帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(九)また、この男、音ぎきに聞き ・(その二)

2013-10-25 00:07:21 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今集には載せられなかった和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今和歌集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。

和歌は、仮名序にいう「歌の様を知り、言の心を心得える人」には、わかるおかしさがある。今の人々にも、そのおかしさを感じてもらえるように紐解きながら、色好みな歌と物語の帯を解いてゆく。「歌の様」や「言の心」については、理屈より慣れることで、おいおいわかる。


 

平中物語(九)また、この男、おとぎきに聞きならしつつ・(その二)


 されば(それで……話を聞きましょうと女が言ったので)、男、急いで来たので話などしてその夜は、よそよそしく帰ったのだった。朝に、女の許より、

吹く風になびく草葉とわれは思ふ 夜半におく露退きもかれずな

(吹く風になびく草葉と一緒だと、わたくしは・自分を・思う、夜の半ばにおく露、退きも涸れもしないでね……君の心に・吹く風になびく草の端くれと、わたしは自分を思う、夜の半ばに少しでも退いたり、白つゆ涸れたりしないでね)。

 

言の戯れと言の心

「風…心に吹く風…ここは春風か」「草…ぬえ草のめ・若草の妻と表現された大昔から草の言の心は女」「は…葉…端」「と…と共…と一緒」「夜半…暁ではない時…春は曙では未だない時…中途半端な時」「露…ほんの少し…おとこ白つゆ」「かれ…枯れ…離れ…涸れ」「ず…打消しの意を表す」「な…禁止する意を表す…自己の願望を表す…汝…ねえあなた…親しきものの代名詞」。

 

かかれば(こうであったので……こんな歌だったので)、「とっても口惜しい、ちぎられぬること(契り結んでしまえたことよ……女に契らされてしまったことよ」と言って、男、返し、

深山なる松はかわらじ風下の 草葉と名のるきみはかるとも

(深山の松は・風が吹いても常に・変わらない、風下の草葉と名のる貴女は枯れようとも……深く高き山ばの女は常に色変わらない、そこへ送り届けよう・風下の草葉と名のる貴女は声が嗄れても・我は涸れ尽きても)。


言の戯れと言の心

「山…山ば」「松…待つ…女」「風…心風」「草…女」「は…葉…端…身の端」「かる…枯れる…涸れる…嗄れる」。


 そうして、夕暮れに来たのだった。夜、明けたので帰った。かの女の親族、男を見つけたのだった。そして、「おのがめに、これよりいでていぬるは(自分の目で、ここより出て帰ったのは・見たぞ……おのれのめに、めより出でて去ったのは・覯したな」、女、「しらず(知らないわ……知らない心地だった)、よにあらじ(全然ありもしないことよ……この世のことではないような)」、「よし、こうなったからには、この出て行った男に問おう・我が娘をどうするおつもりかと」と言ったのだった。そうであったので、女・「母親が・其処に行って問うでしょうきっと、今朝、お出になられたのを見たことよ、もし問えば、このように応えてね」ということで、言った、

ちはやぶる神てふ神もしらるらむ 風の音にもまだ知らずてへ

(千早ぶる神という神が御承知でしょう、そんな人・噂にも未だ聞いたことない、と言って……血はやぶる女という女は御承知でしょう、娘さんは・風の便りにも未だ・そんなこと・知らない、と言って)。


言の戯れと言の心

「め…目…女」。

歌「ちはやぶる…神の枕詞…千早ぶる、血早振る(血気お盛ん)、血は破る(業平の歌、ちはやぶる神世も聞かずたつたかは、の場合はこれ)」「かみ…神…女…天照大御神の始めから女神がこの国の母である、岩戸にお隠れになると、この国は闇となることは万人が経験した。神という言葉が女という意味を孕んでいても何の不審もない」。

 

と遣った返り事、

白川のしらじともいはじ底清み 流れてよよにすまむと思へば

(白川の、しらじらしく知らないと、嘘は・言わないでしょう、底清く流れて、心澄んで・世々に暮らそうと思うので……白く染まった女が、それ知らないとは言わないでしょう、貴女は・心清らかなので、流れて夜々に住もうと思うので・妻としたい)。


