帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの平中物語(二十七)この男、また、はかなきもののたよりにて

2013-11-22 00:10:11 | 古典

    



               帯とけの平中物語



 「平中物語」は、平中と呼ばれた平貞文の詠んだ色好みな歌を中心にして、その生きざまが語られてある。古今集編者の貫之や躬恒とほぼ同世代の人である。

 
 歌も地の文も、聞き耳によって意味の異なるほど戯れる女の言葉で綴られてある。それを紐解けば、物語の帯は自ずから解ける。



  平中物語(二十七)この男、また、はかなきもののたよりにて


 この男、また、はかなきもののたよりにて(頼りない者が頼り人で)、雲ゐよりもはるかに見ゆる(雲居よりもはるかに高い身分かと思える……高嶺の花よりはるかに高いと見える)女がいたのだった。もの言いかけるきっかけが無かったので、どのようにして気色を見せようかと思って、かろうじて縁故を頼って、もの言いはじめたのだった。「なんとか、一度でも、御文ではなく、お話したい」と伝えると、(女は)どうすべきかしら、そうね、よそにても(もの隔ててよそよそしい状況でも)、言うこと聞こうかしらと思っていたときなのに、この女の親の、わびしくさがなきくちおな(閉口するたちが悪い年寄り)が、さすがに、とってもよくものの気配をみていて、口やかましい者だったので、このように文通すると見て、文も通わさせず、きびしく使用人に言って、女を守っていたのに、この男、「ぜひ対面で」と言ったので、この女房達、「このような人(年寄り)が、制されるので、雲居にても(できない)とですね、縁者にお聞かせいただきたくて、(あなたを)お迎えしたの」と言ったので、「今まで、どうして、あたしに言わなかったのよ、人の(年寄りが)気配の気付かない先に、月見るということで、母の方(お年寄りの方)に来て、わたしが琴を弾きましょう。それに紛れて、簾のもとに(男を)呼び寄せて、ものは言える」とだ、この男の親族が画策したのだった。

さて、この男来て、女は簾の内にてもの言ったのだった。この女と友だちの女「わが徳ぞ(わたしの人徳よ)」と言ったので、嬉しきことなど、男も女も言って、語らうときに、この母の女の性悪が、宵のうちに眠くなって寝ていたのだったが、夜が更けたので目を覚まして、起きあがって、「あらまあ、性が悪いね(おまえたち)どうして寝られないの、もしや、わけ有りなのか」と言ったので、この男、すのこの内に這い入って隠れたので、(簾の外を)のぞき見ても、人もいなかったので。「おいや(おや?)」などと言って、奥へ入ったのだった。その間に、男出て来たので、(女が)「いきさつ、このありさまを、見給え、これではですね、(年寄りの)命あれば(常に守られる)」などと言っている間に、(女の友だちが)「ふしぎなことに、よくいらっしゃったものねえ(わたしのおかげよ)」と言えば、男は、帰った。
 たまさかに聞けとしらぶる琴の音の あひてもあはぬ声のするかな

(たまには聞けと弾く琴の音のように、あっても合わない、簾越しの・声がするだけだったなあ……たまには聞けと調子に乗る琴の音のようだ、合っても和合できない声がする・へたくそ、頼りにならないなあ)。


言の戯れと言の心

 「しらぶる…調べを奏でる…調子に乗る」「あひ…遭い…逢い…合い…和合」「かな…感嘆・驚嘆の意を表す」。

 

と言ったので、この琴を弾いた女の友だちが、(女に)「早く、返しし給え」と言っている間に、親が聞きつけて、「どこの盗人の鬼が、わが子をば、絡み盗るか」と言って、走り出て追えば、沓さえ履けず逃げる。女たちは息もしないで、うつ伏していたのだった。

 このようなことがあったけれど、(親が)ひどく制したので、言葉を交すことはできず、ものの便りの使いを尋ねだして、寄せ付けなくなった間に、他の男に娘を合わせたのだった。そうだったので、男、親が合わせるからといっても、そうしていいものかどうかとだ、思い悩んで、やめたのだった。


 

平中の立場から描かれてあるため、娶り失敗の原因は、女の親の性の悪さであり、女友達を紹介した親族の女の頼りない甘い画策であり、女自身の親のいいなりになる生きざまであるということになる。


 

原文は、小学館 日本古典文学全集 平中物語による。 歌の漢字表記ひらがな表記は、必ずしも同じではない。


 

以下は、平安時代の物語と歌を読むための参考に記す。


 古今集仮名序の結びに「歌の様を知り、言の心を心得える人」は、歌が恋しくなるだろうとある。

歌の様(和歌の表現様式)については、藤原公任に学ぶ。『新撰髄脳』に「心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べている。歌は一つの言葉で複数の意味が表現されてあることがわかる。これが「歌の様」である。

「言の心」については、先ず、平安時代の言語観を清少納言と藤原俊成に学ぶ。清少納言は「同じ言葉であっても、聞く耳によって(意味の)異なるもの」、それが我々の言葉であると『枕草子』第三章に記している。藤原俊成は「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているが、そこに言の深い趣旨が顕れる」と『古来風躰抄』にいう。これらの言語観によれば、歌言葉などには、字義以外にもこの文脈で孕んでいた意味があることがわかる。それを一つ一つ心得ていけばいいのである。

 

歌も物語も、今では「色好み」な部分がすべて消えて、清げな姿しか見せていない。その原因は色々あるけれども、一つは、鎌倉時代に和歌が秘伝となって埋もれたことにある。古今伝授として秘密裏に継承されたがそれも消えてしまった。秘伝など論理的に解明することなど不可能であるから見捨てて、原点の貫之・公任の歌論に帰ればいいのである。もう一つは、近世より、古典文芸について、論理実証的考察が始まったことである。この方法は文献学や言語学には有効な方法かもしれない。誰もがこの方法を、和歌や物語の解釈にも有効であると思いたくなる。しかし、和歌と女の言葉の戯れは、論理などで捉えられるような代物ではなかったのである。「聞き耳異なるもの・女の言葉」とか「歌の言葉・浮言綺語の戯れ」ということを、素直に聞けばわかる。言語観は平安時代の清少納言・藤原俊成に帰るべきである。

 
歌の修辞法とする序詞、掛詞、縁語を指摘すれば、歌が解けたように思いたくなるが、それは、歌の表層の清げな衣の紋様の発見にすぎない。公任のいう「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」の心にだけ、直接伝わるものである。