礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト108(19・12・31)

2019-12-31 03:36:17 | コラムと名言

◎礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト108(19・12・31)

 本年の大晦日も、除夜の鐘にちなんで、礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト「108」を紹介してみたい。
 順位は、二〇一九年一二月三一日現在。なおこれは、あくまでも、アクセスが多かった「日」の順位であって、アクセスが多かった「コラム」の順位ではない。

1位 16年2月24日 緒方国務相暗殺未遂事件、皇居に空襲
2位 15年10月30日 ディミトロフ、ゲッベルスを訊問する(1933)
3位 19年8月15日 すべての責任を東條にしょっかぶせるがよい(東久邇宮)
4位 16年2月25日 鈴木貫太郎を救った夫人の「霊気術止血法」
5位 18年9月29日 邪教とあらば邪教で差支へない(佐藤義亮)
6位 16年12月31日 読んでいただきたかったコラム(2016年後半)
7位 14年7月18日 古事記真福寺本の上巻は四十四丁  
8位 18年8月19日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その5      
9位 17年4月15日 吉本隆明は独創的にして偉大な思想家なのか
10位 18年1月2日 坂口安吾、犬と闘って重傷を負う

11位 19年8月16日 礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト30(19・8・16)
12位 18年8月6日 桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その5
13位 17年8月15日 大事をとり別に非常用スタヂオを準備する
14位 18年8月11日 田道間守、常世国に使いして橘を求む
15位 17年1月1日 陰極まれば陽を生ずという(徳富蘇峰)
16位 17年8月6日 殻を失ったサザエは、その中味も死ぬ(東条英機)
17位 17年8月13日 国家を救うの道は、ただこれしかない
18位 19年8月18日 速やかに和平を講ずる以外に途はない(高松宮宣仁親王)
19位 19年4月24日 浅野総一郎と渋沢栄一、瓦斯局の払下げをめぐって激論
20位 15年10月31日 ゲッベルス宣伝相とディートリヒ新聞長官

21位 18年10月4日 「国民古典全書」は第一巻しか出なかった
22位 15年2月25日 映画『虎の尾を踏む男達』(1945)と東京裁判
23位 19年1月1日 もちごめ粥でも炊いて年を迎えようと思った(高田保馬)
24位 18年5月15日 鈴木治『白村江』新装版(1995)の解説を読む
25位 19年2月26日 方言分布上注意すべき知多半島
26位 19年8月17日 後継内閣は宮様以外に人なき事(木戸幸一)
27位 18年8月7日 桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その6
28位 19年1月21日 京都で「金融緊急措置令」を知った村田守保
29位 19年12月9日 『氷の福音』を読んで懐かしい気持ちになった
30位 18年12月31日 アクセス・歴代ベスト108(2018年末)

31位 19年1月23日 神社神道も疑いなく一種の宗教(美濃部達吉)
32位 18年5月16日 非常識に聞える言辞文章に考え抜かれた説得力がある
33位 18年5月4日 題して「種本一百両」、石川一夢のお物語
34位 18年5月23日 東条内閣、ついに総辞職(1944・7・18)
35位 18年9月30日 徴兵検査合格者に対する抽籤は廃止すべし
36位 19年1月30日 鵜原禎子が見送る列車は金沢行きの急行「北陸」
37位 19年1月24日 天皇に奉呈する請願書は侍従職に宛て郵便を以て差出す
38位 18年1月7日 ハーグ密使事件をスクープした高石真五郎
39位 19年3月7日 土井八枝さんの「仙台方言集」はウソからマコト
40位 19年3月8日 梅林新市氏は珍しい方言集を発見して紹介した

41位 16年2月20日 廣瀬久忠書記官長、就任から11日目に辞表
42位 18年9月28日 新潮社に入社すると「ひとのみち」に入る
43位 18年7月9日 本居宣長は世界の大勢を知らないお座敷学者(竹内大真)
44位 17年8月14日 耐へ難きを耐へ忍び難きを忍び一致協力
45位 18年8月10日 天日槍はどこの国からきたのか
46位 19年12月13日 ほうきの柄で生徒13名をなぐり、1名に頭部裂傷を与える
47位 18年8月14日 天日槍の来朝と赤絹掠奪事件
48位 19年1月6日 大山のヒトツバを煎じて飲めば必ず治る
49位 18年11月27日 火事のとき赤い腰巻を振るのはなぜか
50位 17年8月17日 アメリカのどこにも、お前たちの居場所はない

