帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔九〕今の内裏

2011-02-27 06:06:27 | 古典

 
            
                     帯とけの枕草子
〔九〕今の内裏



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、君が読まされ、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」。「心におかしきところ」を紐解きましょう。


 枕草子〔九〕今の内裏
 
 文の清げな姿 
 今の内裏の東を北の陣という。なし(梨)の木のはるかに高いのを、「いくひろあらむ(幾尋、有るのでしょう)」などという。権中将「もとよりうち切って定澄僧都の、えだあふぎ(枝扇)にしたいなあ」とおっしゃったのを覚えていて、定澄僧都が山階寺(興福寺)の別当(長官)になって慶び申しの日、近衛司にこの君がお出でになられたときに、背の高い方なのに高い屐子(下駄のような履物)さえ履いていたので、甚だ高い。退出された後で、「どうして、あの、えだあふぎ(枝扇)をば持たせてあげませんの?」と言えば、権中将「もの忘れせぬ(もの忘れしたのよ…あなたはもの忘れしないなあ)」と、わらひ給(お笑いになる)。
 「定てうそうづにうちぎなし、すくせぎみにあこめなし(定澄僧都に袿なし、すくせ君に袙なし)」と言った人(権中将)こそ、おかしけれ(おかしいことよ)。

  「今の内裏…長保元年(999)に内裏焼亡のため一条院を内裏とした」

 駄洒落程度のおかしさは、「東…北」「なし…梨…無…有」「背の高い人…縮背君」などの意味の違いを知っていれば、わかるでしょう。「笑い給う」ことや、「おかしけれ」というのは、それだけのことではない。


 心におかしきところ
 今内裏の東を北の陣という。なしの木のはるかに高いのを、「幾尋有るのでしょう」などという。権中将「もとよりうち切って定澄僧都の、えだあふぎ(枝扇…身の枝、合う木)にしたいなあ」とおっしゃったのを覚えていて、定澄僧都が山階寺の別当になって慶び申しの日、近衛司にこの君がお出でになられたときに、背の高い方なのに高い屐子さえ履いていたので、とんでもなく高い。退出された後で、「どうして、あの、えだあふぎ(身の枝合う木…えだに合う気)をば持たせてあげませんの?」と言えば、権中将「もの忘れせぬ(彼は煩悩の合う気わすれた人だよ…あなたはもの忘れしない人だなあ)」と、お笑いになる。 
 定てうそうづにうちぎなし、すくせぎみにあこめなし(定澄僧都に袿なし、宿命君に袙なし…身丈高い定澄僧都に着せる下着なし、身丈伸縮する宿命君に下着なし)」と言った人(権中将)こそ、おかしいことよ。


 言の戯れを知り、言の心を心得ましょう
 「木…こ…男」「枝…男の身の枝」「あふき…扇…合う木…おとこ…合う気」「もの忘れ…忘却…煩悩など断つ」「せぬ…した…しない」「ぬ…完了した意を表す…打消しの意を表す(ずの連体形)」「すくせ君…宿命君…男の宿命か、やっかいなものを身に付けて生まれる。血はつながっていて息子のようなものでもあるから子の君。この君は親の言うことは聞かないらしい。寝てよと言っても起きたり、たてと言っても横になったままであったり、親に無断で伸縮するという。このような、枝、子、木、合う木などと称されるものは、宿世君や縮背君というのに相応しく、着せる下着はないでしょう」。

 
 心得のあるおとなの女たちには、言の戯れのうちに心におかしきところが聞こえていた。


 伝授 清原のおうな

 聞書  かき人しらず

  枕草子の原文は、岩波書店新日本古典文学大系 枕草子による。