礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

丸山眞男と長野ゆき普通419列車

2024-06-20 03:05:46 | コラムと名言

◎丸山眞男と長野ゆき普通419列車

 今月1日の朝日新聞で、原武夫さんの「歴史のダイヤグラム 丸山眞男と藤原保信」という文章を読んだ。その最初の部分を、以下に引用させていただきたい。

 私が尊敬している2人の政治学者、丸山眞男と藤原保信は、ともに人生の重大な節目に際して中央本線の普通列車に乗っている。ただし前者は下り列車、後者は上り列車であった。
 太平洋戦争でサイパンが陥落した1944(昭和19)年7月。東京帝国大学法学部助教授の丸山眞男は30歳で徴兵年齢を過ぎていたにもかかわらず、陸軍二等兵として教育召集を受けた。召集されたのは、長野県松本の歩兵第50連隊。新宿から中央本線の列車で松本に向かった。
 その日の朝のことが、『日本政治思想史研究』のあとがきに記されている。
 「本書の第三章は(中略)私の応召直前の労作であり、とくにその後半部は、召集令状を受けてからなお一週間の余裕があったので、出発のその日の朝までかかつてやつと纏【まと】め上げ、新宿駅で見送りに来てくれた同僚の辻清明君に手渡したという曰【いわ】く付【つき】のものであるだけに、その出来・不出来はともかくとして一しお思い出が深い」
 朝までかかって論文を仕上げ、「隣組や町会の人々」に見送られて新宿駅に向かい、ホームで法学部の同僚に原稿を手渡したと言うから、丸山が乗ったのは新宿10時10分発の長野ゆき普通419列車に違いない。松本着は17時37分であった。【以下、割愛】

 原武夫さんは、当時の時刻表を参照しながら、この文章を書かれたのであろう。
 原さんの文章を読んだ私は、東亜交通公社発行『時刻表 十九年五号』の復刻版を取り出してみた。『時刻表 十九年五号』は、1944年12月1日に発行されたものであって、丸山が召集された時点(1944年7月)における時刻表というわけではない。
 しかしそこにも、長野ゆき普通419列車が載っている(130ページ)。新宿10時10分発、甲府13時38分着、塩尻17時05分着、松本着は17時42分となっている。松本着の時刻は、原さんが参照した時刻表の419列車のそれより、5分遅くなっている。
 丸山眞男が、普通419列車には乗らなかった(乗れなかった)可能性もあろう。その場合、彼は、そのあとの普通421列車に乗ったと思う。『時刻表 十九年五号』によれば、長野ゆき普通421列車は、新宿12時30分発。甲府15時59分着、塩尻19時22分着、松本は19時57分着であった(長野着は、21時38分)。

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