◎八丈方言は、日本全国にその類型を見ない
平山輝男著『日本の方言』(講談社現代新書、1968)の第3章から、「奈良朝の面影を残す八丈方言」の節を紹介している。本日は、その三回目(最後)。
かわりゆく方言
また、相手を指す二人称にオメーとオマイとが一緒に行なわれていて、このうち、オメーは敬意を表わして目上の人に対して使われ、オマイは同等以下の人に対して使われていることは、すでに述べました。
これらの使い分けは青ガ島方言では、青少年層でもはっきりしていますが、八丈島方言の青少年層ではもう古い敬意を示すオメーは意識がうすれて、オマイまたはオメーと発音しても、ともに同等以下に対して使うものが多くなりました。
なお、この青ガ島・小島・八丈島の方言では、ともに動詞に接頭語をつけて、たとえばヒットル(取る)、ヒッカスル(忘れる)、ヒッピロゲル(広げる)……のようにいいますが、これは鎌倉時代ごろからの東部方言に見られるすがた(腹カッ切って、ヨッぴいて……)の名残りともみられましょう。また、パック(枯れる)、ピヨメ(ひよ子)のように「パ行」の音が聞かれます。これは、前に述べた日本の古代音がこの方言に残っているのだと考えられそうですが、実はそうではありません。つまりパックも接頭語の付くヒッパック(枯れる)も同時に行なわれていますから、おそらくこの接辞のために「パ」になり、その接辞がなくなってもそのまま使われるようになったのでしょう。またピヨメなどはその鳴き声をまねた、いわゆる疑声語から出たピでありましょう。
青ガ島の高年層では、「先生」をシェンシェーと発音しますが、このシェ[ʃe]の音は共通語のようにセンセーというよりはやはり古い音です。
また「鍵」をカギ、「籠」をカゴのように破裂音[ɡ] を伴い、鼻音[ŋ] を発しないのも特徴の一つと考えられます。ただし、これは伊豆諸島全体に共通であり、また九州や中国地方などでも広く[ɡ]が行なわれています。近ごろは共通語でも、主として若い人たちの発音で鼻音が消えかかっていく現象がみとめられます。語彙の面でもツブリ(頭)、マナコ(眼)、オトゲー(顎)……のように古語がかなり残っています。そして、これらは八丈島・小島方言にもほとんど共通です。
以上述べたなかには、八丈方言の古い面がかなりありますが、一方では孤立的変化をとげて、共通語よりも新しい変化を示している面もあります。そのうち、とくにめだつものは、前にも触れた崩壊アクセントです。大島・三宅島以下の北部・中部の伊豆諸島方言や共通語では、たとえば、
「雨」と「飴」を区別してアメ、アメ
「箸」と「橋」を区別してハシ、ハシ
「日」と「火」を区別してヒガデタ、ヒガキエタ
のようにいいます。南部伊豆諸島の青ガ島方言をはじめ、八丈島・小島では、この種のアクセントによる区別がまったくない、いわゆる崩壊アクセントです。
青ガ島方言は、音声の面では、人家が散在しているせいか、集落内で少しずつ違います(これを島の人は俗にたね<血族>が違うからだといっています)。しかし、語彙や文法の面では、ほとんどおなじです。音声面の違いも根本的なものではなく、音韻論のうえではまったく同一の体系と解釈されます。
青ガ島方言(小島方言も同様)は八丈島方言の分かれたものと思われますが、そのなかには、八丈島よりいくらか古い面をとどめているといえましょう。
八丈方言の持殊性
この青ガ島方言は、八丈島や小島などの方言とまったく同一基盤のものです。これらの青ガ島・小島・八丈島の方言を合わせて、八丈方言と名づけ、私は現在におけるこの八丈方言の特殊性を重要視したいと思います。
この八丈方言を前記の北部・中部の伊豆諸島方言と対立させることは当然ですが、さらにこの八丈方言の全体系が現在のすがたではきわめて特異であって、日本全国にその類型を見ないほどですから、共時論的に考察して、私は東部方言・西部方言・九州方言の三大対立に伍して独立させることを提唱した次第です。
この八丈方言の地盤は、国語史にさかのぼると、確かに東部方言の仲間ですが、黒潮の彼岸という特殊な環境のため、古い言語のすがたをかなりとどめており、また一方では孤立的変化と流罪・漂着の人々による諸方言の影響を受け、現在では特殊な言語体系を示しています。
九州方言が、古くさかのぼっては西部方言の中に入れられるように、八丈方言も古くは東部方言の中に入れてよいものです。しかし、現在の共時態としてみられる特殊性を考えますと、九州方言を独立させることとおなじく、この方言も独立させることが自然でしょぅ。ただ、その方言の行なわれている領域が狭すぎますが、方言区画は領域の広い狭いよりも、その方言自体の特殊性によるべきです。そして、方言の体系はあくまで共時論的立場において立てなければなりません。たとえ国語史的事実が東部方言的色彩を濃くしていても、それらの事実は方言区画を決定する場合は考慮の外におくべきです。
文法からみた八丈方言の対立比較表 【略】
八丈方言は音韻体系だけでは、東京方言(東部方言)や京阪方言(西部方言)とおなじ体系です。しかし文法やアクセント体系のうえで対立がいちじるしいので、東部方言と西部方言との区画が認められているのと同様に、この八丈方言も音韻体系だけは東京方言と共通の要素を示していても、主として文法の面での対立によって東部方言・西部方言・九州方言に伍す方言として、四大対立を認めることは妥当でありましょう。〈122~125ページ〉
