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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

文京区の小石川後楽園の花菖蒲は見事です。

2023年06月10日 | 東京あちこち

230608小石川後楽園の花菖蒲

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旧中川河畔のアジサイは見事です

2023年06月08日 | 東京あちこち

230606旧中川アジサイ   音量にご注意を

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三重県四日市の中学同期生5人が池袋でミニ同窓会を開いた

2023年05月29日 | 東京あちこち

5月某日 三重県の四日市市からノリコさんが上京したのを機会に関東在住者たちが顔を合わせた。5人は昭和33年3月13日と言う3尽くしの日に四日市市立港中学校を卒業した。

ランチの場所は池袋東武百貨店14階のニュートーキヨー系列の「御影蔵」だった。セツコさんが予約してくれた店だ。神戸御影郷の菊正宗clickの日本酒が飲める。

 ゆったりした明るい窓際の席で 四日市の同期生の近況など中心にお喋りが続きあっと言う間に2時間半が過ぎた。

池袋・東武百貨店15階から

 

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本郷通のニコライ堂前あたりをぶらぶらしてから 秋葉原駅へ向かった

2023年05月27日 | 東京あちこち
 
ニコライ堂の前あたりから幽霊坂を通っていくとすぐに日本家屋が見えた。
 
 
千代田区景観まちづくり重要物件】
      1930(昭和5)年頃 設計者不詳
いわゆる「山の手」だった駿河台は関東大震災後、東京で初めて区画整理が行われて地域です。その際にできた屋敷町の面影を留める貴重な建築物です。
高畠邸は敷地を石垣で巡らした中にある近代和風建築で、屋根は日本瓦葺き・鉄板葺き、外壁は板張りの規模の大きな住宅です。敷地をぐるりと囲む塀は、石垣の上に板と漆喰塗りの壁を乗せ、石垣の途中にはくり抜いたような通用門があります。オフィスビルが立ち並ぶ現代的な景観の中にあって、緊張感と荘厳さを醸し出しています。
神田駿河台は、ほとんどが戦災での焼失を免れており、地域のシンボルであるニコライ堂(明治24年)をはじめ、比較的規模の大きな歴史的建造物が残っています。引用元。
 
ビル街の中に古い日本が残っているようで面白く眺めた。
 
そこを過ぎて昌平橋を渡る手前のガード下の「淡路坂珈琲」でひといき入れてから 秋葉原駅に向かった。
 
 
 
 
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2023年5月 御茶ノ水の本郷通をぶらぶら   

2023年05月26日 | 東京あちこち

タイ・ココナッツカレーをおいしく味わって 一筋向こうの本郷通に出ました。日曜日のビル街を5月の薫風が吹き抜けて行きました。

2023年5月本郷通り・ニコライ堂のあたり

 

 

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万世橋の上から神田川の風景を見た    YouTube

2023年05月17日 | 東京あちこち

2023年万世橋上から神田川の風景を見た

万世橋の上から

  右下の拡大マークをクリックして大きな画面でどうぞ。

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昔の神田青果問屋街の復興震災町家や庄之助最中の店の前を通って秋葉原駅へ歩いた

2023年05月16日 | 東京あちこち

山菜天ぷら稲庭うどんに満足したあと二人は多町大通りを秋葉原方面に向いました。

正面の古い建物は昭和49年(1974年)9月に大阪から転勤で神田美土代町の事務所へ通いだしたころには既にあった建築物です。当時は確か医院でした。

この店の様式はもうほぼ絶滅の「関東大震災のあとに建てられた看板建築と呼ばれる形式をもつ建物」のにおいをわずかに残している。

この古い家屋は昭和6年の木造家屋で、国の有形文化財として登録されています。神田青果問屋街の復興震災町家としてとても貴重な建物です。

最中の店はまだ頑張っています。

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神田の街中で弓を引く人を見た!

2023年05月15日 | 東京あちこち

神田の街中で弓を引く人を見た!

