礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト108(23・12・31)

2023-12-31 04:22:34 | コラムと名言

◎礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト108(23・12・31)

 2023年も大晦日を迎えた。除夜の鐘にちなみ、礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト「108」を紹介する。
 順位は、2023年12月31日現在。なおこれは、あくまでも、アクセスが多かった日の順位であって、アクセスが多かったコラムの順位ではない。

1位 16年2月24日 緒方国務相暗殺未遂事件、皇居に空襲
2位 15年10月30日 ディミトロフ、ゲッベルスを訊問する(1933)
3位 19年8月15日 すべての責任を東條にしょっかぶせるがよい(東久邇宮)
4位 16年2月25日 鈴木貫太郎を救った夫人の「霊気術止血法」
5位 18年9月29日 邪教とあらば邪教で差支へない(佐藤義亮)
6位 16年12月31日 読んでいただきたかったコラム(2016年後半)
7位 23年12月14日 大江健三郎氏は「一本調子」がかなり改まっている
8位 14年7月18日 古事記真福寺本の上巻は四十四丁  
9位 21年8月12日 国内ニ動乱等ノ起ル心配アリトモ……(木戸幸一)
10位 21年6月7日 山谷の木賃宿で杉森政之介を検挙

11位 18年8月19日 桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その5      
12位 17年4月15日 吉本隆明は独創的にして偉大な思想家なのか
13位 21年3月4日 堀真清さんの『二・二六事件を読み直す』を読んだ
14位 18年1月2日 坂口安吾、犬と闘って重傷を負う
15位 19年8月16日 礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト30(19・8・16)
16位 18年8月6日 桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その5
17位 22年12月30日 読んでいただきたかったコラム10(2022年後半)
18位 17年8月15日 大事をとり別に非常用スタヂオを準備する
19位 23年3月9日 松蔭を斬り、雲濱を葬りたる幕府当局を想起す(愛国法曹連盟)
20位 23年12月12日 かうした地方を私は一型アクセントの地方といふ

21位 18年8月11日 田道間守、常世国に使いして橘を求む
22位 22年8月2日 朝日平吾は昭和テロリズムの先駆か
23位 22年12月20日 「開帳は夜ふけに限る」と敬道師はいった
24位 17年1月1日 陰極まれば陽を生ずという(徳富蘇峰)
25位 22年6月22日 大正期における大阪の田楽屋と「おでん」について
26位 2022/12/31 礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト108(22・12・31)
27位 17年8月6日 殻を失ったサザエは、その中味も死ぬ(東条英機)
28位 22年9月20日 太田光氏の「まともな感覚」に期待する
29位 22年10月6日 家々に代々伝へて来るのが「モタル」であります
30位 22年9月22日 坊さんには生活の苦労を知らぬ人が多い(山田孝雄)

31位 23年1月12日 加藤寛治軍令部長の上奏をめぐる問題
32位 17年8月13日 国家を救うの道は、ただこれしかない
33位 22年10月5日 安倍元首相は、「非業の死」を予期していたのか
34位 19年8月18日 速やかに和平を講ずる以外に途はない(高松宮宣仁親王)
35位 21年8月14日 詔勅案は鈴木首相が奉呈して允裁を得た
36位 23年11月14日 名古屋城のシャチホコから金をはがした金助
37位 21年3月5日 ある予審判事が体験した二・二六事件
38位 22年8月17日 帝国憲法の条規中、絶対的に変更すべからざるもの
39位 22年12月19日 藤嶽敬道師は、いくら失敗しても絶対にくたばらない
40位 22年9月21日 君たちは学問がありすぎて常識を働かさない