51位 19年2月15日 秋田方言と出雲方言が似通っているのを奇とし
52位 19年1月17日 「一マイル競走」の原作者はレスリー・M・カークではない
53位 18年5月30日 和製ラスプーチン・飯野吉三郎と大逆事件の端緒
54位 19年1月18日 山本有三の『真実一路』と吉田甲子太郎の「一マイル競走」
55位 19年1月29日 成田鉄道多古線を走った代用燃料車のゆくえ
56位 18年12月28日 絞首刑でなく銃殺刑にしてほしかった(ベルトホルト夫人)
57位 19年2月27日 貸座敷業のかたわら「大阪方言」を著した横井照秀氏
58位 19年8月22日 「降伏文書調印に関する詔書」(1945・9・2)
59位 18年11月25日 瀧川政次郎の「火と法律」を読む
60位 18年2月14日 自殺者に見られる三要素(西部邁さんの言葉をヒントに)

61位 18年3月15日 二・二六事件「蹶起趣意書」(憲政記念館企画展示より)
62位 19年1月16日 京都から彦根までの切符を買うために朝四時半に家を出る
63位 15年8月5日 ワイマール憲法を崩壊させた第48条
64位 19年6月17日 寺院財産の管理規定を完備しなければならぬ
65位 18年12月30日 読んでいただきたかったコラム10(2018年後半)
66位 18年10月29日 それならば、なぜ判決を急ぎ、証拠を隠滅したのか
67位 19年1月11日 昭和の心学は衆教一致でなければ(井上哲次郎)
68位 18年8月20日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その6
69位 18年12月13日 それからご飯だ、ああうれし(高村光太郎)
70位 18年5月17日 日下部文夫氏の遺稿「UBIQUITOUS ユビキタス」

71位 15年2月26日 『虎の尾を踏む男達』は、敗戦直後に着想された
72位 18年10月27日 沖縄語の耻は内地で云ふ婦人の耻かし所である
73位 17年8月16日 西神田「日本書房」と四天王寺の扇面写経
74位 19年8月13日 東雅に「セミとは蝉の字の音を呼ぶなり」とある
75位 19年1月22日 美濃部達吉『改訂 憲法撮要』(1946年8月)を読む
76位 18年8月23日 桃井銀平論文の全体構成(付・ブログ歴代ベスト30)
77位 18年9月12日 映画『松川事件』(1961)を鑑賞した
78位 18年7月26日 藤田反対意見の射程――桃井論文の紹介・その9
79位 18年10月28日 「横浜事件」国家賠償請求控訴事件の判決文を読んだ
80位 18年1月24日 明確な目標なき新体制論議は国民を困惑させる

81位 18年9月13日 大映ビデオミュージアム「座頭市シリーズ」18作品
82位 18年10月15日 首が飛んで糠を入れた籠の中に落ちる
83位 18年10月25日 阿波国八万村に袖ハギさんと称する祠がある
84位 17年3月11日 教育者は最も陰湿なやりかたで人を殺す
85位 18年5月28日 テーブルの上には「三種の神器」が置かれてあった
86位 18年5月24日 小磯首相の放送「大命を拝して」(1944・7・22)
87位 18年11月24日 カルロス・ゴーン日産会長解任事件の本質
88位 19年12月2日 帝銀事件と天地真理さん(『氷の福音』より)
89位 18年5月24日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その1
90位 18年5月27日 政略結婚は昔から権力者の常套手段(猪俣浩三)

91位 19年12月1日 刻苦九年いま最初の一巻を捧ぐ(高群逸枝)
92位 19年1月2日 おまへが実際には死んでゐない様な気もするのだ
93位 19年9月8日 ほんとの御親裁、御聖断が降ってよい時だ(平沼騏一郎)
94位 19年1月4日 日本の学校教育は「学問をきらひにする教育」
95位 18年5月21日 橋本凝胤師から「仏罰じゃ」と言われた鈴木治
96位 18年9月22日 青雲閣書房「民衆政治講座」全24巻
97位 18年11月15日 新旧両憲法は全く別個の根本規範に根ざしている
98位 19年2月3日 『ことがら』の出所は明白であった(青木茂雄)
99位 18年12月10日 大雅新書、既刊3冊近刊1冊の内容を紹介する
100位 19年12月11日 天地真理は「アドリブの時代」に取り残された(塩崎雪生)

