◎辞書界の類型を絶し、学界の欠陥を補う
『三省堂英和大辞典』(三省堂、一九二八)から、「巻頭の辞」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。下線は原文のまま。
乃ち〈スナワチ〉知る、本辞典は其編纂の傍系たる「日本百科大辞典」の完成よりこれを算すれば、年を閲すること殆ど八歳、溯りて其着手の当年よりすれば、前後殆ど四十有春秋に垂んと〈ナンナント〉せるを。晩成するもの必ずしも大器にあらざるべしと雖も、少くとも我〈ワガ〉編輯所は常に巧遅を尊び敢て拙速に就かざりしは、即ち前後を一貫して毫も〈ゴウモ〉渝ら〈カワラ〉ざるの事実なりとす。唯々其方法其手段乃至之が商量検討の点に於ては、或は瑣少の過誤なきを保し難しと雖も、多年一日の如く、工夫百端、最善の上にも最善を期したる我等の至誠神に通じ、之に共鳴し之を翼賛せられたる幾多の専門学者の一語も動かすベからざる精確無比なる付訳と相待って、我辞書界に一種色彩を異にせる此辞書となりてここに江湖に見ゆることを得たるは、所期の一半を果たし得たるものとして編者の心窃かに欣快に勝へ〈タエ〉ざる所なり。
然り。本書の内容をして如此〈カクノゴトク〉充実せしめ、如此的確ならしめ、如此信頼すべきものたらしめしは、職として是れ専門諸大家の翼賛に由ることもとより言ふ迄もなき所なるが、此機会に於て、茲に付記の念を禁ずる能はざるは、次の諸項の事実なりとす。
一、専門語付訳の執筆者の多数否殆ど全部は、編者の企図に翼賛といふよりも、寧ろ今日迄訳語の不妥当・不一致を憂へ、献身的自発的に躍進して事に当られたるの概〈オモムキ〉ある事。
一、其当然の結果として編者が偶々執筆者各位に対し其労を謝することあれば之を遮りて「否、我等学者の立場として自ら進んで為すべきの責務なり」と唱へられたる者さへ少なからず。其為め本辞典は世上一般の編纂物とは自ら其趣を異にし執筆者の衷心よりせる真摯の態度自ら筆墨の間に躍動せる事。
一、訳語の不一致は、単に文字の当不当の吟味の深浅より来れるものも尠なからざれども、同一物にして全然其付訳を異にせるより自然に社会に行はるる物品名の区々となれる事例枚挙に遑〈イトマ〉あらず。其為め会社銀行等の用度係員が各部各課よりの請求を受け各々相異なる別種の物品たるべしと誤信し購入の後始めて異名同物たることを感知せるの悲喜劇は、断えず〈タエズ〉全国到る処に続発し、専門学者間には現に幾度も之を実見して眉を顰めらるゝ者少からず。此事実も亦諸大家が本辞典を以て訳語一定の基準たらしめんとて、喜んで執筆せらるる機縁の一にして、此点は社会一般に於ける一種の欠陥を補ひ得たるものと信ずべき事。
一、前々項と同種の事由に基くものか、執筆者中の某々氏は、編者よりの特使が不幸不在の為め面会を得ず余儀なく原稿を其留守宅に留置きたる際、其都度自ら編輯所に其稿を持参せられ、又某々氏等は、官庁・会社・自宅等に於ては到底執筆の閑を得ずとて自動車内電車内或は日曜散策の際ポケットより其稿を出だし〈イダシ〉捻頭推敲快心の訳語を得喜び勇んで之を編者に送達せられたるもの二三に止まらざりし事。
一、専門語は一語一票のカードとし之を執筆の諸大家に送付せるものなるが、某々氏等は余りに広く世に流布せざる語或は新語に対し其出典を編者に質されたる場合編者が専門家にして其語に親しまれざるものは或は之を省略するも可ならんと提言すること少なからざりしがかくては学者の身分として学界に申訳なしとて其典拠を十分に突き止められたる上、研鑽討究の末徐ろ〈オモムロ〉に懇ろ〈ネンゴロ〉に之に付訳せらるゝの鄭重親切を敢てし一語をも忽〈ユルガセ〉にせられざりし事。
本辞典編纂の由来及執筆者諸大家との因縁既に斯くの如し。本辞典が今日に於て我が辞書界に殆ど類型を絶し学界多年の欠陥を裨補〈ヒホ〉し得たる所以のもの豈に〈アニ〉偶然ならん哉。編者は茲に前後四十年を俯仰〈フギョウ〉して無量の感慨に禁へ〈タエ〉ざると共に多年執筆の諸大家に対し深甚の敬意と無限の謝意とを表するものなり。
昭和三年三月 編 者 識