41位 19年4月24日 浅野総一郎と渋沢栄一、瓦斯局の払下げをめぐって激論
42位 15年10月31日 ゲッベルス宣伝相とディートリヒ新聞長官
43位 22年7月13日 伊藤博文の出自は、百姓もしくは軽輩
44位 23年11月16日 当分は芝居などを書かうとは思ふまい(岡本綺堂)
45位 20年2月24日 悪い奴等を葬るのが改革の早道だ(栗原安秀中尉)
46位 23年12月27日 『アラビアのロレンス』これで見納め(青木茂雄)
47位 18年10月4日 「国民古典全書」は第一巻しか出なかった
48位 20年2月26日 日本間にある総理の写真を持ってきてくれ(栗原安秀中尉)
49位 22年10月7日 「梅尾」と書いて、昔から「トガノヲ」と読む
50位 23年12月8日 8隻の敵艦隊からの砲撃で177名が死亡

51位 22年9月13日 アウグストゥスは「現に生ける神なる皇帝」を意味した
52位 15年2月25日 映画『虎の尾を踏む男達』(1945)と東京裁判
53位 19年1月1日 もちごめ粥でも炊いて年を迎えようと思った(高田保馬)
54位 18年5月15日 鈴木治『白村江』新装版(1995)の解説を読む
55位 19年2月26日 方言分布上注意すべき知多半島
56位 22年12月16日 丸山先生が委員会で八月革命という表現を使われ……
57位 19年8月17日 後継内閣は宮様以外に人なき事(木戸幸一)
58位 23年12月28日 『アラビアのロレンス』これで見納め(その2)
59位 22年12月21日 この通り、御開山のお姿が刻みこんであります
60位 22年8月12日 同一の措辞は原則として同一の意義を有する

61位 22年12月17日 敬道師は堂々と「節談説教」を開始した
62位 22年7月15日 憲法改正にともなう「國體」の変革はなかった(美濃部達吉)
63位 20年2月9日 失敗したときは、これをお使いください(小坂慶助)
64位 22年12月18日 真宗の門徒たちは若い説教者をいじめぬく
65位 18年8月7日 桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その6
66位 23年1月3日 明治29年7月、京都新町便利堂の借宅にて
67位 22・12・13 ポツダム宣言の受諾は旧憲法を覆した革命的行為(美濃部達吉)
68位 23年10月27日 磯部浅一、真崎大将と予審廷で対決
69位 21年8月11日 鈴木首相も平沼枢相の意見に賛成したる様子(東郷茂徳)
70位 22・8・19 立憲政治は議会を設けて立法に参与せしむることを要件とする

71位 22年12月25日 小沢さんは柄笊を持って、お布施を集めてまわりました
72位 23年1月1日 精神的に亡びた国は、その形骸までも失う(内村鑑三)
73位 23年1月19日 石原廣一郎は神武会の極右的傾向を嫌厭
74位 23年1月19日 「大いに不穏当なり」奈良武次侍従武官長
75位 20年5月11日 靖国神社ハ戒厳司令部ニ対シ制高ノ位置ニアリ
76位 20年7月11日 8月15日以来、別な国家が生成しつゝあるといふ認識
77位 22年6月23日 礫川ブログへのアクセス・歴代ベスト55(22・6・23)
78位 22年10月4日 大正大震災の前に、甚だ面白くない歌がはやった
79位 23年11月15日 「第三幕を全部かき直してくれ」竹柴某
80位 22年8月31日 「神社制度調査会」(1929年12月発足)について学ぶ

81位 22年8月5日 安田善次郎は財界の張作霖(吉野作造)
82位 19年1月21日 京都で「金融緊急措置令」を知った村田守保
83位 22年8月11日 事件がパンドラの箱を開けたと捉えるのはマズイ(青木理)
84位 23年8月29日 「参内して御聖断のことを御願いしましょう」鈴木首相
85位 23年11月22日 この二冊によって私の一生は終わった(大野晋)
86位 20年4月24日 ソ連参戦前に戦争終結を策すべきである(瀬島龍三)
87位 22年6月21日 映画『ミニミニ大作戦』とウクライナ人
88位 19年12月9日 『氷の福音』を読んで懐かしい気持ちになった
89位 22年11月5日 負けたこと自体は悪ではない(田中耕太郎)
90位 22年7月20日 「『万葉集は支那人が書いたか』続貂」を読む

