石垣 りん(1920~2004東京生まれ) ――職場新聞に掲載された105名の戦没者名簿に寄せて―― ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。 ああ あなたでしたね。 あなたも死んだのでしたね。 活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。 悲惨にとぢられたひとりの人生。 たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。 一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、 ドブの中で死んでいた、私の仲間。 あなたはいま、 どのような眠りを、 眠っているのだろうか。 そして私はどのように、さめているというのか? 死者の記憶が遠ざかるとき、 同じ速度で、死は私たちに近づく。 戦争が終わって二十年。もうここに並んだ死者たちのことを、 覚えている人も職場に少ない。 死者は静かに立ちあがる。 さみしい笑顔で、 この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。 私は呼びかける。 西脇さん、 水町さん、 みんな、ここへ戻って下さい。 どのようにして戦争にまきこまれ、 どのようにして 死なねばならなかったか。 語って下さい。 戦争の記憶が遠ざかるとき、 戦争がまた 私たちに近づく。 そうでなければ良い。 八月十五日。 眠っているのは私たち。 苦しみにさめているのは あなたたち。 行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。 ――詩集「表札など・1968年・思潮社刊」より―― |
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