礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

読んでいただきたかったコラム10(2023年前半)

2023-06-30 00:03:44 | コラムと名言

◎読んでいただきたかったコラム10(2023年前半)
 
 二〇二三年も、その前半が終わろうとしている。本年前半のトピックは、世界ではワグネル問題、日本ではジャニー喜多川問題であろう。
 恒例により、二〇二三年前半(一月~六月)に書いたコラムのうち、読んでいただきたかったコラムを、一〇本、挙げてみたい。おおむね、読んでいただきたい順番に並んでいる。

1) 民衆警察の前には警官手帳などは何の権威もない      4月14日
  
2) 日本人はみな傷物であります(内村鑑三)     6月26日

3) 陛下に直接、報道部長談・布告文を御覧に入れた  6月 3日

4) 雑誌『日の出』の戦後第一号           6月10日

5) ソビエト映画『イワン雷帝』とウクライナ戦争   1月10日

6) 昭和天皇と鈴木たか               1月 7日 
           
7) 鈴木貫太郎「ここに一つ不思議な話があつた」   1月16日

8) 小浜逸郎、吉本隆明の門をたたく         6月15日

9) 狙撃犯の逃走経路と喫茶店「川の音」という地点  3月26日

10) 二・二六事件と不穏文書臨時取締法       2月26日
   
次点 映画『タイムリミット25時』(1946)は秀作 4月 9日

*このブログの人気記事 2023・6・30(9位の石原莞爾、10位の終戦の詔書は、いずれも久しぶり)

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戦争に勝てば社会は今より堕落します(内村鑑三)

2023-06-29 00:29:53 | コラムと名言

◎戦争に勝てば社会は今より堕落します(内村鑑三)

 山本七平編『内村鑑三文明評論集(一)』(講談社学術文庫、1977)から、内村鑑三の文章を紹介している。本日は、その四回目。
 本日は、日露戦争関係の文章をふたつ紹介したい。いずれも、1904年(明治37)に発表された文章である。巻号の表記はないが、内容からして、日露戦争(1904~1905)が始まったころの文章であろう。

   出征軍を送りて感あり
 ああ、われいかにして戦争を廃【や】むるを得んか。われはいかにしてこれら無辜【むこ】の良民を敵弾に曝【さら】すの惨事を止【や】むるを得んか。彼らを失うて孤独に泣く老媼【ろうおう】あるにあらずや。彼らに離れて饑寒【きかん】に叫ぶ寡婦と孤児とあるにあらずや、これを見て泣かざる者は人にして人にあらず。われは人が万歳を歓呼するを聞いてその声に和すること能【あた】わざりき。われにしてもし王者ならんか。われは無埋にも戦争を圧止せんものを。われにしてもし寵臣ならんか。われは戦争を諫止して止まざるべし。しかれども微弱なるわれ、われにただ、泣くに涙あり、祈るに言葉あるのみ。ああわれいかにして戦争を廃【や】むるを得んか。
 福音【ふくいん】を説かんのみ。しかり、キリストの平和の福音を説かんのみ。しこうして一日も早く天国をこの世に来らせんのみ。これわれの為し得ることにして、また無効の業にあらず。今の時にあたりて不可能事を企ててすぐに戦争を廃せんとするもなんの益かある。人々その心に神の霊を宿【やど】すに至るまでは戦争の声は歇【や】まざるべし。キリストにありて一人を救うは戦争の危害を一人だけ減ずることなり。しこうして戦争は非戦論を唱えて止むべきものにあらずして、キリストの福音を伝えて廃すべきものなるべし。ああ、われは覚【さと】れり。われは千百年の将来を期して、わが目前に目撃する惨事を根絶せんためにわが世にあらん限りさらに熱心にキリストの福音の宣伝に従事せん。

   戦時におけるわれら
 われらキリス卜信者は戦時においてはほとんど用の無い者であります。しかし戦後においては多少役に立つ者であります。もし負ければ国民は非常に失望します。その時にわれらは彼らに多少の慰藉【いしや】を供することが出来ます。勝てば彼らは非常に高ぶります。そうしてその結果として社会は今よりも一層堕落します。その時にわれらはその腐敗を多少止めることが出来ます。われらは今は心を静かにして戦後の御用を待ちつつあります。

*このブログの人気記事 2023・6・29(9位になぜか隠語の分類)

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人類の多数は生命を愛せざる者なり(内村鑑三)

2023-06-28 04:27:32 | コラムと名言

◎人類の多数は生命を愛せざる者なり(内村鑑三)

 山本七平編『内村鑑三文明評論集(一)』(講談社学術文庫、1977)から、内村鑑三の文章を紹介している。本日は、その三回目。
 本日も、比較的、短い文章を三つ紹介したい。いずれも、1903年に発表された文章である。

