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2014年09月28日 06時23分38秒 | ニ言瓦版
モンゴメリーの生い立ち、知らないと。
解らないから、調べた。



「ルーシー・モード・モンゴメリは1874年11月30日[1]に、カナダ東部プリンス・エドワード島のクリフトン(現在のニューロンドン)で生まれた。スコットランド系とイギリス系の祖先を持つ[2]。父方の祖父は、上院議員[2]。

モンゴメリが生後21ヶ月(一歳9ヶ月)のとき、母クララ・ウールナー・マクニール・モンゴメリが結核で亡くなると、父ヒュー・ジョン・モンゴメリはカナダ西部へ移住したため、モンゴメリはキャベンディッシュの農場に暮らす母方の祖父母、アレクサンダー・マーキス・マクニールと、ルーシー・ウールナー・マクニールに厳しく育てられた。マクニール家は文才に恵まれた一族で、モンゴメリは祖父の詩の朗読をはじめ、叔母たちから多くの物語や思い出話を聞いて育った[2]。しかし、一部の叔母たちを除いて、保守的な祖父、口うるさく支配的な祖母、モンゴメリの欠点をあげつらう親族のことは嫌っていた[2][3]。

1890年(15歳のころ)には父と継母と暮らすため、サスカチュワン州のプリンス・アルバートに送られたが、1年後にはプリンス・エドワード島の祖父母の家に戻っている。11歳しか年の違わない継母からは子守りと家事手伝いを命じられ、勉強をしたいという夢を打ち砕かれるが、この時期に書いた詩やエッセイが新聞に掲載され、作家を目指すきっかけとなった[2]。

1893年。キャベンディッシュでの中等教育を終えたモンゴメリは、シャーロットタウンのプリンス・オブ・ウェールズ・カレッジへ進学した。2年分の科目を1年で終え、1894年に一級教員の資格を取得した。1895年から1896年にかけてノバスコシア州の州都ハリファックスのダルハウジー大学で聴講生として文学を学んだ。

島にあるさまざまな学校で教師を務めたあと、1898年に祖父を亡くし、未亡人となった祖母と暮らすためにキャベンディッシュに戻った。祖父は地元の郵便局長も務めていたため、死後その仕事をモンゴメリが引き継いだ[2]。1901年と1902年の短期間、ハリファックスで新聞社のデイリー・エコー社に記者兼雑用係として[3]勤め、1902年に祖母の世話をするため、再びキャベンディッシュに戻った。ちょうどこの頃、すでに雑誌向けの短編作家としてキャリアを積んでいた彼女は、最初の長編を書く気になったという。気難しい祖母との辛い暮らしの中、相談相手となってくれた[3]長老派教会牧師ユーアン・マクドナルドと1906年に婚約。1908年最初の長編小説『赤毛のアン』を出版し、世界的ベストセラーとなる大成功を収める。ユーアン・マクドナルドとは祖母が亡くなった直後、モンゴメリ36歳の1911年7月11日に結婚し、英国・スコットランドへの新婚旅行の後、オンタリオ州リースクデール(現ダラム地域アクスブリッジ )に移り住んだ。

モンゴメリは続く11冊の本をリースクデールの牧師館で書いた[4]。1911年に最も親しかった従妹のフレッドを病気で失くす[3]。この喪失感は生涯続いた[2]。1926年に一家はノーヴァル(現在のオンタリオ州ハルトンヒルズ)に移住した[5]。

1935年にフランス芸術院会員となり、また、大英帝国勲位も受けた。同年一家はトロントへ移った。
モンゴメリは1942年にトロントで亡くなった。死因は「冠状動脈血栓症」とされてきたが[6]、『赤毛のアン』原作誕生百周年の年に、孫娘のケイト・マクドナルド・バトラーにより、うつ病による自殺と公表された[7]。グリーン・ゲイブルズおよび教会での葬儀のあと、キャベンディッシュ墓地に葬られた。

モンゴメリのコレクションはガルフ大学に所蔵されているほか、プリンスエドワードアイランド大学にあるthe L.M. Montgomery Instituteがモンゴメリ関連の研究や会議をコーディネートしている。モリー・ギレンは、モンゴメリとマクミランが交わした40以上の手紙を元にモンゴメリの初めての伝記「The Wheel of Things: A Biography of L.M. Montgomery (1975) 」(邦題『運命の紡ぎ車)を著した。1980年代初め、モンゴメリの全日記がマリー・ルビオとエリザベス・ウォーターストンの編集でオックスフォード大学印刷局から刊行された。1988年から1995年にかけて、リー・ウィルムシュルストがモンゴメリの短編を収集して出版した。」


モンゴメリー氏は、体験して、書いている小説なのかもしれない。
だから、嘘でなく、本心がある。

正しい、訳、しないと、より、理解されないかもしれない。
安易の訳だ、原文と、違うのかもしれない。

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