二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

一つの教訓、休むと、体が、動かないのか。

2017年03月26日 18時35分06秒 | ニ言瓦版
今日は、いい試合が多い。
真坂、相撲も、逆転があった。
稀勢の里が、勝つとは。


「大相撲春場所は千秋楽の26日、新横綱の稀勢の里が優勝決定戦で大関・照ノ富士を破り、2場所連続2回目の優勝を果たしました。
春場所は25日の14日目を終えて、照ノ富士がただ1人1敗で優勝争いのトップに立ち、2敗で稀勢の里が追う展開となっていました。

千秋楽の26日は、稀勢の里と照ノ富士が結び前の一番で対戦し、13日目の取組で左肩付近を痛めた稀勢の里が突き落としで勝ち、2人が13勝2敗で並びました。

そして、優勝決定戦でも稀勢の里が小手投げで勝ち、新横綱としての執念を見せ2場所連続2回目の優勝を果たしました。

新横綱の優勝は年6場所制となった昭和33年以降では、昭和の大横綱・大鵬、稀勢の里の師匠だった隆の里、平成の大横綱・貴乃花に続き4人目で、平成7年初場所の貴乃花以来、22年ぶりの快挙です。」



考える諦めない心と、体は、動かさないと、怪我の回復がない。
人生は、一つの行為、油断すると、失敗。

照ノ富士は、勿体無いことした。
二回のうち、一つでも、勝つと優勝。

人生は、正しいことは、何か、油断しない、日々の心がけ。

でも、良い相撲だった。
力出すも、戦いの心理は、大切な人間性を生む。

国会の証人喚問、東京都の百条委員会の酷い話の映像より、清々しいことだ。
記憶に残る、一日かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考えると、いい試合は、記憶と、一生の励みになる。

2017年03月26日 16時40分35秒 | ニ言瓦版
いい試合だ。
どこかの野球、アメリカに負けた、試合に出た選手に見せたいものだ。
延長15回。


「第89回選抜高校野球大会第7日の26日は2回戦3試合。第2試合は福岡大大濠(福岡)と滋賀学園(滋賀)が対戦。1点を争う緊迫した投手戦は、今大会5回目の延長に突入したが、延長十五回で決着がつかず引き分け再試合となった。引き分け再試合は86回大会での2回戦、広島新庄と桐生第一の対戦以来3年ぶり。

【白熱のプレー!両者譲らず】試合を写真で振り返る

 △福岡大大濠(福岡)1-1滋賀学園(滋賀)△(延長十五回)

 滋賀学園は初回、1番・真藤、2番・小浜の連続安打で1死二、三塁の好機を作り、4番・武井の中前適時打で先制。福岡大大濠は八回に安打と四球で1死一、二塁として4番・東が中前に適時打を放って同点に追いついた。

 滋賀学園・宮城、福岡大大濠・三浦の両先発は制球が良く、1点を争う投手戦となり、バックも堅守で支えた。初戦に完投した三浦は、この試合も1失点で延長十五回196球を投げ抜いた。滋賀学園は初戦の延長十四回に続く延長戦となったが、引き分けた。

 再試合は大会第8日の27日、第4試合で行われることになった。」



一生懸命、戦うと、価値がある。
人は、一つの経験から、より、価値見出す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バカか、審判、行司の勉強。

2017年03月26日 16時36分35秒 | ニ言瓦版
勉強しないと、失敗する。
一つの例。




「◇千秋楽◇26日◇エディオンアリーナ大阪

 三段目で珍事が起きた。

 西三段目17枚目の西山(22=尾上)のまわしの前垂れが、同19枚目の翠富士(20=伊勢ケ浜)との取組中に土俵についた。すると、審判団は西山に対し「負け」を通告。翠富士の勝利が決まった。だが、規定では前垂れが土俵についても負けにはならない。その後、二所ノ関審判部長(元大関若嶋津)と春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は「審判の認識不足で申し訳ない。審判部として勉強し直して対応に当たってもらう。負けた西山には申し訳ない」と陳謝。取組時に担当していた審判団にも厳重注意したことを明かした。

 幸運な5勝目を挙げた形になった翠富士は、勝った直後は「(相手が)重かった。これで幕下に上がれると思うので頑張りたい」と喜んだものの、不思議な勝利に「えっ、なんで? と思った」と驚きを隠せなかった。」