91位 20年3月30日 澤柳政太郎君の無責任
92位 23年11月26日 何とそれは鴨江遊廓の娼妓連ではないか
93位 23年2月28日 言論自由人権尊重ノ主旨ニ悖ルコトナキヲ期ス
94位 18年12月31日 アクセス・歴代ベスト108(2018年末)
95位 22年9月15日 「かむながら」という言葉は神道の真髄を表わす
96位 22年8月16日 清水澄の「帝国憲法改正の限界」(1934)を読む
97位 22年12月28日 OCRソフトで表示された珍しい漢字10(その3)
98位 20年1月20日 私は逃げると思っていました(佐藤優)
99位 22年9月4日 特務機関長・土肥原賢二と「土肥原工作」
100位 20年5月4日 「達磨に手足は不要なり!」と豪語

101位 22年4月12日 これは太古の河流の跡に違いない
102位 19年1月23日 神社神道も疑いなく一種の宗教(美濃部達吉)
103位 22年9月28日 慈鎮和尚は諡で、元来は慈円僧正であります
104位 18年5月16日 非常識に聞える言辞文章に考え抜かれた説得力がある
105位 23年1月6日 内村鑑三と正宗白鳥
106位 22年12月14日 美濃部達吉と「八月革命説」
107位 18年5月4日 題して「種本一百両」、石川一夢のお物語
108位 23年2月1日 中川右介さんの『社長たちの映画史』を読んだ

*このブログの人気記事 2023・12・31(10位の力道山は久しぶり、8・9位に極めて珍しいものが)

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読んでいただきたかったコラム10(2023年後半)

2023-12-30 00:02:28 | コラムと名言

◎読んでいただきたかったコラム10(2023年後半)
 
 激動の2023年も、そろそろ終わろうとしている。本年後半のトピックは、世界ではガザ地区問題、日本では自民党キックバック問題であろう。
 恒例により、2023年後半(7月~12月)に書いたコラムのうち、読んでいただきたかったコラムを、10本、挙げてみたい。おおむね、読んでいただきたい順番に並んでいる。

1) 日露戦争とウクライナ戦争              7月 8日  
2) 縄文時代の言葉は一型アクセント(山口幸洋)    12月16日
3) 米軍塔乗員処刑事件に問はれし我々は……      10月11日
4) 爆弾は多弾式で、多数の子爆弾が散乱していた    12月23日
5) 追悼・石崎晴己さん                10月30日
6) 枢密院本会を休会し陛下の録音放送を拝聴した     8月31日  
7) 傷病者は後送せざるを本旨とす(国土決戦教令)    8月 6日
8) 日露戦争より余が受けし利益(内村鑑三)       7月 2日
9) ここの調査は君一人でやってくれないか(平山輝男) 12月 4日
10) 無人の野をゆくカモシカのようなアベベ       9月17日
   
次点 「わア御きげん、私の年だわ」黒柳徹子       11月 2日

*このブログの人気記事 2023・12・30(8・9位になぜか帝銀事件、9位のナチスは久しぶり)

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『アラビアのロレンス』これで見納め(その3)

2023-12-29 00:59:44 | コラムと名言

◎『アラビアのロレンス』これで見納め(その3)

