帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (137) さ月松山郭公うちはぶき

2017-01-30 19:10:21 | 古典

             

 

                       帯とけの古今和歌集

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌の国文学的解釈方法は、平安時代の歌論と言語観を全く無視して、新たに構築された解釈方法で、砂上の楼閣である。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に、歌論と言語観を学んで紐解き直せば、今では消えてしまった和歌の奥義が、言の戯れのうちに顕れる。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 137

 

題しらず         よみ人しらず

さ月松山郭公うちはぶき 今もなかなむ去年のふる声

題知らず            詠み人知らず(女の歌として聞く)

(五月待つ、山ほととぎす、うち羽振り、里に来て・今にも鳴いておくれ、去年の古声・でいいから……すばらしい月人壮士、待つ女、山ば且つ乞う、内端吹き、井間も泣きたいの、来たぞの、震える声よ・振る小枝よ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「さ月…五月…夏…さつき…すばらしい月人壮士(万葉集での月の別名)…さ突きおとこ…ささらえをとこ(万葉集以前の月の別名)」「さ…接頭語…美称」「松…言の心は女…待つ」「山…山ば」「郭公…ほととぎす…鳥の言の心は女…鳥の名…名は戯れる、且つ恋う・且つ乞う・ほと伽す」「いま…今…井間…おんな」「声…こゑ…小枝…おとこ…体言止めは余情がある」。

 

なぜか、ほととぎすの鳴き声を待望する女の心。――歌の清げな姿。

すばらしい・つき人おとこを待ち望み、且つ乞うと泣きたいという女の心情。ふるえる声・振る小枝、その時のおんなとおとこのありさま。――心におかしきところ。

 

何らかの事情で男の訪れが無く、独り身となった女の心情。前の男の歌二首と同じような趣旨を、女の立場で詠んだ歌として、ここに並べられてあるのだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)