   戦争の意義
 人は利のために戦う。しかれども神は罰せんがために戦わしむ。国民は戦場に臨んで神の刑場に臨むなり。彼らは自国の罪を贖【あがな】わんがために屠【ほふ】らるるなり。同類相対して流血淋漓【りんり】たるところはこれ貴族の淫縦【いんしょう】と平民の偽善とが万邦注視の前において公義の判決に服するところなり。

   戦争の止む時
 戦争を止【とど】むるに二途あり、進んで敵意を霽【はら】すにあり。退いて自己を正すにあり。しこうして神は常に第二途を択【えら】び給う。しかれども人は常に罪を他人に帰して自身は義名を帯びて死せんと欲す。これ戦争ある所以【ゆえん】なり。名誉心なり、傲慢心の遂行なり。流血をあらしむる者はこれなり。人類が自己を省みるに敏〈ビン〉にして他を責むるに鈍【にぶ】くなる時に至りて戦争は全く廃止せらるるに至るなり。 

   戦争を好む理由
 生命を惜しまざるをもって勇気なりと称す。しかも人類の多数は生命を愛せざる者なり。人世に絶望して常に死を思う。ゆえに他人を殺してみずからも死せんと欲す。これこの世にありて戦争が常に多数の賛同を博する所以なり。もし生命の真価にして知られんか、人類は直ちに戦争を廃するに至るべし。絶望家の世に多数を占むる間は開戦の声は常に高かるべし。

*このブログの人気記事 2023・6・28(8・10位に極めて珍しいものが入っています)

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気焰は吐く者を毒し、受くる者を毒す(内村鑑三)

2023-06-27 01:13:27 | コラムと名言

◎気焰は吐く者を毒し、受くる者を毒す(内村鑑三)

 山本七平編『内村鑑三文明評論集(一)』(講談社学術文庫、1977)から、内村鑑三の文章を紹介している。本日は、その二回目。
 同書には、「日本国の大困難」(1903)という注目すべき文章が収められているが、これはかなり長いので、紹介は後に回したい。本日は、比較的、短い文章を三つ紹介する。いずれも、1903年に発表された文章。『聖書之研究』における巻号は示されていない。

   犬を慎めよ
 なんじら犬を慎めよ(ピリピ書三の二)。当代のいわゆる批評家なる者を慎めよ。声ありて実なき者を慎めよ。毀【こぼ】つのみにして建て得ざる者を慎めよ。螫【さ】す〔刺す〕のみにして癒し得ざる者を慎めよ。なんじら彼らたるなかれ。なんじら彼らに聞くなかれ。その文に目をさらすなかれ。恐らくは彼らなんじらの霊魂を殺し、なんじらは餓【う】ゆるのみにして飽くことのなんたるを知らざるとならん。

   われの大敵
 われを神のごとくに敬する者、予言者のごとくに貴ぶ〈タットブ〉者はついにわれに叛【そむ】き、わが面【おもて】に唾【つばき】し、われをわが敵人に付【わ】たし、われを十字架に釘【つ】ける者である。世に忌【い】むべき、憎むべき、卑【いやし】むべき、避くべき者の中に崇拝家のごときはない。彼の面にはイスカリオテのユダの相【そう】がある。彼がわれに近づくごとにわれは戦慄する。その時われはひとり心の中に祈って言う。「神よ願わくはわれをわが崇拝家の手より救い給え」と。

   気 焰
 今の人はしきりに気焰なるものを要求す。しかれども気焰は毒気〈ドッケ〉なり。これを吐く者を毒し、これを受くる者を毒す。吾人はむしろ神の真理を語るべきなり。神の真理は清爽【せいそう】にして健全なり。これを語る者も益せられ、これを聴くものも益せらる。われらは不平の小火山となりて妖氛【ようふん】を吐いて同胞と社会とを毒すべからざるなり。

*このブログの人気記事 2023・6・27(10位になぜか吉本隆明)

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日本人はみな傷物であります(内村鑑三)

2023-06-26 03:00:01 | コラムと名言

◎日本人はみな傷物であります(内村鑑三)

 数か月前、神保町の古書店で、山本七平編『内村鑑三文明評論集(一)』(講談社学術文庫、1977)という文庫本を入手した。
 雑誌『聖書之研究』に掲載された文章を集めた本だが、これがなかなか面白かった。
 本日以降、印象に残った文章を紹介してゆきたい。最初に紹介するのは、「失望と希望」という文章である。『聖書之研究』における巻号は示されていない。