稲庭うどんの店を出て秋葉原駅に向かう途中に長い歴史のある弓具店のビルがあるはずと覚えていたがやはりまだあった。

  しかも「巻き藁」に向かってではあるが、弓を引いている人までいるのを見た。

学生時代弓道二段という免状をもらったのが今も嬉しい記憶で残っており、弓矢という文字が目に入るとどこでもすぐ反応する自分が面白い。

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2023年5月神田明神大祭の準備たけなわの神田を歩いた

2023年05月13日 | 東京あちこち

さきごろ食べておいしかった神田の稲庭うどんの店「最上 楽農園」が山菜の天ぷらをやりだしたと電話で確認が出来たので出かけた。

 街中はちょうど神田祭の準備が出来てはなやいだ空気が流れていた。

 

2023年神田祭の準備・多町町内会のみなさん

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ふれあい橋から見るスカイツリーと総武線の鉄橋    亀戸中央公園の緑が光っていた

2023年05月07日 | 東京あちこち

ふれあい橋まで歩き 亀戸中央公園の中で一休みして 連休中の亀戸中央通り商店街を目指しました

ふれあい橋からスカイツリーと総武線の鉄橋を見る

亀戸中央公園の緑

Wikipediaから部分引用

亀戸中央公園(かめいどちゅうおうこうえん)は、東京都江東区亀戸にある都立公園である。園内には草花、スポーツ施設、芝生の広場などがあり周辺住民の憩いの場となっている。

概要[編集]

元々当地は株式会社日立製作所の亀戸工場のあったところで、工場移転後に公園として整備・開園したものである。公園はA地区(南西部)、B地区(北西部)、C地区(北東部)の3つに分かれており、A地区は時計台や遊具を中心としたエリアで、B地区は芝生広場や草木を中心に人工や亀戸スポーツセンターがあるエリア、C地区はテニス場や多目的球技広場、プールなどスポーツ施設があるエリアとなっている。またB地区とC地区は旧中川に面しており、川沿いの散策も楽しめる。B地区とC地区の間はJR総武線の線路が横断しており(亀戸駅-平井駅間)、電車からも当公園を確認することができる。また当公園は江東区の花でもあるサザンカが多く植わっているところとしても知られている。 [1]

歴史[編集]

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荒川の河川敷 ポピーの花畑が見事だった。

2023年05月06日 | 東京あちこち

江戸川区の環境部水とみどりの課が毎年季節ごとにやってくれている。70万人人口の区の税金収入は地方都市よりはるかに潤沢だろうからこういう使い方ができるのかな。

 

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ひさしぶりの荒川の河川敷 は風が強かった。

2023年05月04日 | 東京あちこち

総武線の鉄橋

 河川敷を吹き抜ける風の音にご注意!

230502 荒川の河川敷

 

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2022年11月2日以来の河川敷だった。

   ⇒図書館で予約していた本を受け取ってから、荒川の河川敷をまわって帰宅した。

 この大きな人工の流れは当時の東京市中に墨田川の水が氾濫して流れ込まないように墨田川の放水路として作られたものだ。

いまは荒川として流れている。長大で広い河川敷には季節の花、ポピーやコスモスが植えられ、野球場やサイクリングロードが作られて 周辺の住民が楽しんでいる。 

荒川(放水路)の建設は、明治43年の洪水被害(※)を契機として計画されたものです。明治44年(1911)に荒川放水路事業が始まり、

隅田川に堤防がなくても洪水が氾濫しないことが目指されれました。この事業により用水路予定地の住民1,300世帯が移転を余儀なくされたとあります。

移転対象地域には、民家や田畑ばかりではなく、鉄道や寺社も含まれていました。

『荒川放水路変遷誌』(荒川河川事務所)には、約2年間で建設予定地の96%の買収が完了したとあります。1300世帯分の土地を2年間で買収する。

現代では考えられない速さで進められたようです。この報告書には「当時の用地買収では、移転を余儀なくされる人々の個々の事情などは考慮されませんでした。」との記述があります。

ーーーーーーー

荒川放水路は、工事中における風水害や関東大震災等による工事の遅れがありましたが、昭和5年(1930)に完成しました。荒川放水路が完成してから約90年を経過していますが、その間荒川の洪水による被害は一度も起きてはいません。」  

荒川(荒川放水路)の歴史と風景 旧岩淵水門と荒川河口 全文はこちら

昭和41年(1966年)のマップ

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荒川の河川敷 現在ポピーが満開です!

2023年05月02日 | 東京あちこち

写真が届いた。観にいかなくては

Shot by YN©

 

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ある土曜日の錦糸町公園の賑わい

2023年04月26日 | 東京あちこち

 

錦糸町の北口 北斎通り

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旧中川の遊歩道をふれあい橋の手前から平井橋の手前まで歩く  その2

2023年04月25日 | 東京あちこち

☝ボラの子の群れがいくつもいくつも泳いでいた。

旧中川の遊歩道にて

ボラの子の群遊

 

 

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