礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昼は食パンと牛乳、夜は菓子パンと牛乳

2024-03-31 01:03:33 | コラムと名言

◎昼は食パンと牛乳、夜は菓子パンと牛乳

 今月21日の東京新聞で、「見上げてごらん」というエッセイを読んだ。26日の当ブログでは、それを読んだ感想などを書いた。
 このエッセイを読んで、映画『見上げてごらん夜の星を』(松竹、1963)が観たくなり、アマゾン経由で中古のDVDを購入した。鑑賞してみると、その時代の若者たちをリアルに描いている名作だった。坂本九さんや中村嘉津雄さん(現在の中村嘉葎雄さん)の演技もよかった。
 ザッと観て気づいた点を、箇条で挙げてみよう。

・映画の冒頭は、試合中の東京スタジアムを上空から撮影している場面。「光の球場」にふさわしく、煌々とした明りに照らされている。ただし、観客はまばらである。
・カメラは続いて、球場に隣接している学校の校庭を映し出す。校庭では、定時制高校に通う生徒たちが、ソフトボールに興じている。この校庭には、独自の照明設備はない。球場のライトが、隣の学校の校庭まで明るくしているのである。
・撮影に使った学校は、都立荒川工業高校(現在の都立荒川工科高校)であろう。映画の中では、この学校は、「荒川高校」ということになっている。
・主人公のタヘイ(坂本九さん)が、都電の「荒川区役所前」で降り、走って高校に向かう場面がある。この都電は、今でも健在の都営荒川線である。
・定時制の生徒たちが、教室で「給食」を受け取る場面がある。紙袋に入った菓子パン二個とビンの牛乳一本である。
・タヘイは、日中は、「富岳工業」という町工場で働いている。そこで、昼食を受け取る場面があるが、ビニール袋に入った食パン四枚とビンの牛乳一本である。
・タヘイと同じ工場で働いているツトム(中村嘉津雄さん)という若者がいる。ツトムの場合、工場での昼食は、持参した弁当である。なお、ツトムは、家庭の事情で、定時制には通っていない。
・都営荒川線の「三ノ輪橋(みのわばし)」で、ツトムが電車に駆けこんでくる場面がある。駅前に「つくだ煮」という看板が見える。鰻のつくだ煮で知られる安井屋である。安井屋は、昭和二年(1927)創業という。今日なお盛業中である。
・当時の都電には、まだ車掌がいて、「この電車は、王子経由赤羽行き」と発声している。この当時は、「王子駅前」から「赤羽」に至る都電赤羽線(27系統)があったのである。
・ツトムが乗った電車の車掌は、たまたま、ツトムの叔父さんだった。「おう、ツトムじゃないか」と話しかけている。この車掌を演じているのは、野々村潔さん(岩下志麻さんのお父さん)。

*このブログの人気記事 2024・3・31(8・9・10位は、いずれも久しぶり)

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民法典訣別の限界と将来の立法

2024-03-30 03:45:27 | コラムと名言

◎民法典訣別の限界と将来の立法

 舟橋諄一訳著『民法典との訣別』第二部「『民法典との訣別』論について」の「一 序説」を紹介している。
 本日は、「一 序説」の「三」から「五」まで、すなわち第三項から第五項までをを紹介する。「四」における㈦は、註番号。(七)は、それに対応する註である。

  なほ、ここに論題となつてゐるのは、直接には『民法典』との訣別であつて、『民法』との訣別とはなつてゐないけれども、もともと商品交換の原則法として一つの論理的体系をなしてゐる伝統的なる民法乃至民法原理は、民法典において、いはば、集中的に表現されてゐるわけであるから、少くともその機能に関するかぎり、民法の運命は、その集中的乃至代表的表現物たる民法典の運命と、不可分離的に結びついてゐるのである。それゆゑ、民法典との訣別は、同時に、民法乃至民法原理との訣別の問題として把促すべきものと考へる。シュレーゲルベルゲル教授の論旨もまた、この趣旨に理解しうるのである。
  さらに、また、一つの論理的体系をなしてゐる伝統的民法乃至民法典が、機能を喪失し『訣別』をされる結果として、新たに、いはば国民法として、国民生活に関係ある諸法律が単に寄せ集められて、一つの法典として登場し、そして、それが再び『民法典』と呼ばれることがありうるであらう㈦。だが、かやうな民法典は、わたくしの現に問題としてゐるやうな民法典とは、およそ、その趣を異にするものである。わたくしは、ただ、従来の商品交換の原則法として論理的体系なる――伝統的意味における――民法乃至民法典のみを考察の対象とするのであつて、シュレーゲルベルゲル教授の考へてゐる『民法典』もまた、この意味のものである。

