帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第十 雑下 (五百五十七)つらゆき (五百五十八)道信朝臣

2015-12-15 23:08:08 | 古典

           



                           帯とけの拾遺抄



 「帯とけの古典文芸」に初めて訪問された方々へ


 江戸時代以来の国学と国文学は、
紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観を曲解して無視しました。そして、平安時代に無い和歌の解き方を新たに構築した。歌枕、序詞、掛詞、縁語などと言う言葉に象徴される方法ですが、定説となっているこの方法を棚上げして、和歌を解いています。

和歌の表現様式は、藤原公任が捉えていました。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という優れた歌の定義に表れています。優れた歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有るという。
 清少納言の言語観を簡単に言えば、女の言葉(和歌の言葉)は「同じ言葉でも、聞き耳によって意味の異なるものである」という驚くべきものです。藤原俊成も「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似た戯れである、そこに顕れる趣旨は煩悩であるが、歌に詠めば菩提である」と云う意味のこと述べています。この時代の言葉の「多様な戯れの意味」さえ紐解けば、歌の「心におかしきところ」が、時を超えて、我々の心にも直接伝わるでしょう。



 藤原公任撰『拾遺抄』 巻第十 雑下
 八十三首


          ふくぬぎはべりとて                   つらゆき

五百五十七  ふぢごろもはらへてすつるなみだかは きしよりまさるみづぞながるる

         喪服を脱いだといって (紀貫之・古今和歌集撰者・仮名序に、歌の様を知り言の心を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろうと書いた人)

(藤衣、祓えして捨てた涙川、岸より増さる水が、流れている……喪服、お祓いして脱ぎ捨てた涙川、着し時より、水嵩増さる、我が涙とともに・水ぞ流れている……喪の心身、お祓いして捨てた、汝身唾かは、着しときより増さる、わがをみなぞ、汝離るる・汝涸るる)


 言の戯れと言の心

「ふぢごろも…藤衣…喪服…喪中の心身」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「なみだかは…涙川…流れる涙の誇張表現…泪かは」「なみだ…目の涙…汝身唾…おとこなみだ」「かは…川…かな…疑問の意を表す…だろうか否そうではない…反語の意を表す」「きしより…岸より…着しときより」「まさる…(哀しみ)増さる…(水嵩)増さる…(われ恋しさ)増さる」「みづ…水…言の心は女…をみな」「ながるる…流れる…汝離れる…汝涸れる」「な…汝…親しきものをこう呼ぶ…おとこ・おんな」


 歌の清げな姿は、まじめに喪に服した男の喪明けの景色。

心におかしきところは、定められた期間、身を清め慎んでいたおとこの、おんなを思う生なる気色。


 

恒徳公の服ぬぎはべり                  道信朝臣

五百五十八 かぎりあればけふぬぎすてつふぢごろも  はてなき物はなみだなりけり

父の恒徳公(藤原為光)の喪に服し喪服を脱いで  (道信朝臣・父の喪の二年後に若くして亡くなった、享年二十三)

(期間に・限りがあれば、今日脱ぎ捨てた藤衣、果て無きものは、涙であることよ……限りがあれば、京・山ばの頂上で、抜き捨てた喪の身と心、捨て難く・果て無き物は、おとこのなみ唾であるなあ)


 言の戯れと言の心

「かぎり…期限…限度」「けふ…今日…京…山ばの頂上…ものの極み…ものの限界」「ぬぎ…脱ぎ…ぬき…抜き」「ふぢごろも…藤衣…喪服…喪中の心身」「衣…心身を被うもの…心身の換喩」「はてなき…果てなき…際限がない…断ち難い」「なみだ…目の涙…おとこの汝身唾…男の煩悩の象徴」


 歌の清げな姿は、亡き父の一年間の喪を終えても、果てなきものは哀しみの涙だなあ。

心におかしきところは、身を清め慎むべき期間を終えた、果て無きものはおとこ汝身唾だなあ。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。