帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(37)梅の花飽かぬ色香は折りてなりけり

2016-10-05 19:02:30 | 古典

               


                            帯とけの「古今和歌集」

                    ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


  
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解く。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
37


           題しらず               素性法師

よそにのみあはれとぞ見し梅花 あかぬ色香は折りてなりけり

(他所ごとのように、情趣があるなあと見ていた梅の花、飽きない色香は、折って、わかるのだなあ……疎遠なことよと、悲しいほど愛しいものなのだと、思っていたおとこはな、見れど・飽きない色香は、おんなが・折ってそれから、なのだなあ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「よそ…他所ごと…他人ごと」「あはれ…感動するさま…情趣があるさま…ふびんなさま…いとしい思い」「見し…目で見た…思った」「見…覯…媾」「梅の花…男花…万葉集・古今集を通じて変わらない言の心である」「あかぬ…飽きない…見れど・飽かぬ」「見…目で見る…覯…媾…まぐあい」「色香…色彩と香り…おとこの色香」「折りて…折って…逝って…尽き果てさせて」「なりけり…だったのだなあ…なのだろうなあ…断定・推量+過去・詠嘆」。

 

人がすばらしいと見る梅の花、飽きることの無い色彩と香りは、手折って、わかるのだなあ。――歌の清げな姿。

他人ごとのように、ふびんだ愛おしいと、思っていたおとこ端、女たちが・その色香を思うのは、折って、それからなのだろうなあ。――心におかしきところ。

 

素性法師は、父遍照の嘉祥三年(850)出家以前の誕生。その歌風は、この集にある四十首の歌のすべての歌の「心におかしきところ」を聞けば自ずからわかるのだろう。父の遍照の歌風に付いては、仮名序に次のような批評がある。「歌の様は得たれども、まこと少なし、たとえば、絵に描ける女を見て、いたづずらに心を動かすが如し」。今のところ、「まこと少なし」を、エロス(性愛・生の本能)に真実味、生々しい現実味が少ないと理解しておこう。素性法師の歌にも言えそうであるとだけ。


 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)