   失望と希望
【前略】
 このわれらの日本国はどうなりましょうか。この切要なる問題に対してこの国において発行されるところの新聞紙の記事が与うるところの答はただ一つであります。すなわち滅亡であります。為政家の堕落、教育家の堕落、僧侶神官牧師の堕落、詐欺、収賄、姦淫、窃盗、強盗、殺人、黴毒【ばいどく】、離間【りかん】、擠陥【さいかん】、裏切り、……これがわれらが日々の新聞紙によりて読み聞かせられるところの事柄でありまして、これらの事柄を除いて別に新聞という新聞はないように見えます。聖書に記されたる罪悪の目録の中で今の日本人によりて犯されない罪は一つもないように見えます。苟合【こうごう】、汚穢【おわい】、好色、偶像に事【つか】うること、巫術【ふじゆつ】、仇恨【きゆうこん】、妒忌【とき】、忿怒【ふんど】、紛争、結党、異端、娼嫉【しようしつ】、兇殺、酔酒、放蕩(ガラテヤ書五章十九、二十節)、この中いずれが今の日本人の中に欠けておりますか。政治家は節操を売ることをなんとも思わず、彼らは相互に汚濁を語りて少しも恥と致しません。忠君愛国を教うる教育家が收賄の嫌疑をもって続々と獄舎に投ぜられます。数万の民が飢餓に泣いておりますれば、彼らを飢餓に迫らしめたる人は朝廷の恩恵【めぐみ】を身に浴びて奢侈淫逸【しやしいんいつ】に日を送っております。たまたま正義公平を絶叫する者があると思えば、これは不平の声であって義を愛するの声ではありません。同胞は相互いの悪事を聞くをもって何よりの楽しみとしております。妒忌は父子の間にも兄弟の間にも、師弟の間にも行われ、今日の師弟は明日の讐敵【しゆうてき】となり、骨肉の兄弟さえ互いに相困【こう】じしめることをもって正義国家のためであると思っています。政府はその各部において腐敗を極め、内閣腐り、陸軍腐り、海軍腐り、内務腐り、外務腐り、文部までが腐敗の気に襲われて、今は小学教師までが賄賂を取るのをもって当然の事であるように思うに至りました。もしこれが亡国の徴【ちよう】でないならばなにが亡国の徴でありますか。もし罪悪のほか何の報ずるところのない国が千代に八千代に昌【さか】え行くべきものでありまするならば正義とはなんと価値のないものではありませんか。もし暗黒の社会がありとすればこれは日本国今日の社会ではありませんか。不安心極まる社会、少しの信用をも置けない社会、儀式一片、全然虚偽の社会とは実にわが国今日の社会ではありませんか。罪悪は日本のみに限らない。西洋各国にもあると言いてみずから慰めている人もありまするが、しかし罪悪にも度合【どあい】があります。
 日本今日の社会は善事のいたって少ない、ほとんど罪悪のもの社会であります。すなわち悪人が横行跋扈【おうこうばつこ】することのできる社会であります。その貴族たる者が到る所に幾多の少女を汚すことあるも誰も怪しまない社会であります。その学者たる者がとんでもない不道理を唱えましてもかえって国民多数の賞讃を博する社会であります。すなわち真実とか無私とかいうことはただ口に唱えられるばかりでありまして、これを真面目に信ずる者のほとんど一人も無いと言うてもよい社会であります。希望とか歓喜とか称すべきものは地を払って無く、ただ有るものは失望と悲憤慷慨とのみであります。この君子国と称えられし国の民にして、少しく世の中の経験をもった者で、悲惨の歴史か堕落の経歴をもたない者とてはほとんどありません。純正なる淑女はありません。純潔なる紳士はありません。日本人はみな傷物であります。その花のごとき顔【かんばせ】の裏面【うしろ】には熱き涙の経験をかくしています。その柔和のごとくに見ゆる態度の下には言い尽くされぬほどの仇恨【うらみ】の刃【やいば】を蔵【かく】しております。芙蓉の峰はいつも美わしくありまするがこれを仰ぎみる民の心は常暗【とこやみ】の暗をもって包まれております。その名こそ桜花国【さくらのくに】でありまするがその実は悲憤国【ひふんのくに】であります。絶望国【ぜつぼうのくに】であります。人々憂愁と怨恨【えんこん】とを懐いてイヤイヤながらに世渡りをなしている国であります。
【後略】

 1903年(明治36)に書かれた文章だが、今日の日本と日本人について論じているかの如くである。内村鑑三が、今日の日本に甦ったとしたら、これ以上に厳しい言葉で、日本と日本人を批判したことであろう。
 文中、「新聞という新聞はない」という表現があるが、この場合の新聞は、ニュースの意味であろう。また、「忿怒」のルビ【ふんど】は、講談社学術文庫版のまま。別の文章では、【ふんぬ】というルビが振られている。

*このブログの人気記事 2023・6・26

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