 映画評論家の青木茂雄さんのエッセイ「『アラビアのロレンス』これで見納め」を紹介している。本日は、その三回目。文中、一行アキは、原文のまま。

 『アラビアのロレンス』これで見納め(3)         青 木 茂 雄

 前回の続きである。

  観るたびに発見のあった映画  『アラビアのロレンス』5

2.シーンとシーンの継承、  シナリオの累積構造について
 スティーブン・スピルバーグ監督は、若い頃に映画館の最前列に陣取り、『アラビアのロレンス』をノートにメモをとりながら、何度も何度も繰り返して観たという。それほどまでに、この若い映画制作者の卵にとって、この作品は汲めども尽きせぬ泉のようなものであったのである。
 おそらく、スピルバーグが読み取ったのは、この作品の巧みなシナリオ構成であったろう。観客がおのずから画面に精神を集中させるためには、配慮された事項の時系列の排列、つまりシナリオによる導きがあってのことである。
 『アラビアのロレンス』は70ミリの大画面における砂漠の造形の美しさで公開当初評判になった。私も、公開当初にそのような批評を新聞や雑誌で読んだ。それに異論があるわけではないが、しかし、回を重ねて観賞していくにつれて、その美しさとは、単なるそこに映し出された色や形そのものではなく、それが《意味》を持った美しさなのであり、《意味》を与えるのがシナリオ構成なのである。
 一見してどのように壮大な画面も、どんなに美しい画面も、つまりどんなにスペクタクルな画面も、そこに込められた“意味”を抜きにしては、ただの画面である。その“意味”を感知させるのは何よりも、巧みに排列された画面のつながり(つまり“意図”された画面のつながり)である。通常、それは「カット割り」とか「カッティング」とか呼ばれ、ある場合は個々の監督の、ある場合はフィルムの個々の編集担当が“極意”として身につけてきたものである。それを草創期のソ連のエイゼンシュタインやプドフキンが“モンタージュ”論として提起したところから、のちの映画青年たちにはありがたい“護符”のように受け取られてきたことはあったとしても、この「カット割り」が映画の基本中の基本であることは極めて正しく、それは映画の本質とさえ言えるものだと私は思う。
 その「カット割り」に《意味の流れ》を与えるのがシナリオであり、シナリオはまたある種の《観念》がテーマを通して、有形なものとなったものとも言える。

 黒澤明によれば、映画の特徴はどちらかと言うと音楽と類似したものがあり、音楽と同様に時間の芸術の要素が強いという。それは《意味の流れ》が時間を介して人間の意識に現れ出ていくことを別の側面から言ったものであると私は考えている。たしかに作品としての映画は、第一義的にはフィルム(最近では電子情報媒体)という素材としてある。しかし、映画を映画たらしめているのは、上映→観賞を通して観客の中に時間の経過とともに現れて出ていくもの、これがその本質であると思う。その意味では、一つの媒体の中から観賞した観客の数だけ、映画があると思う。
 さて、職人芸を誇った映画監督、マキノ雅弘(正博)の口癖は、映画は「一スジ、二ヌケ、三ドウサ」、であったという※。「スジ」とはシナリオであり、「ドウサ」は演技のことをさす、これはすぐわかったが、「ヌケ」が長らく分らなかったが、映画に流れを作り出す「カット割り」のことだと気づいた、少なくとも自分はそう解釈している。そこで、問題はこの順序である。
※ 残念ながらどこで読んだのかは忘れてしまって手元に資料もない。あくまでも私の記憶としてご容赦願いたい。

