二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


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辛いな。プールの水か、それても、よくよく、いや。飛込は、無理。

2021年11月22日 01時22分13秒 | ニ言瓦版
NHKの記事みると、
深刻だ。
裁判でも、いろいあるが、
プールの事件は、水泳はいいが、飛込は、だめだ、こりゅう。



「プールに飛び込んだのに、冷たいという感覚がほとんどなかったんです」
彼は、ベッドの上で当時のことを淡々と話してくれました。
高校3年生のとき、水泳の授業で教諭の指示どおりプールに飛び込み、頭を強打。
首から下が自由に動かせなくなりました。
あれから5年。
車いすに乗った彼は、自分に大けがを負わせたとして罪に問われている教諭と、法廷で向き合い、こう訴えました。
「1人の人を壊しちゃったんです。それくらいの気持ちでいてほしい」
日々の生活も、描いていた未来も、授業中の事故ですべてが変わってしまった青年が判決を前に思いを語りました。
(社会部記者 伊沢浩志)

”何もできないことがつらい”
事故当時、高校3年生だった内川起龍さんは23歳になっていました。
自宅を訪ねると、ベッドの上から笑顔で迎えてくれました。

内川起龍さん
部屋には、人気アニメのキャラクターグッズがたくさん置かれています。
「毎日、介助してくれるヘルパーさんたちからのプレゼントなんです」
ちょっと照れくさそうに教えてくれました。
内川さんはプールの底に頭を強く打ち、けい随(首の骨の中にある神経)を損傷。
入院や手術、検査を繰り返し、自宅に戻るまでに2年半かかりました。


車いすでの移動はできるものの、首が安定しないため長時間は座っていることはできません。
利き手の左手に強いまひが残ったため、右手に専用のベルトを着けて、そこにフォークをつけて食事をしています。
それでも、誤飲を防ぐため一口サイズに切ったものしか食べることはできません。

事故は授業中に起きた
事故があった都立高校のプール
内川さんが事故にあったのは今から5年前の平成28年7月。
東京・江東区にある都立の工業高校で行われていた水泳の授業での出来事でした。
その日、授業では飛び込みスタートの練習が行われていました。
生徒たちは、教諭が水面に差し出したデッキブラシを目印に、プールに飛び込んでいきました。
その指導は、スタート台からおよそ1メートル先の水面に差し出されたデッキブラシの柄を越えるように飛び込む、というものでした。
内川さんの直前に並んでいた別の生徒は、危険だと思ってデッキブラシの柄の下をめがけて飛び込みましたが、額をプールの底にぶつけていました。
それでも指導は続けられ、事故は起きました。

事故直後の内川さん(平成28年8月)
内川起龍さん
飛び込んだ直後、後頭部を打った感じがあって。息継ぎしようと両手や首をあげようとしてもあがらなくて。
プールに飛び込んだのに、冷たいという感覚がほとんどなかったんです。

水泳部だった内川さんは、教諭の指示にしたがってブラシの上を越えるように飛び込み、プールの底に頭を打ちつけました。
いつものスタートではブラシにぶつかってけがをすると思い、通常とは異なる飛び込み方をしたといいます。
病院に運ばれましたが、体を自由に動かすことはできなくなっていました。

将来の夢は水泳選手だった
スポーツ万能で、中学時代は体操部に所属していた内川さん。
つり輪競技では、関東地方の選手が集まる大会で6位に入賞するほどでした。

体操競技をする内川さん(中学生時代)
進学した高校には体操部がなかったため、小学生の時に習っていた水泳部に入部していました。
小学校の卒業アルバムには、「将来の夢は水泳選手」と書かれていました。

小学校の卒業アルバム
「選手は言い過ぎですよね。インストラクターぐらいです」
そう言ってはにかむ内川さん。今回取材で見せてもらうまで本人も忘れていたということですが、幼い頃夢見たプールで、悲惨な事故は起きてしまいました。

事故は内川さんたち家族の生活を一変させました。
3階建ての建物の2階と3階に暮らしていましたが、階段を上り下りできなくなったため、1階をバリアフリーの生活スペースに改修しました。
ベッドから車いすに移るためのリフトや、車いすのまま入れる風呂に、日常生活の大変さがうかがえます。

風呂をバリアフリーに
1階で母親が営んでいた店は、たたまざるを得ませんでした。
さらに、高校を卒業したら自動車業界で働こうと、就職活動を始めていたといいます。
「そんな大切な時に事故にあって、どんな気持ちでしたか」
思いきって尋ねてみました。
おなかに力が入らないため、大きな声で話すことが難しい内川さんの声が、さらに小さく感じました。

内川さん
初めのうちは治るかもしれないと思っていたので、就職活動が遅れることが一番気がかりでした。
でも、何日経っても体が全然動かないので、薄々気づいてはいましたが、「治らない」とはっきり言われたときは残念でした。自動車系の実習は苦手でしたが、事故がなければ就職して今ごろは頑張って食らいついて仕事していたのかなと。
僕、ベッドにいるときは何もできないんです。頭上げようとしてもできないし、上半身を起こすこともできないですし。
何もできないことがつらいです。

事故は刑事事件、そして裁判へ
事故はその後、刑事事件へと発展、異例の展開をたどりました。
指導をした松崎浩史教諭(49)が、プールの水深が浅いことを知りながら、デッキブラシの柄を水面から71センチ以上の高さに差し出して飛び越えるように指示し、内川さんに大けがを負わせたとして、業務上過失傷害の罪で検察から略式起訴されたのです。
「略式起訴」は、比較的軽微な事件を迅速に処理する手続き。
法廷で審理を行わず、検察官が提出する書面のみで処分が決まります。
被告が裁判所に出廷する必要もありません。
ところが、裁判所は「略式」での審理は相当ではないと判断し、正式な裁判を開くことを決めました。めったにないことです。

事故から5年後 2021年7月に初公判
ことし7月に開かれた初公判。
教諭は、起訴された内容について「間違いありません」と認めました。
公開の法廷で開かれた裁判に、内川さんは被害者参加制度を使って出廷しました。
検察官と並んで車いすに座り、じっと教諭を見つめる様子が今でも印象に残っています。

車いすに座っているのは2時間程度が限界だという内川さん。
安定しない体調をおしてまで裁判に参加しようと思ったのはなぜなのか。
その答えには、声に力がこもっていました。

タブレットで文字を打つ
内川さん
自分の裁判なので、参加しない理由はなかったですね。先生に直接聞きたいことがあったので。

9月8日の裁判では被告人質問が行われ、弁護士や検察官が教諭に当時の状況を尋ねました。


ラグビー部の顧問だった教諭は、水泳は専門外だったといいます。
事故のあと教育委員会から停職6か月の懲戒処分を受けていました。」




何か、問われる、教師か、それとも、昔の生徒は、運動がいいが、
今に、子供は、飛込も、難しい子がいる。

いや、地方で川遊びで、飛込、経験すすると、できるが。


感染で、このような事件は、ないかもしれない。
いや、辛い裁判だろう。


どこかの政治学者の裁判より、もっと、裁判は、問われる。




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