裁判官田原睦夫の反対意見

2012-02-06 18:40:00 | 司法試験関連
裁判官田原睦夫の反対意見は,次のとおりである。
 私は,多数意見が本件上告のうち,東京都人事委員会がした裁決の取消請求に関する部分を却下するとの点については異論はない。しかし,多数意見が,本件各職務命令は上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約の態様等を総合的に較量すれば,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるとして,本件各職務命令は,上告人らの思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当であるとして,上告人らのその余の上告を棄却するとする点については,以下に述べるとおり,賛成し難く,本件は更に審理を尽くさせるべく,原審に差し戻すのが相当であると考える。
第1 本件各職務命令と憲法19条との関係について
1 本件各職務命令の内容
 上告人らに対して各学校長からなされた本件各職務命令の内容は,入学式又は卒業式における国歌斉唱の際に「起立して斉唱すること」というものである(多数意見は,本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」を命ずる旨の職務命令として,起立行為と斉唱行為とを一括りにしているが,私は,次項以下に述べるとおり,本件各職務命令と憲法19条との関係を検討するに当たっては,「起立行為」と「斉唱行為」とを分けてそれぞれにつき検討すべきものと考えるので,多数意見のように本件各職務命令の内容を「起立斉唱行為」として一括りにして論ずるのは相当ではないと考える。)。なお,多数意見にても指摘されているとおり,本件町田市通達には「教職員は式典会場の指定された席で国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」も含まれていたが,X1に対する職務命令には,「国旗に向かって」の部分は含まれていない。
 この「起立して斉唱すること」という本件各職務命令の内容をなす「起立行為」と「斉唱行為」とは,社会的事実としてはそれぞれ別個の行為であるが,原判決の認定した事実関係によれば,本件各職務命令は,それら二つの行為を一体として命じているように見える。
 しかし,上記のとおり起立行為と斉唱行為とは別個の行為であって,国歌斉唱時に「起立すること」(以下「起立命令」という。)と「斉唱すること」(以下「斉唱命令」という。)の二つの職務命令が同時に発令されたものであると解することもできる。
 そして,本件各職務命令に違反する行為としては,〔1〕起立も斉唱もしない行為,〔2〕起立はするが斉唱しない行為(これには,口を開けて唱っている恰好はするが,実際には唱わない行為も含まれる。),〔3〕起立はしないが斉唱する行為,がそれぞれあり得るところ,本件の各懲戒処分(以下「本件各懲戒処分」という。)では,上告人らが本件各職務命令に反して国歌斉唱時に起立しなかった点のみが処分理由として取上げられ,上告人らが国歌を斉唱したか否かという点は,記録によっても,本件各懲戒処分手続の過程において,事実認定もなされていないのである。
 そこで以下では,本件各職務命令を「起立命令」部分と「斉唱命令」部分とに分けて,その憲法19条との関係について検討するとともに,本件各職務命令における両命令の関係について見てみることとする。
2 起立命令について
 私は,多数意見が述べるとおり,公立中学校における儀式的行事である卒業式等の式典における,国歌斉唱の際の教職員等の起立行為は,一般的,客観的に見て,これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものというべきであって,上告人らの主張する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものではなく,したがって,上告人らに対して,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱の際に起立を求めることを内容とする職務命令を発することは,直ちに上告人らの歴史観ないし世界観を否定するものではないと考える。
 また,「起立命令」に限っていえば,多数意見が述べるとおり,上告人らの思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの,職務命令の目的及び内容並びにその制約の態様等を総合的に較量すれば,なお,若干の疑念は存するものの,その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性を有することを肯認できると考える。