101位 18年11月19日 百済王は朕が外戚なり(桓武天皇)
102位 18年8月17日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その3
103位 18年3月29日 丸川珠代参議院議員の印象操作
104位 18年10月9日 「勁草全書」発刊のことば(1949)
105位 19年7月30日 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ拿捕監禁及糾治ヲ受クルコトナシ
106位 19年1月19日 吉田甲子太郎がアイデアを提供した可能性はないか
107位 18年12月5日 暗夜、灯の消えた民家の前に佇む松本清張
108位 19年2月13日 「津軽語彙」「青森県方言集」「野辺地方言集」

*このブログの人気記事 2019・12・31(8位に珍しいものが入っています)

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読んでいただきたかったコラム(2019年後半)

2019-12-30 01:58:25 | コラムと名言

◎読んでいただきたかったコラム(2019年後半)

 恒例により、二〇一九年後半(七月~一二月)に書いたコラムのうち、読んでいただきたかったコラムを、一〇本、挙げてみたい。おおむね、読んでいただきたかった順番になっている。

1) 優生手術は「断種」であって「去勢」ではない 12月21日  
2) 国民優生法は健全者の不妊手術等を禁じた 12月24日
3) すべての責任を東條にしょっかぶせるがよい(東久邇宮) 8月15日
4) 『日本人は本当に無宗教なのか』を読み終えて(徳永忠雄) 12月15日
5) おほめの言葉に調子づいて原稿用紙に初めて手を出した 7月25日
6) 愛媛県八幡浜市「街頭録音事件」(1951) 12月16日
7) 真宗教徒は現世の福利を神仏に祈らない 10月30日
8) 文学報国会ができたとき俳句部会のみ入会申込が多く…… 10月18日
9) 天地真理は「アドリブの時代」に取り残された(塩崎雪生) 12月11日
10) 敵は新占領地に新政権を樹てるかも知れぬ(酒井鎬次) 9月11日
次点) 映画『ロッキー2』(1979)を鑑賞した 11月10日

*このブログの人気記事 2019・12・30(10位になぜか阿南大将)

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山田宗睦著『危険な思想家』と大熊信行の経済学

2019-12-29 02:05:51 | コラムと名言

◎山田宗睦著『危険な思想家』と大熊信行の経済学

 昨日まで、四回にわたって大熊信行の文章を紹介した。本日は、その補足である。
 今日では、あまり言及されることがないが、山田宗睦(むねみつ)という哲学者がいる(一九二五~)。
 その著書『危険な思想家――戦後民主主義を否定する人びと』(カッパ・ブックス、一九六五)は、ひところ、かなり評判になった本である。今、机上に、その「26版」がある。奥付によれば、初版発行は一九六五年(昭和四〇)三月一日。同年四月二〇日には、早くも第26版に達している。
 この本で山田宗睦は、竹山道雄・林房雄・三島由紀夫・石原慎太郎・江藤淳・高坂正堯・山岡荘八・大熊信行らの面々を、「戦後民主主義を否定する人びと」として批判している。この本を私は、高校生の時に読んだ。そして、大熊信行という経済学者に注目した。それは、山田によって紹介された「大熊経済学」の内容に興味を持ったからである。あるいは、山田が、大熊経済学のユニークさを、高く評価しているように感じたからである。
 本日は、同書の第七章「大熊信行――戦争体験の逸脱㈡」から、「政治に無縁の大熊経済学」の節を紹介してみよう。