審判、行司の再教育が、必要。
相撲は、稽古より、知らないのは、無知というのが、現実。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうだろうな。

2017年03月26日 03時31分24秒 | 名言、珍言。
いいことだ。
戻るのは。




「天皇陛下が退位され、皇太子さまが新しい天皇として即位された場合、それぞれのお住まいが入れ代わる方向で検討が進められていることがわかりました。天皇皇后両陛下は、結婚後30年余りを過ごした「東宮御所」に戻られることになります。
関係者によりますと、宮内庁は、天皇陛下が退位され、皇太子さまが新しい天皇として即位された場合、天皇陛下は、皇后さまとともに東京・港区の赤坂御用地にある皇太子ご一家のお住まいの「東宮御所」に移られ、皇太子ご一家は、皇居にある両陛下のお住まいの「御所」に移られる方向で検討を進めているということです。

お住まいの入れ代わりによって新たな住まいを建設する必要はなくなり、皇位継承に伴う支出の抑制につながるということで、こうした方針を両陛下や皇太子ご夫妻も受け入れられているということです。

住まいの名称は、今の「御所」は天皇の住まいとして「御所」のまま変わらず、退位した天皇陛下と皇后さまが暮らされる「東宮御所」は、かつて皇位を譲ったあとの天皇の住まいの呼び名に使われた「仙洞御所」となる見込みだということです。

お住まいの入れ代わりには、一時的な仮住まいを設けるなどの必要があり、移転が終わるまでには時間がかかる見通しです。

「東宮御所」は、両陛下が結婚後30年余りを過ごし、自分たちの手で3人のお子さまを育てられた建物で、天皇陛下が退位されれば、皇后さまと思い出の住まいに戻り、新たな生活を始められることになります。天皇陛下の退位をめぐっては特例法の制定で退位を可能とするなどとした国会の考え方がまとまり、政府の有識者会議が天皇陛下の退位後の称号やお立場など詳細な制度設計の検討を進める方針です。
譲位後の天皇の住まい
歴史上、譲位した天皇は「上皇」という略称で呼ばれ、譲位後に移り住んだ住居は、俗世を離れた仙人の住まいを意味する「仙洞御所」のほか、「後院」や「仙院」などと呼ばれました。

今もその名が残る京都市上京区の京都御苑の「仙洞御所」は、江戸時代初めの1629年に明正天皇に位を譲って上皇となった後水尾天皇以降、歴代の天皇の譲位後の住まいがあった場所ですが、住居だった建物は火災で消失し、現在は庭園や茶室が残るだけになっています。
「御所」 両陛下の住まいとして平成5年に完成
皇居の吹上地区にある「御所」は、昭和天皇の崩御に伴って即位された天皇陛下と皇后さまの新たなお住まいとして、平成5年の春に完成し、その年の12月から、両陛下が長女の紀宮さまとともに暮らし始められました。

総工費は56億円で、総面積は4940平方メートル。地上2階、地下1階の鉄筋コンクリート造りで、両陛下の私室のほか、職員の事務室、応接室など、合わせて62の部屋があり、外国から賓客が訪れた際などの接遇の場としても使われています。
一方、平成の代替わりによって、昭和天皇ときさきの香淳皇后の住まいだったそれまでの御所は、「吹上大宮御所」と名称が変わり、香淳皇后が、皇太后として、平成12年に亡くなるまで暮らしました。
「東宮御所」 昭和35年に両陛下の新居として完成
東京・港区の赤坂御用地にある「東宮御所」は、昭和35年の春、前の年に結婚した皇太子夫妻、今の天皇皇后両陛下の新居として完成しました。「東宮御所」の「東宮」は、奈良時代以降、皇太子や皇太子の住まいの意味で使われてきた用語です。

建物は地上2階、地下1階の鉄筋コンクリート造りで、のちに増改築が行われ、総面積は5500平方メートル余りあります。皇太子ご一家の私室のほか、賓客の接遇などに使われる応接室や広間、宮内庁の職員の事務室などがあり、そばにはテニスコートもあります。