(七)ファシスタ・イタリアの新民法典乃至新国民法典はこの種のものであらう。これについては、杉山直治郎〈ナオジロウ〉『ファッシスタ新国民法典』(比較法雑誌二号)、風間鶴寿〈カザマ・カクジュ〉『イタリア新民法典第一編について』(法学論叢四三巻六号)、同『イタリア新民法典「所有権編」について』(法学論叢四五巻一、三、五号)、米谷隆三〈マイタニ・リュウゾウ〉『国民法典の新形成』(一橋論叢九巻五号)、など参照。たとひ、それが一つの『綜合体系』だとされるにしても、それは、『全体主義的生産本位的な国民の公的化せる生沽』を中心とする体系化であつて(杉山前掲一一四頁)、いはば、国民生沽に関連するといふ意味においてのみの綜合乃至集成たるにとどまり、今までの民法典におけるごとく、法典それ自体が論理的なる統一体系を形づくつてゐるのではないのである。

  わたくしは、以下には、まづ、シュレーゲルベルゲル教授の『民法典との訣別』論を要約的に紹介したうへで、その論点の整理を試み(第二節)、次いで、民法典を非難する諸論点のもつ客観的合理的意義を明らかにするとともに、同教授の抱懐する革新立法の構想についても、その客観的合理的意義を考へてみたいと思ふ(第三節)。そして、最後に、民法典訣別の限界と将来の立法の問題に言及して(第四節)、本稿を終らう。

『民法典との訣別』第二部「『民法典との訣別』論について」の紹介は、ここまで。明日は、話題を変える。

*このブログの人気記事 2024・3・30(8・9・10位に極めて珍しいものが入っています)

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公法・統制法の優位は私法を排除しうるか

2024-03-29 01:16:43 | コラムと名言

◎公法・統制法の優位は私法を排除しうるか

 舟橋諄一訳著『民法典との訣別』第二部「『民法典との訣別』論について」の「一 序説」を紹介している。
 本日は、「一 序説」の「二」、すなわち第二項の本文および註を紹介する。本文中における㈤㈥は、註番号。本文に続く、(五)(六)は、それらに対応する註である。

  経済法が統制経済の法として理解せられ、公・私法の混淆乃至滲透、または、私法の公法化の現象として把握せらるべきものとするならば、基盤たる統制経済が自由なる商品経済に対する国家的統制を意味することと対応して、法的には、商品経済の法としての私法に対する、国家的統制法すなはち経済統制法の、働きかけの現象と見ることができるであらう。かくて、経済法の考察に当つて、統制する側たる経済統制法の研究の必要なことはいふまでもないことだが、他面、統制せられたる側の私法の方面よりずる研究もまた、欠くべからざるものといふことができよう。この両側面よりする研究によつて、はじめて、経済法乃至統制経済法の全貌が明らかにされうるものと考へる㈤。『民法典との訣別』論は、私法がいはば経済法に織り込まれ、公法による克服乃至滲透を受ける段階において、私法の原則法たる民法がいかにその機能に変化を生ずるかを示すものとして、右の、私法の私法の側面よりする経済法の研究に対し一つの寄与ともなりうるであらう㈥。シュレーゲルベルゲル教授の『民法典との訣別』論が、ナチス特有の観念乃至表現によつて基礎づけられてゐるにかかはらず客観的に見れば右のごとき意味を有するものと考へられるから、それは、単にナチス・ドイツに特殊な現象でばなく、普遍的意義を有するものとして、われわれ自身の問題ともなりうるのである。いふまでもなく、『民法典との訣別』に関する論議は、ひとりシュレーゲルベルゲル教授のそれに限るわけではないが、わたくしは、いま、それらを網羅的に紹介する余裕をもたない。ここでは、この種の論議の代表的なるものとして、教授のそれを取上げるにとどめるのである。

