帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの土佐日記 正月廿九日(船出だしてゆく)

2013-02-09 00:02:23 | 古典

    



                         帯とけの土佐日記


 土佐日記 正月廿九日(船出だしてゆく)


 廿九日。船を出して行く。うららかに照って、漕ぎ行く。爪が長くなっているのを見て、日を数えれば、今日は子(ね)の日だったので切らない。正月なので、京の子の日の事を言い出して「こまつもがな(小松があればなあ)」と言っても、海の中なので難しい。或る女が書いて差し出した歌、

おぼつかなけふはねのひかあまならば うみまつをだにひかましものを

(おぼつかない、今日は子の日だったのね、海人ならば海松でも引くでしょうに……もどかしい、今日は子の日か、海の男なら、海の女でも娶るでしょうに)

と言った。海にて子の日の歌としては、如何なものかしら。また、あるひと(或る男)の詠んだ歌、

けふなれどわかなもつまずかすがのゝ わがこぎわたるうらになければ

(子の日は今日だけれど、若菜も摘まず、若菜つむ春日野が我が漕ぎ渡る浦にないので……ねの日は今日だけれど、若い女もつまず、交歓する春日野が、わが漕ぎ渡る浦にないもので)。


 言の戯れと言の心

 「ねのひ…子の日…正月の子の日に若菜摘み小松を引いて若い男女が交歓した。春日野はその代表的な所」「ね…子…根…寝」「小松…若くよき女」「こ…小…ほめことば」「まつ…松…待つ…女」「うみまつ…海松…みる…海藻…女」「ひく…引く…とる…めとる」。

 
 春日野は所の名だけではなく、春、恋、若い女をめとるという意味も孕んでいた。

壬生忠岑に次のような恋歌がある。古今和歌集 恋歌一。

春日野の雪間をわけておひ出くる 草のはつかに見えしきみはも

(春日野の雪間を分けて生え出てくる草のように、ほのかに見えたきみよ……春日野の、白ゆきの間をわけて感極まりくる女の、ほのかに、初々しく見えたきみよ)

 かすがのに加えて、ゆき、おひ、くさ、見などの言の心を心得れば、忠岑の恋歌が生々しくよみがえるはず。

 


 このように言いながら漕ぎ行く。趣きのある所に船を寄せて留めたので、「此処はどこなの」と問うたところ、「とさのとまり(土佐の泊り…門さのみなと)」と言う。以前、土佐の国の「とさ」という所に住んでいたという女、この船に一緒に乗っていた。彼女が言ったこと「むかし、しばらく住んでいた所の名を取って付けているのよ。なつかしい」と言って、詠んだ歌、

としごろをすみしところのなにしおへば きよるなみをもあはれとぞみる

(数年の間、住んでいた所の名が付けられているので、寄せ来る波をも感動して見ている……疾しころを済んだところが、汝に感極まったので、寄せ来る汝身をも、あはれと、見る)。

と言っている。


 言の戯れと言の心

 「とさのとまり…土佐泊…阿波の鳴門辺りにある港の名…所の名は戯れる、門さの宿、女のみなと」「とさ…女」「と…門…女」「さ…接尾語…ほめ言葉」「とし…年…敏し…鋭敏…疾し…早過ぎること」「すみ…住み…済み」「な…名…汝…おとこ」「おへば…名付けられていれば…感極まれば」「おふ…負う…背負っている…名など付けられている…ものの極まりに近づく」「あはれ…感動する…なつかしい…感心する…愛おしい」「見る…思う…まぐあう」


 伝授 清原のおうな
 聞書 かき人知らず(2015・11月、改定しました)

 
原文は青谿書屋本を底本とする新日本古典文学体系土佐日記による。