二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

コラムはいい。泣ける

2017年03月27日 06時32分03秒 | ニ言瓦版
北國新聞のコラムは、いい。



「サッカーのテレビ中(ちゅう)継(けい)が、「サムライ・ブルー」というのを叫(さけ)んでいた。青(あお)いユニホームの日本代表(にほんだいひょう)の愛称(あいしょう)だと、初(はじ)めて知(し)った
野球(やきゅう)の国際大会(こくさいたいかい)では「侍(さむらい)ジャパン」が連(れん)呼(こ)された。「なでしこ」や何(なに)やらとスポーツ界(かい)は愛称ばやりだが、「侍」と呼(よ)ばれて似(に)合(あ)うのは、イチロー選手(せんしゅ)くらいか。似(に)合(あ)わぬ呼(よ)び名(な)をつけられて、戸惑(とまど)うような「にわか侍」が目(め)につく
侍なら、ちょんまげを頭(あたま)に抱(いだ)く大相撲(おおずもう)の世(せ)界(かい)は、どうだろう。遠(とお)い昔(むかし)だが、郷土出身力(きょうどしゅっしんりき)士(し)の取材(しゅざい)で、無愛想(ぶあいそう)ぶりに困惑(こんわく)した。何(なに)を尋(たず)ねても、「あー」やら「うー」。やがてダンマリとなり、大(おお)きな背(せ)中(なか)を向(む)けられての取材拒否(きょひ)
身勝手(みがって)さに腹(はら)が立(た)ったが、後(あと)で、それが力士の流儀(りゅうぎ)だと教(おそ)わった。土俵(どひょう)での振(ふ)る舞(ま)い同様(どうよう)、場所(ばしょ)では対(たい)戦(せん)相手(あいて)を思(おも)いやり、寡(か)黙(もく)を通(とお)す。無邪気(むじゃき)に白(しろ)星(ぼし)を喜(よろこ)んだり、負(ま)けて当(あ)たり散(ち)らすのは、敬いの心(こころ)に欠(か)ける。まげを誇(ほこ)る世界では侍の心意気(こころいき)に通(つう)じる作法(さほう)が生(い)きていた
自分(じぶん)を厳(きび)しく律(りっ)する振る舞いなど、とっくに時代(じだい)遅(おく)れのはずだが、
昨日(きのう)は遅(おそ)咲(ざ)きの新横綱(しんよこづな)が
男泣(おとこな)きの優勝劇(ゆうしょうげき)を演(えん)じてみせた。侍の心はまだ生きているのか。」


男泣きの姿は、いい。
見ていた人が多い、しかし、NHKは、途中で、切った、いら立つ。
もっと、見たい場面、ニュースでしか、見れない。

君が代のとき、泣けは、泣ける、庶民は。
日本人と、今まで、痛さと、苦労。
この二日間の地獄を見たのだろう。
稀勢の里氏。
https://www.youtube.com/watch?v=M4Sx2dPCuC8
https://www.youtube.com/watch?v=VVLHZbEm5ho
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昔の話と、同じ。

2017年03月27日 02時58分36秒 | ニ言瓦版
この記事は、昔からの方法。
昭和の時の商売が、今も続くのか。

だが、違う気もする。



「《一度マツダ車を買うと、数年後に買い換えようとしたとき、下取り価格が安く、無理して高く下取りしてくれるマツダでしか買い換えられなくなる。その「マツダ地獄」をマツダ自身が今打ち壊そうとしているのだ。[池田直渡,ITmedia]》

 「マツダ地獄」という言葉がある。一度マツダ車を買うと、数年後に買い換えようとしたとき、下取り価格が安く、無理して高く下取りしてくれるマツダでしか買い換えられなくなる。その結果、他社のクルマに乗り換えできなくなることを表した言葉だ。発想の原点は「無間地獄」だろう。

 なぜマツダはそんなひどい言われ方をしていたのだろう? マツダは新車の販売が下手だった。ブランドバリューが低いからクルマを売るとき、他社と競合すると勝てない。あるいは勝てないという強迫観念を営業現場が持っている。それを挽回してマツダ車を買ってもらうために、分かり易いメリットとして大幅値引きを行う。しかし値引きが常態化して新車の実売価格が下がれば、好き好んで新車より高い中古車を買う人はいないので、新古車でさえ値段が下がる。そこから先はドミノ倒し式の崩壊だ。つまり新車の値引きは中古価格の暴落を生む。しかも新車以上に中古車はブランドイメージで値段が変わる。

長期的に見ればユーザーも販売店もメーカーも誰も得をしていない輪廻

そうなると、仮に新車から5年乗って「そろそろ新しいクルマに……」と思っても、下取り価格が低くて買い換えを躊躇(ちゅうちょ)するユーザーも一定数出てくる。元々が新車値引きに釣られて買ったユーザーなので、経済的にもあまり豊かとは言えない。そういう人が低い下取り価格に直面すれば「もう少し乗るか」という判断になりがちだ。

 そうやって年式がどんどん落ちていき、さらに査定額が下がる。結局買い換えの踏ん切りが付くのはもうクルマの商品としての寿命が尽きた後。そんなときに下取り車に何とか値段を付けてくれるのはメーカーが下取り促進費を負担するマツダだけ。だからまたマツダになる。そして手元不如意のためまた大幅値引きを要求する。

「ずっとマツダに乗ってくれるならいいじゃないか」と言えないのは、それが常に強い値引き要求と買い換えサイクルの長期化という問題を含んでいるからだ。デフレスパイラルにも似たネガティブな輪廻が繰り返されており、長期的に見ればユーザーも販売店もメーカーも誰も得をしていない。

 この地獄を脱出しない限り、マツダに未来はなかった。先代CX-5から始まる第6世代商品群は、この問題に真剣に取り組むことからスタートした。それがマツダの言う「ブランド価値の向上」だ。「どこでも聞くような標語だなぁ」と当時は思っていたが、そうではない。例えば、余命宣告された人が「健康は大事だよ」と静かに言うような覚悟と思いの込められた言葉だったのである。マツダの「ブランド価値の向上」はハイファッション・ブランドの人たちが言うようなスカした抽象論ではなく、ビジネスの根幹にあるクルマの販売を根本的に改革することこそが目的である。

歴代ロードスターを模範に「2%の人」がどうしても欲しいクルマ作りへ
この輪廻を断ち切るための現実的なスタートは新車の値引きをしないことだ。しかし、ただ販売店に値引きを禁じれば良いというわけにはいかない。そんなことをメーカーが販売店に強要したら独禁法違反でアウトだ。なので、値引きをしないで売れるためには何がどうあるべきかを根底から考えなくてはならない。

 値引き勝負をしないためには、クルマの価値を認めてもらうことだ。幸いなことにマツダには歴代ロードスターという成功例があった。ロードスターを買うユーザーは、安いから買うわけではない。ロードスターの価値を認めて、まず商品に惚れ込み、その上で懐具合と相談する。「4人乗れて動く安いヤツ」を探しているわけではない。しかし、商品として極めて個性的なロードスターならともかく、ほかの基幹車種をどうやってそのパターンに持ち込むのか? それは相当に難しいことに思える。

 第6世代商品群を作るにあたって、マツダはまず走りとスタイルに個性を持たせた。全員に好かれようと考えるのを止めて、2%の人がどうしても欲しいクルマを作ることにした。ロードスターに範を取り、全マツダ車の位置付けをそう再定義したのだ。そんなことをして大丈夫なのだろうか?

 実は、世界の新車販売台数は約1億台だから、2%は200万台になる。2017年3月期のマツダの通期販売見通しは155万台だ。だから2%は決して諦めの数字ではなく、むしろ野心的な数字とさえ言える。それができるかどうか以前に、誰にも好かれようとして無難なクルマを作っても、それを販売力で押し切れないことは既に長い実績が証明している。それがダメだということだけはハッキリ結論が出ているのだ。
だから個性こそが大事だと考えた。しかし製品として個性的なクルマを作れば値引き要求されなくなるのか、と言えばそれはそんなに簡単ではない。「好きだから欲しい」という購入モチベーションは必要条件に過ぎず、十分条件ではない。マツダは販売から後の部分にも手を入れた。この詰め将棋のような戦略が面白い。

