帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(一)今は昔、男二人して女一人を ・その三

2013-10-11 00:07:47 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今集には載せられなかった和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今和歌集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。


 和歌は、古今集仮名序にいう「歌の様を知り、言の心を心得える人」には、わかるおかしさがある。それを今の人々にも感じらように紐解きながら、色好みな歌と物語の帯を解いてゆく。「歌の様」や「言の心」については、理屈より慣れることで、おいおいわかる。

 


 平中物語(一)今は昔、男二人して女一人をよばひけり・その三

 
 「心を慰めに、東の国の方に行きたい」と、親に申したところ、「やはり、この正月の司召(官職任命の日)が過ぎるまで・我慢しなさい。それで、なんともならなければ、もろこし(唐土)でも、どこでも行きなさい」とおっしゃったのにひっ掛って、待っていると、その司召に虚しい気持ちになったので、思ひうじはてて(思い悩み、うんざりしてしまって)、さいはでえあるまじき人のもとにいひやる(それ言わずにいられない人の許に言って遣る……そもそもこうなる原因となり、あげくに君なんか飽きたと言った女に言って遣る)、

 浮草の身は根を絶えてながれなむ 涙の川のゆきのまにまに

(浮草のような身は、根を絶やして、流れてゆくでしょう、涙の川の流れゆくままに……浮かれ女の身は、おとこ絶えて、汝枯れるでしょうよ、並みだの女の生きゆくままに)。


言の戯れと言の心

「草…植物…言の心は女」「根…植物の根…おとこ」「ながれ…流れ…なかれ…泣かれ…汝涸れ」「なむ…そうなるに違いないでしょう…その事態を強く推量する」「なみだ…涙…並みだ…容姿も心もよくない」。

 

とあるのを見て、さりとも、ふとは、えいきはなれじと(そう思おうとも、すぐには、行き離れられないだろうと)と思って、女・返し、

 おくれゐて嘆かむよりは涙川 われおり立たたむまづながるべく

 (君に遅れて居て、嘆くことになろうよりは、涙川、わたしが下り立つわ、先に流れるように……君に先発され・遅れて嘆くよりも、並みだかは、わたしが根を折りてはまた立てるつもり、待つ女、泣けるように)。


言の戯れと言の心

「おくれ…遅れ…後発…とり残され」「なみだかは…涙川…並み田女…汝見多かは」「川…女…かは…疑問・反語の意を表す…(並みだって)か(並み)ではない」「おり…降り…折り…逝き」「たたむ…立たむ…立つでしょう…立てましょう」「む…推量の意を表す…意志を表す」「まづ…先ず…先に…まつ…待つ…女」「べく…べし…することができる…可能の意を表す」。


 かくて(こうして……これで)、ほんとうに、この男、どこかへ行ってしまおうと思う気色を見て、親は明け暮れ呼びつけて、「人の世のはかないことを知り、承知していながら、遠くへ行ってしまおうというのは、親を嫌ってか。なおも、この正月の司召を、待ちなさい」とひたすらおっしゃる。思い悩んで成り行きまかせに過ごしていると、その司召にも掛らずはずれたので、深く世の中を嫌なことばかりと思い、うんざりしてしまって、帝の御母后の御許に仕える人で、この男の知る女たちの中に言い遣る。

 なりはてむ身をまつ山のほととぎす いまはかぎりと鳴き隠れなむ

 (なり果てる身を待つ、山のほととぎす、今はこの世もこれが限りと鳴き隠れるだろう……成り、果てる身を待つ、山ばの且つ乞う女ども、今は極限と泣き、お隠れになるよ・そうしてあげるよ)。


 言の戯れと言の心 

 「まつ…松…待つ…女」「山…山ば」「ほととぎす…郭公…鳥の名…名は戯れる。且つ乞う、且つ媾」「鳥…言の心は女」「鳴き…泣き」「隠る…亡くなる…果てる」。

 

とあったのを、お付きの女房ら、あはれがりて(あゝと哀れがって……あらまあと愛おしがって)、「このようにですね、申しています」と申しあげたので、この男の・父は、やはりその后の甥であったので、「あの子の子が・罪とがもないのにこうしておかれれば、人の国にも隠れ山はやしにも入りぬべし(地方の国に隠遁し、修行に・山林に入ってしまうでしょう……人のくにに隠れ、山ば早しに入って女の中に埋没してしまうでしょう)」と、ひたすら奏上されたので、帝「あの男は・宮仕えせず、しても・うわの空だというので、懲らしめようとして、官職・取り上げたのですぞ、今は懲りたのであろう」ということで、あの司召の直物(任命の追加訂正の日)に、元の官職よりは、今少し優ったのを賜ったのだった。


 

男子は十五歳ぐらいで大人と認められる。平中も内舎人(内裏の雑役・警護役)として出仕した。同時に妻を求めて「婚活」も始めたのだろう。先輩や女には恵まれなかったか、色好みなことを優先したためか、たちまちあのような事になってしまった。二年間ほど無職にされて、懲らしめられたらしい。「直物」では、右馬権少充になったという。権(ごん)は、仮の・定員外のと言う意味である。


 

文は、小学館 日本古典文学全集平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、物語と歌を読むための参考に記す。


 仮名序で紀貫之の言う「歌の様(
和歌の表現様式)」については、藤原公任に学べばいい。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあるとわかる。これが「歌の様」である。


 「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。