 しかし,後に検討する本件各職務命令における起立命令と斉唱命令との関係からすれば,本件各職務命令の内容をなす起立命令の点のみを捉えて,その憲法19条との関係を論議することは相当ではなく,本件各職務命令の他の内容をなす斉唱命令との関係を踏まえて論ずべきものと考える。
3 斉唱命令について
(1)斉唱命令と内心の核心的部分に対する侵害
 国歌斉唱は,今日,各種の公的式典の際に広く行われており,かかる式典の参加者が国歌斉唱をなすこと自体が,斉唱者の思想,信条の告白という意義まで有するものでないことは,前項で述べた起立の場合と同様である。また,多数意見が指摘するように,本件各職務命令当時,公立中学校の卒業式等の式典において国歌斉唱が広く行われていたことが認められる。
 しかし,「斉唱」は,斉唱者が積極的に声を出して「唱う」ものであるから,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者にとっては,その歴史観,世界観と真っ向から対立する行為をなすことに他ならず,同人らにとっては,各種の公的式典への参加に伴う儀礼的行為と評価することができないものであるといわざるを得ない。
 また,音楽専科以外の教諭である上告人らにおいて,学校の卒業式等の式典における国歌斉唱時に「斉唱」することは,その職務上当然に期待されている行為であると解することもできないものである。なお,多数意見の指摘するとおり,学習指導要領では,「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定めているが,その故をもって,音楽専科以外の教諭である上告人らにおいて,入学式や卒業式における国歌斉唱時に,自ら国歌を「唱う」こと迄が職務上求められているということはできない。
 以上の点よりすれば,国歌に対して否定的な歴史観や世界観を有する者に対し,国歌を「唱う」ことを職務命令をもって強制することは,それらの者の思想,信条に係る内心の核心的部分を侵害するものであると評価され得るということができる。
(2)斉唱命令と内心の核心的部分の外縁との関係
 憲法19条が保障する思想及び良心の自由には,内心の核心的部分を形成する思想や信条に反する行為を強制されない自由が含まれることは当然である。
 また,それには,自らの思想,信条に反する行為を他者に求めることを強制されない自由も含まれると解すべきものと思われる。そして,その延長として,第三者が他者に対して,その思想,信条に反する行為を強制的に求めることは許されるべきではなく,その求めている行為が自らの思想,信条と一致するか否かにかかわらず,その強制的行為に加担する行為(加担すると外部から捉えられる行為を含む。)はしないとする強い考え,あるいは信条を有することがあり得る。
 上記のような強い考え,あるいは信条は,憲法19条が保障する思想,信条に係る内心の核心的部分そのものを形成するものではないが,その外縁を形成するものとして位置付けることができるのであり,かかる強い考え,あるいは信条を抱く者における,その確信の内容を含む,上記外縁におけるその位置付けの如何によっては,憲法19条の保障の範囲に含まれることもあり得るということができると考える(最高裁平成16年(行ツ)第328号同19年2月27日第三小法廷判決・民集61巻1号291頁(以下「ピアノ伴奏事件判決」という。)における藤田宙靖裁判官の反対意見参照)。
 ところで本件では,「斉唱命令」と憲法19条との関係が問われているのであり,(1)で論じたとおり,「斉唱命令」は上告人らの内心の核心的部分を侵害するものと評価し得るものと考えるが,仮に,本件各職務命令の対象者が,国歌については価値中立的な見解を有していても,国歌の法的評価を巡り学説や世論が対立している下で(国旗及び国歌に関する法律の制定過程における国会での議論の際の関係大臣等の答弁等から明らかなとおり,同法は慣習であるものを法文化したものにすぎず,また,同法の制定によって,国旗国歌を強制するものではないとされている。),公的機関が一定の価値観を強制することは許されないとの信条を有している場合には,かかる信条も思想及び良心の自由の外縁を成すものとして憲法19条の保障の範囲に含まれ得ると考える。
4 本件各職務命令と起立命令,斉唱命令との関係
 1に述べたとおり,本件各職務命令は,「起立命令」と「斉唱命令」の二つの職務命令が同時に発令され,本件各懲戒処分では,「斉唱命令」違反の点は一切問われていないことからして,そのうちの「起立命令」違反のみを捉えてなされたものと解し得る余地が一応存する。
