◎日本住血吸虫とエジプト住血吸虫
吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その四回目。
マンソン氏裂頭絛虫の幼虫は一八八二年厦門〈アモイ〉に於てマンソン〔Manson〕の発見したものであるが、その前我が京都でショイベ〔Scheube〕が一馬丁から之を見出した。その後久しい間母虫が知れなかったが、約三十五年後の大正五年(一九一六年)山田司郎が実験的に母虫を育成発見し次いで大正八年〔1919〕奥村多忠が第一中間宿主が「ケンミヂンコ」であることを発見して本虫の全生活史を明かにした。爾来幾多の邦人研究家によつて本虫につきあらゆる事項が闡明せられた。
之等古くから知られてゐた寄生虫の生活が明かにせらるゝと同時に、発育育感染の研究が未知の範囲にも進められ、茲に新しい寄生虫の発見が起つたのである。横川吸虫はその一つで、之は横川定が明治四十四年〔1911〕台湾に於て鮎の体内にある被襄幼虫を動物試験により育成して母虫を得、その後大正五年〔1916〕に至り武藤〔昌知〕によつて第一中間宿主が河貝子〈カワニナ〉であることが発見せられ、本虫の生活史は完全に闡明せられた。東洋毛様線虫は大正二年(一九一三年)神保孝太郎〈ジンボ・コウタロウ〉が新に発見命名したもので、その発育感染は一に〈イツニ〉邦人の研究によつて明かにせられた。
この外人体寄生虫としては未だ重要性を認められてゐないが、之等発育感染の研究に伴ひ異形吸虫類似の数種、エキノストマ属二三種が新しく発見せられ、その生活史も明かにせられてゐる。之等は尾崎佳正〈ヨシマサ〉、西尾恒敬〈ツネヨシ〉、恩地与策、錦織正雄、越智シゲル、安藤亮、田部浩等の諸氏の研究に負ふところが多い。
最後に最も興味あることは日本住血吸虫の生活史闡明である。本虫は明治三十七年〔1904〕桂田富士郎により発見命名されたのであるが、その生活史はその後間もなく大正二年(一九一三年)に至り宮入慶之助及び鈴木稔の両氏によつて、宮入貝が中間宿主でその体内に育成したセルカリアは貝を辞し、水中を游泳しながら宿主を求めてその皮膚から侵入し、所謂皮膚感染を行ふことが確証せられた。而して皮膚に侵入した幼虫が常住地たる肝門脈に移行する径路も亦多くの邦人により実験的に探究発見せられた。
茲に面白い事は、日本住血吸虫に酷似した埃及〈エジプト〉住血吸虫と称するものは、一八五一年ビルハルツ(Bilharz)が埃及のカイロで発見したもので、その病害の激甚なため多くの学者が多年熱心に研究したにも拘らず、その生活史は毫も〈ゴウモ〉も知られなかつた。ところが、前に述べたやうに日本住血吸虫の生活史が発見せられた丁度その時、 偶〻英人レイパー〔Leiper〕なる有名な寄生虫学者が来朝してこの事実を知り、帰途埃及に立ち寄り研究した結果、一九一四年にその中間宿主を発見し、母虫発見後実に六十二年間全く不明であった生活史が漸く明かとなつた。是れ一に本邦学者の発見に刺戟誘導された賜〈タマモノ〉である。
この外〈ホカ〉邦人のみの研究ではないが、外人のそれと共に発育感染の研究に貢献し、而も外人に優るとも劣ることのない業績が少くない。糞線虫、十二指腸虫、蟯虫、鞭虫、バンクロフト糸状虫〈シジョウチュウ〉、蛔虫、有棘顎口虫、矮小絛虫,縮小絛虫,肝蛭等の研究はその主なものである。就中蛔虫の発育感染径路につきては筆者が大正五六年(1916・1917)頃から英人スチュワート〔Stewart〕と全く無関係に研究し、その成熟卵が腸内で孵化脱殻〈ダッカク〉し、その仔虫が必ず肺臓を経由して一定の発育を遂げ、後再び腸に至り、初めて生長して母虫となる事実を発見して以来、本邦に於ても外国に於ても最も盛に研究せられたのである。
又泰国で近時人体寄生虫の一として段々注目されて来た有棘顎口虫〈ユウキョクガクコウチュウ〉の発育感染につきては筆者は大正十三年〔1924〕頃より之が研究を始め、第一中間宿主が「ケミジンコ」である事を発見すると殆ど時を同じうして泰国でプロンマス一派も同一発見をなし、更に氏等は第二中間宿主が蛙、魚類であることも発見して本虫の生活史を明かにした。〈284~287ページ〉【以下、次回】
本書の著者・吉田貞雄は、ここで「エジプト住血吸虫」という言葉を使っているが、同吸虫は、今日、「ビルハルツ住血吸虫」と呼ばれているようだ(ウィキペディア英語版「ビルハルツ住血吸虫」参照)。
最後のほうに、「プロンマス一派」とあるが、このプロンマスとは、タイ国の医師チャレム・プロムマス(Chalerm Prommas、1896~1975)を指す。本書に登場する寄生虫学者のうち、日本人以外の東洋人は、たぶん、このプロンマスのみ。
