◎日本人はみな傷物であります(内村鑑三)
数か月前、神保町の古書店で、山本七平編『内村鑑三文明評論集(一)』(講談社学術文庫、1977)という文庫本を入手した。
雑誌『聖書之研究』に掲載された文章を集めた本だが、これがなかなか面白かった。
本日以降、印象に残った文章を紹介してゆきたい。最初に紹介するのは、「失望と希望」という文章である。『聖書之研究』における巻号は示されていない。
失望と希望
【前略】
このわれらの日本国はどうなりましょうか。この切要なる問題に対してこの国において発行されるところの新聞紙の記事が与うるところの答はただ一つであります。すなわち滅亡であります。為政家の堕落、教育家の堕落、僧侶神官牧師の堕落、詐欺、収賄、姦淫、窃盗、強盗、殺人、黴毒【ばいどく】、離間【りかん】、擠陥【さいかん】、裏切り、……これがわれらが日々の新聞紙によりて読み聞かせられるところの事柄でありまして、これらの事柄を除いて別に新聞という新聞はないように見えます。聖書に記されたる罪悪の目録の中で今の日本人によりて犯されない罪は一つもないように見えます。苟合【こうごう】、汚穢【おわい】、好色、偶像に事【つか】うること、巫術【ふじゆつ】、仇恨【きゆうこん】、妒忌【とき】、忿怒【ふんど】、紛争、結党、異端、娼嫉【しようしつ】、兇殺、酔酒、放蕩(ガラテヤ書五章十九、二十節)、この中いずれが今の日本人の中に欠けておりますか。政治家は節操を売ることをなんとも思わず、彼らは相互に汚濁を語りて少しも恥と致しません。忠君愛国を教うる教育家が收賄の嫌疑をもって続々と獄舎に投ぜられます。数万の民が飢餓に泣いておりますれば、彼らを飢餓に迫らしめたる人は朝廷の恩恵【めぐみ】を身に浴びて奢侈淫逸【しやしいんいつ】に日を送っております。たまたま正義公平を絶叫する者があると思えば、これは不平の声であって義を愛するの声ではありません。同胞は相互いの悪事を聞くをもって何よりの楽しみとしております。妒忌は父子の間にも兄弟の間にも、師弟の間にも行われ、今日の師弟は明日の讐敵【しゆうてき】となり、骨肉の兄弟さえ互いに相困【こう】じしめることをもって正義国家のためであると思っています。政府はその各部において腐敗を極め、内閣腐り、陸軍腐り、海軍腐り、内務腐り、外務腐り、文部までが腐敗の気に襲われて、今は小学教師までが賄賂を取るのをもって当然の事であるように思うに至りました。もしこれが亡国の徴【ちよう】でないならばなにが亡国の徴でありますか。もし罪悪のほか何の報ずるところのない国が千代に八千代に昌【さか】え行くべきものでありまするならば正義とはなんと価値のないものではありませんか。もし暗黒の社会がありとすればこれは日本国今日の社会ではありませんか。不安心極まる社会、少しの信用をも置けない社会、儀式一片、全然虚偽の社会とは実にわが国今日の社会ではありませんか。罪悪は日本のみに限らない。西洋各国にもあると言いてみずから慰めている人もありまするが、しかし罪悪にも度合【どあい】があります。
日本今日の社会は善事のいたって少ない、ほとんど罪悪のもの社会であります。すなわち悪人が横行跋扈【おうこうばつこ】することのできる社会であります。その貴族たる者が到る所に幾多の少女を汚すことあるも誰も怪しまない社会であります。その学者たる者がとんでもない不道理を唱えましてもかえって国民多数の賞讃を博する社会であります。すなわち真実とか無私とかいうことはただ口に唱えられるばかりでありまして、これを真面目に信ずる者のほとんど一人も無いと言うてもよい社会であります。希望とか歓喜とか称すべきものは地を払って無く、ただ有るものは失望と悲憤慷慨とのみであります。この君子国と称えられし国の民にして、少しく世の中の経験をもった者で、悲惨の歴史か堕落の経歴をもたない者とてはほとんどありません。純正なる淑女はありません。純潔なる紳士はありません。日本人はみな傷物であります。その花のごとき顔【かんばせ】の裏面【うしろ】には熱き涙の経験をかくしています。その柔和のごとくに見ゆる態度の下には言い尽くされぬほどの仇恨【うらみ】の刃【やいば】を蔵【かく】しております。芙蓉の峰はいつも美わしくありまするがこれを仰ぎみる民の心は常暗【とこやみ】の暗をもって包まれております。その名こそ桜花国【さくらのくに】でありまするがその実は悲憤国【ひふんのくに】であります。絶望国【ぜつぼうのくに】であります。人々憂愁と怨恨【えんこん】とを懐いてイヤイヤながらに世渡りをなしている国であります。
【後略】
1903年(明治36)に書かれた文章だが、今日の日本と日本人について論じているかの如くである。内村鑑三が、今日の日本に甦ったとしたら、これ以上に厳しい言葉で、日本と日本人を批判したことであろう。
文中、「新聞という新聞はない」という表現があるが、この場合の新聞は、ニュースの意味であろう。また、「忿怒」のルビ【ふんど】は、講談社学術文庫版のまま。別の文章では、【ふんぬ】というルビが振られている。
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