帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(八)また、この男、おほかたなるものから

2013-10-23 00:06:02 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた男の詠んだ古今集には載せられなかった和歌を中心にして、その生きざまが語られてある。平中は、平貞文のあだ名で、在中将(業平)に次ぐ「色好みける人」という意味も孕んでいる。古今和歌集の編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。

和歌は、仮名序にいう「歌の様を知り、言の心を心得える人」には、わかるおかしさがある。今の人々にも、そのおかしさを感じてもらえるように紐解きながら、色好みな歌と物語の帯を解いてゆく。「歌の様」や「言の心」については、理屈より慣れることで、おいおいわかる。



 平中物語(八)また、この男、おほかたなるものから


 また、この男(平中)おほかたなるものから(普通の関係だけれど……大型・大堅なものでありながら)、時々、をかしきこと(意味深なこと……おかしなこと)は言ったのだった。それに(それで……その女に)桜のいみじうおもしろきををりて(桜のとっても美しいのを折って……咲くらのとっても趣のあるお、逝き折りて)、男が言い遣る。

咲きて散る花と知れるを見る時は 心のなほもあらずもあるかな

(咲いては散る桜花と承知しているものの、見物する時は、心が猶も・散らずに・在ってほしいと思う……咲いて散るおとこ花と知られているが、我が見る時は心が猶も・散らず・あることよ)

 

言の戯れと言の心

「花…桜花…男花…おとこ花」「見…見物…覯…まぐあい」「なほ…猶…依然として…なおもまた…実直…直立」「がな…自己の願望を表す…かな…感動の意を表す」

 

女、返し、

年ごとの花にわが身をなしてしが 君が心やしばしとまると

(年毎の桜花に、わが身を為したいなあ、君の心や、しばし・わたしに見とれて・留まるかと……疾し毎のおとこ花によって、わが身を成したいなあ、君の心や、しばし・折れずに・留まるのと共に)


言の戯れと言の心

「とし…年…疾し…早い…咲けばすぐ散る…おとこ花の性(さが)」「花…桜花…見物される花…おとこ花」「なし…為し…成し…(山ばの頂上に)成し」「しが…自己の願望を表す…したいなあ」「と…と共に…と一緒に」。

 


 これが、上衆の女の返しである。男の歌の「清げな姿」に応え、「心にをかしきところ」にも応えている。



  原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。歌の漢字かな表記は必ずしも同じではない。



 以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 仮名序で紀貫之の言う「歌の様(
和歌の表現様式)」については、藤原公任に学べばいい。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあるとわかる。これが「歌の様」である。

 

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」という。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰るほかないのである。

もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法であり、自然科学の方法であるため、誰もがこの方法によって、和歌や物語の解釈にも有効であると思い込んでしまった。和歌の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。それは、藤原俊成の歌論を一読すればわかることであるが、歌の言葉は浮言綺語の戯れということを、国学も国文学も無視したのである。言語観は平安時代最後の人、俊成に帰るべきである。