言の戯れと言の心

「白…しらじらしい…おとこのものの色」「川…女」「すまむ…澄もう…心澄もう…住もう…妻としよう」。


とだ、あったのだった。(つづく)


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 仮名序で紀貫之の言う「歌の様(
和歌の表現様式)」については、藤原公任に学べばいい。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあるとわかる。これが「歌の様」である。

 

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

 


帯とけの平中物語(九)また、この男、音ぎきに聞きならし ・(その一)

2013-10-24 00:10:09 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今集には載せられなかった和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今和歌集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。

和歌は、仮名序にいう「歌の様を知り、言の心を心得える人」には、わかるおかしさがある。今の人々にも、そのおかしさを感じてもらえるように紐解きながら、色好みな歌と物語の帯を解いてゆく。「歌の様」や「言の心」については、理屈より慣れることで、おいおいわかる。

 


 平中物語(九)また、この男、おとぎきに聞きならしつつ・(その一)


 また、この男(平中)おとぎきに聞きならしつつ思ひいどむ(噂に聞き、そうであろうとしながら、女を思い、言い寄る)人であったのだ。そうであったのに、言いかけなかった間に、その女、なんとまあ、この男を、ききいどみて(噂に聞き言い寄って)、このようなことを、先ず、言ったのだった。

心あだに思ひさだめず吹く風の おほそらものと聞くがまことか

(心はいいかげんで、浮気で定まらず吹く風のような、大空者と聞くのは、ほんとうか……心は婀娜で、思いをここと定めず吹く風のようで、ものは・大いに空々しき物と聞くけど、真実なのかしら)


言の戯れと言の心

 「あだ…徒…空…実なし…婀娜…色っぽくなまめかしい」「風…心に吹く風」「おほぞらもの…大いに空々しいもの…大いなるあだ者」「空…空々しい…不実」。

 

と言ったのを、あやし(不審だ…けしからん)とは思いながら、いかで(何とかして・得たい)と思う所より、そのように言ってきたので喜んで、返し、

ただよひて風にたぐへる白雲の なをこそ空のものといふなれ

(漂うて、風に連れ添う白雲のような、純白な我が・名声をだよ、空の物というのである……多々好いて、あなたの心に吹く・風に寄り添う、純白の心雲の我が・汝おこそ、天の賜り物というのである)

 

言の戯れと言の心

「ただよひ…漂ひ…多多酔い、多々好い」「風…心風」「たぐふ…添う…似合う…寄り添う…一緒になる」「白…潔白…純白…おとこの色」「雲…心雲」「な…名…名声…評判…汝…親しき者をこう呼ぶ」「を…お…おとこ」「そらのもの…空の物…天の物…あまの物…女のためのもの…天与の物」。

 

また、女、桜の花のおもしろきにつけて(桜花の美しく咲いたのに付けて……男木の花のおもしろいのにかこつけて)、

まさぐらばをかしかるべきものにぞある わがよ久しく移らずもがな

(桜花・手にして触れば、風情があるにちがいない物ですね、わが世よ、久しく移ろわず在ればいいのに……おとこはな・まさぐれば、お樫くなるべき物ですねえ、わが夜よ、久しく散り果てないで欲しいわ)

 

言の戯れと言の心

 「桜の花…木の花…男木の花…おとこのはな」「はな…花…先…端」。

歌「まさぐる…弄る…手でもてあそぶ」「をかし…趣きがある…を樫…お堅し」「を…おとこ」「べき…べし…当然の意を表す」「よ…世…夜」「もがな…願望を表す」。

 

男、返し、

今年より春の心しかはらずは まさぐられつつきみが手に経む

(今年より、季節の春の心が、移ろい変わらなければ、桜花・まさぐられつつ、あなたの手の内で過ごすだろう……この疾しより、わが春情が移ろい変わらなければ、まさぐられつつ、あなたの手の内で過ごすつもりだ)。