 しかし,原判決が認定する本件各職務命令が発令されるに至った経緯からすると,本件各職務命令は「起立して斉唱すること」を不可分一体の行為と捉えて発せられたものであることがうかがわれ,また,上告人らもそのようなものとして捉えていたものと推認される。
 そして,上告人らにとっては,2,3において検討したとおり,上告人らの思想,信条に係る内心の核心的部分との関係においては,「起立命令」と「斉唱命令」とは明らかに異なった位置を占めると解されるところ,本件各職務命令が,上記のとおり「起立して斉唱すること」を不可分一体のものとして発せられたものであると上告人らが解しているときに,その命令を受けた上告人らとしては,「斉唱命令」に服することによる上告人らの信条に係る内心の核心的部分に対する侵害を回避すべく,その職務命令の一部を構成する起立を命ずる部分についても従わなかったと解し得る余地がある(本件では,上告人らが,国歌を「斉唱」する行為につき如何なる考えを抱いていたか,国歌斉唱の際の起立行為と斉唱行為との関係をどのように関係付けていたかについて,原審までに審理が尽くされていない。)。
 また,仮に本件各職務命令が「起立命令」と「斉唱命令」の二つの職務命令を合体して発令されたものであり,二つの職務命令を別々に評価することが論理的に可能であるとしても,本件各職務命令が発令された経緯からして,上告人らが本件各職務命令が「起立して斉唱すること」を不可分一体のものとして命じたものと捉えたとしても無理からぬものがあり,本件上告人らとの関係において,本件各職務命令違反の有無の検討に当たって,本件各職務命令を「起立命令」と「斉唱命令」とに分けることは相当ではないといわなければならない。
5 小括
 以上検討したとおり,本件各職務命令は,「起立して斉唱すること」を一体不可分のものとして発せられたものと解されるところ,上告人らの主張する歴史観ないし世界観に基づく信条との関係においては,本件各職務命令のうち「起立」を求める部分については,その職務命令の合理性を肯認することができるが,「斉唱」を求める部分については上告人らの信条に係る内心の核心的部分を侵害し,あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分を侵害する可能性が存するものであるといわざるを得ない。
 本件において,上告人らが本件各職務命令にかかわらず,入学式又は卒業式の国歌斉唱の際に起立しないという行為(不作為)を行った理由が,国歌斉唱行為により上告人らの信条に係る内心の核心的部分(あるいは,内心の核心的部分に近接する外縁部分)に対する侵害を回避する趣旨でなされたものであるとするならば,かかる行為(不作為)の,憲法19条により保障される思想及び良心の自由を守るための行為としての相当性の有無が問われることとなる。
 しかし,原審までの審理においては,「起立命令」,「斉唱命令」と上告人らの主張する信条との関係につきそれぞれを分けて検討することはなく,殊に「斉唱命令」と上告人らの信条との関係について殆ど審理されていないのであり,また,本件各職務命令と「起立命令」,「斉唱命令」との関係や,「斉唱命令」に従わないこと(不作為)と「起立命令」との関係,更には,上告人らの主張する信条に係る内心の核心的部分(あるいはその外縁部分)の侵害を回避するための行為として,上告人らとして如何なる行為(不作為)をなすことが許されるのかについての審理は,全くなされていないといわざるを得ない。
第2 本件における職務命令とピアノ伴奏事件判決における職務命令との関係について
 私は,本件に係る先例としてしばしば論議される,市立小学校の校長が音楽専科の教諭に対し,入学式における国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏を行うことを命じた職務命令が憲法19条に違反するか否かが問われた前記ピアノ伴奏事件判決において,同職務命令は憲法に違反するものではないとした多数意見に同調しているところから,同事件の多数意見につき私が理解するところと,本件における私の反対意見との関係につき,以下に両事件の相違点を踏まえて,若干の説明をすることとする。
1 ピアノ伴奏事件判決における職務命令の対象者
 ピアノ伴奏事件判決における職務命令の対象者は,公立小学校の音楽専科の教諭である。小学校における音楽専科の教諭は,音楽を学習する各クラスの児童に対して専科として音楽の授業を行うほか,クラブ活動の指導や,学校行事として行われる入学式,卒業式,運動会,音楽会等の諸行事において,ピアノの伴奏をなし,あるいは,歌唱の指導を行うこと等が求められる。音楽専科の教諭に対して各クラスに対する音楽の授業以外に,学校の行事等に関連して音楽専科の教諭としての技能の行使が求められる上記の職務の内容は,小学校における教育課程の一環として行われるものである以上,それらの職務の遂行は音楽専科の教諭としての本来的な職務に含まれると解される。したがって,同事件において,校長が音楽専科の教諭である同事件の上告人に対して,入学式において参列者一同による歌唱の際にその伴奏を命じることは,音楽専科の教諭としてなすべき当然の職務の遂行を命じるものにすぎない。
