帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 秋 (百十九)(百二十)

2015-03-27 00:17:04 | 古典

        

 

                     帯とけの拾遺抄


 

藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って和歌を紐解いている。

近世以来の和歌の解釈は、紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。字義通り聞くと意味の通じない序詞などを歌の調べとしての意義があるなどという。このような解き方が定着すれば、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解するしかない。これは本末転倒である。逆さまにして、近世以来の学問的解釈方法を棄ててみたのである。


 

拾遺抄 巻第三 秋 四十九首

 

陽成院御屏風にこたかかりしたる所に              貫之

百十九 かりにのみ人の見ゆればをみなへし花のたもとぞ露けかりける

陽成院の御屏風に小鷹狩りしている所に             貫之

(狩りにだけ、人々が来れば、女郎花、花の袂ぞ、露で湿っぽいことよ……かりにだけ男どもが見れば、をみな圧し、花の手許のものぞ、つゆぽいことよ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「かり…狩り…刈り…仮…借り…めとり…まぐあい」「のみ…だけ…限定・強調する意を表す」「見ゆ…見える…表れる…訪れる…来る」「をみなへし…女郎花…草花の名…名は戯れる。をみな圧し…若い女圧し」「花…草花…言の心は女」「たもと…袂…手許…手許の物…身の端」「露けかり…露っぽい…湿っぽい…汁っぽい」「ける…気付・詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、狩野に生える女郎花の風景。

 心におかしきところは、かりによりをみなのへされる情景。

 

 

題不知                            読人不知

百二十 こですぐす秋はなけれどはつかりの きくたびごとにめづらしきかな

題しらず                          (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(来ないで過ぎゆく秋はないけれど、初雁の声、聞く度毎に、耳に新しく好ましいことよ……山ば・来ないで過ごす飽き満ち足りはないけれど、初かりひとの・声、聞く度毎に、愛でたくなるなあ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「こで…来ないで…来ずに」「すぐす…過す…時が経つ…好くす…好色事す」「秋…飽き…飽き満ち足り」「はつかり…初雁…初猟」「雁…鳥…言の心は女」「狩…猟…あさり…めとり…まぐあい」「めづらし…新鮮な…愛でたくなる…好ましい」「かな…感嘆・感動を表す」

 

歌の清げな姿は、雁の鳴き声に秋のけはい。

 心におかしきところは、初かりのをみなの声の愛でたさ。


 

「かり」を狩りと雁の掛詞などと捉えるのではなく、平安時代の人々のように「言の心」のあるもの、「聞き耳によって(意味の)異なる」もの、「浮言綺語の戯れに似て戯れる」ものとして、その多様さを心得るのである。

「よひよひにぬぎて我が寝るかりごろも かけて思はぬ時のまもなし」という古今和歌集恋歌二にある紀友則の歌。上の句を序詞などと奇妙な捉え方をするのではなく、「好い好いに抜きて我が寝るかりした身と心」「貴女に命を・懸けて思はない時間は無い」とでも解釈すれば、平安時代の文脈により近いだろう。

「ぬぎ…脱ぎ…ぬき…抜き」「かけて…被せて…掛けて…懸けて」「よひ…宵…夜ゐ…好い」「ころも…衣…心身を包む物…心身の換喩…身と心」、これらも、浮言綺語のような戯れと心得る。

 


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。