 

言の戯れと言の心

「とし…年…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「はる…春…張る…春情」「む…推量の意を表す…意志を表す」。

 

とだ、言ったのを、をかしと思ひけむ(女は・興味を感じたのだろう)、「よそにても(別に隔たった所でも・よければ……よそよそしくても・よければ)、言いたいことを聞きますわ」なんて言ったのだった。(つづく)

 


 草の花の心は女であったけれども、桜の花の心を女性と決めつけるのは、近世以来の言語感覚である。古代の難波の宮での歌「難波津に咲くや、この花――」の木の花は、皇太子の比喩であった。それは、すでに「木の花」の言の心が男であったためである。「花の色は移りにけりな――」と小野小町が詠んだ時、花は「女」であり「男はな」でもある。すると歌に、もの憂い色気が漂う。それが小町の歌である。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 仮名序で紀貫之の言う「歌の様(
和歌の表現様式)」については、藤原公任に学べばいい。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあるとわかる。これが「歌の様」である。

 

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰るほかないのである。

もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法であり、自然科学の方法であるため、誰もがこの方法によって、和歌や物語の解釈にも有効であると思い込んでしまった。和歌の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。それは、藤原俊成の歌論を一読すればわかることであるが、歌の言葉は浮言綺語の戯れということを、国学も国文学も無視したのである。言語観は平安時代最後の人、俊成に帰るべきである。


帯とけの平中物語(八)また、この男、おほかたなるものから

2013-10-23 00:06:02 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今集には載せられなかった和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今和歌集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。

和歌は、仮名序にいう「歌の様を知り、言の心を心得える人」には、わかるおかしさがある。今の人々にも、そのおかしさを感じてもらえるように紐解きながら、色好みな歌と物語の帯を解いてゆく。「歌の様」や「言の心」については、理屈より慣れることで、おいおいわかる。



 平中物語(八)また、この男、おほかたなるものから


 また、この男(平中)おほかたなるものから(普通の関係だけれど……大型・大堅なものでありながら)、時々、をかしきこと(意味深なこと……おかしなこと)は言ったのだった。それに(それで……その女に)桜のいみじうおもしろきををりて(桜のとっても美しいのを折って……咲くらのとっても趣のあるお、逝き折りて)、男が言い遣る。

咲きて散る花と知れるを見る時は 心のなほもあらずもあるかな

(咲いては散る桜花と承知しているものの、見物する時は、心が猶も・散らずに・在ってほしいと思う……咲いて散るおとこ花と知られているが、我が見る時は心が猶も・散らず・あることよ)

 

言の戯れと言の心

「花…桜花…男花…おとこ花」「見…見物…覯…まぐあい」「なほ…猶…依然として…なおもまた…実直…直立」「がな…自己の願望を表す…かな…感動の意を表す」

 

女、返し、

年ごとの花にわが身をなしてしが 君が心やしばしとまると

(年毎の桜花に、わが身を為したいなあ、君の心や、しばし・わたしに見とれて・留まるかと……疾し毎のおとこ花によって、わが身を成したいなあ、君の心や、しばし・折れずに・留まるのと共に)


言の戯れと言の心

「とし…年…疾し…早い…咲けばすぐ散る…おとこ花の性(さが)」「花…桜花…見物される花…おとこ花」「なし…為し…成し…(山ばの頂上に)成し」「しが…自己の願望を表す…したいなあ」「と…と共に…と一緒に」。

 


 これが、上衆の女の返しである。男の歌の「清げな姿」に応え、「心にをかしきところ」にも応えている。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 仮名序で紀貫之の言う「歌の様(
和歌の表現様式)」については、藤原公任に学べばいい。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあるとわかる。これが「歌の様」である。

 

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰るほかないのである。

もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法であり、自然科学の方法であるため、誰もがこの方法によって、和歌や物語の解釈にも有効であると思い込んでしまった。和歌の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。それは、藤原俊成の歌論を一読すればわかることであるが、歌の言葉は浮言綺語の戯れということを、国学も国文学も無視したのである。言語観は平安時代最後の人、俊成に帰るべきである。