2 音楽専科の教諭の職務
 同事件の論点は,ピアノ伴奏の対象が「君が代」であり,同事件の上告人が「君が代」を唱ったり,ピアノ伴奏したりすることが,同上告人の思想及び良心の自由を侵害するとの理由でそのピアノ伴奏を拒否することができるかという点であった。
 ところで,公立小学校の音楽専科の教諭は,小学校の教科書に採択されている曲目はもちろんのこと,教科書に採択されていなくとも,一般に公立小学校において諸行事の施行等の際に演奏がなされ又は歌唱される曲目について,そのピアノ演奏やピアノ伴奏をなすことは,通常の職務の範囲に属するものといえる。そして,音楽専科の教諭が,その行事の式次第においてかかる曲目の歌唱をなすことが定められた場合に,そのピアノ伴奏を求められれば,それをなすべきものであり,そのピアノ伴奏につき職務命令まで発令された場合には,その命令に従うべき義務を負うものというべきものである。
3 音楽専科の教諭と思想及び良心の自由
 ピアノ伴奏事件判決において,同事件の上告人は,「君が代」を公然と唱ったり,ピアノ伴奏することは,同上告人の歴史観ないし世界観に反し,そのピアノ伴奏をなすことは同上告人の思想及び良心の自由を侵害するものである旨主張したが,同判決の多数意見が述べるとおり,公立小学校における入学式や卒業式において国歌斉唱として「君が代」が斉唱されることが広く行われていたことは周知の事実であり,客観的に見て,入学式の国歌斉唱の際に「君が代」のピアノ伴奏をするという行為自体は、音楽専科の教諭として通常想定され,期待される行為であって,その伴奏行為自体が当該教諭が特定の思想を有することを外部に表明する行為であると評価され得る類のものではなく,殊に職務上の命令に従ってなされる場合には,当該教諭が特定の思想を有することの外部への表明と評価することは困難なものであり,したがって,かかる伴奏行為については,憲法19条により保障されるべき行為であるとはいえないものというべきである。
 また,公立小学校の音楽専科の教諭は,前記のとおり,教科書に採択され,あるいは,一般に小学校の行事等で広く演奏され,又は唱われている曲目については,たとえその音曲の演奏をなすことが音楽家としての信条に反し,そのピアノ演奏をなすこと自体が心理的苦痛を伴うものであったとしても,そのピアノ演奏は職務としての演奏であって芸術としての演奏ではないから,その演奏行為をもって,当該教諭の思想及び良心の自由についての制約に当たるものと評価されるべきものではなく,したがって,憲法19条により保障される範囲に含まれるとはいえないのである。 
4 本件とピアノ伴奏事件判決との相違点
 ピアノ伴奏事件判決は,上記のとおり公立小学校の音楽専科の教諭に対し,本来の職務に属するピアノ伴奏をなすことを求めて職務命令が発せられたものであるのに対し,本件各職務命令は,入学式や卒業式に出席するという公立中学校の教諭としての本来の職務を滞りなく遂行しようとしていた上告人らに対して,更にその職務に付随して発せられた命令であり,その職務命令に服従しない行為と憲法19条による保障との関係が問われている点において,事情を大きく異にするのである。
第3 裁量権の濫用について
 本件では,論旨においては,専ら本件各職務命令の合憲性の有無のみが主張の対象とされ,本件における各学校長が本件各職務命令を発令したことが学校長に認められる裁量権の濫用に当たるか否か,また,都教委が上告人らに対してなした本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かという点は論旨に含まれていない。
 もっとも,本件においては,本件各職務命令と上告人らの思想及び良心の自由との関係が問われているのであるから,本件各職務命令が憲法19条との関係においてその合憲性が肯定される場合であっても,同条との関係において本件各職務命令及び本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かが問題となり得るのであって,本件においては,かかる観点からの検討を加える余地も存したのではないかと考えるので,それ自体が法令違反の有無として当審の審判の対象となるものではないものの,以下その点について若干付言する。
1 職務命令の発令と裁量権の濫用