(五)末川博士も次のやうに説いてをられる。すなはち、『今日の統制経済にあつては、自由主義経済の内在的要素たる自然的秩序を自由競争の名において形成しつゝあつた経済活動の分裂した複数の単位が単一化されるのではなくて、寧ろ斯かる単位が各自の計算と責任とにおいて活動すべきことを前提としながら、その経済活動の自由が抑制され指導され調整されるのであるから、従来の私法の根幹たる私有財産制度の如きを基礎としてその上に新な理念と方向とをもつて統制秩序が進展しめられるのが常である。‥‥そしてこのことは統制経済の法的表現たる統制法がそれ自体全く新な構想の下に従来の私法制度と絶縁された体系として成り立つものではないことを示すのである。だから、それはまた、統制法規の理解の道が従来の私法の理解なしに開かれてゐないことをも教へるわけである』、と(末川博『統制法の強化と私法への関心』法律時報一三巻一〇号八頁以下)。
(六)民法と経済法との関係は、民法専攻の学徒としても、また、経済法の研究にわけ入らむとする者にとつても、解明の義務ある課題である。この点について、吾妻光俊『経済法と民法』(「統制経済の法理論」一五八頁以下、一橋論叢九巻五号)、および、原龍之助「統制と行政法の理論」五四頁以下は、最も注目せらるべき文献である。なほまた、経済法と商法との関係については、特に西原〔寛一〕・鈴木〔竹雄〕・大隅〔健一郎〕・米谷〔隆三〕・大森〔忠夫〕・三藤〔正〕などの諸教授により、貴重なる論議が展開されてゐる。しかし、右の課題の解明は、これを別の機会に譲ることとし、ここでは、さし当り、ただ、若干の問題を提出することにとどめておきたい。すなはち、民法と経済法との関連については―― 
(イ)民法は経済法の領域に織り込まれて存在を続けるか、それとも、民法乃至民法原理は経済法の領域外において独自の存在をもち、ここにその固有の妥当範囲を見出すべきか(民法の独自性の問題)。商法についても同様な問題がある(商法の自主性の問題)。わたくしは、民法をもつて商品交換の原則法とする立場から、前の見解をとるが、さうだとすれば、ここに、『民法典との訣別』、『民法よ、さやうなら』が或程度まで是認せられるわけである。
(ロ)私法は、経済法において、公法乃至統制経済法と融合するか、それとも、混淆乃至滲透の状態にあるか。いひかへれば、経済法は、渾然と一体化せる法体制を形成するか、あるひは、統制法と私法との対立・克服・混淆乃至滲透のうちに把握せらるべきか。立法の様式、研究の体系などとも関係のあることだが、わたくしは、経済法発展の現段階においては、後者のやうに理解したい。
(ハ)経済法が統制法と私法との対立・克服のうちに把握せらるべきものとするならば、統制法は民法の外にあつて統制してゐるのか、それとも、統制法は――民法と共に「経済の法」の一部をなすものとして――民法自体の原理を克服し民法の機能変化をもたらすものであらうか。これは川島〔武宜〕教授によつて提起された問題であつて、教授は後者の立場をられる(川島前掲箇所)。原〔龍之助〕教授も同説(原前掲書五九頁・七一頁)。
(ニ)経済が公私法の混淆乃至滲透のうちに把握せらるべきものとするならば、公法原理と民法乃至私法原理との適用乃至妥当関係はいかなるべきか。抽象的一般的にいへば、国家的統制の強度いかんにかかることであるが、具体的には、箇々の問題(例へば統制法規違反行為の効力の問題)について研究せらるべきものであらう。
(ホ)法発展に関する問題として、公法乃至統制法の優位は、私法の存在を全般的に排除しうるか。この点は、『民法典との訣別』の限界の問題とし本稿の最後で触れるつもりである。

*このブログの人気記事 2024・3・29(9・10位の種樹郭橐駝伝は根強い人気)

