◎『民法解題物権』(1916)と曄道文藝
昨日の話の続きである。
国立国会図書館のデータによれば、今日、同図書館に架蔵されている弘文堂の出版物の中で最も古いのは、1916年(大正5)8月発行の『憲法解題』で、その次に古いのは同年11月発行の『民法解題物権』である。両書の編纂者は、ともに弘文堂編輯部となっている。そして、三番目に古いのは、1917年(大正6)3月1日に発行された河上肇著『貧乏物語』である。
この1917年(大正6)3月1日という年月日は、ウィキペディア「貧乏物語」の項に拠った。国立国会図書館が架蔵している『貧乏物語』は、1917年(大正6)4月発行の第7版だが、これがインターネット公開されていないので、初版発行の年月日は確認できていない。
ちなみに、4番目に古いのは、1917年(大正6)4月に発行された小川郷太郎著『経済講話』である。小川郷太郎(おがわ・ごうたろう、1876~1945)は、大正昭和期の財政学者・政治家で、同書刊行時は、京都帝国大学経済学部教授、法学博士であった。
これら四冊のうち、『民法解題物権』に注目してみよう。「凡例」によると、弘文堂書房は、当時、高等文官・外交官・判検事・官私立法科大学の受験者を対象とした「受験提要」を分冊の形で発行しており、『民法解題物権』は、そうした分冊のひとつであった。
その巻頭には、京都帝国大学法科大学教授・曄道文藝(てるにち・ぶんげい、1884~1966)による「物権法ニ就テ」という講説が置かれている。同書の奥付には、「編纂者 弘文堂編輯部」とあるが、実質的な編纂者は、この曄道教授であった可能性もあるだろう。
いずれにしても、弘文堂の八坂浅次郎は、こうした「受験提要」の出版を通して、京都帝国大学法科大学の教授たちと、一定の交際があったはずである。八坂が、河上肇から『貧乏物語』出版の了解を得られたことは、それほど意外なことではない。
なお、『民法解題物権』に先行して発行された『憲法解題』には、「講説」に相当するものがない。京都帝国大学法科大学教授の名前も出てこない。しかし、この『憲法解題』の編纂にあたっても、学者の協力は不可欠だったろう。八坂は、京都帝国大学法科大学に赴き、憲法学担当教授の市村光恵(いちむら・みつえ、1875~1928)、行政学担当教授の佐々木惣一(1878~1965)あたりに、協力を求めていたのではなかったか。
昨日の話の続きである。
国立国会図書館のデータによれば、今日、同図書館に架蔵されている弘文堂の出版物の中で最も古いのは、1916年(大正5)8月発行の『憲法解題』で、その次に古いのは同年11月発行の『民法解題物権』である。両書の編纂者は、ともに弘文堂編輯部となっている。そして、三番目に古いのは、1917年(大正6)3月1日に発行された河上肇著『貧乏物語』である。
この1917年(大正6)3月1日という年月日は、ウィキペディア「貧乏物語」の項に拠った。国立国会図書館が架蔵している『貧乏物語』は、1917年(大正6)4月発行の第7版だが、これがインターネット公開されていないので、初版発行の年月日は確認できていない。
ちなみに、4番目に古いのは、1917年(大正6)4月に発行された小川郷太郎著『経済講話』である。小川郷太郎(おがわ・ごうたろう、1876~1945)は、大正昭和期の財政学者・政治家で、同書刊行時は、京都帝国大学経済学部教授、法学博士であった。
これら四冊のうち、『民法解題物権』に注目してみよう。「凡例」によると、弘文堂書房は、当時、高等文官・外交官・判検事・官私立法科大学の受験者を対象とした「受験提要」を分冊の形で発行しており、『民法解題物権』は、そうした分冊のひとつであった。
その巻頭には、京都帝国大学法科大学教授・曄道文藝(てるにち・ぶんげい、1884~1966)による「物権法ニ就テ」という講説が置かれている。同書の奥付には、「編纂者 弘文堂編輯部」とあるが、実質的な編纂者は、この曄道教授であった可能性もあるだろう。
いずれにしても、弘文堂の八坂浅次郎は、こうした「受験提要」の出版を通して、京都帝国大学法科大学の教授たちと、一定の交際があったはずである。八坂が、河上肇から『貧乏物語』出版の了解を得られたことは、それほど意外なことではない。
なお、『民法解題物権』に先行して発行された『憲法解題』には、「講説」に相当するものがない。京都帝国大学法科大学教授の名前も出てこない。しかし、この『憲法解題』の編纂にあたっても、学者の協力は不可欠だったろう。八坂は、京都帝国大学法科大学に赴き、憲法学担当教授の市村光恵(いちむら・みつえ、1875~1928)、行政学担当教授の佐々木惣一(1878~1965)あたりに、協力を求めていたのではなかったか。
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