吉田貞雄『大東亜熱帯圏の寄生虫病』(1944)から、第五章第六節「本邦に於ける寄生虫病学の進歩」を紹介している。本日は、その四回目。
マンソン氏裂頭絛虫の幼虫は一八八二年厦門〈アモイ〉に於てマンソン〔Manson〕の発見したものであるが、その前我が京都でショイベ〔Scheube〕が一馬丁から之を見出した。その後久しい間母虫が知れなかったが、約三十五年後の大正五年(一九一六年)山田司郎が実験的に母虫を育成発見し次いで大正八年〔1919〕奥村多忠が第一中間宿主が「ケンミヂンコ」であることを発見して本虫の全生活史を明かにした。爾来幾多の邦人研究家によつて本虫につきあらゆる事項が闡明せられた。
之等古くから知られてゐた寄生虫の生活が明かにせらるゝと同時に、発育育感染の研究が未知の範囲にも進められ、茲に新しい寄生虫の発見が起つたのである。横川吸虫はその一つで、之は横川定が明治四十四年〔1911〕台湾に於て鮎の体内にある被襄幼虫を動物試験により育成して母虫を得、その後大正五年〔1916〕に至り武藤〔昌知〕によつて第一中間宿主が河貝子〈カワニナ〉であることが発見せられ、本虫の生活史は完全に闡明せられた。東洋毛様線虫は大正二年(一九一三年)神保孝太郎〈ジンボ・コウタロウ〉が新に発見命名したもので、その発育感染は一に〈イツニ〉邦人の研究によつて明かにせられた。
この外人体寄生虫としては未だ重要性を認められてゐないが、之等発育感染の研究に伴ひ異形吸虫類似の数種、エキノストマ属二三種が新しく発見せられ、その生活史も明かにせられてゐる。之等は尾崎佳正〈ヨシマサ〉、西尾恒敬〈ツネヨシ〉、恩地与策、錦織正雄、越智シゲル、安藤亮、田部浩等の諸氏の研究に負ふところが多い。
最後に最も興味あることは日本住血吸虫の生活史闡明である。本虫は明治三十七年〔1904〕桂田富士郎により発見命名されたのであるが、その生活史はその後間もなく大正二年(一九一三年)に至り宮入慶之助及び鈴木稔の両氏によつて、宮入貝が中間宿主でその体内に育成したセルカリアは貝を辞し、水中を游泳しながら宿主を求めてその皮膚から侵入し、所謂皮膚感染を行ふことが確証せられた。而して皮膚に侵入した幼虫が常住地たる肝門脈に移行する径路も亦多くの邦人により実験的に探究発見せられた。
茲に面白い事は、日本住血吸虫に酷似した埃及〈エジプト〉住血吸虫と称するものは、一八五一年ビルハルツ(Bilharz)が埃及のカイロで発見したもので、その病害の激甚なため多くの学者が多年熱心に研究したにも拘らず、その生活史は毫も〈ゴウモ〉も知られなかつた。ところが、前に述べたやうに日本住血吸虫の生活史が発見せられた丁度その時、 偶〻英人レイパー〔Leiper〕なる有名な寄生虫学者が来朝してこの事実を知り、帰途埃及に立ち寄り研究した結果、一九一四年にその中間宿主を発見し、母虫発見後実に六十二年間全く不明であった生活史が漸く明かとなつた。是れ一に本邦学者の発見に刺戟誘導された賜〈タマモノ〉である。
この外〈ホカ〉邦人のみの研究ではないが、外人のそれと共に発育感染の研究に貢献し、而も外人に優るとも劣ることのない業績が少くない。糞線虫、十二指腸虫、蟯虫、鞭虫、バンクロフト糸状虫〈シジョウチュウ〉、蛔虫、有棘顎口虫、矮小絛虫,縮小絛虫,肝蛭等の研究はその主なものである。就中蛔虫の発育感染径路につきては筆者が大正五六年(1916・1917)頃から英人スチュワート〔Stewart〕と全く無関係に研究し、その成熟卵が腸内で孵化脱殻〈ダッカク〉し、その仔虫が必ず肺臓を経由して一定の発育を遂げ、後再び腸に至り、初めて生長して母虫となる事実を発見して以来、本邦に於ても外国に於ても最も盛に研究せられたのである。
又泰国で近時人体寄生虫の一として段々注目されて来た有棘顎口虫〈ユウキョクガクコウチュウ〉の発育感染につきては筆者は大正十三年〔1924〕頃より之が研究を始め、第一中間宿主が「ケミジンコ」である事を発見すると殆ど時を同じうして泰国でプロンマス一派も同一発見をなし、更に氏等は第二中間宿主が蛙、魚類であることも発見して本虫の生活史を明かにした。〈284~287ページ〉【以下、次回】
本書の著者・吉田貞雄は、ここで「エジプト住血吸虫」という言葉を使っているが、同吸虫は、今日、「ビルハルツ住血吸虫」と呼ばれているようだ(ウィキペディア英語版「ビルハルツ住血吸虫」参照)。
最後のほうに、「プロンマス一派」とあるが、このプロンマスとは、タイ国の医師チャレム・プロムマス(Chalerm Prommas、1896~1975)を指す。本書に登場する寄生虫学者のうち、日本人以外の東洋人は、たぶん、このプロンマスのみ。
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