阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

いや~な感じ  警察庁長官狙撃事件は 犯人逮捕が出来ないままに時効となった。

2022年11月08日 | SNS・既存メディアからの引用記事
2010年04月01日(木)「阿智胡地亭の非日乗」掲載

あ、日本がぬるくても法治国家であることの逆証明なんだろうか?

そう思うしかない奇妙な結末だ。

もし国家の全国の警察機構を束ねるトップが撃たれたにも拘わらず、真犯人を逮捕出来なければ、どこの国とは言わないが、他国であれば犯人を仕立上げ、

平気でその被疑者は拘置所で急死したとでも発表するくらいはやりかねない・・。いや、どうでもいい小説の読みすぎかも。

 しかし、今回、本件にかかわる大メディアの記事をいくら読んでも「なるほど、そういう事か」と胸に落ちるようなものは一つもない。

仄聞するに、警視庁と警察庁それに検察庁それぞれの間の、初動時の捜査手法や方針から出た軋轢が最後まで尾を引いたかのようだ。
 
 時効が成立した日に警視庁の公安部長が出した声明から、そんなことを想像してしまった。

 つまり、いざとなれば一枚板でなくなる国家組織間の壁と面子が、時効と言う事態を引き起こしたと。

この組織間の抗争の結末が“時効”につながったとすれば、国の公的司法機関が本来与えらた任務と責任を果たさずに、私的暗闘を15年間続けてきたことにならないのだろうか?

このアホな推定を進めると、まるで背広とネクタイを締め、菊の紋章をつけた組モンどうしの出入りと同じではないか。

 しかし組員はそれでも例え非合法とはいえ、自分で自分のシノギをやっているが、菊のバッジの公務員の皆さんには、

毎月それぞれの銀行口座へお国から遅配なしにきちんと給料が振り込まれている。組が倒れないように国民の税金がきちんと保護している。

彼らに縄張りとシノギを保証しているのは、彼らの組織維持や組織拡大のためではない。

「くにたみ」の日々の生活の安全と国全体の治安維持のために、彼らに「くにたみ」が専任の役割を負託しているからだ。

本件のようなテロ事件の真犯人を特定・逮捕し、裁判で有罪にできないという国の司法機関の機能不全を見るのは、嫌な感じがする。

 この時効問題に関して、日本を代表する(と称している)言論機関は、きちんと取材して事の成り行きを説明をして欲しい。

そして自ら意見を公にして欲しい。それが本来の報道機関の存在理由だろう。

いや、「マスメディア本来の存在意義」なんてものは、明治以降一回も果たしたことはないと開き直るのなら、それはそれでいいのですが。

確かにそのツケが大手新聞やNHKやテレビ局にボデイブローでじわじわと全身に廻っていますもんね。

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新聞倫理綱領

2000(平成12)年6月21日

 21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。

 国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
 おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
  編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。

自由と責任

 表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。

正確と公正

 新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。

独立と寛容

 新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。

人権の尊重

 新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。

品格と節度

 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。  引用元。

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