
営業運転開始してから100年がたった都電荒川線は、専用レーンの軌道があり、殆ど道路を走らないのが生き残れた理由だそうです。
(都電荒川線は最初は王子電気軌道という私鉄として、奇しくも東京都電気局誕生と同じ年の明治44年-1911年8月20日に
飛鳥山上(今の飛鳥山)~大塚間の区間で運転を開始した。荒川線が東京市電に編入されたのは、1942年と遅かったが、
他の路線が廃止されたあとも存続し、唯一の都電としてめでたく開業100周年を迎えたのである。沿革)
今もよく「荒川線」を利用されている田無在住の森哲雄さんから、100周年のイベントパンフレットを送っていただきました。
親友の斉藤明さん*のシューベルト「冬の旅」全24曲の独唱会があった、日暮里駅近くの会場に置いてあったそうです。
このパンフを見ると、私が三ノ輪で乗った車両はなんと偶然にも、レトロ復刻版の9000型だったようです。ついていました。
また以前は東京外国語大学がこの路線にあったそうで、毎日 通学電車として大塚・西ヶ原間を“愛車”として利用していたという従兄からも、
「往時を思い出して懐かしく見ました」との便りをいただきました。
この写真は9000型の模型で、全部が段ボールで出来ているそうです。あまりに精巧な出来で森哲雄さんも驚いたそうです。
*斉藤明さんは45年前に、入社早々配属された新居浜の工場の所属課で、間もなく転勤した斎藤さんの担当の仕事を私が引き継いだ先輩ですが、
当時、愛媛県の新居浜市で入団した混声合唱団のあとも、東京の転勤先でも、また今は松戸で生涯の楽しみとして合唱を続けて来られたそうです。
当日は堂々とまた万感迫る歌唱で、会場のコンサートホールの150人ほどの方々は引き込まれた。
全てが素晴らしい成果だったそうですが、中でも「あふるる涙」が森哲雄さんはぐっと胸に迫ったそうです。
長くサラリーマンを続けた人が45年も一つの楽しみを続け、精進し、レベルを上げ、今また多くの人を楽しませる。
一つの事をずっと継続される方は本当に尊敬します。
参考:ヒュッシュ(Br) あふるる涙(シューベルト「冬の旅」から)
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