天皇陛下が即位し、両陛下が皇居の「御所」に移られた翌年の平成6年7月から皇太子ご夫妻が暮らし始め、現在、長女の愛子さまと一家3人で生活されています。
両陛下「東宮御所」への思い
天皇皇后両陛下は、結婚翌年の昭和35年6月、誕生されてまもない長男の浩宮さま、今の皇太子さまとともに「東宮御所」での生活を始められました。

親子が離れて暮らす天皇家の慣習を見直し、自分たちの手で皇太子さまを育てられました。皇后さまが側近に示された育児方針のメモは、皇太子さまの名前の「徳仁(なるひと)」にちなんで、「ナルちゃん憲法」と呼ばれ、話題になりました。

その後、次男の礼宮さま、今の秋篠宮さま、そして長女の紀宮さま、黒田清子さんも誕生。両陛下は、忙しい公務の合間に、お住まいで家族と過ごす時間も大切にし、そばにあるテニスコートで、たびたび家族で汗を流されました。「東宮御所」で3人のお子さまを育てながら、親しみやすい新たな皇室像を築かれました。

両陛下は、天皇陛下の即位後も平成5年12月に皇居の「御所」に移るまで「東宮御所」で生活されました。この間、「東宮御所」は「赤坂御所」に名称が変わり、天皇陛下は皇居まで車で通って公務にあたられました。

両陛下は、折に触れて「東宮御所」での暮らしを振り返られています。天皇陛下は、「御所」の完成を前にした平成4年の記者会見で、「東宮御所」での生活について触れ、「30年以上も住んでいましたから、移るときには、さまざまなことが思い出され、感慨深いものがあると思います」と述べられました。

皇后さまは、黒田清子さんの結婚式を間近に控えた平成17年の誕生日にあたり、「自然のお好きな陛下のお傍(そば)で、二人の兄同様、清子も東宮御所の庭で自然に親しみ、その恵みの中で育ちました」と文書で述べられました。そして、「子どもたちでにぎやかだった東宮御所の過去の日々が、さまざまに思い起こされます」と振り返られています。」



公共の屋敷、家は、残すも、いい。
増改築もいるのだろう。

老人の家にするには。


いろいろ、時代、年号が変わるも、
考えさせられることだ。

家は、代々、変わるが、住む人が、いると、残るのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

売れない商品だから、売れない。

2017年03月26日 02時48分00秒 | ニ言瓦版
この会社も、オカシナ会社。
経営が、悪いのは、買いたい商品がない。
安い、高いではなく、ヒットする商品がない。
知らないのかもしれない。



「大塚家具は24日、東京都内で株主総会を開き、大塚久美子社長が再任された。2016年12月期連結決算で過去最悪の45億円の最終赤字を計上しており、「議決権行使助言会社」の最大手である米ISSが大塚社長の再任に反対していた。

 総会では株主から大塚社長に対し、業績悪化の責任を問う質問など出たが、取締役の選任や配当などすべての議案が承認された。総会に約120人が参加し、20人が質問した。開催時間は2時間15分で、業績悪化の影響もあり、昨年の56分を大きく上回った。

 大塚家具は2年前に経営方針をめぐって、創業者の父と娘の「お家騒動」が勃発。大塚社長が経営権を取得し、会員制販売の廃止や高級路線から転換する戦略を打ち出したが、顧客に方針転換がうまく伝わらず、業績が低迷している。このため今月、新たな経営ビジョンを発表。専門店や小型店の拡大、中古家具の販売など新規事業で、業績の立て直しを図る戦略を打ち出している。」



家具屋も、設備会社「トイレ、外観、内装」と、変わらない、ヒットする商品造りしないと、
売れない。

時代に合う、ものを売る。
リビングコタツが売れた時期。
浄化する物が売れた時期。

狭い部屋でも、活用する、家具の開発とか、することだろう。

多くの人か、買う家具が、開発が必要なこと、知らないのかもしれない。

風水の家具の開発とか。
売れる家具、作れば、売れるものだ。

売れない品つくるから、売れない。
普通なこと。

アパホテルでも、この大塚家具のものは、泊まったことあるのか。
東横インなど、泊まったことあるのか。
そして、知るは、必要な家具は、何か、売れる家具は、何か、知らないと、
それは、ホテルが出来るも、家具屋は、儲からない。
設備会社も儲からない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする