帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (八十五)(八十六)

2015-03-07 00:13:09 | 古典

        

 

                                             帯とけの拾遺抄


 

『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。


 

拾遺抄 巻第二 夏 三十二首

 

(題不知)                            長能

八十五 さばへなすあらぶる神もおしなべて 今日はなごしのはらへなりけり

(題不知)                           (藤原長能・道綱の母の弟・花山院の側近)

(五月蝿の荒ぶる神も、人も・皆すべて、今日は夏越しの祓えであるなあ……うるさくも荒ぶる妻女も、おしのばして、山ばの・京は、穏やかに和む、邪気祓いだなあ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「さばへなす…さ蝿なす…五月蝿のよう…うるさい」「あらぶる…荒ぶる…人に害をなす…乱暴である」「神…上…女」「おしなべて…すべて…押し延べて…圧し伸べて」「今日…京…感の極み…絶頂」「なごし…夏越し…和し…なごやかにする」「はらへ…お祓い…邪気祓い…うるさいもの祓い」

 

歌の清げな姿は、六月のつごもり夏越しの日の歌。

心におかしきところは、山ばの京はかみの邪気ばらいなりけりというところ。

 

 

右大臣定国の四十賀内裏より屏風を調じて給ひけるに        壬生忠岑

八十六 おほあらきのもりのした草しげりあひてふかくも夏に成りにけるかな

此歌躬恒が集にあり

右大臣定国の(右大将だった時)四十歳の賀に内裏より、屏風を調達して下さったので  壬生忠岑

(大荒城の森の下草繁り合って、深い夏に成ってしまったことよ……大荒木の盛りが、妻女も繁り合って、情・深くも、熱い撫つになってしまうかなあ・寝所に置けば)

この歌は躬恒集にある。(屏風に書かれてあったならば内に依頼された躬恒の歌。御礼の歌ならば定国にお仕えしていた忠岑の代作)。

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「おほあらき…大荒城…殯の宮(古の遺体安置所)跡…大荒儀…粗暴な振る舞い…大荒木…強い荒くれ男…いずれにしても良い印象ではない右大将定国のこと」「木…言の心は男」「もり…森…盛り」「した草…下草…木の下の草…妻女」「草…言の心は女」「ふかくも…草深く…夏深く…情深く」「夏に…盛夏に…盛んで熱い撫つに…(拾遺集と他本は)夏の…盛夏が…撫つが」「撫づ…かわいがる…懐つ…慕う」「かな…疑問を表す…感動を表す」

 

歌の清げな姿は、夏の草木の風景画観賞。

心におかしきところは、描かれてあったのは仲睦ましい男女の絵だろう、その感想。

 

荒い右大将は内裏の女達から怖がられていただろう。あえて心和らぐような絵の屏風を調達して贈ったにちがいない。

 

「大和物語」に右大将定国と忠岑の話がある。

定国は酒に酔って、七夕の夜更けに、あの(菅原道真を流罪にした)藤原時平左大臣邸に乱入した。時平は、「何処へ行くつもりで来たのか」などと穏やかでない御様子。定国のお供の忠岑、松明で我が主人と自身を照らしながら、申し上げる。

かささぎの渡せる橋の上を 夜半にふみわけことさらにこそ

(彦星が天の川を渡れるようにカササギの架けた橋の上を、夜半に露を踏みわけ、ことさらこの御屋敷をめざしまして……七夕姫に逢おう、見たいと思ってやって参りました。怪しいものでも、他意もございません)

左大臣、「おかし」とお思いになられて、その夜の明けるまで、お酒を賜り、忠岑は褒美までも賜ったという。


 

これにて夏歌は終わる。歌が夏に分類されてあっても、夏の風景や風物が主題ではないことがわかる。夏の景物は、人の思いを、託されたり寄せられた物にすぎない。主題は人の心身である。公任の言う「深い心」「心におかしきところ」。俊成の言う「煩悩即ち菩提」である。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。