帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (六十六) 前大僧正行尊  平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-07 19:34:36 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 和歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、
定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観によって紐解けば蘇える。

公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べた。和歌は、歌言葉の多様な戯れの意味を利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。

藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて、秀逸と言うべき歌を百首撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(六十六) 前大僧正行尊


   (六十六)
 もろともにあはれと思へ山桜 はなよりほかにしるひともなし

(諸共に哀れと思えよ、山桜、我が存在は花より他に知る人はいない・おまえを知るものは我しかいない……お互いに憐れと思えよ、山ばのおとこ花、身の端・こずえ、より他に、汁る・感知する、女もいない)

 

言の戯れと言の心

「もろともに…諸共に…お互いに」「あはれ…感慨深い…親しみを感じる…哀れ…憐れ」「山桜…山の桜木…山の男花…山ばのおとこ花」「山…山ば…峰」「さくら…桜…木の花…言の心は男花…おとこ花」「はな…花…先端…端…こずえ…身の端…おとこ」「しる…知る…わかる…感知する…汁…しみでる液体」「ひと…人…女」。

 

歌の清げな姿は、修業中の法師が、山中で人知れず咲いた山桜にであった・それはまさに、おのれの姿であった。

心におかしきところは、大いなる峰で、思いがけずおとこ花が咲いた、白魂よ、身の先端よ、しる女はいない、諸共に憐れと思え。

 

金葉和歌集(三奏本)雑上 詞書「大峰に思ひもかけず桜の咲きたりけるを見て」

大僧正行尊は、源氏、十二歳で出家。大峰山などで修行した。五十数歳の頃、白河院、鳥羽天皇の護持僧となる。後に、天台座主、大僧正。


 

今の人々にとって「さくら…木の花…男花…おとこ花」などという意味は、奇妙に思えるだろう。平安時代を通じて和歌の文脈で通用していた意味であるが、これは、世に連れ時と共に変化する。とくに、古今集が秘伝となって歌の家に埋もれた時に、その意味は断絶したようである。このような意味が蘇れば、和歌は生き生きとして、詠んだ人の生の心が顕れる。
 
 「桜」は、そのような意味を孕んでいると心得れば、数多くの桜の和歌が蘇えるならば、和歌の詠まれたその文脈では、木の花の桜には、そのような意味が在ったという確信が得られる。そのとき、貫之の言う「言の心」の一つを心得たことになるのだろう。(六十一)の伊勢大輔の歌「いにしへのならのみやこの八重桜――」なども、歌の命が蘇った一例である。