 例えば、成瀬巳喜男の場合は私の見方では「一ヌケ、二スジ、三ドウサ」である。成瀬の「ヌケ」の技術は黒澤明も舌を巻くほどの、それほど神業に近いものであり、どんなに陳腐なスジや未熟なドウサであっても、見ごたえのある映画にしてしまう。
 黒澤明の場合は「一スジ、二ドウサ、三ヌケ」であろうか。彼がシナリオの作成に集団で心血を注いだというのは有名な話だが、その次に重んじたのが俳優の演技である。主役を全員缶詰状態にして、長期間シナリオの読みから始めてリハーサルに至るまでの経過はさながら“劇団黒澤”のようであった、という。そして完成された演技を舞台上演のような形でまず、行う。そして次に撮影。となってくると、従来の1カットずつの撮影方式によれば、演技に流れがずたずたにされてしまう。そこで彼は撮影においてはカットのつながりよりも演技のつながりの方を重視し、そこから複数カメラ(マルチカムシステムと当時呼ばれた)による独自のワンカット・ワンシーン(いやそれ以上のワンカット・ワンシークエンスとさえ言える)の製作技法を開発していった。撮影が終わると、黒澤はひとりで暗室に閉じこもり、ほとんど一人でフィルムの編集作業を行った、という。
 ワンカット・ワンシーン方式の草分け溝口健二の場合は、さだめし「一ドウサ、二スジ、三ヌケ」である。
 閑話休題。
 話しを元に戻す。カットの連続(継承)に対して大きなところで意味付けの連続(継承)性を与える装置が、シナリオである。カットにおける連続性と同様にまたシナリオも連続(継承)性の観点から考察しなければならない。          
 さて、『アラビアのロレンス』のシナリオ構成をシーンの連続(継承)という観点から以下具体的に見ていくとどのようになるであろうか。(この項、以下未完)  

 青木茂雄さんの「『アラビアのロレンス』これで見納め(その3)」は、ここまで。ご覧の通り、「語り納め」というわけではない。「つづき」の到着を待ちたい。

*このブログの人気記事 2023・12・29(9位になぜか警察庁長官狙撃事件、10位に極めて珍しいものが)

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『アラビアのロレンス』これで見納め(その2)

2023-12-28 01:29:50 | コラムと名言

◎『アラビアのロレンス』これで見納め(その2)

 映画評論家の青木茂雄さんのエッセイ「『アラビアのロレンス』これで見納め」を紹介している。本日は、その二回目。
 冒頭に、「当ブログでかなり以前に連載していたの『アラビアのロレンス』論」とあるが、これは、2015年4月14日の当ブログに掲載した「観るたびに発見のあった映画 『アラビアのロレンス』 その1」、および、翌15日に掲載した「同2」、「同3」を指している。

『アラビアのロレンス』これで見納め(2)         青 木 茂 雄

 見納め『アラビアのロレンス』論に入る前に、当ブログでかなり以前に連載していたの『アラビアのロレンス』論の未掲載原稿を発見したのでまず、それを掲載する。かなり時間がたっていることを御容赦願いたい。

 観るたびに発見のあった映画  『アラビアのロレンス』4

 前回の掲載から随分月日がたった。1999年に新宿のコマ劇場で完全版を2回続けて観て、実はこれまで何にも見ていなかった、などということを書いたところで長く中断してしまった。直接的な理由は、当時書き残したメモと短文が見つからないということだったが、何かと忙しさにかまけて中断したままだった。このまま放って置くと、そのうち私の記憶から消えてしまうという危惧を感じたので、とりあえず今、頭の中で思い起こすことができることのみを材料にして書き記す。言わば暫定的な「アラビアのロレンス論」の決定版である。

