沖縄に米軍上陸の可能性が大きくなってきた頃、出張名目で帰ってしまった泉守紀沖縄県知事の後任として、1945年1月、第27第沖縄県知事に任命されました。当時、益々戦況が悪化しているのは明らかで、島田知事も、沖縄県知事を拒否しようと思えばできたそうですし、周りの人々も知事を受ける事に反対したそうですが、「俺がいかねば、誰かが行かねばならぬ」と、その反対を押し切り、家族を残して赴任したそうです。
知事として赴任後は、食糧難の打開と、住民や学童の疎開など、沖縄県民の為に為に尽力し、また、第三十二軍の首里撤退の際も、住民の犠牲が大きくなる為、撤退せず首里に留まるべきだと主張されたそうです。
1945年6月、糸満市伊敷にある轟の壕と呼ばれる壕にて、県庁の解散を命じた後、第三十二軍司令部に合流するため、県警幹部と共に摩文仁に向かったまま、消息不明となっています。
 この「合掌の碑」は、遠く沖縄の方向を向いており、合掌をしているデザインとなっているそうです。」こちらから引用。

◎島田 叡(アキラ)の略歴。
 1901年(明治34年)、神戸市須磨区の開業医・島田五十三郎の長男として生まれた。西須磨小学校、旧制神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)、第三高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法科へ入学。中学・高校・大学と、野球に熱中し、東大時代は野球部のスター選手として、また、ラグビー部とも掛け持ちするなど、スポーツマンであった。以下彼の一生はこちら

昨日、神戸朝日ホールで午後5時から8時15分まで開催された「『沖縄の島守』を憶う夕べ」に参加しました。
主催者の勝 順一 実行委員会 委員長(全国高校選抜野球大会に出場した兵庫高校チームの主将でもあった)

 勝さんとは2回ほど席を同じくさせてもらったことがあります。静かにして強靭な、本物のジエントルマン(Gentleman)です。

昨夜のアルバムです。写真は18枚あります。集まりが終わってから沖縄居酒屋で「ソーキそば」を食べたのは偶然ですが・・・。
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