◎亡くなって一年、日本政治思想史の河原宏さん
昨年の二月二八日、日本政治思想史の河原宏さんが亡くなった。今日はその命日なので、この学者について書いてみたい。
国立国会図書館の検索システムで「河原宏」を検索してみると、三〇冊の図書、および多数の論文がヒットする。
一九七一年刊の『西郷伝説』(講談社現代新書)は、発売当時、購入して読んだ記憶があるが、その内容については、今よく思い出せない。
一九七九年七月刊の『日本のファシズム』(共著、有斐閣)は、昔、図書館で手にとったが、通読したことはない。最近、必要があって拾い読みしてみたが、河原宏執筆のⅠ‐2「天皇制国家とファシズム」が特に刺激的だった(のちほど、その一部を紹介する)。
一九七九年五月刊の『昭和政治思想研究』(早稲田大学出版部)は、昨年末に初めて読んだ。ブログを初めて以来、以前にも増して日本語の表記という問題に関心を持つようになった。この問題に関心を持つ者にとって、同書の第九章「言語をめぐる政治と戦争」は必読の文章であろう。そこにおける河原の主張については、いずれ、このコラムで採りあげてみたい。
河原宏の代表作は、何といっても『日本人の「戦争」』であろう。この本は、一九九五年に築地書館から刊行された。
河原は、一九二八年生まれであるから、このときすでに六六歳である。彼は日本には珍しい、晩年になるほど問題意識が鋭く、かつ鮮明になるタイプの思想家だったのではないか。
同書は、二〇〇八年にユビキタ・スタジオから新版が出て、さらに二〇一二年一〇月には(河原さんの死後)、講談社学術文庫に収められた。文庫版の解説は、ユビキタ・スタジオの堀切和雅さんが書かれている。
この本では、第Ⅲ部「天皇・戦争指導者および民衆の戦争責任」における主張が論争的だが、重要なのはそこだけではない。個人的には、第Ⅱ部「『開戦』と『敗戦』選択の社会構造」における指摘が印象に残った(今月一八日のコラムで、一部を紹介した)。また、第Ⅴ部「特攻・玉砕への鎮魂賦」における著者の強いメッセージは、読むものを圧倒せずにはおかない。
本日は、河原宏さんを偲ぶ意味で、「天皇制国家とファシズム」(一九七九)の冒頭部分を引用させていただこう。
1「近衛上奏文」をめぐって
〇近衛上奏文 しばしば一つの政治体制の基本的性格はそれの最終段階において露呈されることがある。なぜなら体制の興隆期や中間段階では権力はタテマエとホンネを操ることもでき、一定の体裁をとりつくろう余裕もあって、その基本的な性格を認識するのがむずかしいという事情があるからである。逆にその最終段階という危機的状況においてはすべてのデコレーションが取り払われ、歴史の全過程が凝集されて、赤裸々なホンネを露呈することがある。天皇制支配がファシズムとの関連において自らの論理を率直に語ったのは、一九四五年二月のいわゆる「近衛上奏文」においてであろう。この時すでにB二九による本土空襲は本格化しており、同年一月、アメリカ軍はフィリピン・ルソン島に上陸していた。ヨーロッパでもソ連軍はドイツ領内に進攻、西からは米英軍もドイツ国境線に迫り、ドイツ・日本ファシズム枢軸体制は全面的崩壊の直前にあった。
この年二月、情勢を憂慮した天皇は平沼騏一郎、広田弘毅、近衛文麿、若槻礼次郎、岡田啓介、東条英機ら重臣を一人一人呼んで意見を求めた。近衛は二月一四日天皇に拝謁し、自らの情勢判断を上奏したが、あらかじめその主旨を文章にまとめておいたのがいわゆる「近衛上奏文」である。そこには家柄において天皇にもっとも近く、経歴において日中戦争開始時および太平洋戦争開始直前までの決定的時期に三回にわたって内閣を組織した近衛の、この時点での情勢判断、既住の経過と将来の見通しが率直にのべられ、それはそのまま天皇制ファシズムの論理をあざやかに表現することとなった。
〇革命よりも敗戦を! その書き出しは次のようになっている。「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候〈ゾンジソウロウ〉。以下此の前提の下に申述べ候。敗戦は我国体の瑕瑾〈カキン〉たるべきも英米の輿論〈ヨロン〉は今日までのところ、国体の変更とまでは進み居らず……随て〈シタガッテ〉敗戦だけならば、国体上はさまで憂うる要なしと存候。国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起ることあるべき共産革命に候。」ここに「上奏文」の全体をつらぬくモティーフがはっきりとのべられている。それは近衛の思考と関心の核心であり、したがって天皇制支配の核心でもあった。近衛は国体擁護のうえから、天皇に敗戦を受け入れるようにすすめる。“革命よりも敗戦を”という図式である。だがこの選択は、追いつめられたこの時点で突如として現われたものではない。実は、近衛をはじめ天皇制支配層は対米開戦の際も既に一つの選択をしていた。“革命よりも開戦を”という図式によってである。それは一般に考えられているような、戦争か平和かの選択ではなかった。【以下略】
ここで説かれている趣旨は、『日本人の「戦争」』(一九九五)においても繰り返されている。そちらについては、今月一八日のコラム「『革命よりも戦争がまし』、『革命よりも敗戦がまし』の昭和史」で、少し紹介しているので、参照を乞う。
河原宏は、鋭い視点とユニークな発想を持ったすぐれた思想史家であり、思想家であった。彼が、『社会科学討究』(早稲田大学アジア太平洋研究センター発行)などの専門誌に発表し続けた論文は、タイトルだけを見ても、思わず読みたくなるようなものが多い。そうした論文については、このあと味読した上で、随時、このコラムで紹介してゆきたいと思う。
今日のクイズ 2013・2・28
◎河原宏『西郷伝説』(講談社現代新書、1971)のサブタイトルとして正しいのは、次のうちどれでしょうか。
1 「判官びいき」の構造
2 「士族的人間像」の発見
3 「東洋的人格」の再発見
【昨日のクイズの正解】 1 岩波新書旧赤版の最終冊、矢内原忠雄『日本精神と平和国家』の初版と同じく、サイズは新書判でなくB6判。■国立国会図書館で確認しました。「金子」様、正解です。
今日の名言 2013・2・28
◎敗戦は魂の死であり、太古以来の歴史はここに畢った
河原宏の言葉。『日本人の「戦争」』の第Ⅴ部「特攻・玉砕への鎮魂賦」より。「畢った」は〈オワッタ〉と読む。ユビキタ・スタジオ版では230ページ。