1.主題のシンメトリー構造について
 この作品の冒頭シーンはロレンス(ピーター・オトゥール)が郷里をオートバイで疾走中転倒事故死。そして次が、ロンドンのセント・ポール大聖堂での葬儀。アレンビー元将軍(ジャック・ホーキンス)が通りかかると、新聞記者がインタビュー、「ロレンスについてどう思うか」、元将軍は「第1次世界大戦におけるアラビア戦線でロレンスの果たした功績云々」を述べると、記者はさらに、「ロレンスという人物についてはどうか」と食い下がる、それに対してアレンビーは「よく知らない(I don't know him well)」と切り抜ける。そこに居合わせたかつてロレンスを取材したアメリカ人新聞記者ベントレー(アーサー・ケネディ)がすかさず割って入り、彼の知っているロレンスについて語り、そして最後に「彼は変人だ」と吐き捨てるように言うと、そこへ赤ら顔の元将兵が詰め寄り「ロレンスにそういうことを言うのはけしからん」と怒る(この赤ら顔の英国将兵が実は正体不明、後述)。アメリカ人新聞記者が「あなたはロレンスを知っているのか」と問うと元将兵は「良くは知らないが握手はした」と応える。
 そして、このシーンの次に、かつての上官(アンソニー・クウェイル)ともう一人がロレンス評をしめくくる。上官が感慨をこめてロレンスを追想すると、もう一人が「しかし、ここに祀るに値しますかな(I wonder if he deserves here)」と疑問を呈する。観客の関心はいやおうもなくロレンスに集中する。
 それに続けてカイロの英国軍司令部の地下室でのロレンス。地下室の小窓から駱駝が数頭荷役で通りかかるのが見える。その駱駝をちらりと視線を送り、そして机上のアラビア半島の地図にコンパスをあてがって見入るロレンス。そこへ部下がアラビア語の新聞を届けに来る…。
 シナリオ技法の教則本から取ったような無理のない自然な展開である。これから4時間近く続く長丁場の冒頭である。この長さを苦に感じさせないのは、この冒頭のシークエンスでロレンスという人物の謎かけを行ってしまっているからだ。この映画の最後のカットに至るまで、すべてのシーンとカットがロレンス抜きにはあり得ないし、観客の目は知らず知らずのうちにロレンスの目と同致してしまう。
 この冒頭のシークエンスはロレンスという人物の心象を次の3つに分けて描いている。
A ロレンス個人、これを象徴するのがオートバイ
B 英国、これを象徴するのがカーキ色の軍服姿の将兵
C アラビア、これを象徴するのが駱駝と砂漠
 冒頭のシークエンスはていねいにA→B→Cの順で描かれている。
 さて、ラストはどうなっているか。
 ロレンスは除隊と英国帰還の命を受ける。砂漠の中をジープに同乗して帰還の途につく。映画の前半で見せた、あの幻想的な砂漠とは違って(ロケ地が全く別)、うってかわったゴツゴツした何の変哲もないただの荒れ地である。その中の一本道をすれ違いざまに、いかにもみすぼらしげな駱駝の隊列、トラックに乗った英国将兵、そしてバイクで一人疾走する英兵。モーリス・ジャールのテーマが寂しげに流れる。ロレンスは立ち上がり、これらに寂しげな視線を投げかけたのちに、助手席で落胆するロレンスのクローズアップでENDのマーク。※
 つまり、このラストシーンでは冒頭とは逆にC→B→Aがという順を踏んでいる、ということがわかる。そして最後に見たバイクで一人疾走する英兵の姿は、そのまま冒頭の疾走するロレンス自身の姿に連なっていくのである。
 見事なシンメトリー構造と循環構造である。「アラビアのロレンス」という映画はこうまでも緻密なシナリオ構成の上に成り立っていることに、私はまず驚いたのである。

※後に、インターネットで知ったが、この映画では、人物の登場シーンはすべて画面左から右へ、このラストシーンは画面右から左へと退場していく。なるほど、観ている人は観ているものだ。上には上がある(脱帽)マニアおそるべし。
登場と退場の右と左には、もしかしたら深層心理学的な意味があるのかもしれない。    (つづく)

*このブログの人気記事 2023・12・28(8・9・10位に珍しいものが入っています)

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『アラビアのロレンス』これで見納め(青木茂雄)

2023-12-27 01:30:01 | コラムと名言

◎『アラビアのロレンス』これで見納め(青木茂雄)

