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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (253)
(題しらず) (よみ人しらず)
神無月時雨もいまだふらなくに かねてうつろふ神なびの森
(題知らず) (詠み人知らず・女の歌として聞く)
(神無月・初冬十月、しぐれも未だ降らないのに、その前に、衰え枯れゆく神なびの森……上の月人おとこ、その時のおとこ雨も未だ降らないのに、その前に、衰える、上のおとこの激情の盛りよ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「神…かむ…かみ…上…上になっている男」「無…な…の」「月…月人壮士…おとこ…突き…尽き」「時雨…しぐれ…冬の雨…その時のおとこ雨」「かねて…予ねて…前もって…その前に」「うつろふ…移ろう…悪い方に変化する…衰える」「神なび…上な火…上のおとこの激情」「な…の」「ひ…火…激情のたとえ」「森…もり…盛り…盛り上がり…あゝ盛りよ・体言止めは余情がある」。
神無月、しぐれも未だ降らないのに、その前に、枯れ衰える神の座す森・神は出雲へお出かけかしら。――歌の清げな姿。
上にいる貴身、つめたいおとこ雨も降らないのに、その前に、衰えゆく上の君の火(激情)の盛りよ。――心におかしきところ。
おとこの情熱のはかなく衰えるさまを、清げな言葉で表現した歌のようである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)