 まずは2年に一度のマイナーチェンジを止めて、毎年の商品改良に切り替えた。これにより、マイナーチェンジを挟んで前後のクルマの中古車価格の変動が少なくなり、クルマの価値が時間軸で安定する。狙いは中古車の流通価格の安定である。ブレがあると人は安値に注目する。だからマイナーチェンジで見分けが付きやすいほど外観を大げさに変えなくなった。

 そうやって流通価格を安定させた上で、残価設定型クレジットの残価率を引き上げた。一部の車種を例外として3年後の残価率55%を保証した。市場に任せるだけでなく、メーカー自身が市場価値を保証したのである。ここはブランド戦略の勝負どころだ。価値が落ちないことをメーカー自身が信じ、それを保証しなければ誰も信じない。

 しかし、残価保証とはつまり買取保証ということなので、その戦略を完遂するためには、何が何でもリアルワールドでのクルマの価値を維持しなくてはメーカーが大赤字になってしまう。仮にユーザーが「買取価格が保証されているから、メンテは適当に」ということになると、劣化によって生じる市場価格との差額をマツダが補てんし続けることになる。そうならないためには中古車の劣化を食い止めなくてはならない。

3年ごとに新車を買ってもらう戦略も
だからメインテナンスのパックメニューを用意した。期間はいくつか選べるため、多少の違いはあるが、基本的な考え方としてはタイヤ交換以外のすべての定期点検と消耗品交換を含むメニューで、購入後の予定外出費を不要にするものだ。これに加えて、制限付きながら、ボディの無償板金修理を負担する保険も用意した。徹底して価値の低下を防止する意気込みだ。

 このあたりマツダの都合とユーザーのメリットが一致しているのも面白い。マツダでは「お客さまの大切な資産を守る」と言う。ウソではないが、それはマツダにとってもマツダ地獄を抜け出すための重要な戦略なのだ。マツダの説明によれば、その結果、CX-5の新車を現金で購入後、7年間乗り続ける場合と、残価設定ローンで3年ごとに新車に乗り換え、7年目の時点の支払額がほぼ同額になるのだと言う。ユーザーはいつも新車に乗っていられるし、マツダは3年ごとに新車を買ってもらえてまさにwin-winだ。

 さて、こうした戦略をとったマツダだが、第6世代が一巡して、マツダ自身が6.5世代と位置付ける新型CX-5が登場したところでこの戦略は成功しているのだろうか?

 まずは、狙い通り乗り換えサイクルが短縮したのか? 長期化すれば下取りが悪化して地獄へ逆戻りだけに、ここは重要だ。新型CX-5は今年2月2日の発売から約1カ月で1万6639台を受注した。目標の約7倍となる成功だ。しかも注目すべきは、初代CX-5からの下取り乗り換えが39%に達していることだ。初代のデビューは2012年なので、つまり最長でも5年以内の乗り換えということになる。

「マツダ地獄じゃなくてマツダ天国になったのかなと」
初代CX-5が出た2012年の例を見ると、41%がマツダ車からの乗り換えだったが、新型ではこれが66%に上がった。「マツダ車からマツダ車への乗り換えはマツダ地獄ではないのか?」と考える人もいるだろうが、前述の通り、初代CX-5から5年以内に乗り換えているケースが多い上、安全装備が付いた上位グレード、Lパッケージとプロアクティブが受注の95%を占めている。つまりお金がない中で苦労して乗り換えているという様子には見えない。マツダの人に聞くと、「下取りが予想外に高くて喜んでいらっしゃるお客さまが多いです。その結果、上位グレードが売れているのではないかと思っています。マツダ地獄じゃなくてマツダ天国になったのかなと……」。

 マーケットは不思議なもので、時代に即応する。良いクルマはほぼ間違いなく中古車価格が高い。ただし中古車価格が高いクルマが良いクルマとは限らない。いずれにしても下取り額が上がり、買い換えサイクルも短縮された。程度の良い中古が市場に増えれば中古車マーケットも賑わう。そして何より大事なのは、マツダが新車販売を値引き勝負で戦わなくて済むようになったことだ。こういう戦略があればこそ、ディーラーのCI(コーポレート・アイデンティティ)変更も順次行われている。黒を基調にした新しい店舗への刷新は、マツダのブランド価値の向上の重要なパーツなのである。