政治に無縁の大熊経済学
 大熊が経済学をえらんだのは、河上肇【かわかみはじめ】に「だまされた」からだそうだ。河上はラスキンをマルクスと肩をならべる経済学者のように書いた。青年大熊は、トルストイ、カーライ、ラスキンを愛読していたので、それなら自分もやれるとおもって経済学を志望した。もしだまされなかったらなにをしたかったのか、とあるとき聞いたら、生物学をやりたかったのだそうだ。
 この専門の選択のなかに、すでに大熊経済学の独特の性格がうかんでいる。つまり大熊経済学は、物的財貨の動きをみるものでなく、人間の生命=生活(人生)の意味をみるところに、その根本をおいている。一九二二(大正十一)年に書いた論文で、大熊は、その経済学の二つの柱の一つ〈配分原理〉を確立している。〈経済の基本は時間の配分にある〉という見解である。人間の営為【いとなみ】は、すべて時間のなかでの歴史的行為である。となると、全体として社会的・人間的〈必要〉に応じて、持ち時間をどう経済的に配分するのか、ということはたしかに根本的な問題となる。生産や消費や流通といった社会的な配分だけではない。個人が労働、消費(労働力の再生産)、娯楽、生殖(労働力の世代的再生産)といったことへの時間配分をどうするかは、その人間の人生そのもののあり方を決定する。
 経済の根本を時間の配分にみる考え方は、さいきん出版されたマルクスの『経済学批判要綱』にもでてくる考え方である。この点では大熊は、四十年前に、マルクスとは独立に、同一の見解に達していたのである。
 もう一つの柱は〈人間の再生産論〉である。労働価値学説が、じつは人間生命(生活)の再生産を論ずるものだと、大熊がみぬいたのは、ここでも、マルクスと合致する。マルクス経済学は物的財貨の生産だけではなく、人間〈生活の社会的生産〉全体を考察したのだから。
 青年大熊は河上肇について学びたいとおもった。だが、つてがなく、東京商大(現・一橋大)で福田徳三【ふくだとくぞう】についた。福田は「中外」(社長・内藤民治/主筆・中目尚儀)をバックに、「中央公論」(主筆・滝田樗陰)をバックにした吉野作造【よしのさくぞう】と連携【れんけい】して、一九一八(大正七)年末黎明会【れいめいかい】を組織した。このグループは、大正デモクラシーの言論の中心となった。このグループも、福田も、社会主義ではなかったが、そちらにたいして閉じてもいなかった。福田はマルクス経済学についても知っていた。この福田についたことが、大熊のその後のあり方にも影響しているとおもう。河上は求道一途【いちず】に共産党に入党し、政治の場へもほんのちょっとだが出た。大熊は、経済学上、マルクスの系列をふみつつ、どの左翼的政治党派とも、またどのマルクス主義学派(講座派、労農派)とも、無縁だった。
 マルクス経済学にかかわりながら、政治と無縁であったことは、一面では弱さにもなる。そして、この弱さが、のちに、太平洋戦争期の大熊のあやまちにつながっていくことになる。だが、この無縁さ、つまり現実との一定の距離が、かえって大熊に、政治の目では見えない、人間営為の秘密を見るレンズを与えてもいるのである。

*このブログの人気記事 2019・12・29(なぜか10位に土肥原賢二)

コメント (2)
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家を人間生産の組織と解するのは自明にして初歩的

2019-12-28 04:53:00 | コラムと名言

◎家を人間生産の組織と解するのは自明にして初歩的
 
 大熊信行『国家科学への道』(東京堂、一九四一)から、「経済学における『家』の発見」の節を紹介している。本日は、その四回目(最後)。原文で、傍点が施されていた部分は、下線によって代用した。

 今日必要なのは、生活再生産の構造が企業経済のそれと本質的に異なるものだといふ漠然たる見解ではなく、逆に、むしろ本質的に酷似したものだといふ新見解である。総力科学はこの見解を離れて正当な基礎をもつことはできない。
 われわれは右のやうな推論の中には繊細な感情をもつ一部読者の心を打ちひしぐ要素があらうことを知つてゐる。家【いへ】の再発見はしかしこのやうな方式に拠らなくてはならぬ。――これはまさしく一つの『発見』である。大泉行雄教授が二三の機会において、われわれの『発見』に論及し、さらにこの思想を世界観問題に発展せしめられた最近の努力は併せて注目されなくてはならぬ。教授はいふ、『国家はその内部に、限りなく多数の、しかも、それぞれ異なる目的を持つ協同生活体を包摂し、その綜合として統一的国家を形成してゐる。かゝる諸協同生活体の中で、本来、限定性の下に在る人間個体の生命を、無限の時間的延長の上に負担し担当してゆくものは、唯ひとり家の生活だけである。国家の生命が人間個体の生命力を超えて永続してゆく時、それは実に、等しく永続的生命体たる家によつてのみ、現実に荷はれて〈ニナワレテ〉ゆくことを知らねばならない』と。 .
 大泉教授にしたがへば、全体主義国家と称するドイツの歴史を見ても、そこには唯一つの国家ではなくて多数のドイツ国家の存在したことを認めなければならず、ナチスがみづから第三帝国と名づけることそれ自体が、国家の複数性を示す。――『ドイツ民族の揺籃としてのドイツの家【いへ】は、永くその生命を伝承して今日に到つたであらう。けれどもその民族の上に、異なる理念、異なる構成をもつ複数の国家が隆替変遷しつづけてきた跡を見るのである。国と家との間には算術的分合の関係に近いものを認め得る。われわれの場合に在つては、それは二つにして、しかも全くたゞひとつのものである。家における最高規範としての孝と、国における最高規範としての忠とが畢竟、たゞひとつのものの二つのあらばれに過ぎぬといふ、われわれにとつて、最もあたりまへの真理にかうして辿りつくのである。』――しかり、われわれの窮極目的は、科学的思惟を通して常識の本体に回帰するにある。常識の本体にまで回帰せざる中途半端の翻訳的概念の、いかに多いことであらう! あゝ、いかに多いことであらう!
 おもふに家【いへ】に関する一般歴史的・法制史的・社会学的研究は、『家族制度』の起源とその本質が何であるかを説いて剰す〈アマス〉ところなく、家をもつて人間生産の組織と解することのごときことは、あまりにも自明であり、あまりにも初歩的であつて、それらの領域からいへば事新たに論ずべきことではない。にもかゝはらず、いまこれを近代の価格理論を中心とする自由主義経済学の批判として論ずるとき、『消費経済』概念の否定としての一つの本質把握が、一つの『発見』のごとき感銘をもつて現代の知識層に迫るといふのは、そもそも何を語るのであらうか? われわれの日常的な生活意識が、すでに何時からか自由主義的思惟形式によつて呪縛されてゐたのだといふこと、すなはちそれのみ。