 公立中学校の校長が,その学校に所属する教諭や職員に対して,学校教育法等の法令に基づいて職務命令を発することができる場合において,その職務命令には,その内容に応じて質的に様々の段階のものがある。例えば,学校における校務運営上教職員が職務命令に従って行為することが不可欠であり,その違反は校務運営に著しい支障を来すところから,その違反に対しては,懲戒処分による制裁をもって臨まざるを得ない性質を有するものから,その職務命令に係る対象行為それ自体の校務運営上の重要性や必要性の程度,あるいはその行為を職務命令の相手方自身によって遂行させる必要性の有無等からすれば,通常は指導としてなされ,また,それをもって足りるものであるが,指導に代えて職務命令を発令しても違法とはいえない程度にとどまるものまで様々のものがあり得る。
 そして,公立中学校の校長が,通常は相手方に対する指導をもって対応すれば足りる行為につき職務命令を発令したときには,裁量権の濫用が問題となり得る。殊に,職務命令の対象とされる行為が,その相手方の思想及び良心の自由に直接関わる場合には,職務命令を発令すること自体,より慎重になされるべきである。
2 職務命令違反と制裁
 公立中学校の校長が,学校における校務運営上発令することができる職務命令のうち,通常は,教職員に対する指導をもって十分に対応することができるものの,職務命令を発令しても違法ではないという程度の職務命令に対する違反行為については,その違反の内容がその質において著しく到底座視するに耐えないものであるとか,その違反行為の結果,校務運営に相当程度の支障を生じさせるものであるなどの事情が認められない限り,かかる職務命令に違反したとの一事をもって懲戒処分をなすことは,原則として裁量権の濫用に当たるものといえよう。殊に,職務命令の対象行為が,職務命令を発する相手方の思想及び良心の自由に関わる場合には,なおさらであろう。
 次に,その職務命令を発令することは適法であり,その発令の必要性が肯定される場合であっても,その職務命令の内容が相手方の思想及び良心の自由に直接関わる場合には,懲戒処分の発令はより慎重になされるべきであり,かかる場合に職務命令の必要性やその程度,職務命令違反者が違反行為をなすに至った理由,その違反の態様,程度,その違反がもたらした影響等を考慮することなく,職務命令に違反したことのみを理由として懲戒処分をなすことは,裁量権の濫用が問われ得るといえよう。
 ところで,本件各職務命令との関係についていえば,第1にて検討したとおり,本件各職務命令は起立行為と斉唱行為とを不可分一体のものとしてなされており,斉唱行為を命じる点は,上告人らの思想,信条に関わるところから,裁量権の濫用以前の問題である。しかし,その点は別として,多数意見の立場に立ってみるに,本件各職務命令のうち国歌斉唱時における「起立命令」のみを取上げれば,入学式あるいは卒業式の式典の進行を,あらかじめ定められた式次第に従い秩序立って運営することを目的とするものであると解され,かかる行事が,式次第に従って秩序立って進行が保たれることが望ましいことであり,その必要性,相当性が認められる。しかし,式典の進行に係る秩序が完全に保持されることがなくとも,その秩序が大きく乱されない限り,通常は,校務運営に支障を来すものとはいえないものであり,他方,上告人らがその職務命令に反する行為をなすに至った理由が,上告人らの思想及び良心の自由に関わるものであることからすれば,懲戒処分が裁量権の濫用に当たるか否かにつき判断するには,上告人らの職務命令違反行為の具体的態様如何という質の問題とともに,その職務命令違反によって校務運営に如何なる支障を来したかという結果の重大性の有無が問われるべきものと考える。
第4 結論
 以上第1において詳述したとおり,原審は,本件各職務命令が入学式又は卒業式等の式典における国歌斉唱の際に「起立すること」と「斉唱すること」を不可分一体のものとして命じているものであるか否か,また,国歌の「斉唱命令」が上告人らの信条に係る内心の核心的部分と直接対峙し,侵害し得る関係に立つものであるのか否か,あるいは内心の核心的部分との直接対峙関係には立たないものの,その核心的部分に近接する外縁を成し,その侵害は,なお憲法19条によって保障されるべき範囲に属するといえるか否かという諸点について審理し,判断をなすべきところ,かかる諸点について十分な審理を尽くすことなく判決をなすに至ったものといわざるを得ない。
 よって,本件は,原判決を破棄の上,更に上記諸点について審理を尽くさせるべく,原審に差し戻すのを相当と思料する次第である。
(裁判長裁判官 田原睦夫 裁判官 那須弘平 裁判官 岡部喜代子 裁判官 大谷剛彦 裁判官 寺田逸郎)
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