帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第四 秋歌上 (247)月草に衣は摺らん朝つゆに

2017-06-11 19:49:58 | 古典

            


                        帯と
けの古今和歌集

                        ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現で、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。

歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、それらは埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。

 

古今和歌集  巻第四 秋歌上 247) 

 

(題しらず)                         (よみ人しらず)

月草に衣は摺らん朝つゆに ぬれてののちはうつろひぬとも

(詠み人知らず・女の詠んだ歌として聞く)

(月草で、衣を摺り染めしましょう、朝露に濡れての後は 色褪せてしまおうとも……男と女の色情に、身も心も染まりましょう、おとこ浅つゆに濡れた後は、色情あせて衰えようとも)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「月草…染料になる草の名…名は戯れる。月人壮士と若草の妻、男と女」「月…言の心は男、万葉集に於いて既に男であることは確定的で、それ以前も月の別名は、ささらえをとこ、であった」「草…言の心は女」「衣…ころも…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「朝つゆ…朝露…浅汁…浅はかなおとこ白つゆ」「うつろひぬ…良くない方に変化する…色あせる…衰える…逝く」「とも…としても…たとえそうであっても」。


  万葉集巻第七「寄草」にほぼ同じ歌(1351)がある。また、次のような歌もある。

1339つき草に服色どりすらめども うつろふ色といふが苦しさ

(月草で、衣服を色彩よく染めましょう、でも、衰えやすいというのが、心配だわ……男と女で、身も心も、色情豊かに染まりましょう、でも、おとこは・色褪せゆくという、たえられない苦しさよ)。
 
この歌は、言の戯れぶりにおいて古今集の歌と同じ文脈にあると云うよりは、万葉集の歌の、表現様式と「言の心」などが、平安時代の歌合ヤ歌集の歌に、ほぼそのまま継承されてあると思われる。

 

月草を染料に衣を染めましょう、朝露に濡れた後には、色褪せるけれども。――歌の清げな姿。

男と女の色情に染まりましょう、浅いおとこ白つゆに濡れた後は、色情褪せて逝こうとも。――心におかしきところ。

 

おとこの浅はかな性(さが)を承知の上で、この男との色情に浸ろうとする大人の女の思いを、詠んだ歌のようである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)