9.11を経験したミレニアル世代の僕が原爆投下を正当化してきた理由|ニューズウィーク日本版 https://t.co/0mqGTC6xSF
— achikochitei (@achikochitei1) August 16, 2019
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一部引用・・・
私は現在、東京大学大学院で日本のアジア・太平洋戦争の記憶について学んでいる。今はヒロシマとナガサキで起きたことの恐怖について、日常的に触れる機会がある。映画『この世界の片隅に』(2016年)や、広島逓信病院長を務めた蜂谷道彦の「ヒロシマ日記」や、鶴を折り続けた佐々木貞子の物語を前にして、私が小さいときから聞かされてきた「原爆は正しかった」という物語に疑問符が付き始めた。
あのような残虐なやり方で多くの民間人を殺したあの爆弾が、どうしたら正当化され得るのか。原爆投下は、まして2つの原爆は、戦争を終わらせるのに本当に不可欠だったのか?
祖父が原爆を正当化するのも、広島の物語も、アメリカや日本においてある極端な政治思想として語られてきたものではない。むしろこれらは、個々人が過去の体験を理解するために紡ぎ出した物語だった。あと一歩で死ぬところだった局面からの生還の話なのか、愛する人を失った話なのか、自分の身体が傷つけられた話なのか――。
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