帯とけの平中物語(七)さて、この男、志賀寺に詣でて ・(その二)

2013-10-22 00:02:59 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今集には載せられなかった和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今和歌集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。

和歌は、仮名序にいう「歌の様を知り、言の心を心得える人」には、わかるおかしさがある。今の人々にも、そのおかしさを感じてもらえるように紐解きながら、色好みな歌と物語の帯を解いてゆく。「歌の様」や「言の心」については、理屈より慣れることで、おいおいわかる。



 平中物語(七)さて、この男、志賀寺に詣でて・(その二)


 また、他の局に、人いとあまた見ゆるをえしのばで(人、たいそう多く見えるので、忍んでいることが出来ずに……女、井門あまた見ゆる、お、我慢できずに)言い遣る。雪のかきくらし降る日にぞありける(雪が空を暗くして降る日であった……白ゆきの心を暗くしてふる日であったのだ)。

春山のあらしの風に朝まだき 散りてまがふは花か雪かも

(春山の嵐の風に、夜が明けきらないとき、散り乱れるのは花か、雪かなあ……春情の山ばの、荒し心風に、まだ朝ではないときに散り乱れるは、おとこ花か、白ゆきかなあ)。


言の戯れと言の心

「春…季節の春…情の春」「山…土地の隆起したところ…山ば…もの事や心地の山ば」「あらし…嵐…山ばで吹く激しい心風」「あさまだき…合うせの終わる朝ではまだ無い…浅未だ期」「花…木の花…男木の花…梅桜など…おとこ花」「ゆき…雪…白雪…逝き…おとこ白ゆき」。


とあったけれど、返りごとはせず(女は・返事をしない)。

また、男、

問ひければこたへける名をさざなみの ながらの山の山彦もせぬ

(問えば答えるという、名を、さざ波の志賀の長らの山が、山彦もしない……訪問すれば応えるという、なお、細かい心波の中らの山ばが、こだまする女の声もしない)。


言の戯れと言の心

「とひ…問い…訪い…訪問」「ける…けり…伝聞を表す」「なを…名を…猶…やはり」「ささなみの…志賀の枕詞…心嬉しき細かい心波の」「ながら…山の名…長等山・長良山…長い…中ら…中途半端」「山…上の歌に同じ」。


 この度は、返しをしたのだった。

さざなみのながらの山の山彦は 問へどこたへず主しなければ

(さざ波の長らの山の山びこは、問えど答えない、主人が留守なので……――)。

ことなることなき人の、いと上衆めかしければ、ものもいはでやみにけり(とくに何でもない女が、たいそう上衆めかしていたので、情を交わすことなくやめたのだった)。


 「ものいふ…もの言いかける…言葉を交わす…情けを交す」「で…ず…打消しの意を表す」。



 色気ある言葉の玉を投げかけて、女の反応を見てから、「もの言ふ」。この章の女達は、応えに色気がなかったので、早々に「情けを交わす」気はなくなったようである。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 仮名序で紀貫之の言う「歌の様(
和歌の表現様式)」については、藤原公任に学べばいい。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあるとわかる。これが「歌の様」である。

 

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰るほかないのである。

もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法であり、自然科学の方法であるため、誰もがこの方法によって、和歌や物語の解釈にも有効であると思い込んでしまった。和歌の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。それは、藤原俊成の歌論を一読すればわかることであるが、歌の言葉は浮言綺語の戯れということを、国学も国文学も無視したのである。言語観は平安時代最後の人、俊成に帰るべきである。


帯とけの平中物語(七)さて、この男、志賀寺にまうでて ・(その一)

2013-10-21 00:13:18 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今集には載せられなかった和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今和歌集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。

和歌は、仮名序にいう「歌の様を知り、言の心を心得える人」には、わかるおかしさがある。今の人々にも、そのおかしさを感じてもらえるように紐解きながら、色好みな歌と物語の帯を解いてゆく。「歌の様」や「言の心」については、理屈より慣れることで、おいおいわかる。