平山輝男著『日本の方言』(講談社現代新書、1968)の第3章から、「奈良朝の面影を残す八丈方言」の節を紹介している。本日は、その三回目(最後)。
かわりゆく方言
また、相手を指す二人称にオメーとオマイとが一緒に行なわれていて、このうち、オメーは敬意を表わして目上の人に対して使われ、オマイは同等以下の人に対して使われていることは、すでに述べました。
これらの使い分けは青ガ島方言では、青少年層でもはっきりしていますが、八丈島方言の青少年層ではもう古い敬意を示すオメーは意識がうすれて、オマイまたはオメーと発音しても、ともに同等以下に対して使うものが多くなりました。
なお、この青ガ島・小島・八丈島の方言では、ともに動詞に接頭語をつけて、たとえばヒットル(取る)、ヒッカスル(忘れる)、ヒッピロゲル(広げる)……のようにいいますが、これは鎌倉時代ごろからの東部方言に見られるすがた(腹カッ切って、ヨッぴいて……)の名残りともみられましょう。また、パック(枯れる)、ピヨメ(ひよ子)のように「パ行」の音が聞かれます。これは、前に述べた日本の古代音がこの方言に残っているのだと考えられそうですが、実はそうではありません。つまりパックも接頭語の付くヒッパック(枯れる)も同時に行なわれていますから、おそらくこの接辞のために「パ」になり、その接辞がなくなってもそのまま使われるようになったのでしょう。またピヨメなどはその鳴き声をまねた、いわゆる疑声語から出たピでありましょう。
青ガ島の高年層では、「先生」をシェンシェーと発音しますが、このシェ[ʃe]の音は共通語のようにセンセーというよりはやはり古い音です。
また「鍵」をカギ、「籠」をカゴのように破裂音[ɡ] を伴い、鼻音[ŋ] を発しないのも特徴の一つと考えられます。ただし、これは伊豆諸島全体に共通であり、また九州や中国地方などでも広く[ɡ]が行なわれています。近ごろは共通語でも、主として若い人たちの発音で鼻音が消えかかっていく現象がみとめられます。語彙の面でもツブリ(頭)、マナコ(眼)、オトゲー(顎)……のように古語がかなり残っています。そして、これらは八丈島・小島方言にもほとんど共通です。
以上述べたなかには、八丈方言の古い面がかなりありますが、一方では孤立的変化をとげて、共通語よりも新しい変化を示している面もあります。そのうち、とくにめだつものは、前にも触れた崩壊アクセントです。大島・三宅島以下の北部・中部の伊豆諸島方言や共通語では、たとえば、
「雨」と「飴」を区別してアメ、アメ
「箸」と「橋」を区別してハシ、ハシ
「日」と「火」を区別してヒガデタ、ヒガキエタ
のようにいいます。南部伊豆諸島の青ガ島方言をはじめ、八丈島・小島では、この種のアクセントによる区別がまったくない、いわゆる崩壊アクセントです。
青ガ島方言は、音声の面では、人家が散在しているせいか、集落内で少しずつ違います(これを島の人は俗にたね<血族>が違うからだといっています)。しかし、語彙や文法の面では、ほとんどおなじです。音声面の違いも根本的なものではなく、音韻論のうえではまったく同一の体系と解釈されます。
青ガ島方言(小島方言も同様)は八丈島方言の分かれたものと思われますが、そのなかには、八丈島よりいくらか古い面をとどめているといえましょう。
八丈方言の持殊性
この青ガ島方言は、八丈島や小島などの方言とまったく同一基盤のものです。これらの青ガ島・小島・八丈島の方言を合わせて、八丈方言と名づけ、私は現在におけるこの八丈方言の特殊性を重要視したいと思います。
この八丈方言を前記の北部・中部の伊豆諸島方言と対立させることは当然ですが、さらにこの八丈方言の全体系が現在のすがたではきわめて特異であって、日本全国にその類型を見ないほどですから、共時論的に考察して、私は東部方言・西部方言・九州方言の三大対立に伍して独立させることを提唱した次第です。
この八丈方言の地盤は、国語史にさかのぼると、確かに東部方言の仲間ですが、黒潮の彼岸という特殊な環境のため、古い言語のすがたをかなりとどめており、また一方では孤立的変化と流罪・漂着の人々による諸方言の影響を受け、現在では特殊な言語体系を示しています。
九州方言が、古くさかのぼっては西部方言の中に入れられるように、八丈方言も古くは東部方言の中に入れてよいものです。しかし、現在の共時態としてみられる特殊性を考えますと、九州方言を独立させることとおなじく、この方言も独立させることが自然でしょぅ。ただ、その方言の行なわれている領域が狭すぎますが、方言区画は領域の広い狭いよりも、その方言自体の特殊性によるべきです。そして、方言の体系はあくまで共時論的立場において立てなければなりません。たとえ国語史的事実が東部方言的色彩を濃くしていても、それらの事実は方言区画を決定する場合は考慮の外におくべきです。
文法からみた八丈方言の対立比較表 【略】
八丈方言は音韻体系だけでは、東京方言(東部方言)や京阪方言(西部方言)とおなじ体系です。しかし文法やアクセント体系のうえで対立がいちじるしいので、東部方言と西部方言との区画が認められているのと同様に、この八丈方言も音韻体系だけは東京方言と共通の要素を示していても、主として文法の面での対立によって東部方言・西部方言・九州方言に伍す方言として、四大対立を認めることは妥当でありましょう。〈122~125ページ〉
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