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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

新居浜住人さんの石鎚神社1917年初詣アルバム

2017年01月07日 | 新居浜便り
Wikipedia:
〇石鎚神社(いしづちじんじゃ)は、愛媛県西条市にある神社。西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社で、山麓に鎮座する本社(口之宮)、
山腹の成就社(中宮)と土小屋遙拝殿、山頂の頂上社の4社の総称である。
〇石鎚山は、山岳信仰(修験道)の山として知られる。日本百名山、日本百景の一つであり、日本七霊山のひとつとされ、霊峰石鎚山とも呼ばれる。
石鎚山脈の中心的な山であり、石鎚国定公園に指定されている。正確には、最高峰に位置する天狗岳(てんぐだけ、標高1,982m)
・石鎚神社山頂社のある弥山(みせん、標高1,974m)・南尖峰(なんせんぽう、標高1,982m)の一連の総体山を石鎚山と呼ぶ。

伊予の国新居浜に住む泉谷さんから「石鎚神社に今年も初詣に行きました」とメールが来ました。











 泉谷さん、歴史のある神社であることが画面からもよく伺えます。神社の由来を読むと瀬戸内海の河野水軍の頭領、河野氏も篤く崇敬していたとか。
そういえば同期入社の女性に河野さんがおられたなぁ。

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映画「美しい夏 キリシマ」を観ました。   シリーズ黒木和雄監督の原爆三部作と遺作 その2

2017年01月07日 | 音楽・絵画・映画・文芸

2005年07月26日(火) 作成。


2003年の春、神田神保町の岩波書店に行ったとき、たまたま「岩波ホール」の掲示ボードを見ました。
「美しい夏 キリシマ」のポスターが貼ってあって、ロードショーが始まっていました。その日の上映時間を見たら、
その回の開始時間からもう15分ほど過ぎていました。黒木和雄監督のこともあまり知らなかったので、その日、次の回まで待つことをせず、
そのまま未見になりました。それでも岩波ホールで取り上げる映画は、支配人の高野悦子さんのポリシーで選択された映画であって、
岩波ホール上映のあと、全国の小映画館やサークルで上映され、観客動員数も多いことを知っていたので、
この映画の題名のことは頭に残っていました。

その後「父と暮らせば」の私の感想文を読んだ従姉から、黒木監督の「美しい夏 キリシマ」と、「TOMORROW明日」が
3部作になっているとメールで教えてもらっていました。

10年前の神戸大震災で駅の周辺が全部焼け野原になった、「JR新長田駅」の駅前再開発ビルの劇場に行きました。
7月22日の1日3回だけ「美しい夏 キリシマ」が上映されました。三ノ宮駅から3つ目の駅ですが、新長田駅には初めて降りました。
劇場に入ると、今回は戦争体験者世代である60代後半、70代の男性が200人ほどの観客の半分以上を占めていました。
上映の後援者の名前に長田区役所もありました。

映画は、南九州の霧島が見える、えびの高原の1945年の夏の出来事が淡々と描かれていきます。
中学生時代の自分の体験をベースに黒木監督自身が脚本も共同で書いています。

沖縄戦のあと米軍の九州上陸に備えて村に駐屯する陸軍部隊。満州にいる両親から離れて村のお屋敷の祖父の家に暮らす
少年の日々の生活、村人たちの生活。沖縄から毎日上空を本州方面に低空飛行するグラマンの編隊。行きがけの駄賃なのか、
きまぐれな機銃掃射で撃ち殺される少年の友人や牛を曳いた村人。

天皇の終戦の詔を聞く日まで、竹やり訓練をし、憲兵の目が光る南九州の住民のそれぞれの戦時の日々。
60年前の出来事とはいえ、いざ同じようなことになったら、自分は時の流れに抗さずに、長いものには巻かれて、
この時代のこの映画の人たちと同じ反応や、行動をするだろうなあと思いながら見ていました。
この映画も黒木監督の「父と暮らせば」と同じで、何も声高に伝えませんが、我々のたった一代前にこうして生き、
こうして死んだ日本人達が確実に、間違いなく居たことを静に思い起こさせてくれました。

 以下はつけたしですが、全篇のセリフは、宮崎県の「えびの」弁というか南九州言葉でした。「父と暮らせば」の広島弁にも感じましたが、
この監督の“言葉”に対する完全主義、こだわり、は凄いと思いました。どの俳優に対してもいい加減な妥協をしていません。
そしてそのこだわりに俳優の全員が応えているのも凄いことだと思いました。
(俳優は柄本祐、小田エリカ、石田えり、香川照之、左時枝、牧瀬里穂、原田芳雄など)。
ほぼ2時間の間、九州弁のシャワーの心地よいリズム感とテンポに酔いました。

 私は昭和23年の秋に親の転勤で三重県の四日市市から引っ越し、半年間ほど兵庫県の阪急宝塚線仁川近くに住み、
そのあと北九州の若松市二島に引越しました。そして昭和24年の4月に島郷小学校に入学し、その日から、家を一歩出ると、
家の誰もが喋らない、また家では聴いたことがない九州弁の世界にほうりこまれました。
 最初は苦労したはずですが、今はそんな記憶は全くなく、九州弁のアクセントが聞こえると何となく故里にいるような気がします。

この完全な九州弁のみの映画の2時間にひたって、とっくに忘れていた言語圏にすっぽり入り込み、もう自分には使えないけど、
自分の体はその言葉を聴くと無意識に反応する、という面白い体験をしました。

どんな国に暮らしても、小学校3年生の歳までに耳から覚えた言葉が母国語になるそうですが、それが正しいとすれば、私にとっての九州言葉は、
親から伝わった信州言葉に次ぐ、第二の母国語なんだと改めて思いました。 この映画は自分にとってそんな副産物もあった映画でした。

映画館 シネ・ヌーヴォのサイトから引用 ↓


美しい夏キリシマ


美しい夏キリシマ2003年/ランブルフィッシュ/35ミリ/シネスコ/カラー/118分/パンドラ配給/プロデューサー:仙頭武則/製作統括:中村哲也/制作担当:金子堅太郎、森井輝/ラインプロデューサー:金森保/監督:黒木和雄/脚本:松田正隆、黒木和雄/撮影:田村正毅/音楽:松村禎三/美術:磯見俊裕/録音:久保田幸雄/照明:佐藤譲/編集:阿部亙英/助監督:原正弘/音響効果:帆苅幸雄
■出演:柄本佑、原田芳雄、牧瀬里穂、小田エリカ、石田えり、左時枝、香川照之、中島ひろ子、宮下順子、寺島進、入江若葉、甲本雅裕、眞島秀和


◆終戦当時15歳の少年だった黒木和雄が、終世忘れることのできない痛切な体験をもとに、次世代に向けて渾身の力で描いた群像劇。描かれるのは戦場ではなく、銃後の九州・宮崎の美しい村。そこには、多感な15歳の少年の青春と、悲しみ、笑い、愛し合いながらも懸命に生きた人々の姿があった。戦争という暴力は、戦場で戦う兵士だけでなく、銃後に生きるこれらの人々にも向けられている事実を、映画は静かに、そして温かくも哀しい庶民の日常の視点から描き出している。今こそ伝えたいという熱い思いから生まれ、数々の映画賞に輝き、未来に向けて語り継がれるべき名作!

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