 平中物語(七)さて、この男、志賀寺にまうでて・(その一)


 さて、この男(平中)、志賀寺に詣でて、二月の法会のお勤めをした。そのときに、この男の局の前に、女達が立ち彷徨っていたのだった。それで、この男、なほしも見で(ただ見ていられなくて……ただ見てはいないで)、「などかくはさまよひたまふ(どうしてこう彷徨っていらっしゃるのか)」と言えば、「夜が更けましたので、局もなくてですね、頼り寄る所もなくてです」と言えば、「さらば、ここにやはやどりたまはぬ(それでは、ここに宿りなさいませんか)」と、供の者に・言わせたので、なにのよきこと(何の果報…なんとまあ良きことよ)と、女達が・集まって来て、ただいささかなるもの(ちょっとした衝立など)を隔てて、この男は居たのだった。

そうして、言葉を交すときに、夜が明けたのだった。女ども、皆、出て行ったので、隠れて居る所に、この男、このように言って遣る。

群鳥の騒ぎたちぬるこなたより 雲の空をぞ見つつながむる

(群鳥が騒いで飛び立った此方より、雲のある空を見ながら、ぼんやりともの思いに耽っています……集まって貴女達が去った此方より、心のもやもやを空しく見つめながら、もの思いに耽っています)


言の戯れと言の心

「鳥…女」「雲…心雲…心のもやもや…心のむらむら」「雲…心に煩わしくも湧き立つもの…情欲…煩悩」「空…天…むなしい」「見…目で見る…思う」「ながむる…眺める…もの思いに耽る」。


とある返し、女、

はかなくて騒ぎ立ちぬる群鳥は とびかへるべきすをぞ求むる

(なにも無くて騒いで立ち去った群鳥は、飛び帰ることのできる巣を、探し求めてなのよ……情け交わすことも無くて、騒がしく立ち去った女たちは、門泌繰り返すことのできる『す』『お』ぞ、乞い求める)。


言の戯れと言の心

「とび…飛び…門ひ…門泌」「と…門…女」「かへる…帰る…返る…繰り返す」「す…巣…洲…女…すしあわび(土佐日記正月十三日)のす…おんな」「もとむ…捜し求める…乞い求める…希望する」。


 男、返し、

巣を分きてわが待つものを飛ぶ鳥の なにかゆくへをさらに求むる

(巣を分けて、我が待っているのに、飛ぶ鳥が、どうして行き先を更に求めるのか……『す』、『お』分けて、我が待つものを、飛ぶ鳥のふちせの定まらない女、どうして逝く重『お』、さらに求めるのか)。


言の戯れと言の心

「す…おんな」「を…おとこ」「飛ぶ鳥の…明日香の川のように、流れ変わり易い…無常な…心変わり易い」「鳥…女」「ゆくへを…行方を…逝く重お…逝くを重ねるおとこ」「さらに…更に…重ねて」。

 

と言ったところ、「いな、いひそめじ、うるさし(いや、言い初めるつもりはない、歌は・面倒くさいわ……いや、井泌染めるつもりなし、ここで色事に染まるのは・煩わしいわ)と言って、逃げたのだった。それで、男も尋ねて行かずにやめたのだった。(つづく)


言の戯れと言の心

「いひ…言い…井秘…井泌…おんな」「そめ…初め…はじめ…染め…感染する…色に染まる」「じ…つもりはない…打消しの意志を表す」「うるさし…めんどうだ…煩わしい」。

 


  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 仮名序で紀貫之の言う「歌の様(
和歌の表現様式)」については、藤原公任に学べばいい。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあるとわかる。これが「歌の様」である。

 

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰るほかないのである。

もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法であり、自然科学の方法であるため、誰もがこの方法によって、和歌や物語の解釈にも有効であると思い込んでしまった。和歌の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。それは、藤原俊成の歌論を一読すればわかることであるが、歌の言葉は浮言綺語の戯れということを、国学も国文学も無視したのである。言語観は平安時代最後の人、俊成に帰るべきである。