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詳細な註から戦中の法学界の動向がつかめる

2024-03-28 00:17:49 | コラムと名言

◎詳細な註から戦中の法学界の動向がつかめる

 本日以降は、舟橋諄一訳著『民法典との訣別』の第二部「『民法典との訣別』論について」のうち、「一 序説」を紹介する。ページでいうと、55ページから63ページまで。
「一 序説」は、「『民法典との訣別』論について」の第一節にあたり、「一」から「五」までの五項からなる。
 本日は、「一」すなわち第一項の本文および註を紹介する。本文中における㈠㈡㈢㈣は、註番号。本文に続く、(一)(二)(三)(四)は、それらに対応する註である。

      序  説

  『民法典との訣別(Abschied vom BGB)』といふ標語は、前段に訳載したフランツ・シュレーゲルベルゲル教授(Dr, Franz Schlegelberger)の講演㈠の題目に由来するものであるが、これに関連しては、ドイツでもさまざまな論議が展開され㈡、わが国においても、牧野博士がいち早く「民法よ、さやうなら」の標語として取上げられたほか㈢、その後、一面においてば、民法の将来といふ問題、他面においては、経済法なる新たなる法領域生成の問題と関連せしめられて、これに対する関心はますます深まりつつあるやうに見受けられる㈣。

(一)吾妻教授の教示に従へば、この講演は、キール大学を中心とする新進学徒――いはゆるキール学派――の革新的な主張に支持せられて、一九三七年、すなはちわが昭和十二年に、ハイデルベルク大学創立五百五十年の式典講演としてなされたものであり、その草稿も同学派の一人が作成したとさへいはれてゐるとのことである。吾妻光俊〈アヅマ・ミツトシ〉「ナチス民法学の精神」二〇頁・二三頁参照。本講演については、早くも昭和十二年に、柚木・我妻両教授によつて紹介がなされ(柚木馨〈ユノキ・カオル〉『ナチスに於ける独逸民法典の運命』民商法雑誌六巻二号、我妻栄〈ワガツマ・サカエ〉『シュレーゲルベルガー「民法への訣別」』〔新刊短評〕法学協会雑誌五五巻一二号)、また、我妻教授によつても前掲書によつてその主張の骨子が紹介されてゐる(同書二〇頁以下)。さらにまた、小池教授も、相当詳細にこれを紹介し批評してをられる。小池隆一〈リュウイチ〉『経済法と民法』(「慶応義塾大学論集(昭和十七)」所収)。なほ、シュレーゲルベルゲル氏は、司法省におけるStaatssekretär といふ枢要な地位にあるほか、ベルリン大学の名誉教授(Honorarprofessor)、ドイツ法学院(Akademic für Deutsches Recht)の会員をも兼ねてをられるやうである。わたくしが、同氏を教授と呼ぶのは、これによる。
(二)ドイツにおける論議については、わが学界にも相当に知られてゐる。前註引用の吾妻光俊「ナチス民法学の精神」中、第一章『ナチス民法学の動向』のほか、柚木馨前掲(民商法雑誌六巻二号)、同『独逸民法の革新』(現代外国法典叢書だより第一六・一七号)、同『民法総則』〔現代外国法典叢書〕四~七頁、山木戸克己〈ヤマキド・コッキ〉『国民社会主義による民法改正の基本問題』(法律時報一〇巻七号)、同『ナチス・ドイツにおける民事法改正事業と独逸法学院』(同一一巻一〇号)、山田晟〈アキラ〉『ヘーデマン‥‥著「民法改正論」』〔新刊紹介〕(法学協会雑誌五七巻二号)、同『ドイツ民法の現在及び将来』(新独逸国家大系月報八号)、吾妻光俊『独逸に於ける私法理論の転回』(一橋論叢四巻二号――同教授の前掲書第一章のいはば原型をなすもの)、同『ナチス法学界展望』(新独逸国家大系月報八号)、後藤清「転換期の法律思想」の附録『ナチス法学者の民法改正意見』など参照。なほ広くドイツにおける法革新論の文献については、Schlegelberger-Vogels, Erläuterungswerk zum Bürgerlichen Gesetzbuch und zum neuen Volksrecht, Einleitung, Bern. 56~58に掲ぐるところを見よ。
(三)牧野英一「法律学の課題としての神」二三九・二四八頁。同「民法の基本問題」第五編、はしがき二頁・本文四一・一七九・二〇三・四一一頁。同「非常時立法の発展」三一・五二・一四七・一六五頁 。同「続急急如律令録」三九・六七・六九・一四二・一四八・一四九頁。同『急如律令録』法律時報一三巻八号・一四巻三・四・五号など。同「非常時立法考」一五八・一五九・一六三・一六四・一六九・一九一・二六〇・二六九頁。
(四)例へば、杉山直治郎『民法の分化』(比較法雑誌一号昭和一四)一三・六五頁、小池前掲(昭和一七年)、川島武宜〈タケヨシ〉『統制経済と民法』(国家学会雑誌五七巻一号昭和一八年)一三六頁、などは、それぞれ、『民法典との訣別』論を引合ひに出してをられる。【以下、次回】

