帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第一 春 (二十五)(二十六)

2015-01-30 00:05:19 | 古典

        



                     帯とけの拾遺抄



 「拾遺抄」十巻の歌の意味を、主に藤原公任の歌論に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてある。その姿を観賞するのではなく、歌の心を憶測するのでもなく、「歌の様(表現様式)を知り」、「言の心」を心得れば、清げな衣に「包まれた」歌の「心におかしきところ」が顕れる。人の「心根」である。言い換えれば「煩悩」であり、歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であるという。


 

拾遺抄 巻第一 春 五十五首


              管家の万葉集に                  読人不知

二十五 あさみどりのべのかすみはつつめども こぼれてにほふ山さくらかな

管家の万葉集に                 (よみ人しらず)

(浅緑、野辺の霞は包み隠しても、こぼれでて色鮮やかな山桜だなあ……若い延べの彼済みは、つつみ隠しているけれども、もれ出て匂う、山ばの、おとこ花だことよ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れを紐解く

「あさみどり…浅緑…新緑の頃…山桜が浅緑の葉とともに薄紅色の花を咲かせる頃…若々しい」「のべ…野辺…山ばではない…延べ…延長」「かすみ…霞…彼済み…彼澄み」「つつめども…包めども…隠せども…慎めども…慎重ても」「こぼれて…零れて…はみ出して…あふれ出て」「にほふ…鮮やかに色ずく…匂う」「山桜…野辺が浅緑の頃咲く八重桜…山ばのおとこ花…遅く咲くので愛でたいお花」「かな…感動・感嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、新緑、春霞、山桜の景色。

心におかしきところは、若くてなおも零れる如く咲いた山ばのお花。

 

百人一首に撰ばれた伊勢大輔の歌「いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬるかな」、この八重桜は興福寺の僧から宮中への恒例の贈り物で、その御礼の歌である。「桜」などは、同じ「言の心」で詠まれてある。「かな」もほぼ同じ感動を表している。

歌の清げな姿は「古き奈良の都の八重桜、今日、宮中に・九重に色鮮やかに咲いたことよ」、心におかしきところは「いにしえの寧楽の宮この、八重に咲くおとこ花、今日・京・絶頂に、九重に匂ったことよ」。この喜びの感動は、感謝の心となって伝わるだろう。この歌は、公任の歌論にてらしても「優れた歌」である。女房たちを代表して今年は伊勢大輔が詠めと、中宮の仰せによって詠んだという。伊勢大輔の祖父は後撰集撰者大中臣能宣。赤染衛門、紫式部、和泉式部の歌にも学んだエリートである。この時代の文脈のただ中に居ることは間違いない。


 

定文家の歌合に                忠峯

二十六 はるはなほ我にてしりぬ花ざかり 心のどけき人はあらじな

平定文家の歌合に               (壬生忠岑・古今集撰者)

(春の季節は、やはり自分で感じてしまう、花盛り、心穏やかでのどかな人はいないだろうな……張るは、汝お、自分で感じてしまう、お花の盛りに心のどかな男はいないだろうなあ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れを紐解く

「はる…春…四季の春…春情…張る」「なほ…猶…やはり…なお…汝お…わがおとこ」「な…汝…親しいものをこう呼ぶ」「われにてしりぬ…自分で感知してしまう…きっと自覚する…確かに自覚する」「ぬ…完了した意を表す…強調する」「花…木の花…桜…男花」「な…感動の意を表す…なあ」

 

歌の清げな姿は、春の花盛りの景色。

心におかしきところは、張ると春の情は、身と心の内からやってくる、その盛りの男の気色。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。


 

以下は、当時の人たちの捉えた和歌の真髄である。あらためて、原文を掲げる。


 紀貫之の歌論の表われた部分を古今和歌集『仮名序』より書き出す。

○やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、こと(事・言)、わざ(業・ごう)繁きものなれば、心に思ふことを、見る物、聞くものに付けて、言ひ出せるなり。

○歌の様(表現様式)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、いにしへ(古)を仰ぎて、今を(今の歌を)恋いざらめかも(きっと恋しがるであろう)

藤原公任の歌論は『新撰髄脳』の「優れた歌の定義」にすべてが表われている。

○およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしき所あるを、すぐれたりといふべし。

 

それに、清少納言は『枕草子』に、歌について、このようなこと言っている。

○その人(後撰集撰者の父元輔)の後(後継者)と言われぬ身なりせば、今宵(こ好い)の歌を先ずぞ詠ままし。つつむこと(慎ましくすること・清げに包むこと)さぶらはずは、千(先・千首)の歌なりと、これより出でもうで来まし。

 

藤原俊成は『古来風躰抄』に、よき歌について、次のように述べている。

○歌は、ただ読みあげもし、詠じもしたるに、何となく、艶(艶めかしいさま・色っぽいさま)にも、あはれ(しみじみとした情趣を感じるさま・同情同感するさま)にも、聞こゆることのあるなるべし。

 

上のうち、「ことの心」「心におかしきところ」「包まれてある慎むべき内容」「艶に聞こゆるところ」が、近世以来の国学と近代の国文学的解釈では消えている。国文学的方法で解明できたのは、和歌の孕む意味の氷山の一角である。和歌の真髄は埋もれたままである。