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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
国文学が無視した「平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観」に従って、古典和歌を紐解き直している。古今和歌集の歌には多重の意味があり、その真髄は、公任のいう「心におかしきところ」である。人のエロス(生の本能・性愛)の表現である。それは、俊成がいう通り、歌言葉の浮言綺語に似た戯れのうちに顕れる。
歌のエロスは、中世に秘事・秘伝となって「古今伝授」となり、やがて、秘伝は埋もれ木の如くなってしまった。はからずも、当ブログの解釈とその方法は「古今伝授」の解明ともなるだろう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (261)
秋の歌とてよめる 在原元方
雨ふれどつゆも漏らじをかさとりの 山はいかでかもみぢそめけむ
(秋の歌といって詠んだと思われる・歌……厭きの歌といって詠んだらしい・歌) 在原元方
(雨降れど、少しも漏れないだろうに、笠取の山は、どうして紅葉しはじめたのだろう……おとこ雨降れど、少しも盛りあがらないのに、いきりたつ山ばは、どうして、も見じ色に、染まってしまったのだろう)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「雨…もみじを促す物…おとこ雨」「もらじ…漏らない…盛らない…盛り上がらない」「かさとりの山…笠取山(京より宇治へ行く途中、東に見える山の名)…名は戯れる。笠を手に持つ山・嵩とりの山・勢いのある山ば」「笠…かさ…嵩…勢いある…いきりたつ」「山…山ば」「もみぢ…秋色…飽き色・厭き色…も見じ…も見ない」「も…意味を強める」「見…覯…媾…まぐあい」「じ…打ち消しの意志を表す」「そめけむ…初めけむ…染めけむ」
雨降れど、少しも漏れないだろうに、笠取の山は、どうして紅葉しはじめたのだろう。――歌の清げな姿。
おとこ雨降れど、少しも盛りあがらないのに、いきりたつ山ばは、どうして、も見じ色に、染まってしまったのだろう。――心におかしきところ。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)