帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの小町集 68 (長歌)久かたの空にたなびく

2014-03-05 00:07:38 | 古典

    



                帯とけの小町集


 

小町の歌は、清げな姿をしているけれども、紀貫之のいう、歌のさま(歌の表現様式)を知り、言の心(字義以外に孕む意味)を心得て聞けば、悩める美女のエロス(生の本能・性愛)が、「心におかしきところ」として、今の人々の心にも直に伝わるでしょう。


 

 小町集 68

 

  あしたづの雲井のなかにまじりなばなどいひてうせたる人のあはれなるころ、

  久かたの空にたな引く うき雲のうけるわが身は つゆ草の露の命も また消えて思ふことのみ まろこすげしげさぞまさる あら玉の行く年月は 春の日の花のにほひも なつの日の木の下蔭も 秋の夜の月の光も 冬の夜のしぐれの音も よの中にこひもわかれも つらきもしれる わが身こそ心にしみて 袖の浦のひる時もなく あはれなるかくのみ常に おもひつゝいきの松ばら いきたるにながらの橋の ながらへてせにいる田鶴の しまわたりうらこぐ舟の ぬれわたりいつかうき世の くにさみの我が身かけつゝ かけはなれいつか恋ひしき 雲のうへの人にあひみて この世には思ふことなき身とはなるべき

                   (長歌の形式は、五七の句が続き最後は五七七で終わる)

 

字義通りに聞く歌の「清げな姿」


 「葦鶴が雲居の中に入いってしまえば」などと言って、消え失せたお人がしみじみと思われる頃、

 

久方の空に棚引く浮雲のよう、受けるわが身は、つゆ草の露のような命も、生きてはまた消えて思うことばかり、まろ小菅草、繁り増さるよ、新玉の行く年月は、春の日の花の匂いも、夏の日の木の下蔭も、秋の夜の月の光も、冬の夜の時雨の音も、世の中での恋いも別れも辛きも知ったわが身こそ、心にしみて袖の裏、嬉し涙に・乾く時もなく、しみじみと感動する、こうしてのみ常に、君を・思いながら、いきの松原行ったので、長柄の橋のように長らえて、瀬に居る鶴のように嶋渡り、浦漕ぐ舟のように濡れわたり、いつか憂き世の地方の国さ身の、我が身を懸けつつ、かけ離れ、いつの日にか、恋しい雲の上の人に逢い見て、この世には思うことなき身となるのでしょうか。


 

歌の「心におかしきところ」


 「田の女が雲の上の中に交わってしまえば・どうだろう」などと言って、消え失せたお人がしみじみと思われるころ、

 

久堅のよう、女にたな引く浮き心雲の、受け身のわが身は、野の女のはかない命も、露の様に消えて、君を・思うことばかり、野の女、繁さも増さる、新玉の逝く敏しつきは、春の日のお花の匂いも、撫づの日のこの下陰も、飽き満ちた夜のつき人をとの照り輝きも、白き夜のその時のお雨のをとも、夜の中で乞いも別れも辛きも知るわが身だからこそ、心にしみて、身の端の裏の乾く時もなくしみじみと感じている、このようにして常に、君を・思いながら、逝きの待つ腹、生きていたのに、ながらの橋のように、長らえて、背の君のもとに居るいなか女のし間のあたり、裏こぐふ根の、濡れつづき、いつかは浮き世の、いなか女のかた身の狭い身の、命を・かけつつ、国もとと・かけ離れ、いつになったら、恋ひしい雲の上の人に合い見て、この世には思うことなき身となるのでしょうか。

 

 言の戯れと言の心

詞書「あしたづ…葦鶴…田鶴…下野の美女…采女など…ここでは小町のこと」「鶴…鳥…女」「雲井…雲居…雲の上…宮中」「雲…空の雲…心に煩わしくも湧き立つもの…情欲など」「まじる…入る…交る…交わる」「なば…しまえば…しまったらば」「な…ぬ…完了の意を表す」。

長歌「ひさかたの…久方の(枕詞)…久堅の(万葉集の表記)…おとこを愛でる言葉」「そら…空…天…女」「浮…憂き…浮き」「雲…心雲…心に煩わしくも湧き立つもの…情欲など」「つゆ草…草…女」「つゆ…露…はかなく消える物…白つゆ」「まろこすげ…まろ小菅…草…女」「ゆく…行く…逝く」「としつき…年月…疾し尽き…敏し突き」「花…木の花…おとこ花」「なつ…夏…撫づ…愛撫」「秋…飽き満ち足り…厭き」「しぐれ…時雨…その時のおとこ雨」「よの中…世の中…男女の仲…夜の中」「袖の浦…袖の裏…身の端のうら」「松…待つ…女」「原…腹…心の内」「橋…端…身の端」「せ…瀬…背…男君」「たづ…鶴…田鶴…在野の女」「鳥…女」「舟…夫根…おとこ」「いつか…何時になったら(待ち望む気持ちを表す)」「くにさみ(意味不詳)…国狭身…かたみの狭い田舎女の身」「雲の上…宮中」「あひみて…逢い見て…相見て…合い見て」「見…まぐあい」。

 


 或る親王が、采女(うねめ・諸国の上級官史の娘の内で容姿端麗で才能があって選ばれ京に来た宮廷女官)を愛人としたが、出家する為に、正妻らとともに見捨てて姿を消された。小町は采女であったと仮定すると歌がわかりよい。この長歌は、出会った頃の目も眩む思いを並べ立て惜別の情を表したものと聞こえる。挽歌(人の死を悲しむ歌)ではない。




 『群書類従』和歌部、小町集を底本とした。歌の漢字表記と仮名表記は、適宜換えたところがあり同じではない。


 

以下は、歌を恋しいほどのものとして聞くための参考に記す。

 

紀貫之は古今集仮名序の結びに、「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、古今の歌が恋しくなるだろうと述べた。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に聞く。公任は清少納言、紫式部、和泉式部、藤原道長らと同じ時代を生きた人で、詩歌の達人である。

優れた歌の定義を、『新撰髄脳』に次のようにまとめている。「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることを前提にした定義である。

 

貫之と公任の歌論を援用して、歌を紐解いて行けば、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、言いかえれば、エロス(性愛・生の本能)である。もう一つ言いかえれば、「煩悩」である。

藤原俊成は、『古来風躰抄』に次のように述べた。歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、言の深き旨も顕れ、これを縁として仏の道ににも通はさんため、かつは煩悩即ち菩提なるが故に、―略― 今、歌の深き道を申すも、空・仮・中の三諦に似たるによりて、通はして記し申すなり」。

歌の「心におかしきところ」に顕れるのは、煩悩であり、歌に詠まれたそれは、即ち菩提(煩悩を断ち真理を知って得られる境地)であるという。

 

清少納言の言語観は『枕草子』(3)にある。「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉」。同じ言葉でも、聞く耳によって異る『意味に』聞こえるもの、それが我々の言葉であるという。