帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (五十八) 大弐三位 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-02-28 19:27:00 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 秘伝となって埋もれ木のように朽ち果てた和歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、
定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観によって蘇える。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。歌言葉の意味の多様な戯れを利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「優れたりと言うべき」歌を百首撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(五十八) 大弐三位


  (五十八)  
有馬山いなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする

(有馬山猪名の笹原風吹けば・どこかで誰かの心に秋風でも吹けば、いやまあ、そうなの、わたしを見捨てるの、見捨てないよね……在り間山ば、否の少々、君の・腹の内に風吹けば、さあ、それよ、わたしは・君の貴身を、見捨てるかもね)

 

言の戯れと言の心

「有馬山…ありま山…山の名…名は戯れる、有り間山、在り間の山ば、貴身が健在である間の愛の山ば」「猪名の笹原…いなのささ原…野原の名…名は戯れる。否のささ腹、否の少々の腹のうち、拒否の少々の心の内」「ささ…小・細・少」「原…腹…腹の内」「風…心に吹く風…春の風…熱い風…飽きの風…厭きの風(ここはこの風)…心も凍る寒風」「いで…(意外な事に)驚き嘆く意を表す…いやまあ、まさかそんな、さあ」「そよ…それよ…相づちをうつ…それそれ」「人を…わたしを…君を…君お…君のおとこ」「忘れ…忘却…見限る…見捨てる」「見…夫婦に成ること…めとり…媾…覯…まぐあい」「やはする…反語の意を表す…(忘れる)だろうか、いや(忘れ)ない…疑問を表す…(忘れる)か…(忘れる)かも」。

 

歌の清げな姿は、自然に吹く風に付けて、君の心に少し否の風吹けば、わたしを見捨てるの、捨てないよね。女の心情を表わした。

心におかしきところは、山ばで在る間に、少し否の風が吹けば、わたしは貴身を見捨てるかもよ。女の心根が顕われている。

 

後拾遺和歌集 恋二、詞書「かれがれなる男の、おぼつかなくなどいひたりけるによめる」(離れがちであった男が、あなたが心配で心細い思いだなどと言ったので詠んだ……涸れ涸れとなったおとこが、たよりない感じで、あなたが気にかかるなどと言ったので詠んだ)


 

大弐三位は、紫式部の一人娘で、三歳ぐらいで父を亡くした。宮仕えを始めたシングルマザーの紫式部に育まれた。成人して宮仕えの後、太宰府大弐三位高階成章の妻となった。

 

やまと歌は、「世にある人、業(ごう)など繁きものなれば、心に思う事を、見るもの聞くものに付けて言ひ出せるなり」。これは、紀貫之が古今集仮名序の冒頭に記した。和歌の歌論の原点である。

 

今では、この歌の上の三句は「序詞」で、「そよ」という風に縁のある言葉を導き出し、そよそよと揺らぐ女心を表したとする。それで、近代の歌論や言語観には適っているのだろう、その文脈に在る人は納得し、そのような歌であると決定するのだろう。人々は、その解釈が平安時代の歌論や言語観を全て無視していることに気付か無くなる。