 以上はマツダの説明を基に筆者が見立てた第6世代がマツダの何を変えたのかについての分析である。マツダから提供された数値については、筆者もそれなりに納得しているが、少し意地悪に見れば、マツダのラインアップの中で車両価格が比較的高いCX-5であることも勘案すべきだと思う。デミオでこうした数字が出て来たとき、作戦の成功が確実なものになるだろう。」



乗りたい車が、ないから、一度買った、車会社で買うか、
車検で、買い替えするのが安いかである。

下取りの問題は、最近は、カーオークションの会社が、違う方法である。

ようは、人気のある車は、中古でも、売れるか、人気のない車は、廃棄。

売れる、乗りたい車に乗るのが、現実。

何か下取りの金のことしかないのは、可笑しいこと。

ガソリン車、新しい動力、それが、日々の燃料の問題、そして、電池の額。

老人ではないか、アクセル、ブレーキの踏み間違えしても、事故にならない、車。
人工知能のある車が、これから、主流かもしれない。

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2017年03月27日 02時57分24秒 | ニ言瓦版
TVタックルみると、思うは、なぜ、正論が、ないのか。
不思議。



「26日、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」でお笑い芸人の千原せいじが、スキャンダルで安倍政権を打倒しようとしている野党議員に対して「政治家のレベルが低い」と一刀両断した。

 番組では、今大きな騒動に発展している“森友学園の国有地売却問題”をピックアップ。23日、騒動の渦中にいる森友学園・籠池泰典理事長の証人喚問が国会で行われた。籠池理事長の発言がクローズアップされる中、議論の中心は「100万円寄付」疑惑問題。野党は国有地売却問題を問いただすのではなく、終始「100万円寄付」疑惑問題を追及し、与党を追い込もうとしている。寄付金に関して、籠池氏は寄付の事実を主張しているが、安倍晋三首相の夫人・昭恵氏は完全否定。決定的な証拠がないため、水掛け論に発展している。

 せいじは「国会でする重要事項なのかな? こんなことで時間かけて、もっと安倍さんの政権(を打倒するなら)…自分たちの政策であるとか、そういうことで安倍さんを引きずり下ろすとかなら分かるんですけど」と野党の攻め方に疑問を投げかけ、さらに「なんか野党の人達…政治家としての資質というか、政治家としてのレベルが低いですよね」と辛辣な意見を述べた。」



水掛け論になるも、ならないも、最後は、亀井静香氏のいう、なぜ、検察が、動かない。
大阪府警、司法が、動かない。
というのは、正論。
もともと、この問題は、府議会の議員が、疑問を投げかけたことが、始まる。
府議の議員は、値引きの疑問から、始まり、それが、総理夫人、いろいろな関係した、財務省の問題。
忖度とは、現実、指示したというのが、現実だろう。
それは、司法の場で、裁かれるものだ。


国有地の払い下げは、おかしな事が多いのか、ないのか。
すべては、国有地の払い下げの調査することと、公開することだ。

芋づる式に、いろいろ、関係する行為が出てくる。


不思議は、金もない、土地の借りるものから、買うもの。
それ資産は、寄付で、賄う。
寄付の強制のおねだり組織が、多いのかもしない、
世の中、宗教団体ではないか、寄付で、維持するも、国の国有地の買うは、
資金は、寄付金では、話にならないこと。

他人の寄付する金で、自らの資産のあるものが、国有地の払い下げに、入れるのが普通。

寄付の税金は、疑問なことに見える。

金のなく、寄付し貰う、国有地の払い下げ、借りるは、おかしな事である。


金のないものが、国の土地は、簡単に、変えるは、誰が考えても、
忖度でなく、指示で、払い下げ、犯罪だろう。

ヤフーオークションではないか、公募して、そして、高く買うものに、売る。
普通の競売するのが、本来ではないかと、疑問な財務省の問題に見える。

豊洲市場も、同じようなことに見えるのか、不思議。
国有地、民間の土地も、国が払い下げ、都が買うも、
汚い土地、買う、売るは、国の金、都の金、払う、売るの違いでも、利は、でるのは、
関係した人々かもしれない。

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