 先日、映画評論家の青木茂雄さんから、「『アラビアのロレンス』これで見納め」と題するエッセイの投稿があった。本日以降、三回に分けて、これを紹介したい。

『アラビアのロレンス』これで見納め(1)         青 木 茂 雄

 最近、また『アラビアのロレンス』を池袋の新文芸坐で観た。これで何回目になるか(7回目以後はカウント不能になった。DCP上映で3回目くらいになるか)。よくも飽きもせずに……。 
 2022年4月に、一旦休館していた新文芸坐がリニューアルして再開したが、チケット購入など入場方法が変わってしまって、面食らった。スマホを持っていないので会員ポイント割り引きも使えなくなり、それに2本立てがなくなり(2本目割り引きはあるが)、それに加えてチラシも大幅に減少した。特集プログラムのチラシを片手に、作品内容を事前にチェックしてスケジュール手帳を片手に観賞プランを練る、というあの至福の時間が新文芸坐上映作品については経験できなくなっているのが、とりわけ淋しい。また上映プログラムがやたらと細分化されていて、今何を特集しているのか皆目検討がつかないという有り様である。なんだか自分のような年寄りはもう観に来なくてもよいと言われているようで、しばらく新文芸坐から足が遠のいた。
 思えば、ちょっと昔の映画館、ロードショウ(今はもう死語か)劇場ではなく、とくに2番館とか、老舗の名画座の2本立て上映は、入れ替え制がなく入退場が随時OKで、途中入場で突然に暗闇に鮮やかな画面が面前するというあの醍醐味が味わうことができ、また意味がわかるまで何度でも観られるという、あの、これまた醍醐味を存分に味わえた。それがけち臭い「入れ替え制」で全部できなくなった。私が、過日閉館した岩波ホールに行かなくなったのは、料金もあるが、あのけち臭い「入れ替え制」のせいだ(岩波ホール上映の作品は、概して難しく、私のように観賞中しばしば失念する習性のある者にとっては、2度観ないと十分理解できない)。最後の砦早稲田松竹劇場は2本だてだが、コロナをきっかけに上映入れ替え指定席制となり、従ってそのまま居座ることはできなくなった。コロナがうらめしい。ラピュタ阿佐ケ谷はとっくの昔に1本立てとなり渋谷のシネマヴェーラも少し前に1本立てとなった……。
 私のように年間200本以上(かつては360本以上)を観ることにしている者にとって、経済的な負担は結構大変である(エンゲル係数ならぬ“フィルム係数”は上がりっ放しである)。後期高齢者となり、年金以外に収入がなくなった者にとっては、そろそろ見納めの時期かな、と思うこともなくはない、このごろであった。
 その新文芸坐の入り口をくぐったのは10カ月ぶりぐらいになるだろうか、新装なってすでに何回か入場しているのだが、10カ月のあいだを置くとまた何か違っている…。そういう異邦人感におそわれつつ、館内に入場してみると、そこには有り難いことに以前と同様のスクリーンが鎮座しており、客席も以前のままだ。
 館内は8割近くの客席が埋まっており、私も前の方の指定された座席で上映開始を待った。自分の左右の座席が観客で埋まっていることは、必ずしもベストの観賞条件ではないが、見渡すところ若い観客も結構いて、映画愛好者としてはそれなりに嬉しい。
「序曲」から始まった3時間47分の上映時間は、間然することなき、文字通り至福の時間であった。そのことは何度観ても変わらない。今回も同様であった。
 何度観ても感銘を受ける。自分がどういう状態であるかにかかわりなく、必ず感銘を受ける、そういう映画を私は「絶対映画」と呼ぶことにしているが、『アラビアのロレンス』は“ほぼ”絶対映画である、と言える。“ほぼ”というのは、完全でないところがわずかにあるからなのだが、その点についてはこの後述べる。
 ちなみに私が推奨する絶対映画は、洋画では『天井桟敷の人々』・『道』、邦画では『人情紙風船』・『七人の侍』(前半のみ)・『東京物語』。成瀬巳喜男作品の幾つかは(『浮雲』『稲妻』『女が階段を上る時』『放浪記』など)は絶対映画といって良いほどの出来だが、観る状態によって感銘の有る無しがあるのは、やはり絶対映画としては何かが欠けていると言わざるを得ない。
 技法にいくら長けてもテーマの背景にある“思想”の≪質≫が、やはり最後の決め手であると私は考える。                        (つづく)

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