 以上、四回にわたって、『国家科学への道』の第十五章「世界観の体系化いまだし」の「第四 経済学における『家』の発見」の全文を紹介した(三四二~三五〇ページ)。
 明日は、この大熊理論について、若干の補足をおこなう。

*このブログの人気記事 2019・12・28

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家の経済の合理化は生活再生産の合理化を意味する

2019-12-27 00:09:33 | コラムと名言

◎家の経済の合理化は生活再生産の合理化を意味する
 
 大熊信行『国家科学への道』(東京堂、一九四一)から、「経済学における『家』の発見」の節を紹介している。本日は、その三回目。

 生活の現実において、われわれの生活判断は、一日といへども経済学的な合理性の追求のために作用してゐるものではない。われわれの判断は、つねに内容的な生活合理性の追求に向ふことによつて、われわれをして人間的または国民的なることを得せしめてゐるのである。主観的な、非合理な欲求の強さを制して、むしろ客観的な、生活合理的な『必要』を追求することのなかに、現実の日常生活はある。それは本来的に戦時だけの問題ではない。『消費の合理化』といふ一つの合言葉が指し示す方向は、たゞそのやうに理解することによつてのみ、理解される。おなじく自由主義経済学とはいへ、古典派が、この点において限界学派よりも遥に豊富な 着想をもつてゐたことは、更めて〈アラタメテ〉かへりみられなければならない一事である。
 消費経済の合理性なるものは、しからばいまや語義が二つに割れた。一つは全く空白な機械論的思惟の産物であつて、自由主義的な経済学者の所有に属するもの、他の一つは客観的な生活必要の規制を追求するところの国民的思惟によつて支へられたものである。
 物財中心の自由主義経済学が、物財生産の組織としての企業の立場に重心をおいたことは不思議ではない。しかしわれわれの思惟はすでにそれと同時に、人間生産の組織としての家【いへ】の経営に同等の重点をおく。企業すなはち物財生産における合理化の過程なるものは、逆説的にいへば実は一般に生産の必然的反面である生産財消費の過程における合理化であつた。これに反して、家【いへ】の経済、すなはちいふところの消費経済の合理化なるものは、実は生活再生産の合理化を意味するものにほかならぬ。人間は生理的存在であると同時に心理的・精神的存在である。家畜家禽の飼育における経営原理はそのまゝ人間のための原理ではない。さりとて基本的に異なる原理が別に人体のために存在するのではない。営養学や衛生学が追求するものは客観的な方向である。客観的なものの追求において、われわれはそれらと方向を一つにしなければならぬ。もちろん、総力科学が自己の領域を見いだすのは、それらのものの綜合においてでなければならぬ。
 いはゆる生産経済とは物の生産経済の意味であった。しかし物の生産経済の反面は物と労働力の消費経済である。いはゆる消費経済とは物の消費経済の意味であつた。しかし物の消費経済の反面は人間の生産経済である。
 いはゆる生産の合理化の本体は、物の再生産における物および労働力消費の合理化であつた。
 いはゆる消費経済の合理化の本体は、生活の再生産における物および時間消費の合理化でなければならぬ。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2019・12・27

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