帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第七 賀歌 (352)春くれば宿にまづ咲く(353)いにしへにありきあらず

2017-12-06 19:18:38 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。俊成の云う「歌言葉は、浮言綺語のように戯れる」ことも。

 

古今和歌集  巻第七 賀歌352

 

本康親王の七十の賀のうしろの屏風に、詠んで

書きける              紀貫之

春くれば宿にまづ咲く梅の花 君が千年のかざしとぞ見る

(仁和帝の弟の・本康親王の七十の賀の、後の屏風に詠んで書きつけた・歌)つらゆき

(春の季節になれば、宿に先ず咲く梅の花、君の千歳の時の髪飾りと思い見ています……春の情くれば、や門に先ず咲くおとこ花、貴身の千歳の祝いの頭飾りと見える)。

 

「春…季節の春…春情…張る」「宿…家…言の心は女…や門…おんな」「梅の花…木の花…男花…おとこ花…白色香りあり」「君…きみ…貴身…君の貴身」「ちとせ…千年…千歳」「かざし…頭飾り…貴身の頭飾り」「見る…思う…見とどける」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

季節の春に先ず咲く梅の花、君の千歳の祝いの髪飾りと思う――歌の清げな姿。

張るくれば、や門に早くも咲くおとこ花、貴身の千歳の祝いの頭飾りと見える――心におかしきところ。

 

 

古今和歌集  巻第七 賀歌353

 

(本康親王の七十の賀の、後の屏風に詠んで書きける) 素性法師

いにしへにありきあらずは知らねども 千年のためし君にはじめむ

(仁和帝の弟の・本康親王の七十の賀の、後の屏風に詠んで書きつけた・歌)そせい

(いにしへに、居たか居なかったかは知らないけれど、千歳の長寿の例、君より始めましょう……昔々に、千歳のもの・有ったか無かったかは知らないけれど、千歳の長寿の先例、貴身より始めましょう・誰が見とどける?)。

 

「千年…千歳…ちとせ」「ためし…例…先例」「君…きみ…貴身…君のおとこ」。

 

千歳の長寿の先例、君より始めましょう――歌の清げな姿。

千歳の長寿の先例、貴身より始めましょう・結果はかみ(女)のみぞしる――心におかしきところ。

 

両歌とも、普通の清げな姿をしている。歌言葉の戯れの意味に、エロス(性愛の情・生の本能)が顕れる。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)