 ご覧のように本文(地の文)に比べて、註が異様に詳細になっている。この詳細な註に含まれる情報が貴重であり、重要なのである。戦時期、どういった法学者が、どういった媒体に、どういった趣旨の論文を発表していたのかを、ハッキリと把握できるからである。
 なお、この本では、単行本の書名は「 」によって、論文のタイトルは『 』によって示されている。

*このブログの人気記事 2024・3・28(10位になぜか宮さん宮さん)

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『民法典との訣別』から読みとれる諸情報

2024-03-27 03:32:58 | コラムと名言

◎『民法典との訣別』から読みとれる諸情報

 1980年代の半ばごろ、戦中の「統制経済」に対して興味を抱き、関係の書籍や資料を集めたことがある。その当時、「統制経済」関係の文献は古書店で容易に入手できた。古書価も二束三文であった。
 ところが、1990年代にはいったあたりから、「統制経済」関係に限らず、戦時体制に関する文献、あるいは戦時中に発行された文献の古書価が、にわかに急騰していった。
 最初のうちは、その理由がわからなかったが、あとになって理由がわかった。1980年代末から、社会学者・山之内靖(やまのうち・やすし、1933~1914)の「総力戦」論を嚆矢として、「戦中戦後連続論」なる視点に立った研究が次々とあらわれ、総力戦体制や戦時統制経済への関心が高くなっていたのであった。
 民法学者・舟橋諄一の回想文「私の八月十五日」(1976)によると、舟橋は、戦中に自著を上梓しようとした際に、検閲を意識して、「ナチス法学者の論文を表看板」にしたという(今月20日の当ブログ参照)。おそらく当時、舟橋諄一に限らず、また民法学者に限らず、多くの法学者が、そういった「忖度」を余儀なくされたのであろう。この時代、「ナチス憲法」を研究テーマに選んだ憲法学者も少なくなかったのである(2015年7月29日の当ブログ参照)。
 しかし、戦後になって、戦中における、そういった学問的な「忖度」を正直に語っている法学者は、例外的である。そういう意味で、舟橋の前記回想文は貴重である。そして、それ以上に貴重なのが、『民法典との訣別』という文献それ自体であり、そこから読みとれる諸情報だと考える。
 そういうわけで、このあと、『民法典との訣別』の本文も、少しだけ紹介させていただきたい。関心をお持ちになる読者が少ないことは、よく承知しているが、紹介せずにはいられない。
 明日以降、同書の第二部「『民法典との訣別』論について」の「一 序説」を紹介する。本日は、中扉のウラ(54ページ)に置かれていた「自註」を紹介しておく。

第二 『民法典との訣別』論について   〈中扉・53ページ〉

 本編は、もと、日本経済法学会第三回京都大会(昭和十六年十一月)における研究報告の際の手稿を整理して、同学会に提出した報告論文であつて、「日本経済法学会年報――経済法の諸問題⑶」に載せられたものである。これを本書に採録するに当り、主として註の部分に多少の筆を加へた。〈54ページ〉

*このブログの人気記事 2024・3・27(8・10位は読んで戴きたかった記事でした)

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